怒り①
「ガイゼル……」
リンネは驚き戸惑った表情でガイゼルを見ていた。
あの時逃げ去ったはずのガイゼルが、どうしてここに……。
ガイゼルはニタニタと笑みを浮かべながら、二人に近づいた。
「何だよ、おい。やらねえのか。かまわねえから、そのまま続けろよ。ここで見ててやるからよ」
ひどく不快な視線。下衆な男の目だ。
リンネは、ガイゼルを強く睨みつけた。
「逃げ出した者が、今さら何の用だ」
「逃げた? バカいってんじゃねえ。俺は仕切り直そうとしただけだぜ。どこかの雑魚が邪魔ばかりしてくるもんだからよ。偽装撤退て言葉を知らねえのか、てめえは」
ガイゼルは嘲るように笑った。
無論、これは嘘だ。
あの時、確かにガイゼルは撤退を決めていた。
だが途中でそれを止めた。
なぜか。遠くから駆けてくるセイを見つけたからだ。
あの男は誰だ? いや、それよりも、もしかしたら……。
ガイゼルはすぐに物陰に隠れた。そしてその後の、セイとプレデターの戦いを注意深く観察していた。
なぜその場に残ったのか。理由は簡単だった。
もしかしたら、あの男がプレデターを倒すかもしれない。そうしたら、リンネが生き残ってしまう。
――ふざけんじゃねえぞ。
ガイゼルは、リンネが生き残ることだけは絶対に許せなかった。
「てめえだよ、女。俺はなあ、てめえが生きてることが我慢ならねえんだよ!」
ガイゼルは狂気に染まった顔で、リンネを指さした。
(何だ……この男は)
さしものリンネも、背筋に冷たいものが走った。
あまりにも異常すぎる執着。このような男は、かつて見たことがなかった。
「……お前が"八剣聖"ガイゼルか」
思わず身を固くするリンネをかばうように、セイが前へと出た。
「そうだが……何だ、てめえは。俺はそっちの女に用があるんだがな」
ガイゼルはあくまでリンネに執着していた。セイに興味がないと言いたげだった。
「セイ様、いけません。この男は私が――」
リンネはセイを止めようした。リンネは知っていた。セイの体が、もう壊れる寸前だということを。
だがセイは言った。
「いいんだ、リンネ。俺に任せてくれ」
セイは、冷静であるように見えた。落ち着いているように見えた。
だがそれは違っていた。
セイは恐ろしく殺気のこもった目で、ガイゼルを睨みつけていた。
「こいつだろ。こいつが、お前を追い詰めたんだろ」
それは静かなる激情。
セイはリンネを傷つける者を、決して許さない。
セイは――完全にキレていた。こうなった時のセイは、たとえリンネでも止められない。
セイが、刀を抜いた。
漆黒の刃が、セイの感情をあらわすかのように黒く光る。
「雑魚が……異獣を殺したくらいで調子に乗りやがって。格の違いってもんを教えてやるよ」
ガイゼルも、剣を抜いた。聖剣グランベルガ。
身の丈はあろうかというその剣を、ガイゼルは軽々と構えた。
それは――新たな殺し合いのはじまりだった。
二人が睨み合ったのも束の間、セイが即座に駆け出した。
軋む体をものともせず、ガイゼルに刃を突きたてるべく突進していく。
「おうおう、やる気じゃねえか」
ガイゼルはそんなセイを鼻で笑うと、悠然とグランベルガを構えた。
(こいつだけは絶対に許すな!)
セイが渾身の力をこめ、刀を振り下ろした。
後のことなど考えない、全力の一太刀。
ガイゼルはニヤリと笑うと、簡単にグランベルガで受け止めて見せた。
「遅えなあ。そんなもんが全力か」
「ほざけっ!」
セイがすぐさま次の手に移る。胴体を狙ったなぎ払い。ガイゼルは器用にその巨大な剣を扱い、それもあっさりとガードした。
重い。このガイゼルという男、岩のようにまるで動かない。
ならばと、セイは側面に回りこもうとした。正面がダメなら横から攻めるまでだ。
「うざってえんだよ!」
思わぬ速度でグランベルガが飛んできた。側面へと回りこもうとしていたセイは一瞬だけ反応が遅れる。
刀で防御するも――吸収しきれない。
セイが弾き飛ばされ、地面に手をついた。
それは何でもない、ただの力任せの一撃だった。
「軽いなあ、てめえは。すべてが軽すぎるぜ」
ガイゼルが笑った。イラつく笑みだ。
「黙ってろ!」
セイが再び飛び込んでいった。
(今のガイゼル攻撃は、偶然だ。たまたまタイミングが合っただけだ)
「遅えって言ってんだよ!」
振り抜こうとした刃が、簡単に弾かれた。
セイの腕が大きく跳ねあがる。完全なる無防備状態。
だがそれはガイゼルも同じ。その巨大な剣では連撃ができない。
次の瞬間、ガイゼルが予想外の動きを見せた。
体をねじり回転させる――後ろ回し蹴り!
セイのがら空きの脇腹に、ガイゼルの重い蹴りがめりこんだ。
「がはっ――」
セイの顔が苦悶に歪む。プレデターとの戦いで痛めたところを正確に打ちぬかれた。
「おいおい、俺がバカみてえに剣を振り回すだけと思ったのか。てめえとは違うんだよ」
悶えるように膝をついたセイを、ガイゼルが見下ろした。
格闘術――リンネとの戦いでも見せたように、ガイゼルにはその心得があった。
遠い間合いではグランベルガ。接近戦では格闘術。相手や状況に応じて戦い方を巧みに変えられる、それがガイゼルの強さであった。
(こいつ……)
無論、この劣勢には理由があった。
セイの動きに、まるでキレがないのだ。
プレデターとの戦いに、セイはすべての力を出し尽くしてしまった。その代償は、思いのほか大きいものだった。
そしてガイゼルも――それを分かっていた。
プレデターとの戦いでは苦戦を強いられたガイゼルだが、自らの力量が劣っているとは思っていなかった。
要は、相性の問題なのだ。
ひたすらパワーで押してくるプレデターやスピードに振り切った戦い方をするリンネは、実のところガイゼルが苦手とするタイプだった。
その点、セイは違う。
パワーではプレデターに遠く及ばないし、リンネのような速度も正確さもない。
つまりガイゼルからすれば、セイはやりやすい相手だった。
しかもセイは、プレデターとの戦いで負傷している。
わざわざ腹を蹴ったのは、それを確かめるためだ。
ガイゼルはセイとプレデターの戦いを見た上で、セイになら勝てると確信し、この場に現れていた。
もし負ける可能性がわずかにでもあるならば、ガイゼルはあのまま身を隠し、じっと復讐の機会をうかがっていたことだろう。
その小賢しさ――あるいは狡さも、ガイゼルの強さの一つであった。
「おら、どうしたよ。もっと真剣にやってくれよ。あのでかぶつを倒した時みてえによぉ」
ガイゼルが手招きをした。
明らかな挑発だと分かっているのに、セイの頭に血が昇ってしまう。
「あああ――」
地面を蹴りつけ飛び込んでいったセイに、ガイゼルは即座にグランベルガを合わせにいく。
(力勝負はまずい――)
セイはとっさに刀を引いた。珍しく弱気が出た場面だが、ここでは運が味方した。
タイミングをずらされたガイゼルが、大きく空振りした。しかも体勢を崩している。
(チャンス!)
ここぞとばかりに、セイは強く踏み込んだ。相手は隙だらけ。
狙うのは――その首!
「……分かっちまうんだよなあ。てめえがどこを狙ってくるか」
セイの全力の一太刀は、何かに完璧に防がれ弾かれていた。
鋼の籠手。
リンネとの戦いで散々首を狙われたガイゼルは、セイも同じことをしてくると読んでいた。
ガイゼルがニヤリと笑った。セイはガイゼルの距離に入っていることに気づいた。
(この距離は――)
セイはとっさに後ろに引こうとした。だがガイゼルが許すはずもない。
「ノロいんだよ。てめえは」
痛めている腹に、鋭いパンチが叩きこまれた。あまりの痛みにセイの体がくの字に折れる。
ガイゼルはすでにグランベルガを手放している。格闘術でセイを圧倒するつもりだ。
すぐさま次のこぶしが飛んできた。打ち下ろすような右。
ガードをすり抜けるように、側頭部を正確に打ち抜かれた。何という重さ。セイの体がが大きくぐらついた。
間合いが少し開いた――蹴りがくる!
ガイゼルが腰を強くねじった。まるで大砲のような蹴りがセイに叩き込まれた。
防御していようが関係ない。すさまじいインパクトと共にセイの体が吹き飛ばされた。
「とどめだ!」
ガイゼルがグランベルガを手に取った。そして倒れているセイに思いきり振り下ろす。
「く――」
あまりの威力に、地面が爆発したのかと思った。
グランベルガは、セイの真横をかすめるように叩きつけられていた。
(かわ……した?)
いや、違う。わざとかわさせたのだ。
ガイゼルは、笑っていた。
「命拾いをしたってか。良かったなあ。真っ二つにならなくてよ」
ガイゼルは、すでに確信していた。セイに負けることはないと。
(落ち着け……冷静になるんだ)
ガイゼルは先ほどから、わざと挑発を繰り返している。
セイを怒らせ、攻撃を単調にさせるためだ。
付き合ってはいけない。こういう時こそ冷静になり、相手を誘いこむのだ。
セイは起き上がると、大きく息を吐きだした。
"五先"だ。今こそ、ジンの教えを思い出す時だ。
そしてセイは、静かに刀を構えた。
刀を下段に構える――朔月の型。
(いま一度、あの技を繰り出す……)
『螺鈿斬り』
プレデターの鋼鉄の腕をも切り飛ばした、一撃必殺の刃。
この男を殺すには、これしかない。
セイの集中が研ぎ澄まされていく――。




