次の標的
リヒトベルク教国を過ぎると、その先には森林地帯が広がっていた。
地図を確認すると、目的地のクレスタまではもうすぐのようだ。
あたりは、すでに暗くなっていた。
このまま進むと道に迷ってしまう可能性がある。
二人は、森の中で夜を明かすことにした。
幸いなことに、近くに小川が流れていた。
その小川のほとりを、セイは今夜の寝床と決めた。
セイとミーナは、テキパキと準備をはじめた。
いつものようにセイが枯れ木を集めてくると、ミーナが火をつけた。
ミーナは少しずつだが、この旅に慣れ始めていた。
案外、順応が早いのかもしれない。
この日の食事は、いつもと比べるとだいぶ豪華だった。
セイが、川魚を何匹かとってきたのだ。
細い枝を竹串のように川魚に刺して、火のまわりに並べた。
しばらくすると、何とも香ばしい匂いが漂ってきた。
「わあ……」
二人にとって、新鮮な魚はご馳走だった。
ミーナはお腹が鳴るのを押さえながら、魚が焼けるのを今か今かと待っていた。
そんな様子を見たからか、セイは一番最初に焼きあがった魚をミーナに渡してくれた。
「……おいしい」
ミーナから幸せそうな声が漏れた。
正直いうと、最初に焼けた魚を渡されたときは少し恥ずかしかった。
だが食欲をそそるそのあまりに香ばしい香りに、ミーナは我慢ができなかった。
セイはそんなミーナを微笑ましく見て、そして自分も焼きあがった魚を口にした。
セイは何もいわなかったが、その表情を見て、ミーナと同じ感想であることがわかった。
旅をしていて気づいたのだが、セイは感情が表に出てしまうタイプのようだ。うれしい時、困惑している時、悲しい時、言葉を口にしなくても、その表情がいつも物語っていた。
二人は、夢中になって魚にかじりついた。
ミーナにとっては本当に久しぶりの、至福のひとときであった。
食事を終えると、二人は何をするでもなく焚火を眺めていた。
いつもだったらすぐに眠くなってしまうミーナだが、この日は妙に目が冴えていた。
「……ミーナは、すごいな」
ふいに、セイが静かな声でいった。
「え?」とミーナが聞き返す。
「……正直いうと、すぐに音をあげると思っていた」
セイが、白状するようにいった。
「だけどミーナは、全然弱音を吐かないし、必死についてくる。俺とは違うんだなと思った。俺が旅をはじめたばかりのときは、辛くて、苦しくて、いつも泣き言ばかりをいっていた」
「セイ様が……ですか」
セイが泣き言をいう姿が、ミーナには想像できなかった。
本音でいえば、ミーナも弱音を吐きたかったし、泣き言だって何度も喉元まで出かかった。
それはいわなかったのは、とにかく意地になっていたからだ。
こう見えてミーナは、昔から頑固で、一度決めたら決して譲らない性格だった。
セイの旅についていくと言った以上、絶対にお荷物にならない。泣き言だっていわない。それはミーナが密かに決めていたことでもあった。
「……セイ様は、いつから旅をしているのですか」
ふと、それが気になった。
セイは、少し考えてからいった。
「俺が十歳のときからだから、もう五年になるな」
「え……」
ミーナの顔が、しばし固まった。
「あの……五年前が十歳ということは、セイ様は今十五歳なんですか。それって、私と一つしか変わらないということですか」
「え……ミーナは、十四になるのか」
今度は、セイが困惑する番だった。
ミーナは勝手な想像からセイの年齢を兄――エリアスと同じくらいだと思っていた。
セイは背が高く落ち着いていて、年の割に大人びていた。
一方のミーナは小柄で童顔で、年よりも幼く見られることが多かった。
二人は互いに、三つから四つの年が離れていると思い込んでいた。だが実際は違う。二人の年の差はたったの一つ。ほぼ同世代だったのだ。
「ああと……すまない。俺は勝手に、ミーナがもっと年下だと思い込んでいた」
「あの……私もです。セイ様はもっと年上だと思っていました……」
何とも気まずい空気が流れた。
年の離れた兄のような人と旅をしていると思ったら、同じ年ごろの青年だったのだ。
「あの……えと……」
ミーナは急に、恥ずかしさがこみあげてきた。
相手を兄と思うか同世代と思うかでは、気の持ちようがまったく違う。意識するなというのが無理であった。
(ええと、大丈夫でしょうか。か、体のにおいとか。できるだけ清潔にしてきたつもりですけど……)
エリアスくらいの年であれば、ミーナにとっては恋愛の対象外であった。もちろん異性として意識するところはあるが、そこまで気にならなかった。
だが一つしか離れていないとなると……。
「ミーナ……その、すまない。俺は昔から鈍いというか、女性の扱いをわかっていないことが多くて、もし気に障ることをしていたら許してほしい」
「い、いえいえ、そんなことないです。大丈夫です。ちょっと驚いただけですので」
(いけません。セイ様が気をつかっております。この程度のことで動揺してどうするのですか)
見ても分かる通り、ミーナは男性慣れしていない。同世代となれば尚更だ。
しっかりしろ、とミーナは自分の頬を叩いた。
そしてミーナは、真正面からセイを見た。
何て……整った顔をしているのだろう。そういえば先日、私はこの人の裸を見てしまった……。
(だから何でそういうことを考えるのですか!)
ミーナは頭を抱えた。
恥ずかしさから逃げ出したい気分だった。
ミーナが落ち着くまではしばらくの時間がかかった。
セイはその間、ただ困惑していた。
「……クレスタでの目的?」
小一時間ほど悶えた後、ミーナはようやくセイの顔を見られるようになった。
「はい。誰かと会う予定と聞いておりましたけど……」
セイは、少し考える顔をした。
「……そうだな。現地に着いてからの話をしよう。まずクレスタに着いたら、俺の仲間と合流する。本当は同じころに到着する予定だったけど、俺が少し遅れているから、向こうが先に着いていると思う」
「仲間……セイ様の、ですか」
そうだ、とセイは簡単にうなずいた。
「……そんなに意外か」
「えっと……はい。私はセイ様が一人で旅をしているのだと、勝手に思い込んでおりました」
「そんなことはないさ」
セイは、小さく笑った。
「俺にだって仲間くらいはいる。ずっと一人で生きてきたわけじゃない」
(そう……なんだ)
意外だったが、考えてみればそう不思議な話でもなかった。
セイにだって知り合いはいるだろうし、仲間と呼べる存在が他にいてもおかしくはない。
ただミーナが勝手に、セイは孤独な中で生きてきたのだと思い込んでいただけだ。
「……その方と合流したら次はどこに行くのですか。やはり南ですか」
現在二人が旅をしているのは帝国における辺境の地、東南地方に当たる。
リーディアが東のはずれに位置し、そこからベルク、クレスタと南に向かって移動していた。
「……いや、クレスタにはもう一つの用事がある。どちらかというと、そっちのほうが重要なんだ」
それは何でしょうか、とミーナは何気なく聞いた。
セイは、少し言葉に詰まった。
話すべきか迷っているようにも見えた。
やがてセイは、独り言のようにいった。
「……そうだな。ミーナには、ちゃんと話しておくべきだろう……」
そしてセイは、ミーナの顔を見た。
これまでとは顔つきが変わっていた。
「ミーナは、『八剣聖』と呼ばれる者たちを、知っているか」
「はい、知っております。帝国の最高位騎士の称号を持つ方たちですよね」
広大な版図を持つ帝国の中でも、その称号を与えられた騎士は八人しかいない。
エリアスは帝都にいた頃、一度だけその『八剣聖』の一人に稽古をつけてもらったそうだ。エリアスは生涯それを誇りにしていた。
帝国における武の極致にして真の英雄――それが『八剣聖』と呼ばれる者たちであった。
「……とある筋から、そのクレスタに『八剣聖』の一人がいるという情報が入った。俺は、その者と会う必要がある」
「……会って、どうするのですか」
聞きながら、ミーナはどうしようもなく嫌な予感がしていた。
セイは、ベルクで追われていた。リーディアの帝国貴族――ザシャ男爵を殺害したからだった。
まさか……。
「無論、殺すのだ」
セイは、はっきりといった。
その目は、凍りつくような昏い光を放っていた。
あたりが、静寂に包まれていく。
先ほどまで聞こえていた小川の流れる音も、どこか遠くになっていく。
そしてセイは、自分のことを、少しずつ話しはじめた。




