第184話 水底に向かって
184
水中戦の経験は当然たくさんあるし、とうでもできるとは思う。とはいえ、さすがに両手が塞がった状態かつこんな繊細な荷物を抱えながらというのは初めてだ。最初は少し気をつけないといけないかな。
「凄い、水の中で、本当に息ができる……」
ふむ、今は感動が勝ってるみたいだね。まだ明るいし、こんなものだろう。彼の精神的な部分で言えば、暗くなってきた辺りが怖いか。
ていうかあれ? 私会話ができるようにしたっけ? 必要があればこっちから声を届ける程度にしようと思ってたはずだけど……。
ああ、翻訳魔法か。なるほど、その言葉に込めた意思を直接理解させる魔法だから、音そのものが届く必要はないのか。思わぬ副次効果だ。
ん、来たね。あれは、人魚の群れ? ギリシャ神話で人魚って言ったらなんだろう。ネーレウス? 人魚の姿だったかは覚えてないけど、色々混ざってああなっててもおかしくはないか。
そういう意味じゃセイレーンもあり得るね。あれも人魚の源流らしいけど、下半身は鳥だったはず。
『お、あれ魔物じゃね?』
『人魚?』
『ハロさん気付いてるよね?』
『多いな。群れか』
武器は、みんな三つ叉の銛か。少し大きめに避けないといけないのは面倒だ。
とりあえず魔法でも撃っておこうか。進行方向だし。物質を具現化する系だと水を考慮するのが面倒だから、現象の具現化にしよう。
魂力の支配域を一気に広げ、未だ遙か彼方の人魚達の眼前に線上の圧力を展開する。極小範囲に力が掛かることで起きる切断現象を引き起こす魔法だ。
とはいえ流石は百八十階層台の魔物。何体かはすり抜けてこちらに向かってくる。早いね。
一二、三体か。ちょうどいいし、ちょっと近接も試しておこうか。
「しっかり捕まってて」
魔法で流れを作りつつ水底を蹴る。水圧による抵抗は、まあ無視していいか。
『この状況で接近するあたり痺れる憧れる』
『↑棒読みしてそうな』
『てか人魚顔こわ 美女どこ』
確かに凄い顔。魔物らしくて良心も痛まないからいいね。そんな良心私にあるか知らないけど。
距離はばらばら。個体差もちゃんとあるタイプの敵か。やりやすい。
まず手前の一体。槍を顕現させ、尾で掴んで振るう。手に持つときに比べたら数倍の間合いだ。
一回転しながら横一文字に振るえば、反応も許さず銛ごと両断した。
威力は十分。スピードはやや落ちるけど、意表を突く選択肢としては十分か。
勢いそのままに槍を投げ、一番後ろにいた一体の頭を貫く。これであと一体。
最後の一体は、腰が引けたところを尾先で突き刺して終わり。まあ、こんなものか。
「はい、終わり。まったく問題なさそうだね」
『知ってた』
『問題ありそうだったらさっさと別配信見てます』
『さすがすぎる』
『もはやナメプ』
ふむ、やっぱり安心感が理由で見てる人もそれなりにいるのね。
それはそれとしてだ。このクラスの魔物となると、死体ももう暫くは残るだろう。けど、ドロップ品になるのを待つのはファウロスの精神衛生上良くないだろうし、だからといって解体しようとは思わない。
よし、放置で。サクサク行こう。
それからどれほど下ったのか。時折ある階層切り替えで何階層に居るかは分かってる。けど、私の目ですら殆ど見通せないほどの暗闇だ。時間感覚も殆ど無くなってしまっている。
一応光を灯してはいるけど、跳ね返すものが地面くらいしか無い。伝わってくるファウロスの心音からして、相当の不安を感じているだろう。
ん、また来たか。人魚達だ。けっこうな頻度だけど、ルートが殆ど限定されている以上仕方ないか。
少し前の階層から他の魚型魔物を指揮するようになったから、そこら辺は面倒だけど。
それともう一種。擬態能力が高くて、私の感知をかなりギリギリまでくぐり抜けてくるヤツがいる。
「噂をすれば、か」
不意に感じる気配。と同時に、光が無数の赤い触手を浮かび上がらせる。正体はタコの魔物だ。
襲いかかってきたそれらを尾を一振りして切り飛ばすけど、次の瞬間には再生する。これも面倒な理由の一つ。普段ならともかく、今は両腕にファウロスを抱えてるからね。
『またこいつか』
『はろはろー。うわ、でかいタコ!』
『さっきたくさん回収してたけど、たこ焼きにするのかな?』
はてさて、どうしようか。できればコイツの脚も回収したいところだけど。
「おっと」
銛が飛んできた。もう人魚達も来ちゃったか。んー、まあいいか。まとめて潰そう。
私の意思を反映して周囲の水が渦を巻く。それは人魚やタコの遊泳能力すらも超えた激流となって、彼らを飲み込む。
もちろんこれだけで死ぬようなやつらじゃない。だから、いくつも岩を生み出して流れに乗せてやる。
『うわぁ、酷い絵』
『岩で潰されてら』
『これ、泳ぎが得意な魔物でもダメなのか。。。』
所要時間一分未満ってところか。今の私でもこれくらいなら問題ないね。まだ半分くらいの力しか使えないけど。
「お、ようやく終わりが見えたね」
『あれは、魔法陣?結界?』
『底、ではないか。一応』
『思ったより小さいな。巨人がぎり通れるくらいか』
ぼんやり光ってて分かりやすい。あれを越えたら百九十階層だ。
でも、神話の通りならすんなり通れるものじゃない気がするね。
「まあ、行ってみようか」
側まで寄ってみたけど、これは無理矢理破るのは難しそうだ。というか、破ってもこの先に行けないようになってる。空間転移に関しては、全力全開の私でもまだ出来ない領域のものだしなぁ。
仕方ない。ギミックを探そう。えっと、たぶん、その辺に守人的なのがいると思うんだけど……。
「あ、あれか。フード被った人がいるね」
『ああ、やっぱりいるんだ』
『なんか対価要求されそう』
『ていうかファウロスさん生きてる?だいぶ前から動いてないけど』
『なんかああいうローブ着てる魔法使いたまにいるよな』
ファウロスは、なんか呼吸が荒くて視線をブレてたから気絶させた。その方がいいかなって。優しさだよ?
ともかく、ローブの人に話しかけてみようか。
「やあ。ここを通りたいんだけど、どうしたらいいかな?」
黒い襤褸のローブだ。中身はしわの深い、枯れ木のような老人。敵意は感じないから、戦闘にはならなさそう。
「通してやってもいいが、その代わりに何かよこせ。ゴミなんか渡しやがったら通してやらんぞ」
そういう感じね。何か特定の条件がある感じだ。ディオニューソスにまつわる何かでないといけないのか、一定以上の価値があればいいのか。spそのものって説もあるね。
んー、とりあえず、金の首飾りでも渡しておこうか。どこかの迷宮で手に入れた魔道具。触れたものが金になるミダス王の話にもディオニューソスは関わってたはずだし、たぶんいけるでしょ。
「おぉ! ありがたい。いいだろう、通してやる」
よしよし。これで百八十九階層突破かな。
次は百九十階層か。ディオニューソスの母セメレーが捉えられている冥府の話に繋がるような守護者か。何が出るかな? 楽しみだ。




