第176話 鹿の出番だワインが美味しい
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地上に降り立ち、人の姿に戻る。身体に重ねるように着物を取り出せば、それだけでお着替え完了だ。
「案外早く見つかったね、次の階層の入り口」
「ですね。浅い森で良かった」
良かった、なんて言ってるけど、魔力内の情報として漏れ出した感情には不満足感が混ざっている。もう少し空の旅を楽しみたかったらしい。
まあ、一時間も経ってないもんね。予定ならもう少し長く遊んで、それから地上で次階層への階段を探すつもりだったんだけど、思った以上に木々の少ない森だった。いや、森というのも烏滸がましいかも。
『サービスシーンがいつも一瞬過ぎる件』
『眼福、とか言ったらウィンテさんにコロされるから気をつけろよ』
『ウィンテさんはむしろ一緒に喜んでそう』
『ふふふ、残念でしたね! 私はいつでもハロさんと一緒にお風呂に入れます!』
『ナニソレウラヤマ』
何を盛り上がって……あー、そか。後ろからとはいえ、普通に裸になるのはマズかった。出発前にファウロスが慌ててたのもそれか。見た目だけで言えば二十歳やそこらの女の子だものね。なんか最近その辺の感覚も忘れてきてるかも。反省反省。
それはそれとして、だ。
「そろそろいい時間だけど、どうする? ここら辺で夕飯にする?」
「そう、ですね。そうしましょう」
今日は、どうしようか。とりあえずファウロスに作ってもらうとして、何か良いメニューあるかな?
「そろそろあの白い鹿の肉で何か作りますか?」
「あー、それがあったね」
あのお肉、よく見たら精神に作用を及ぼす魔法が宿ったままだったから今日の今日まで食べずにいたんだよね。熟成にも一週間くらい必要だったし。情報に変換して魂力内に収納するって技術の仕組み上、その瞬間で状態の変化が止まってしまうのもある。
「それじゃあそれで。何が作れる?」
「そうですね……、シチューとローストなんてどうでしょう?」
ふむ、つまり赤ワインですね?
『ハロさん……?』
「まだ何も言ってないよ?」
おかしいどうしてバレた。これだからウィンテは……。
『これだからはこっちのセリフですよ?』
「ナチュラルに心読むのやめない?」
わぁ、大草原。コメント欄は気楽でいいね!
読まれてる側としては割と恐怖なんだよ? 百年二百年の付き合いでこれなら分かるけどさ、割と最初からなんだよ?
『いうてあんたも読んでくるやんな?』
「うん、だから心の声と会話しないで?」
それとウィンテほどの精度じゃないからセーフだと思うんだ。え、ダメ?
あ、私らだけで会話してる? うん、それはごめんね?
『これだから天才どもは……』
『反省してもろて、』
『まーぜーてー!』
とかなんとか、他愛もない話をしていたら良い匂いがしてきた。もう完成が近そうだ。ファウロスのご飯はちゃんと美味しいから、期待大だよ。なお、完全に任せていた訳ではないから、そこは誤解しないでもらいたい。ちゃんと圧力調理だとか下処理だとかは手伝ってたのだよ。
吹っ切れたのかなんなのか、遠慮無く私を使ってきたんだ。全然いいし、美味しいご飯のためにならむしろウェルカムなんだけども。なんだかんだ一ヶ月とか一緒に探索してるしね。
あ、そうだ。今のうちに合わせるワインを決めておこう。
ヨーロッパにいるから、日本で見るよりずっと安い。未攻略の迷宮内にいる分高くはなってるけど、それでも家で見たときの必要spと大差ないくらいだ。
んー、あえて若いのにいくのも良い。ボジョレーとかの。たぶんもう存在しないものだから必要spは跳ね上がるけど、そこはまあ、気にするような稼ぎじゃないし。
好みとしては重くて樽の香りがはっきりあるやつだけど、なんか今日の料理に合わせるにはしつこい気がするのよね。
よし、ボジョレー・ヌーヴォーにしよう。
「できましたよ。あ、パンって残ってましたよね?」
「もち」
こっちはファウロスの家で焼いてきたヤツ。ちと硬めの白パンだ。
よそってくれてる間にパンを切って、ワインも注いどこう。ファウロスもいるかな? え、いらない? あ、そう。
おっと机を忘れてた。今出すからもうちょい持ってて。ほいっ。ついでにカメラ位置も調整っと。
おー、いいね、ブラウンシチュー。ローストも良い感じ。ちょっと赤身が残ってるくらいで私の好みに近い。ミディアムレアよりは気持ち火が通ってるかな?
シチューの具は、鹿肉の他はタマネギにブロッコリー、ジャガイモと、途中で見つけたマッシュルームっぽいキノコか。このキノコ、実は私はまだ食べてない。完全な未知。でもまあ、ファウロスが入れたってことは美味しいんだろう。
ローストの方も、これまた謎の香草が乗ってるね。ローズマリーに近い、かな? 龍の嗅覚だと色々細かく分かっちゃうけど、人間だとどうなんだろう?
ん、食前の祈りが終わったみたい。じゃあ私も。ローストから、いただきます!
「柔らか。うまっ」
思ったよりもずっと肉々しくて濃厚な旨味だ。私の感覚でも臭みは感じない。香草で誤魔化さなくていいくらいだ。でもその香りが邪魔ってわけではなくて、むしろ彩りとなっている。口内から鼻孔までふんわり香るこの爽やかさは、箸を進めさせるには十分だ。
ここにボジョレーを一口。若い赤ワインに特有のフルーティな香りともよく合うね。うまうま。
ちょっとタンニンのざらつく感覚もあるけれど、私にはシチューもあるのでね。という訳でパクリ。ほら、まろやかなデミグラスソースに包まれてざらつきがなくなった。短時間調理だったけど、圧力高めで煮込んだだけあってジャガイモが良い感じにとろとろだ。
よし、赤ワインをもう一口。うむ、美味。
「一口多くないです?」
「そう? あ、もうなくなった」
二杯目とぽとぽ。からのシチューのお肉をぱくり。うむ、美味い。ブロック状のお肉は全然パサついてなくて、ソースに負けない旨味が溢れてくる。む、待てよ? シチューと鹿肉を同時に食べてる訳で、つまり、ローストよりワインに合う!
「ワインに合いすぎて辛い」
『優雅すぎる』
『ここは本当に迷宮なのだろうか?』
『いいなー お腹すいてきた』
『ギリシャのトップ陣でもここまでしないぞ。。」
『いつ見てもファウロスさんの手を止める飲みっぷりである』
とぽとぽってあら、もう半分なくなっちゃった。もう一本交換した方がいいかな?
むっ、とうとうスプーンに乗ってしまったか、謎キノコよ。まあ気にせずいくんですけども。匂い美味しそうだし。
「え、このキノコ美味しすぎない?」
「でしょう? 僕も驚きました」
香りはマッシュルームっぽい。これは予想通り。なんだけど、味は舞茸系のあっまいやつだ。けど舞茸よりは爽やかでシチューに入っててもクドくない。残念なのは赤ワインとは合わないところ。まあそれでもこれだけで完成されてるから気にならない。
で、だ。これをパンに乗っけて食べる。そうなるとどうなるか。はい、幸せです。
『美味しそうに食べるなぁ、、、』
『なんか周りに花が飛んでるようにみえる 無表情なのに』
『幸せオーラが凄い』
あたぼうよ。美味しいは正義なのです。
しかしまあ、この感じなら大丈夫そうだね。少なくともこの迷宮を攻略するまでは。良かった良かった。
雰囲気からしてあと百二十階層くらい。それまでに私も、できる限りの枷を外しておかないとね。




