第161話 望みしは幻想ゆえに
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だからこそ、だからこそ惜しい。
彼がもっと兵を育てていたなら、子を鍛えていたなら、もっと楽しかったはずだ。
本気で魂力の支配域を奪い合うような、あのとき伊邪那美さんとしたような戦いが出来たはずだ。
「渡さぬ。誰にも、奪わせぬ。皇帝は俺だ……!」
憎しみに染まった瞳は収縮しきっている。何が何でも私を殺してやると訴えかけてくる。その奥に、違う色が見えた。
あれは、そう、恐怖だ。怯えだ。
何に対する? 私? いや、違う。あの怯えは違うものを見ている。
猛攻を躱すうちに、視界の端に虎憲の姿が見えた。
――ああ、なるほど、そういうことか。
だから龍帝は、皇子たちを鍛えようとしなかったのか。
なんて、なんてつまらないんだろう。期待していたのに。喜んだのに。私と同じ存在にようやく出会えたと思ったのに。
結果は変わらない。でも、一つだけ聞いておこう。もしかしたら、私の推論が間違ってるかもしれないし。
「ねえ貴方、黄龍となるのにどれだけのspを使った?」
「答えてやる筋合いなどない!」
それはそうだ。
「虎憲」
「初めて徴収したspの殆ど全てと聞いている」
当時の人口は、およそ十億人だったか。各々が持っている全spを徴収したらしいから、ログインボーナスの百と元々持っていた分を合わせたら、最低でも数百億使ったことになる。実際には兆の位は超えているだろう。
「夜墨、あの迷宮の守護者だった貴方なら分かるでしょ?」
「ロードが龍となるのに必要だったspは、大凡三千万ほどだ」
「そっか……」
必要spの差は、素質の差。
やはり彼は、私とは違う。龍になるべくしてなった人間ではない。
帝位の簒奪を恐れ歩みを止めた、ただの臆病者だ。
その立場に執着するだけの凡夫だ。
虎憲達を育てなかったのも、かつての自分がそうしたように、皇帝の立場を奪われることを恐れたが故だろう。
ああ、本当に、つまらない。
「龍帝を名乗る貴方のことは、割と嫌いではなかったのだけれど」
憎しみと好意は両立する。逆鱗に触れられて憎悪を抱いてはいても、同族であると思っていた彼のことは好ましく思っていた。
「けど、もうどうでもいい」
さっさと殺してしまおう。
向けられた千の雷を、万の雷で塗りつぶす。今日初めて込める龍殺しの概念情報は鍍金の鱗を砕き、肉を炭へと変える。
魂力支配を拮抗させる意味ももうない。一気に押し返し。八割ほどを支配する。
願わくば、この戦いの中で少しでも私に追いついてほしかった。でも、その場に固執するようじゃ無理だ。
支配した領域の全てを海に変え、渦潮を成して偽王を飲み込む。鳴門海峡にあるようなそれの数百倍の規模と速度を持った流れは、例え龍であろうと簡単には抜け出せない。その骨を砕き、意識を溶かす。
見下ろす渦の内から竜巻が飛び出してきた。どうにか脱出したらしい。起死回生のつもりなのか、血に塗れたまま彼が突進してくる。速度は、亜音速に達しているだろう。
それがどうした?
魔力の出力を最大に。込める情報も純度と密度を増して、振り下ろす拳に高ニュートンの力を伴ったベクトル情報も加える。
鼻面を砕く感覚が拳に伝わった。再び渦の中に沈む巨体。水しぶきが上がって、遥か頭上にいる私すら濡らす。
今度は結界で耐えているのか。つまらない。
魔力の高まりは、ブレスの準備だろう。
さて、どうしようか。
彼が真に誇り高く傲慢な龍であったなら、こちらも同じ龍として、ブレスを返すところだ。でも、アレは違う。そんな価値はない。
例え本来の姿として龍の身を得ようと、その心までは龍足り得ない。
持てる富で力を得ることを否定はしないけど、中身の伴わないままでは意味が無い。
渦潮を割って跳び出してきたのは、黒と金の奔流だ。多重螺旋を描く金の内側に黒があって、彼の本質を表しているように見える。それの秘めた威力は、山の三つや四つ軽く消し飛ばせる程のものだろう。
そうだね、結界で防いじゃおうか。
仮にも龍の身で放ったブレスだし、生半可なものでは防げない。単純な結界じゃあ多重に展開する必要があるだろう。
ただ、それには時間的な余裕も空間的な余裕も足りない。眼前に一枚が精いっぱいか。
戦闘中に考え込みすぎたかな。
完全に防ぐなら、空間断絶だ。時空間に非連続性を具現化するだけだから、何より手っ取り早い。でもあの規模を防ぐってなると、復元力の範疇じゃ収まらない規模の影響が起きる可能性がある。
まあ量子の重ね合わせのような状態にすればいいか。つまりは、空間の断絶してる状態と断絶してない状態が同時に成立する結界だ。
ウィンテや令奈なら簡単に対応してくるだろうけど、アレにそこまで量子力学に関する知識があるとは思えないし。
というわけで、ほい。
本当に目と鼻の先に生み出されたそれと黒と金とが衝突して激しく散る。敵意の籠った奔流以外は問題なく通す結界越しに、余波で塵となる宮廷だったものが見えた。
跳ね返ったというよりは逸れたという方が正しい。面白い現象だ。今度色々試してみよう。
――いけない、また意識を逸らしてしまった。
せめて最後までは、彼の前に立っていてあげよう。それが龍の座す場に憧れた愚者への手向けだ。
そして冥途の土産に、未来を見せてあげよう。あり得た筈の未来を。二度と辿り着けない未来を。
龍帝のブレスが途切れた。驚愕に歪む顔がよく見える。それが怯え一色に染まる様も。
「その目に、魂に焼きつけなさい。貴方がもし歩みを止めなかったなら辿り着けていたはずの景色を」
チャージ時間は、およそ十秒。純粋な魔力量にして、さっき貰ったブレスの三十倍強。欧州に数多あるような小国ならば丸々消し飛ばすのに何ら不足は無いエネルギー量だ。
これに籠った龍のブレスという情報が、物理的なエネルギー以上の威力を具現化する。
現状、ただ破壊力を追及するだけならこれが一番効率が良い。
「それじゃあ、さようなら」
真っ白な光が解放される。龍の息吹が海原を撫でる。
龍に憧れ龍の身を得た人間を、龍の示すものに執着した人間を、その絶叫と共に飲み込んで、白で塗りつぶす。
光は徐々に細くなっていって、やがて消える。
後には何も残らない。私の生み出した海も、皇帝の宮も、そこに座していた皇帝自身も。彼の配信が途切れたようだから、その命も同じだろう。
仮に生きていたとしても、その身はこの深い深い穴の底にある。ずっと奥に見える赤は溶岩のものだろうから、万全な状態ならまだしも、瀕死の彼が生き延びられる環境ではない。
終わったんだ、全て。
いや、ようやく始める準備が整ったと言うべきかな、虎憲たちにとっては。
同接数がぐんぐん増えてるのは、中国の民たちが状況を確認したくて移ってきてるんだろう。ならば彼らに伝えてやらなきゃならない。
「今、夜は終わった」
コメントが一気に流れる。他人事じみた日本からのコメントを押し流すように、たくさんの、様々な感情を孕んだコメントが。
喜びが殆ど。でも、悲しみや怒りも混ざっている。私への恐怖は置いておいて、こうした負の感情をどうにかするのがこれからの虎憲の役目だ。
これからは彼が皇帝を名乗ることになるのだから。
その彼へ視線をやる。意図はしっかり伝わったみたい。頷くのが見えた。
カメラの位置を操作して、夜墨の腕に立つ彼をアップで映す。
「そう、夜は終わった。其方らを苦しめた暗君、黄鳳龍は龍の神の裁きを受けた。其方らの歩みを阻む者は、もういない」
静かに、しかし力強く、虎憲は語る。
「己が足で歩むことが恐ろしい者もいよう。ならばこの私、王虎憲が導となろう! 其方らを解放した責務として、これまで父たる先帝を止められなかった、その贖罪として。白龍神の願いに従って、私が、更なる栄華をこの地に齎そう!」
強く真っ直ぐな視線だ。あれに心を打たれた人間は、少なくないだろう。
この先この国がどうなるかなんて、正直私にはどうだって良いことではあるけど、契約だから、名前は貸してあげる。
ついでに少しサービスだ。カメラを引いて、私と彼を横から映し、あげた剣を手元へ引き寄せる。それから光の演出付きで、中国風の煌びやかな装飾を加えた。
「第二代皇帝、王虎憲改め、虎龍帝よ。導たる証として、貴方にこれを授けましょう。その種族に恥じぬよう、正しく導きなさい」
「拝命いたします」
牛音や蛇文が味方に付いてるから、万が一もないだろうけど。蛇文なんて、私たちが戦ってる最中から色々手をまわしてたみたいだし。
まあ、日本に面倒を持ち込まず、かつ私と本気で遊べるくらいに強くなってくれたら嬉しい。
――あら? ふーむ、これは、なるほど。そういう感じか。
まあいいや。何はともあれ、これでこの国の皇帝は虎憲となった。つまり、革命は成し遂げられた。
あと私のすべきことって言ったら、この大穴を塞ぐことくらいだ。これでようやく、旅行に戻れるね。
それから二年。虎憲はあっという間に国を纏めなおした。兄弟姉妹の助力もあったとはいえ、見事な手腕だったと思う。
彼に反発する勢力、要は先帝の時代に甘い汁を啜ってた連中だけど、こっちも問題なし。虎憲や狼戦の能力は、その手の輩を始末するにはちょうど良いから。
おかげさまで私はのんびり旅行を楽しめた。本場の酸辣湯や麻婆も食べられたし、満足ですよ。
あと、これから先、百年二百年と経った頃にこの国がどうなっているか、旅行先としての興味くらいは湧いたね。
「さて、そろそろ次の国にいこうか」
「良いのか? 祭事に呼ばれていただろう」
ああ、私を奉るとか言うやつ。
「行くわけないでしょ。私はまだ、人間らしくありたいんだから」
仕方なかったとはいえ、あまり拝まれても困る。そのせいで結局、旅行中も変装しなきゃならない時があったし。
……そう、私はまだ、人間らしくありたい。トラウマじみた記憶からくる意地みたいなものに過ぎないってのは分かってる。でも、子供のころに刻まれた呪縛を振り解くことはまだできない。原因が母だったのだから、猶更だ。
そういう意味では私も歩みを止めてしまっているのだろう。もうあの人はいないっていうのに。
「旅行する理由がひとつ、増えちゃったね」
夜墨は何も言わない。無言を返すのみ。
そうするだろうと思った。彼は半分、私自身だから。
次へ行こう。半ば出かかっているこの答えを、否定するために。
はい、蛇文さんの言っていた「空は落ちない」は天=皇帝ではなく、「杞憂」の逸話の引用でした。
これにて第5章完結です。読了ありがとうございます。
この後、いつもの閑話が1話挟まってから第6章が始まります。
もう内容は決まってるので、間は空かないはず、たぶん……。




