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怪物

 

 遡ること少し前――。

 リックとディーンが立ち往生する馬車へと向かって歩いて行った。

 ミーナは少し心配そうな面持ちでそれを見つめていた。

 ディーンが馬車に向かって声をかけている。だが反応がないようだ。

「……あの二人、呼び戻したほうがいいな」

 セイが、ポツリといった。

 ミーナは、セイを見た。

「それは……どういうことでしょうか」

 その時、甲高い悲鳴が聞こえてきた。

 リックとディーンが馬車から逃げるように駆けてくる。

 直後、グロテスクな化け物――異獣が姿を現した。

「ひ……異獣……」

 ミーナは恐怖から体を強張らせた。

 セイが、すっと立ち上がった。

 その手には刀が握られている。

「ここでじっとしていろ。すぐに終わらせてくる」

 ミーナは驚いた表情でセイを見上げた。

 異獣のもとへ行くなんて正気じゃない、そう思ったのだろう。

 異獣は、リックに馬乗りになっていた。

 セイは刃を抜き去ると、そのまま駆け出した。

 異獣がセイに気づいた。遅い。漆黒の刃は一瞬で異獣の腕を切り飛ばした。

 叫び声。

 リックはぽかんとした表情でセイを見上げていた。

「……邪魔だ。下がっていろ」

 セイは短くいった。その目は異獣だけを見据えている。

「がぐぐ……」

 異獣は低いうなり声を発し、睨むようにセイを見ていた。

「来い。相手してやる」

 セイが手招きをする。

 知性のない化け物でもそれが挑発であると分かったのだろうか。

 異獣は雄たけびをあげると、セイへと飛びかかった。

 鋭い爪。肉をえぐり、骨すらも断ち切る。

 だがセイには当たらない。

 セイは身を沈め異獣の爪をかわすと、その脇腹に刀を突きさした。

 漆黒の刃はいとも簡単に異獣の硬い皮膚を突き破った。

 どす黒い血が飛び散る。

 セイの一撃はそれでは終わらない。

 セイは突き立てた刃に力を込めた。

 ギチギチと音を立て、内臓が断ち切られる。

 異獣は再び叫び声をあげた。

 ――さっさと終わらせてやるよ。

 セイが血に濡れた刀を振り上げる。

 その瞬間、後ろに控えていたもう一体の異獣が飛び込んできた。

 かなりの速さ。普通の人間なら気づいた瞬間に体を引き裂かれている。

 だがセイは普通ではなかった。

 飛び込んできた異獣の爪を紙一重でかわすと、体をねじるように回転させ、一瞬の内にその首を切り飛ばした。

 異獣は噴水のように血を噴き出させ、その場に崩れ落ちた。




「す、すげえ……」

 リックは目の前でセイの戦いを見ていた。

 異獣とは、とにかく恐れられる存在である。

 人の住む地域に出没することは稀だが、ひとたび現れると甚大な被害をもたらす。

 リックの育った村の近くには、かつてもう一つの村があった。

 だがそこは、たった一体の異獣が入り込んだことで全滅してしまった。

 人間も、家畜も、生きるもの全てがその一体の異獣に喰い尽くされてしまったのだ。

 その異獣は討伐隊によってどうにか退治されたわけだが、そこでも多くの犠牲者が出たという。

 人間の手に余る怪物――異獣とはそういう存在なのだ。

 それをセイは、いとも簡単に倒してしまった。それも二体だ。

 首を切り落とされた異獣はすでに絶命し、ぴくりとも動かなかった。

 腹を裂かれた異獣はうなだれるようにし、浅い呼吸を繰り返していた。

 セイが、刀を振り上げた。

 かろうじて生きているもう一体にもとどめを刺そうというのだ。

 フードを深くかぶっているため、リックからではセイの表情を窺い知ることはできない。

「あの……大丈夫ですか?」

 気が付くと、ミーナが馬車から降りてきていた。逃げたはずのディーンも戻ってきている。

 セイの戦いぶりをみて、もう安全だと思ったのだろう。

 だが――それは間違いだった。

 その場にいた誰もが油断していた。

 セイですら、異獣の驚異的な生命力を見誤っていた。

 浅い呼吸を繰り返していた異獣が突然咆哮をあげ、飛び掛かった。

 その標的はセイではなく、その場にいた最も弱き者――ミーナだった。




 あまりに突然のことに、ミーナは動くことができないでいた。

 異獣が大きな口を開け襲いかかる。異獣はミーナの頭に食らいつこうとしていた。

 それはセイにしても、ほんの一瞬の、刹那の油断だった。

 斬りかかったところで、もう間に合わない。

 セイは――決断をした。

 ミーナをかばうように引き寄せると、自らの腕を差し出したのだ。

 異獣の鋭い牙が、セイの腕に食いこむ。そのすさまじい顎力に骨がきしんで音を立てた。

 セイの顔が苦痛に歪んだ。まるで腕を食いちぎられたような痛み。

 だがセイは歯を食いしばると、異獣の首に刀を突きさした。

 異獣はそれでも離さない。

 セイは刀に力を込めた。

「――つあっ」

 ブチブチと音を立て、異獣の首が切断された。

 首を切り離されて、ようやく異獣は絶命した。

 セイは腕に食らいついたままの異獣の頭をむしり取ると、地面に投げ捨てた。

 だらりと垂れ下がったセイの左腕からは、おびただしい量の血が流れ出ていた。

 見なくても分かるほどの酷い怪我。肉はえぐれ、異獣の牙は骨にまで達していた。

「あ……あ……」

 ミーナはその場に尻もちをつき、放心していた。

「……大丈夫か」

 セイは刀をしまうと、手を差し伸べた。

 ミーナを助けたのは、ほぼ無意識の行動だった。

 セイは、この国の人間たちを憎んでいる。それこそ、誰が異獣に喰い殺されようが知ったことじゃない。

 だがあの瞬間、セイはミーナを助けることを選んだ。

 それは弱き者を守るというセイの本質的な、あるいは人間的な部分によるものだった。

 ミーナは差し出されたセイの手と、セイの顔をしきりに見ていた。

 そこで、セイは気づいた。

 ミーナを助けた際にフードがはずれ、その漆黒の髪がさらけ出されていたことに。

 リックも、どこか遠巻きにセイを見ていた。

「あんた……イストリム人だったのか」

(……またか)

 セイの中で、昏い何かがうごめく。

 イストリム人はいつもこうだ。どこにいても差別され、迫害される。

 ここでも同じだというのか。

 セイは差し出していた手を引っ込めた。

 そして、そのまま彼らから背を向けた。

(……助けるべきではなかった。こいつらなど、見捨ててしまえば良かったのだ)

「あ、あの……」

 ミーナは、何かを言おうとしていた。

 だがセイはそれを無視し、ベルク方面へと一人で歩きだす。

 もう馬車に乗ることはできない。乗ろうとしたところで拒否される。

 この国において、イストリム人はそういう扱いなのだ。

「あの、待ってください。傷の手当てをしないと……」

 ミーナが追いかけてきた。

「必要ない」

 セイは突き放すようにいった。そして旅装束の袖を破くと、傷口に巻いて乱暴に止血した。

「い、いけません。異獣に嚙まれたのです。早く消毒しないと腐り落ちてしまいます」

 そんなこと、いわれなくても分かっている。

「俺は、イストリム人だ」

 セイは、ミーナを見下ろした。

「嫌いなんだろ、俺たちのことが。関わりたくないんだろ、イストリム人とは」

「そ、そんなことは――」

 セイは、少し感情的になっていた。

 故郷のことや人種のことをいわれると、セイは抑えが利かなくなる。

 ミーナは、そんなセイにただ困惑していた。

 その時、だった。

 馬の蹄の音が、どこか遠くから聞こえてきた。

 見ると、ベルクの方面から大きな集団が向かってきていた。

 正確な数は分からないが、おそらく10名以上。

 その全員が甲冑を身に着け武装していた。

「あれは……ベルク兵団だ」

 ディーンがそうつぶやいた。


          


 先頭を駆けてくるのは、鮮やかな金髪の男だった。

 男はセイたちを見つけると馬を止めた。

「異獣が現れたと聞いた。君たち無事か」

「エリアス様だぜ。ベルメール家の……」

 ディーンがリックにそういっているのが聞こえた。

 エリアスは馬を降りると、セイたちのほうへと近づいてくる。

「この辺りで異獣が出没したと知らせを受けた。君たち何か知らないか」

 セイはその問いには答えず、ただエリアスを見ている。

 背が高い。年はセイよりもいくらか上か。身に着けているのは無骨な甲冑。

 何気なく近づいてきているように見えるが、その左手は鞘に添えられている。

 この男、おそらく腕が立つ。この辺りでは見ないほどに。

 どうするべきか。

 セイがエリアスへの対応を考えていると、後ろにいたミーナが突然駆けだした。

「エリアス兄さま!」

「ミーナ! ああ、良かった。無事だったのか。お前が巻き込まれたのかと思って心配したぞ」

 エリアスはミーナを抱きしめ、その頭を撫でる。

 これは……どういうことだ。

 思わぬ状況に、リックとディーンが顔を見合わせていた。

「それで……ミーナ。異獣は、見なかったのか」

「それでしたら……」

 ミーナは後方を指し示した。




「これは……」

 そこには、斬り捨てられた異獣の死骸が転がっていた。

「死んでる……それも、二体だと……」

 エリアスは信じられないといった様子で異獣を見下ろしていた。同行していた兵士たちからも、驚きの声があがっている。

「ミーナ……一体ここで何があったんだ」

 ミーナは、ここで起こったことを簡単に説明した。

 突然異獣が現れたこと。異獣に殺されそうになるもセイが助けてくれたこと。

 エリアスが、セイを見た。

「君が、たった一人で異獣を倒したというのか。それも二体も」

「だとしたら何だ」

 セイは素っ気なくいった。

 セイは、気づいていた。エリアスの目が怪我をした腕だけでなく、その髪にも向けられていることに。

(この男も、どうせ同じだ。イストリム人というだけで差別してくるに違いない……)

 しかしエリアスは、驚くべき行動にでた。

 セイに向かって膝をつき、深く頭を下げたのだ。

「……感謝する。イストリム人のお方。異獣を倒しただけでなく、我が妹の命まで救ってくださった」

 これには、さすがのセイも驚いた。

 エリアスは名門貴族の生まれと聞いた。

 そのような者が奴隷民族とすら呼ばれるイストリム人に頭を下げるなど、普通ではありえないことだった。

 当然、兵士たちは慌てふためいた。

「エリアス様! 相手はイストリム人ですぞ。おやめください」

「恩人に礼をいって何が悪い。生まれなど何の関係もないだろう」

 ベルクの光――エリアスはその名の通り、誠実かつ実直な男だった。

 この国の貴族は、ザシャのように傲慢で腐った者がほとんどだ。そういった中で、このエリアスは極めて珍しいタイプといえた。

「イストリム人のお方。よろしければ我が城に来ていただけないだろうか。傷の手当てをしたいし、妹もお礼をしたいといっている」

 エリアスはセイの目を見ていった。

 直視するのをためらわれるような、あまりにも真っすぐな瞳だった。

「……結構だ。俺はあんたの城に用はない」

 セイはわずかに目をそらした。

 昏い心を持ったセイにエリアスは眩しすぎたのだ。

「あの……」

 ミーナが、おずおずといった。

「あなたは先ほど、私に言いました。イストリム人が嫌いなのだろうと。それは……違います。少なくとも私とエリアス兄さまは、そのようなことは決してありません」

 その瞳もまたエリアスと良く似ていた。

 この者たちは噓をついていない。

 セイにもそれは分かった。




 結局のところ――セイは彼らの城へ行くことにした。

 二人に根負けしたということもあるし、何よりも腕の怪我が深刻だった。

 帝国貴族でありながら差別意識を持たず清い心を持った兄妹――エリアスとミーナ。

 二人は、知らない。

 セイという人物が何者であるかを。

 そしてこの時セイを城に招いてしまったことが、後に地獄へと繋がっていくことを――。


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