前途多難な未来
視界が赤に染まっている。
燃え上がる炎が四方を取り囲み、パチパチと渇いた炸裂音が木霊する。
それはまるでこの世の終わりのような光景だった。
いや、実際この世の終わりだった。
これまで平和に暮らしてきた家、街が灰になっていく。
一体何故こんなことになったのだろうか。
現実感のない光景に呆然としていると、視界の端で昏く巨大な影が動いた。
一切の光を排除したように漆黒に塗り固められた異形。
二足歩行で人のようにも見えるソレは、魔獣と呼ばれているのだと、この時知った。
「あ、あ、」
情けない声が喉から零れる。
ふらりと身体が後ろへ傾くが、足が言うことを聞かずに尻もちをついてしまう。
魔獣とは、魔族が使役する異形の総称。
見るのは初めてだ。
何故なら、人神の領域で魔獣は活動できないはずだから。
こんな怪物を相手に俺は何ができるだろうか。
精々標的にならないよう隠れて震えるだけだ。
魔法使いの才能でもあれば、一矢報いることができただろうか。
魔獣の目が、俺を射抜いた。
「は、ははッ」
自分でも理由の分からない笑みがこぼれる。
頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、冷静な自分は逃げろと叫んでいる気もするが、そんなことをしても意味がないとあきらめている自分もいた。
この場にいる魔獣はこの一体だけではない。
見えるだけでも四体、他にもいるはずだ。
逃げるってどこに逃げるというのか。
帰る場所はここにあったはずなのに。
「おい、あそこにまだ子供がいるぞ!」
ハッとして俺は声の方を向く。
そこには軍服に身を包んだ人たちがこちらを指さし、走り寄ろうとしていた。
ああ、でも――、
魔獣が足を持ち上げた。
数秒後には俺はあの巨大な足で踏みつぶされる。
彼らは間に合わないだろう。
両親の名前は思い出せない。
一緒に遊んだはずの友人も。
そこまで薄情な人間だっただろうかと、自嘲気味の笑みが漏れた。
誰かを忘れている気がする。俺にとって、一番――、
「ノートッッ!!」
ドンッと横から強い衝撃を受け、放心状態の俺の身体は軽々しく吹き飛ばされる。
転がった先には瓦礫が散らばっており、運悪く瓦礫の一つに頭を強打し血が垂れる。意識が朦朧とする。
「――ッ!!!」
腕を伸ばそうとする思いとは反して、視界が狭まっていく。
深い闇の中へと、沈み、埋まり、落ちていった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ハッ!!?」
跳ね起きるように目を覚ました俺は、ベッドの上に寝かされていた。
ズキズキと痛む頭を押さえる。
ぐっしょりと寝汗に濡れた背中が気持ち悪い。
俺は大きく息を吐いた。
「俺は何でこんなところに…」
「もう、寝てると思ったら急にアタシの名前を呼ぶし、挙動不審だし、こんなのがアタシのマスターだなんてこの世の終わりだわ」
他に人がいるなんて思っていなかった俺はびくりと身体を震わせ、声の主を探した。
先ほどの声の主は、ベッドの横の丸椅子に腰かけていた。
「何よ、ジロジロ見て」
絹のように艶やかな金髪に、十人中十人が美少女というであろう整った顔立ち。
つい見惚れていると、気の強そうな吊り目を細め問いかけてくる。
俺は我に返ると一つ咳ばらいをし、口を開いた。
「えっと…誰?」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ほんっと信じられない!神徒のアタシに向かって言うに事を欠いて誰?ですって!?誰があんたの看病してあげたと思ってんのよ!だから他人なんて信用ならないのよ!」
どうやら俺は教会で気絶した後、保健室へ運び込まれたらしい。
現在、俺と神徒は保健室の先生からもう大丈夫だろうと言われたため、保健室を後にしていた。
大分日も傾いており、生徒は既に帰宅済み。
アンが呼んでいるとのことなので、アンのいる職員室を目指して歩いていた。
ちなみに教会で受けた傷についてだが、かなり重症だったらしいにもかかわらず俺がこうしてピンピンしているのは、保健室にいるビオラ先生のおかげだ。
千年に一人と言われるほどの治癒魔法の達人で、多くの人から前線に出てほしいと懇願されているらしいが、頑なに嫌だと駄々を捏ね続けた結果、今は保健室の先生となっているらしい。
今後もお世話になるかもしれない。
「悪かったって…。まさか神徒の召喚に成功してるとは思わなかったんだ。ルールも破ったし」
俺は謝罪の言葉を口にするが、肩を怒らせて目の前を歩く神徒は振り向きすらしない。
「はあ」
俺はため息をつきながら神徒の背中を追いかけた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「…来たか」
職員室の扉を開くと、アンが話しかけてきた。
「すみません、ご心配をおかけしました」
「それは構わん。なんにせよ、無事でよかった」
アンは、俺の全身を見た後ホッとした表情を浮かべた。
こんな柔らかい表情を浮かべるアンは初めて見た。
余程心配をかけてしまったのかもしれないと考えると、少し罪悪感を感じた。
「この通りピンピンしてます。それで、俺を呼んでいたとのことですが…?」
「ああ、神徒の召喚に成功した者には他にやってもらうことがあってな」
アンはちらりと神徒の方を見ると、ちょっと待ってろと言い残し職員室の奥へと消えていった。
その場には、俺と神徒の二人が残される。
「…」
神徒は腕を組んで俯いたまま、一言も話さない。
…気まずい。
「そういえば、さ」
変な話しかけ方になってしまった。
神徒が僅かに顔を上げ、視線だけこちらに投げかけてきた。
「名前はなんていうんだ?」
「はあ?」
何をおかしなことを言ってるんだとばかりに、神徒が怪訝な顔をする。
俺は首を傾げた。
「な、何かおかしなことを言ったか?」
「いや、だってさっきあたしの名前呼んでたじゃない。あれは偶然だって言うの?」
俺が名前を呼んだ。
あ、そういえば、「俺が目を覚ましてすぐに名前を呼んだ」とか言ってたような気がする。
「悪いが君の名前を呼んだ記憶はないな」
「…サヤカよ」
サヤカ、という名前に何処か聞き覚えがあるような気がしたが、記憶がはっきりしない。
少なくとも俺の知り合いにサヤカという人物はいない。
気のせいだろうか。
「よろしくな、サヤカ。俺の名前は――」
「言わなくていいわ。知りたくもないし」
会話を終了させようとするサヤカに、俺は焦って声をかける。
「おい、これから一緒に過ごすんだぞ?なんでそんな邪険にするんだよ」
「アタシは誰も信用しない。もちろんアンタのことも。呼ぶことなんてないんだから、名前なんて知らなくていいでしょ」
そう言ってサヤカは再び顔を伏せる。
保健室での初対面からずっとこの調子である。
何か嫌われるようなことをしただろうか…記憶にない。
チラリとサヤカの様子を窺うと、依然顔を伏せてこちらを見ようともしない。
「はあ……」
前途多難な未来に、俺は深いため息を吐いた。