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漆黒の襲撃者②


 街の中心部にある屋敷には、ガンツとその部下がいた。

 その部屋は広く、どこか寒々としており、ところどころに置かれた蝋燭の小さな灯りがよく磨かれた大理石の床に反射して、部屋の中をぼんやりと照らしていた。

 ガンツとその部下は、ひれ伏している。

 二人の前にはその屋敷の主――ザシャ男爵がいた。

 ザシャは椅子に座り、その二人を見下ろしていた。

「……私はいったはずだ。この街に入り込んだイストリム人は、残らず私の前に連れて来いと。それを取り逃がしたというのか」

 ザシャの声には抑揚がない。そのため、感情がひどく読みにくい。

「……その通りです。突然の邪魔が入りまして」

 ガンツの声は、震えている。

 ガンツは顔を上げることができない。

 恐ろしいのだ。

 ザシャは小ぎれいな身なりをした男だった。体は瘦せぎすで、後ろになでつけられた髪には白いものが混じっている。

 一見すると怜悧で落ち着きのある男のようだが、異様なのはその目だ。眼窩は深く落ち窪み、極度なまでに黒目が大きい。ザシャの常日頃の所業もあいまって、ガンツには悪魔のように見えていた。

「……つまり、仲間がいたということか。その男は、一人ではなかったのか。その仲間は何者だ。その者もイストリム人なのか」

「それは……その……」

 ガンツは返答に窮する。

 迂闊なことをいうとまずいということを、ガンツはよく分かっていた。

「……ザシャ様。恐れ多くも申し上げます」

 となりにいた部下がいった。

「その男はザシャ様が恐れるような者ではありません。捕らえる時も大人しいものでしたし、例の赤いアザもその男にはありませんでした。とても我が領に忍び込み兵士たちを惨殺するような危険人物とは思えませんでした」

「……私が、恐れているだと」

 ザシャの細い眉がぴくりと動く。

(バカが、余計なことをいうんじゃねえ)

 ガンツは舌打ちしたくなった。

 そもそも、なぜこの街でイストリム人狩りがはじまったのか。

 それはここ最近立て続けに発生したある事件が原因だった。

 先日、ここからほど近いメビアという小さな街で、イストリム人の奴隷を扱う商人の屋敷が何者かに襲撃された。商人とその護衛は殺され、屋敷にいた奴隷たちは忽然と姿を消した。

 これだけなら、大した問題ではなかった。

 その数日後、今度はメビアの街の少し先にあるアッバースの砦が襲われた。知らせを受けたガンツは部下たちを連れすぐに砦へと向かった。

 そこには、凄惨な光景が広がっていた。

 累々たる兵士たちの死体。砦のあちこちには兵士たちの腕や首が転がり、中には体を両断されている者までいた。襲撃者は兵士たちを殺したあと、火を放ったのだろう。砦は原形をとどめないほどに焼き尽くされていた。

 ガンツは、かろうじて息があった者に何かあったかを聞いた。その者の話では、闇夜に紛れるように一人のイストリム人が現れ、またたく間に兵士たちを斬り殺していったそうだ。

 ガンツはその襲撃者の特徴を聞いた。

 兵士は絶え絶えの息でいった。その者は凍りつくような冷たい目をしたイストリム人の若い男で、全身に螺旋状の赤いアザがあったと。

 ガンツから報告を受けたザシャは、すぐにイストリム人狩りを命じた。

 街にいる者、街に入り込んだ者、その全てを捕らえよと。

 メビアの街、アッバースの砦、その先にあるのはこの街――リーディアである。その襲撃者は次にこの街に現れるとザシャは読んでいた。

 ザシャがゆっくりと椅子から立ち上がり、その黒く塗りつぶされたような目で部下を見る。

「……そなた、名は何と申す」

「ピルドと申します」

「ピルドか……そなたは、何もわかっていないようだな」

 ザシャが左手をピルドに向けかざした。その瞬間、すさまじい電流がほとばしり、ピルドの体を貫いた。ピルドは叫び声をあげ床をのたうちまわる。だがザシャはその攻撃をやめない。

「私は何も恐れてなどいない。ただそのイストリム人に教えてやりたいだけだ。本当の強者が、いかなるものかを。そして思い出させてやりたいのだ。あの戦争を……虐殺の記憶をな」

 ガンツは、ザシャを止めることができないでいた。逆らえばガンツであっても命はないからだ。

殺戮者(カルネージ)

 イストリムとの戦争で、ザシャはそう呼ばれていた。人間を、殺しすぎたのだ。

 ザシャは、怪物だった。そしてそれは今でも変わっていない。

 その時、ザシャの攻撃がぴたりと止んだ。

 ピルドは黒焦げになり、すでに死んでいた。

「……ふむ、少し教えてやるつもりが死んでしまったか。まあ、仕方なかろう」

 ザシャは無表情にピルドを見下ろしていた。

「その者を片付けておけ。この部屋に不快なものは置きたくない。それと逃げた男と手助けした者だが、明日中に探しておけ。もう失敗は許さんぞ」

 ザシャはそれきり背を向けてしまった。

 話は終わりということだ。

 ガンツに拒否権はなかった。

(クソが……あいつら、許さねえ)

 ガンツは、はらわたが煮えくり返っていた。

 ザシャに対してではない。

 逃げた者――セイとタニヤに対して。



            

 廃坑にて。

 セイは地面に座らせられ、傷の手当てを受けていた。

「――つっ……」

 タニヤに頭を触られ、セイが顔をしかめる。

「こら、動くなよ。ちゃんと診れないだろ」

 タニヤは前かがみになり応急処置をしている。とはいってもできることは傷の具合を見て、その血を拭き取ってやることくらいだが。

「……血はもう止まっているし、傷は浅いみたいだな」

 タニヤは真剣な表情をしている。長いまつげに愛嬌のある顔立ち。

 セイはタニヤを間近で見て、ふいに気づいた。

「……お前、もしかして女か?」

 にじりよるセイ。タニヤは顔を赤くして離れた。

「な、なんだよ。当たり前だろ。どこから見てもそうじゃないか」

 小柄で肉付きのない貧相な体。その顔をしっかりと見なければ気づかなかった。

 セイの考えていることに、タニヤが気づく。

「……まさか、あたしを男だと思っていたのか」

「いや、まあ……」

 セイが言葉をにごしていると、近くにいた男たちが笑った。

「仕方ねえよ、タニヤ。その体じゃな。顔だけは母ちゃんや姉ちゃんに似てべっぴんなのにな」

「うるせえよ。あたしはこれから成長するんだよ」

 タニヤは怒っているが、男たちはまだ笑っている。

「……まったく、どいつもこいつも。ほら、治療は終わりだよ。たいした傷じゃないから安心しな」

 タニヤがセイの肩をパンと叩いた。思いのほか強く叩かれたため、セイが体をよろめかせる。

「それにしても、あんたも情けないなあ。あんな奴らにボコボコにされちゃってさ。そのごたいそうな剣は飾りかよ」

 タニヤがセイの腰に差してある刀を見る。

「これは……まあ、護身用みたいなものだ」

「護身用ねえ。剣なんて持ってても使えなきゃ意味ないぜ。あーあ、あたしが男だったらあんな奴らやっつけてやるのに。そしたら母ちゃんや姉ちゃんも……」

 タニヤの顔が曇る。自然と、男たちからも笑みが消えた。なごやかな空気が一転し、しんみりとしてしまった。

 セイは、聞いた。

「……あんたたちのことを、教えてくれないか。なぜこんなところで暮らしているんだ」

 するとタニヤは、ポツリポツリと話してくれた。



「あたしたちは五年前に、奴隷としてこの街に連れてこられたんだ――」

 五年前、それはイストリムとこの国――アルカディア帝国の戦争があった年だ。

 戦争に敗れ、イストリムという国は滅亡した。

 その際、多くのイストリム人が奴隷としてこの国に連れてこられた。

 タニヤもその中の一人だ。

 タニヤたちはこの街の鉱山に押し込められ、昼夜問わず働かされ続けた。

 あまりの過酷さに一人、また一人と倒れ、多くのイストリム人が命を落としていった。

 それでもタニヤたちは、いつかは解放されると信じて働き続けた。

 転機があったのは、つい最近のことだ。

 この周辺で、イストリム人による襲撃事件が発生した。

 奴隷商人が殺され、砦が壊滅させられたのだ。

 この地の支配者であるザシャ男爵は、イストリム人狩りを始めた。

 無論、タニヤたち鉱山にいた奴隷はその犯人ではない。

 だがある時、不穏な噂が流れてきた。

 見せしめのために、鉱山にいる奴隷たちを処刑するというのだ。

 タニヤたちは、そこで逃げ出す決心をした。

 それはどんなにつらい境遇でも耐え続けていた彼らの、初めての反抗だった。

 タニヤたちは見張りの目を盗んで鉱山を抜け出すと、すでに閉鎖されていたこの廃坑へと忍び込んだ。

 廃坑の中を、タニヤたちは熟知していたのだ。

 そして、今に至るというわけだ。




「……一つ、聞いてもいいだろうか」

 話を聞き終えたセイがいった。タニヤがこくりとうなずく。

「なぜあんたたちは、この街にとどまり続けているんだ。この街が危険なことはよくわかっているだろう。なぜ、逃げないんだ。どこに行っても俺たちは迫害されるが、ここほど酷くはない」

「それは……」

 タニヤは口ごもる。かわりに答えたのは初老の男だった。

「……女たちが、ザシャの屋敷にいるんだ。あんた、不思議に思わなかったかい。ここにいる女がタニヤ一人だけってことを。それは、女たちがみんなザシャの屋敷に連れていかれちまったからなんだ。タニヤの母親もそうだし、姉も二年前にな。タニヤはまだ子供だったから許されていたんだ」

 ――女たちが屋敷に囚われている以上、俺たちはここを離れられない。たとえどんなに危険でも。

 そういうことかと、セイは納得した。彼らは、女たちを見捨てられなかったのだ。

「あたしたちは、どうにかしてあの屋敷に忍び込もうと思っている。母ちゃんたちを助け出すんだ。あんたを見つけたのは、潜入する手段がないかを探っていたときだ。あんた、運がよかったんだぜ。あたしがたまたま街に入っていたから助けられたんだ」

 感謝しろよ、とタニヤが薄い胸を張った。

「……そうだな。よく俺を見つけてくれた」

 セイは素直に礼をいった。

 それは本心だ。

 タニヤがあのとき現れなかったら、セイはこの者たちがこの危険な街に居続けていることに気づけなかった。

「……それで、屋敷に潜入する手段は何か見つかっているのか」

 セイがそう聞くと、タニヤは困ったように首を振った。

「まだ何も。あそこはとにかく警備が厳重でさ、どこもかしもこ見張りがいるんだ。爆薬を使えないかと思ったんだけど、あんなのマナが使えるあいつらからすれば子供騙しだし、むずかしいよ」

 あの爆薬に殺傷能力がないとこはセイも分かっていた。セイのときは上手くいったが、次は通用しないだろう。

「……くそ、俺たちにもマナが使えたらな」

 初老の男が悔しそうに言った。

「イストリムにいた頃はなんとも思わなかったけど、この国に来て痛感したよ。マナが使えるあいつらには、俺たちは何をやっても勝てないんだ」

 あの戦争は負けるべくして負けた。男はそういっているようにも聞こえた。

「……あいつらが使うマナなんて、そんなたいしたものじゃないさ」

 セイは荷物袋から火打石を取り出した。

「火を生み出せるから何だっていうんだ。そんなもの、この石ころで十分だ。風や雷だって、生きていく上で必要か。何の役にも立たないだろう」

「そりゃ、まあ、そうだろうが……」

「それとイストリム人はマナを使えないと誰もがいうが、そんなことはない。一人だけ使える者がいた」

「え……そうなのか。イストリム人なのにか」

 タニヤが驚いたようにいう。だが初老の男は苦笑いをした。

「そりゃ、あんた、アレだろ。俺たちの国の王様の話だろ。あれをマナといっていいものかねえ……」

「何の話だよ。あたし知らないぞ」

「まあタニヤは小さかったから覚えていないだろうが、村で日照りなんかが続くとよ、わざわざ王様が来てくれたんだ。大勢の兵隊さんたちを連れてよ。そんで村の広場にみんなを集めてよ、こう……何ていうのかな、天に向かってお祈りをささげてくれたんだ」

 男は、ちょっとした仕草をする。

「すると不思議なことに、どこからともなく雨雲がわきでてきてよ、雨をばーっと降らせてくれたんだ。よく分からないが、確か大地に眠るマナを呼び起こしたって、王様は言っていた気がするな。それで国中が助けられていたのは確かだし、あの時は俺たちもすげえと思ったけど、この国の連中が使う()()のマナを見ちまった後だと、どうもなあ。ごたいそうな呼び名だけはあったみたいだけど、何ていったかな。カマイだか、カモイだか……」

「"神威の力"だ。王の一族に伝わる神羅万象を操る力をそう呼ぶ」

 セイがそういうと、男はそうそうと頷いた。

「あんた、よく覚えているな。俺なんか年だからよ、すっかり忘れちまっていたよ。まあそんなわけで王様だけは一応マナを使えたみたいだけど、この国の連中の()()とは雲泥の差だわな。戦争じゃまるで役に立たなかっただろうし」

 男は乾いた笑みを見せた。自分たちの弱さを自覚しているような、そんな弱々しい笑みだった。

「……そういや王様の話で思い出したけどよ、当時、俺の家に王子様を泊めてやったこともあったんだぜ。王子様はとにかく体が弱くてよ、王様がお祈りしている間もずっと俺の家で寝てたっけな。生きていればあんたくらいの年になっているだろうが、あの感じじゃとっくにおっ死んでるだろうな。まあ生きていたところで、呼んでくれるのは雨雲ぐらいなんだけどな」

「……いいじゃん。雨雲でもさ」

 タニヤはそういうと、小さな桶から水を汲みセイに手渡した。

 のどの渇きを覚えていたセイはそれをぐいと飲みほした。泥の混じった水だった。

「雨を降らせてくれるだけでも、こんな泥水じゃなくてちゃんとした水が飲めるんだぜ」

「……そりゃ、違いねえ。使えないよりかは、使えたほうがマシだな。たとえ雨雲でもよ」

 男はそういって、また苦笑いをした。




「それで……次はあんたのことを教えてくれよ。あんた、見たところ流れ者だよな。何だってこの街に来たんだ」

 タニヤがセイに聞いた。

「まあ、人探し……みたいなものだ」

「へえ……見つかったのかい」

「いちおうは。来た甲斐があったのは確かだ」

「そっか……」

 よかったじゃん、とタニヤは小さく笑った。そして、ふいに真面目な顔になった。

「……あんたさ、悪いことは言わないから、早くこの街を出たほうがいいよ。あたしたちのことは気にしなくていいからさ」

 そういうタニヤの顔は、どこか寂しげでもあった。

「……そうだな。俺は、俺の好きにさせてもらうよ」

 セイは独り言のようにいった。

 その言葉の意味を、タニヤたちはまだわかっていなかった。




 夜が明けると、言葉の通り、セイは礼をいって廃坑を後にした。

 タニヤはやはり寂しそうに見えたが、引き留めるようなことはしなかった。

 昨晩通った道を、今度は一人で歩く。

 途中、分かれ道があった。

 まっすぐ進むと街へ入ることができる。右手に行けば、街から離れ安全なところへ行くことができる。

 セイは迷うことなくまっすぐの道を選んだ。

 無意識に、左手が鞘に触れていた。

 重厚な造りの刀が、カチャリと小さな音を立てた。

「……俺は、俺の好きにさせてもらうさ」

 セイはフードをかぶり、そのまま街へと消えていった。


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