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激情


 翌朝――。

 重苦しい雲が、空を包んでいた。

 ベルク城前の広場には、大勢の人だかりができていた。

 集まった民たちはみな一様に、ただ茫然と、城壁から吊るされた()()を見上げていた。

「何で……エリアス様が……」

「なんと惨たらしい……」

 城壁から吊るされていたのは、切り刻まれたエリアスの死体と、そしてメリサの生首だった。

 吹きぬける冷たい風が、二つの死体を揺らし、ギイギイと音を立てる。

 死体に近づこうとする者は、誰もいなかった。

 その有様があまりにも異常すぎて、誰もが関わることを恐れたのだ。

 そしてそんな民たちの中に――セイと、ミーナの姿があった。

 エリアスから音沙汰がないことを心配した二人は、密かに街へと様子を見に来ていたのだ。

 そしてミーナは、二人の死体を、見てしまった。

 壮絶なまでの暴力に晒された、二人の惨たらしい死体を。

 ミーナを連れてきたのは、失敗だった。

 街には、セイ一人で来るべきだったのだ。

 ミーナは声をあげることもできず、その場に崩れ落ち、そして意識を失った。

 目の前の現実を受け入れることを、体が拒否したのだった。

 幸いにも、二人に気を止める者は誰もいなかった。

 ベルクの光と呼ばれたエリアスの突然の死は、その場にいたすべての人間を凍りつかせていたのだ。

 しばらくすると、城から兵士たちが慌てた様子でやってきて、エリアスたちの死体を回収していった。

 セイは気を失ったミーナを抱え、その場から退散するしかなかった。



「モーゼズ、貴様どういうことだ!」

 同時刻、城では兵士たちを引き連れたクルスがモーゼズに詰め寄っていた。

「おや、クルス卿。どうかしましたか」

 中庭の通路を我が物顔で歩いていたモーゼズは、素知らぬ顔をして振り返った。

「とぼけるな。なぜエリアスを晒し者にした。なぜこれ以上辱める必要があった!」

 クルスは、怒りを滲ませていた。

 クルスはこの時、すでにエリアスの死を知っていた。

 そもそも、エリアスの死体を最初に発見したのがクルスだったのだ。

 夜明け前、エリアスのことが心配で居ても立っても居られなくなったクルスは、地下に様子を見に行った。

 そこで、すでに事切れていたエリアスを発見した。

 クルスの受けたショックは、相当なものだった。

 クルスは自室に引きこもり、子供のように泣いた。

 傷つき、追い込まれ、死ぬ以外に選択肢がなかったエリアスが、哀れで仕方がなかった。

 モーゼズはそんなエリアスを、衆人の前で晒し者にした。

 エリアスは死してなお辱められ、その尊厳を奪われたのだ。

「……何かと思えば、そんなことですか」

 モーゼズはつまらなそうに肩をすくめた。

「いいですか、クルス卿。帝国に逆らった人間は晒し者にするのが決まりなんです。そこに出自は関係ありません。私は、その決まりに従ったまでです。そもそも、愚か者を辱めることの何がいけないのでしょうか」

「愚か者……だと。貴様は、我が弟を侮辱するのか」

「それはそうでしょう。私はね、彼を認めていたんですよ。私の()()にあそこまで耐えられる者はなかなかいません。久しぶりに素晴らしい若者に出会えたと喜んでいたくらいですよ。それが、どういうことでしょうか。朝起きたら勝手に自殺してるじゃないですか。もうね、がっかりですよ。あれだけ偉そうなことをいっておいて、結局は逃げてしまったということですか。口先ばかり達者なくせに実際は泣きべそかいてあの世にとんずらなんて、呆れてものも言えませんよ。エリアス殿は、情けない男でした。みじめで、卑しい、どうしようもない愚物でした」

「貴様は……エリアスを殺しただけに飽き足らず、更に愚弄するというのか」

 クルスの声は、震えていた。

 それは耐え難い怒りのためだった。

 モーゼズは気にもとめない。

「私は事実をいったまでです。彼は豚のように泣きわめくことしかできない男でしたよ」

「許さん……貴様だけは――絶対に許さん!」

 クルスの怒りが頂点に達した。

 クルスは、剣を抜いた。

 その瞬間、背後に控えていた兵士たちが呼応し、一斉に剣を抜き去った。

 兵士の数は総勢十名にも及んだ。

 モーゼズは慌てた様子もなく、いつものように丁寧な口調でいった。

「……クルス卿、自分が何をしているか分かっておりますか。私に手を出すということは、帝国に反旗をひるがえすのと同じことですよ」

「知ったことか。こいつを斬れ!」

 クルスはモーゼズに剣を差し向け、叫んだ。

 兵士たちが雄たけびをあげ、一斉に駆けだす。

 だがモーゼズは――不敵に笑っていた。

「やれやれ……見くびられたものだ」

 その瞬間、柱の陰から音もなくモーゼズの部下たちが飛び出してきた。

 その数は三人。

 兵士たちが、一瞬のためらいを見せた。

「かまわん、全員叩き斬れ!」

 クルスが叫んだ。

 多勢に無勢。

 クルスが負けるはずなどなかった。

 だが――。

「くふふ……分からせてあげなさい」

 モーゼズは、ただ笑うだけだった。



 剣を手にした十名もの兵士たちが、モーゼズとその三人の部下を取り囲んだ。

 なおも不敵に笑うモーゼズ。

 三人の部下は、モーゼズを守るように立っていた。

 三人のいでたちは、モーゼズと同じだった。

 深紅のローブを身にまとい、顔は鴉のマスクで隠している。

 彼らはこの城に来て、ただの一言もしゃべっていない。その顔も、その声も、誰も知らない。

 兵士の一人が、先陣を切った。

 剣を振りかぶると、自身に喝を入れ、モーゼズめがけて突っ込んでいく。

 モーゼズの部下の二人が、それに反応した。

 ゆらりとした動作から、一瞬の内に兵士を左右から挟み込む。

 次の瞬間、兵士の体がズタズタに引き裂かれた。

「な――」

 クルスは思わず声をあげた。

 それは、一瞬の出来事だった。

 兵士の腕が飛び腹が裂かれ、そして顔の半分がえぐりとられた。

 兵士はぐしゃりと音を立て、その場に崩れ落ちた。

 ローブがはためき、二人の武器が露になった。

 それは両手にはめられた鉄製の鋭い鉤爪だった。

「一人ひとり行くな。全員でかかれ!」

 クルスはすぐに指示を飛ばした。

 相手の動きが尋常でないと気づいたのだ。

 兵士たちはわずかに戸惑いを見せるも、剣を構え、一斉に駆けだした。

「……ラギ、ガノ、グイ。五分以内に終わらせるんですよ」

 モーゼズが余裕の表情でいった。

 それが、三人の名前だった。

 そこからは、一方的な展開となった。

 同時攻撃をしかけた兵士たちだが、相手の動きがあまりにも速すぎたのだ。

 兵士たちの剣はことごとく空を切り、三人にはまるでかすりもしない。

 一方で三人は冷静に容赦なく、一人また一人と兵士たちをバラバラに引き裂いていく。

 静かな中庭が、悲鳴で埋め尽くされていく。

 血や臓物が飛び散り、凄惨な殺戮場へと変貌していく。

 兵士たちは、またたく間に恐慌状態に陥った。

「落ち着け。陣形を整えるんだ!」

 クルスの叫びも届かない。

 怯える者。逃げ出そうとする者。

 そのすべてを三人は無慈悲に殺害していく。

 兵士の数が減ると、その残虐さに拍車がかかっていった。

 三人はまるで嬲るように兵士たちを前後左右から切り刻み、血祭にあげていった。

 それはもはや戦いではなく、虐殺だった。

「なんだ……こいつらの強さは。普通じゃないぞ……」

 クルスが気づいた時には、もう遅かった。

 あれだけいた兵士たちは、誰一人として残っていなかった。

 クルスのまわりには、無残に引き裂かれた兵士たちの死体が散乱していた。

 あたりは飛び散った肉片と臓物で足の踏み場もないほどだった。

「……弱いですねえ。まあ辺境の兵団など、この程度といったところでしょうか」

 モーゼズは死体の山を見下ろし、せせら笑っていた。

「お分かりいただけましたかな、クルス卿。私たちはね、戦闘のプロなんですよ。あなたがたとは格が違うんです」

 モーゼズは臓物を踏みつけながら、ゆっくりとクルスに歩み寄る。

 クルスは、たじろいだ。

 逃げたかった。だがモーゼズが逃がすはずがなかった。

 クルスは今さらながら、自分がどうしようもない状況に追い込まれていることに気がついた。

「さて、あなたのことはどうしましょうかねえ。私たちに逆らったものは死刑と決まっているのですが、クルス卿、あなたもバラバラになって死にますか」

 それは、ひどく淡々した口調だった。

 それだけに、クルスはより恐ろしさを感じた。



「う……ぐ……」

 クルスは青い顔をしたまま立ち尽くす。

 念には念を入れたはずだった。

 兵士たちは選りすぐりの精鋭を十名も用意した。

 だが――相手が悪すぎた。

 言い訳ではないが、クルスは最初からモーゼズを殺そうとしていたわけではなかった。

 エリアスについて心から謝罪し、その死を弔うのであれば命までは取らないつもりでいた。

 だが、あろうことかモーゼズは、エリアスを侮辱した。

 それはクルスにとって許しがたいことだった。

 クルスの手には、まだ剣が握られていた。

 どうせ死ぬのなら、勇敢に戦って死にたかった。

 だが……。

 クルスは兵士たちの死体に目を向けた。

 どれも酷い有様だった。誰もが弄ばれるように体を八つ裂きにされていた。

(……無理だ)

 クルスは、顔を引き攣らせた。

 こんな化け物たちに、どうやって戦いを挑めというのだ。

 クルスは、弱かった。心も、体も、どうしようもないほどに。

 その場から一歩も動けないクルスに、モーゼズはいった。

「くふふ、クルス卿。先ほどのは冗談ですよ。そんなに怯えないでください。私もね、帝国貴族であるあなたを殺したいわけではないのです。もしあなたがきちんと誠意を見せるのであれば、この件は水に流してあげてもいいですよ」

 それは提案というより、脅迫であった。

 モーゼズにはモーゼズの考えがあった。

 クルスは、このベルクの領主である。ここでクルスを殺せば、ベルクは収拾不可能なほどの大混乱に陥り、例のイストリム人を探せなくなる。

 モーゼズとて、それは避けたい。あくまでもモーゼズの目的はザシャを殺害したイストリム人を処刑することにあるのだから。

 クルスは、何もいえないでいた。

「何を悩んでいるのですか、クルス卿。さあ、ご自身でお選びください。私に誠意を見せるのか、それともここで死ぬのか」

 モーゼズは詰め寄った。

 クルスは更に顔を引き攣らせながら、口をパクパクと動かした。

「あ……う……」

「何ですか、よく聞こえませんよ。しゃべるならはっきりとしゃべってください」

 モーゼズは高圧的にいった。

 だがクルスは怒ることもできなかった。

「……わ、悪かった」

 それは、ひどく小さな声だった。耳を澄まさなければ聞こえないほどに。

 モーゼズの目が、すっと細くなった。

「……なるほど、クルス卿。それがあなたの誠意なのですね。よくわかりましたよ。どうやらあなたは死にたがっているようだ」

 モーゼズがクルスから背を向けた。

 クルスは、慌てた。

(死にたくない……)

 クルスの頭には、もうその言葉しかなかった。

 気弱で、臆病な、どうしようもない小者。

 それがクルスという人間だった。

 クルスはひざまずき、地面に頭をこすりつけた。

「ゆ、許してくれ……俺が、間違っていた」

 クルスは、土下座した。

 それは、この上なくみじめな光景だった。

 愛する弟を殺した相手に、クルスは頭をこすりつけて謝罪しているのだ。

 モーゼズはそんなクルスを見て――満足そうに笑った。

「やればできるじゃないですか、クルス卿」

 モーゼズは、クルスの頭をちょうどいい足場であるかのように踏みつけた。

 その足には兵士たちの臓物がこびりついていた。

「あなたの誠意は受け取りましたよ。いいでしょう、クルス卿。この私にたいする無礼を許して差し上げます。ただし、これだけは覚えておいてください。私はいつでもあなたを殺すことができる。これから先は、私のいうことにすべて従いなさい。あなたは、私の下僕なのです。わかりましたね」

 モーゼズは、クルスの頭をぐりぐりと踏みにじった。

 クルスは抵抗もできず、ずっと地面に頭をこすり続けた。

(……ちくしょう)

 クルスの目には、涙がにじんでいた。

 それは悔しさのためだ。

 俺は、何をやっているのだ。どうして俺はこんなにも弱いのだ。

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。

 力が欲しかった。この男をねじ伏せられるような、そんな力が。

 だがそのようなもの、クルスが持てるはずがなかった。

 こうしてベルクは、モーゼズの支配下に置かれた。



 旧市街の廃屋。

 日も傾き、夕暮れにさしかかろうという頃。

 ミーナは、ようやく目を覚ました。

「……ここは」

 ミーナは軋む床から起き上がると、あたりを見回した。

「……旧市街に戻って来たんだ。お前は、ずっと眠っていた」

 すぐそばには、セイがいた。

 セイは口の欠けたコップに水をそそぐと、ミーナに手渡した。

 ミーナはそれを受け取るも口にはせず、ただそれをぼんやりと見つめていた。

「怖い夢を……見ました。エリアス兄さまが……殺される夢を」

 セイは、何もいわなかった。

 それは、夢ではない。現実で起こったことだ。

「おかしい……ですよね。どうしてあんな夢を……見たのでしょうか」

 ミーナは、どこかごまかすように笑みを見せた。

 セイの目には、それはひどく痛々しくうつった。

「ミーナ……」

 セイは、何かを言いかける。

 だが言葉が見つからない。

 あれをどのようにしてミーナに伝えたらいいのか、セイには見当もつかなかった。

 だが言葉など、必要なかった。

 ミーナは辛そうに顔を歪ませるセイを見て、ひとりでに察した。

 ミーナはうつむき、自分の指先を見ながら、呟くようにいった。

「そう……ですよね。あれは……夢ではありませんよね。エリアス兄さまは……もういないのですね」

 ミーナは、昼間のことを覚えていた。忘れられるはずがなかったのだ。

 それは夢だと、現実のことではないと、思いたかったのだ。

 だが、残酷なものだ。

 ミーナはエリアスの死を、認識してしまった。

 取り乱すだろうと思っていた。泣きわめくだろうと思っていた。

 だが、ミーナは違っていた。

 静かに、ただポロポロと涙を流すだけだった。

 人は本当に悲しいときに、感情をうまく出せないことがある。

 頭では理解していても、心が追いつかないのだ。

 ミーナは一言もしゃべらず、ただ涙を流し続けた。

 セイは――かける言葉を見つけられない。ミーナを見ていてやることしかできない。

 どれくらい、そうしていただろうか。

 いつしか日も暮れ、ぼんやりとした月の明かりが壊れた壁の隙間から差し込みはじめた。

「私のせい……ですよね」

 ミーナが、ポツリといった。

「私は……今回もエリアス兄さまに甘えてしまいました。私は幼いころからずっと、エリアス兄さまに甘えてばかりでした。その結果が、これなのですね……」

 モーゼズが推測していたように、セイを逃がそうとしたのはミーナだった。エリアスはミーナに頼まれ協力していただけだった。

「お前は……何も悪くない」

 セイはいった。

「悪いのは、すべて俺だ。俺が、お前たちを巻き込んだんだ。奴らは、この俺を追ってきた。俺がザシャを殺したからだ。すまない。こんなことになるとわかっていたら、ここには来なかったのに」

 セイは辛そうに顔をうつむかせた。

「俺を、恨んでかまわない」

 セイはいった。罵られてもかまわなかった。むしろその方が罪の意識を紛らわすことができた。

 だがミーナは、静かに首を振った。

「あなたを助けると決めたのは、私です。私のエゴが、エリアス兄さまを巻き込んでしまったのです。あまつさえ私は、自分の身のかわいさに、エリアス兄さまをお城に残してしまいました。危険であることを、誰よりもわかっていたはずなのに。私は……罪深い女です」

 そしてミーナは、また泣きはじめた。

 悲痛な懺悔を繰り返しながら。

 セイは見ていることができず、そっと廃屋を抜け出した。

 外は、静寂に包まれていた。

 空に浮かぶ半月を見上げながら、セイは動かない左腕を搔きむしった。

「くそが――」

 激情が、セイの心を駆りたてる。

 この腕さえ動けば、今すぐ奴らを殺しにいくのに――。


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