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魔宝石①


 それは平和だった時代の、あくる日の記憶――。

 イストリムの首都、千年の都イシュバーン。

 その王城にて。

 若き騎士ジンが兵舎で休憩をしていると、彼の名を呼ぶ声があった。

「ジン! ジンはいるか!」

 見ると、兵舎の入口に幼き王子のセイが立っていた。

 普段は自室にこもりきりなことが多いセイが、この兵舎まで降りてくるのは大変珍しかった。

「セイ様、どうなさいましたか」

「話があるのだ。ちょっと来てくれ」

 セイはそう言うと、ジンを外の庭園まで連れ出した。

 城の正面にあるその見事な庭園には、美しい花々が咲き乱れていた。

 その中心部には巨大な噴水があり、その周囲を大人の背丈はあろうかという生垣が取り囲んでいた。

 セイは、その生垣の片隅までジンを連れ出した。

「いいか、ジン。これから話すことは、誰にも内緒だからな」

 セイはそのように強く念押しした。

 何もわからないが、ジンはとりあえず「分かりました」と頷いておく。

 ジンは、忠実な騎士だった。

 セイはそれを確認すると、さっそく切りだした。

「ジン、お前は、封印の洞窟なるものを知っているか」

「封印の洞窟……ですか。まあ、知っていることは知っていますが……」

「そうか。なら話は早い。俺は、そこに行きたいのだ。だから連れていってくれ」

 何とも急な話である。

 忠実な騎士であるジンとて、そうそう頷くわけにもいかなかった。

「ええと、セイ様。それは、なぜでしょうか。まず理由をお聞かせください」

「理由か……ううむ、どう説明したらいいものか。まず……リンネが近々旅立つことは知っているな」

「それは、もちろん」

 年が明けたらすぐと聞いていた。

 セイの護衛騎士であるジンは、リンネとも関わりが深かった。

 ジンは二人のことを幼子の頃から知っていた。

「そのリンネだが、彼女は俺に尽くしてくれた。俺にとっては、本当に家族のような存在なのだ。俺はそんなリンネに、何とか報いてやりたい。だがリンネはシャハナの姫。何かを与えようにも、与えられるものなどないのだ」

 シャハナ家はイストリムの三大貴族の一つであり、その姫であるリンネは生まれながらにして全てを手にしていた。

 地位も、財産も、今さらリンネに与えられるものなど何もなかった。

「そこでだ、俺は考えた。父上と母上が、お揃いのペンダントを持っていることは知っているな。あれについているのは魔宝石とかいう特別な宝石で、父上が親愛の証として母上に贈ったそうだ。俺も、同じことがしたいと思った。俺も親愛の証を、リンネに贈りたいのだ」

「……なるほど、それで封印の洞窟ですか」

「そうだ。俺は父上に聞いた。魔宝石とはどうすれば手に入るのかと。父上は言った。魔宝石は封印の洞窟で取ることができると。だから俺はそこに行きたいのだ」

 セイは子供らしく、無邪気に言った。

 セイはどうやら、自分がしようとしていることを、まったく分かっていないようであった。

 まず魔宝石だが、セイは単なる宝石の一種と思っているようだが、それは違う。

 魔宝石は極めて特別な宝石で、一般に流通することはまずない。

 なぜか。

 それは、あまりにも希少だからだ。

 魔宝石とは高濃度のマナを内部に閉じこめた宝石のことで、この世界でもただ一か所でしか取ることができなかった。

 それが封印の洞窟で、そこに立ち入ることを許されているのはイストリムの王族のみであった。

 セイは図らずとも、世界一希少な宝石を――それが市場に出ればどれだけの値がつくか誰も分からないような、そんな宝石を手に入れようとしていた。

 無知とは、何とも恐ろしいものである。

(……これは、困ったことになったぞ)

 忠実で善良な騎士であるジンは、セイの無垢なる願いを叶えてやりたかった。

 だがジンは、そもそも封印の洞窟の場所を知らなかったし、仮に知っていたとしても入ることができなかった。

 無理だというのは簡単だ。だが普段ほとんど我儘を言わないセイがこうして頼ってきたのに、それを無下にしていいものだろうか……。

 セイは密かに頭を悩ませるジンを見て、子供らしく、何とも都合の良い解釈をした。

「そうか、やってくれるのか。やはりお前に頼んで正解だった。一応言っておくが、父上にだけは絶対に話すなよ。いいか、絶対にだぞ」

 セイはことさら強く念押しすると、もう満足してしまったのか、さっさと城に戻ってしまった。

 ジンに頼んだからもう大丈夫だと思っているのだろう。

 それはジンが信頼されている証だが、ジンとしては、非常に困りものだった。

「いや、あの、セイ様……」

 生真面目な男であるジンは、呼び止めることもできなかった。

(……どうしたものだろうか)

 セイの信頼を裏切りたくないというのが、ジンの本音であった。

 だがよりにもよって王族しか入れない封印の洞窟とは……。

 とりあえず――まずは封印の洞窟の場所を調べなければならない。

 そこがセイの足では行けないような場所なら、諦めてくれるかもしれない。

 では、誰に聞けばいいのか。

 そこは王家の秘密の場所で、おいそれと聞いて回ることもできない。

 となると……探りを入れるしかなかった。

 封印の洞窟の場所を間違いなく知っている人物に、セイのことを何とか隠したまま。

 はあ、とジンは溜息をついた。

 何とも気が重い話だ。

 あの人を相手に、俺が上手くやれるだろうか……。

 その相手とはもちろんセイの父――太陽王エストに他ならなかった。



 その日の夜、ジンはエストのもとへと向かった。

 急な訪問にも関わらず、エストはジンを笑顔で迎えいれた。

「珍しいな、ジン。お前がこんな夜更けに来るなんて」

 いくらジンでも、王の私室に立ち入ることは許されていなかった。

 ジンは私室の隣にある控えの間に通された。

 控えの間といっても、そこはイストリムの芸術の粋を集めた豪華絢爛な部屋である。

 ここに入ることが許されているのも、イストリムではごく一部の人間に限られていた。

 そしてジンは、その中の一人でもあった。

「少し酒でも飲もうと思っていたところだ。お前も一緒にどうだ」

 エストはそう言って、美しい細工の施された瓶を傾けた。

「……いただきます」

 あまり酒が得意ではないジンだが、エストに言われては断れない。

 二人は向かい合わせで座り、軽く酒を飲み交わした。

 セイの護衛を務めているジンは、エストが最も信頼している騎士であった。

 名家の生まれであることは当然として、馬鹿がつくほどの実直な性格。そして護皇騎士筆頭の称号を与えられるなど、剣の達人でもあった。

 そんなジンとエストは年が近いこともあり、エストは彼のことを気心の知れた友人として扱っていた。

 この時エストは二十五歳、ジンは二十二歳であった。

 しばらく酒を飲み交わしていた二人だが、小一時間ほど経った頃、エストが言った。

「……それで、ジン。何があってここに来たのだ。何か話でもあるのだろう」

 それはジンにとって渡りに船であった。

 いざエストを前にしたジンは、どうやって話を切り出すべきかずっと頭を悩ませていたのだ。

「それは……ですね。実は封印の洞窟について少々調べたいことがありまして、その場所を教えていただけないかと……」

「封印の洞窟? 別に教えるのは構わんが、理由によるな。調べたいこととは何だ」

「それは……その……」

 ジンは口ごもる。

 セイから頼まれたなどとは言えないが、かといって適当な嘘もつけない。

 ジンは、嘘がひどく苦手だったのだ。

 エストはそんなジンをしばらく見ていたが、やがて、吹きだすように笑った。

「いや、いい。無理に言わなくていいぞ。どうせ、アレだろう。セイリッドに頼まれたのだろう」

「う……あの……それは……」

 思わぬ名が出て、ジンが分かりやすく動揺した。

 こういう時に、すぐに顔に出てしまうのがジンである。

 もう答えを言ってしまったも同然であった。

 ジンは一瞬の思案の後、観念した。

「……なぜ、分かったのでしょうか」

「そりゃ、分かるさ。昨夜の夕食の席でだな、セイリッドが魔宝石について聞いてきた。それで封印の洞窟で取れると言ったら、今度は封印の洞窟についてしつこく聞いてきた。これは何か企んでいるなと思っていたら、今日になってお前が来た。そりゃセイリッドの仕業であることくらい、俺でなくても分かる」

 エストは、楽しそうに笑っていた。

 おそらくだが、エストはジンが訪ねてきた時点で分かっていたのだ。

 だがあえて自分からは言わず、頭を悩ませているジンを見て楽しんでいたのだ。

 エストとは、こういう子供っぽいことが好きな男であった。

「それで、ジンよ――」

 エストが、身を乗りだした。

 その目は悪戯をする子供のように輝いていた。

「セイリッドは、誰かに魔宝石を贈ろうとしているのだろう。それは、誰だ。お前は聞いているのだろう」

「そ、それは……」

 ジンは言いよどんで、目をつぶった。

(……セイ様。申し訳ございません。自分に隠し事は無理です)

「……リンネ様です。シャハナ家の」

「あー、リンネ姫か。くそー、外れた」

 エストは叫ぶように言って、大げさに天を仰いだ。

「あの……エスト様……?」

「いやな、セイリッドが誰に贈りものをするのか、妻と賭けをしていたのだ。妻はリンネ姫で間違いないと言った。俺もリンネ姫は本命だろうと思ったのだが、夫婦そろって同じ娘に賭けても意味がないだろう。だから俺は大穴狙いでメイド長のマリアに賭けたのだ。だが……くそ、やはりリンネ姫であったか」

 エストは、本気で悔しがっていた。

 ジンは、大きな溜息をついた。

 もう一度いう。エストとは、こういう男なのである。

 太陽王――人々はエストのことを、そう呼ぶことが多い。

 長い歴史を持つイストリムの中でも、エストほど破天荒な王はかつていなかったであろう。

 先代を含め、これまでのイストリム王たちは神格化された存在であり、こうして話をすることはおろか人前に出ることすら稀だった。

 彼らに謁見できるのは一部の人間のみで、ジンのような名家の生まれでも会って言葉をかわすなど決して許されなかった。

 先代が亡くなり、王の座を継いだエストは、それらを全て変えた。

 自らも普通の人間であると宣言し、人々の前に堂々とその姿を晒したのだ。

 エストは、誰にでも分け隔てなく接した。

 それは城の者だけではない。民に対してもだ。

 今から十年ほど前になるが、エストが王位を継いだばかりの頃、王都の郊外で豊穣を祝う祭りがあった。

 エストは何を思ったのか城を抜けだすと、その祭りに飛び入りで参加してしまった。

 当時のエストはまだ成人したての若者で、民たちもまさかその陽気な若者が王だとは思いもせず、城の者たちが慌てて駆けつけた時には民たちと一緒になって酔いつぶれていた。

 当初、こうしたエストの振る舞いに家臣たちは大いに困惑した。

 これまでの王と、あまりに違いすぎたのである。

 当然、反対の声も多かった。

 王の威厳が損なわれる、そう戒める者もいた。

 だがエストは変わらなかった。

 エストは常に民たちに寄り添い、楽しいことがあれば一緒に踊り、辛いことがあれば一緒に悲しんだ。

 エストがしたことで最も物議をかもしたのは、長らく王家の秘密とされていた"神威の力"を民の前で使ったことである。

 その年は異常なまでの干ばつが続き、農村部では大規模な飢饉が起こりつつあった。

 見かねたエストは国中を回り、干ばつが続く土地で雨を降らせた。

 これは、大きな論争を招いた。

 "神威の力"は神聖にして秘するものであり、それを民のために使うなどあってはならないことだったのだ。

 家臣たちが揉めに揉めている中、エストは平然と言ってのけた。

 ――民たちを救う手だてがあるのに、なぜそれを使わない。

 エストは、そういう男だった。

 若く、精悍で、そして太陽のように眩しいこの男のことを、いつしか人々は太陽王と呼ぶようになった。

「……ですが、エスト様。よろしいのですか」

 ジンが言った。

「何がだ」とエスト。

「ですから、セイ様がリンネ様に魔宝石を贈ろうとしていることです。セイ様は、王族が魔宝石を女性に贈ることの意味を理解しておりません」

 エストは、少し考えた。

「別に……構わんだろう。相手はシャハナの姫だ。魔宝石を受け取る資格はある。それにだ、お前の言う()()も下らん慣習でしかない。俺や先代がそうしたからといって、セイリッドまで従う必要などないのだ。ジンよ、慣習なんてものはな、壊すためにあるのだ」

 エストはそう言って、あっけらかんと笑った。

 数々の慣習やしきたりを壊してきたエストならではの言葉であった。

「それで……話を戻すが、ジンよ、封印の洞窟にはいつ行くつもりなのだ」

「それは……セイ様はすぐにでも行きたがっておりますが……」

 そこでジンは、はっとなった。

 猛烈に嫌な予感がしたのだ。

「まさか、エスト様も一緒に行くつもりではありませんよね」

 エストは、笑っていた。

「行くに決まっているだろうが。かわいい一人息子が女に贈りものをするのだぞ。父が見届けないで、いったい誰が見届けるというのだ」

 ジンが頭を抱えたのは、いうまでもない。


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