罠
翌日になって、リンネはカリーナと共にヒューゴの屋敷に向かった。
二人は、人通りの少ない通りを歩いていく。
リンネは道すがら、気になっていたことを聞いた。
「カリーナさん、屋敷でのお取引というのは、どういうことをするのでしょうか」
「あら、簡単よ。こちらで用意した商品を先方にお渡しして、対価としてお金をいただくの。多い時では月に二回くらいあるわね」
「商品……?」
リンネは、少し不思議に思った。
カリーナはそれらしいものを何も持っていなかったのだ。
「……私はね、ヒューゴ様には本当に感謝しているの。あの方がいなかったら、うちのお宿はとっくに潰れていたわ。あのお宿が主人の形見だってことは、前にも話したわよね。ヒューゴ様が来る前は、本当に苦しかった。私は、すべてを失ってしまいそうだった。それをヒューゴ様が救ってくださったの。私だけじゃないわ。この街には何人も、ヒューゴ様に救われた人がいる。このお取引はね、いわば恩返しなの。私たちから、ヒューゴ様への――」
カリーナは、ヒューゴへの感謝の言葉を続けている。
リンネは黙って聞いているが、正直なところ、よく分からない。
リンネは、ヒューゴのことを知らないのだ。
どれだけ善人だと言われても、この目で確かめるまでは判断のしようがなかった。
「あの……そのような大事なお取引なのに、私がついていっても大丈夫なのですか。ご迷惑になるのであれば、私はここで引き返しますが」
「ダメよ!」
カリーナが突然大声で言った。
「リンネちゃんが今日行くことは、先方にはすでに伝えてあるの。今さらそんなことを言っても許さないわ。絶対にダメ。分かって、リンネちゃん」
突然の剣幕に、リンネは思わず身を引かせた。
カリーナはすぐに取り繕ったような笑顔を見せたが、その目はまるで笑っていなかった。
(……何だろう、この感じ。胸がざわつく……)
リンネは、カリーナの様子に不信感を抱いた。
だがそれを質問する前に、二人は屋敷の前にたどり着いてしまった。
「さあ、行きましょう」
カリーナがリンネの手を引いて、無理やり中へと連れていく。
リンネは従うしかなかった。
豪奢だが見るからに悪趣味な屋敷。
その空には、どんよりとした重苦しい雲がおおっていた。
門番はカリーナを見ると、何も言わず中へと通した。
広い庭園を抜けると、その先にはヒューゴの屋敷があった。
屋敷でリンネたちを出迎えたのは、二人の若い男だった。
「……あんたか、話は聞いてるぜ」
カリーナは男たちと顔見知りのようだった。
リンネたちは入り口の先のホールに通された。
床には真っ赤な絨毯。天井には大きなシャンデリア。
この屋敷と同じだ、とリンネは思った。
金をかけているが、それは豪華なのではなく、ただの悪趣味なだけ。
「……その女か、今回のは」
男の一人が、リンネをちらりと見た。
カリーナがうなずいた。
「はい、名前はリンネさんと言います」
「名前なんかどうだっていい。俺たちには関係のないことだ。おい女、顔をきちんと見せろ。それじゃ分からん」
ひどく不躾な言い方だった。
リンネがいつものように顔をフードで隠していることが気に食わなかったらしい。
リンネは、カリーナを見た。
カリーナは、笑顔でいった。
「お顔を見せて。リンネちゃん。ここではそういう決まりなの」
「……分かりました」
リンネが、フードを取った。
「お、おいおい、マジかよ……今まででもぶっちぎりで一番じゃないか……」
男たちに、驚きが広がっていた。
素顔を見せたリンネは、まるで宝石のように美しい女だった。
男の一人が、ごくりと生唾を飲みこんだ。
「よ、よし……女、合格だ。そ、それではこれより検査に入る。まずは、その腰からぶら下げている物騒なものを寄越せ。ここは武器の持ち込みは禁止だ。それと、ボ、ボディチェックもさせてもらう」
リンネは、男の視線に気づいていた。
リンネの顔と、その大きな胸を舐めまわすように見ていた。
その手が、ひどく不快な動きを見せる。
リンネは、にべもなく言った。
「お断りします。刀は渡しませんし、体にも触れさせません。どうしてもと言うのなら、私はここで帰ります」
リンネは穏やかな性格をしているが、嫌なものにははっきりと言う。
不快な男に礼儀など不要。
刀を渡すことなどありえないし、体を触らせるなどもっての他だった。
リンネの体に触れていいのはセイだけである。
「リ、リンネちゃん。えと……」
あまりにもはっきりとした拒絶に、カリーナが慌てふためいた。
リンネのことを、何も言えないタイプだと思っていたのだ。
男たちも、対応に困っている様子だった。
「お、おい、どうするよ」
「どうするって、こんな上玉をみすみす帰してみろ。あとでどやされるぞ。とりあえず……通してやるしかないだろう」
どうやら、話はまとまったようだ。
男が言った。
「よ、よし、今回だけは特別に許してやる。ついてこい」
男たちに連れられ、リンネとカリーナは屋敷の通路を歩いていく。
だがそこで、少し妙なことがあった。
男たちはそのまま裏口から表へと出て、倉庫群の方へと向かったのだ。
これにはさすがのリンネも違和感を持った。
「カリーナさん、お取引は屋敷でするのではないのですか」
「ええと……確かに変ねえ。いつもはヒューゴ様のお部屋に通されるのだけど。ねえ、あなたたち、本当にこっちであってるの。ヒューゴ様がそう言ったの?」
カリーナの質問に、男の一人が答えた。
「ヒューゴ様は大怪我をしたらしく、今は療養中だ。かわりにガイゼル様が指示を出してる。今の俺たちのボスは、ガイゼル様なんだよ」
これにはさすがのカリーナも驚きを隠せなかった。
「何それ、私は聞いてないわよ。ヒューゴ様が怪我って、それいつの話」
「昨日のことだ。俺たちだって突然ボスが変わっちまって、何も分からないんだよ。金のことなら心配するな。ガイゼル様がきちんと払ってくださるそうだ」
「ああ、そうなの。なら、いいわ」
カリーナは金の問題がないと知ると、安心したようだ。
(……ボスがヒューゴからガイゼルに変わった? ということは、この先にガイゼルがいる?)
事情を知らないリンネは、必死に頭を働かせていた。
ガイゼルと直接会えるのは、悪い話ではない。
だが、なぜだろうか。
先ほどから胸のざわつきが大きくなるばかりだ。
今すぐにでもこの場から逃げたほうがいい、そう思えてしまうほどに。
連れてこられたのは、ある倉庫の前だった。
男が立ち止まると、言った。
「俺たちはここまでだ。中にガイゼル様がいる。さあ、入れ」
重い扉が開かれた。
リンネはためらいつつも、中へと足を踏み入れた。
「……恨むなら、綺麗な顔に生まれた自分を恨むんだな」
案内役の男が、最後にポツリと言った。
どういうこと?
リンネは振り返ったが、倉庫の重い扉は、すでに閉じられた後だった。




