第160話 国たる個
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不意に現れたのは、金の玉の嵌った冠。それを龍帝は、静かに額へ納めた。
瞬間、放たれる圧力が格段に増した。不思議な感覚もする。まるでこの国の大地全てが敵に回ったような、何とも言えない感覚だ。
魂力の支配力も上がっているようで、拮抗させるのに必要な力がどんどん強くなっている。
いいね。
『ハロさんがやっと構えをとったな』
『真面目にやんなきゃいけないくらいってことか』
『てかハロさん 今どんくらい制限受けてんだ?』
肌がびりびりするのを感じる。これは、強化の出力も上げないとダメかな。
「ゆくぞ」
今度は龍帝から踏み込んできた。先刻の私と同じ大上段からの一撃。槍で受け止めると、その衝撃に空間そのものが揺れた。修練場の外周を囲んでいた壁が崩れ、見通しが良くなる。
生きてる兵たちは、街へ続く門を潜ったあたりで解放軍に拘束されているようだった。指揮を執っているのは、牛音と狼戦。虎憲の姿は、全く別の塔の上にあった。
「夜墨、虎憲拾ってやって」
邪魔だから。
障壁は城壁沿いにある。あんなところに居られては、巻き込んでしまう。
「余裕だな」
「まあね」
剣撃を躱せば背後の塔が両断され、切り返すと前方の宮が瓦礫となる。打ち合えば地面は陥没し、更地も増える。なるほど、龍に相応しい膂力じゃないか。
じゃあ魔法だ。海水の龍を生み出してぶつけてみる。この超質量、どう対処する?
「カァッ!」
龍帝の大喝一声。ただそれだけで水龍が弾けた。
「へぇ……」
続けて雷の雨を降らせる。青白い閃光が大地を砕き、土煙が舞う。土の匂いとオゾンの匂いが混ざって鼻を突き、遅れて肉の焼け焦げる臭いが届けられた。
海水に濡れた戦場だ。高圧電流から逃れるのは難しい。
土煙の向こうで龍帝の肉体が煙を上げているのが見える。それなりのダメージにはなったみたい。
『天災じゃん……』
『皇帝さんが原型留めてるのやばいな』
『こうなると皇帝の方を応援したくなってくる不思議』
リスナーには私が圧倒してるように見えるか。まあ、優勢なのは間違いない。けど圧倒してるとは言えないな。あるのは分かってるけど、まだ切られてない札もあるし。
「っ!」
鳥肌が立った。直感の示したものに従って跳び退ろうとして、失敗する。
足に絡みつくこれは、香の煙か。やられた。土煙に紛れて気付かなかった。
能力の支配下にあるとはいえ、ただの煙。振り解くのは一瞬。でもその一瞬が明暗を分ける。
宙に舞う土を突き破って、黄金の何かが跳び出してきた。龍鱗に覆われたそれは瞬く間に視界を覆いつくす。
「ぐぅっ」
どうにか槍を盾にできたけど、やっぱりこの体は脆い。骨の折れる音が耳の内に響き、遅れて背中を衝撃が襲う。
治す暇は、くれないか。辺りの暗くなった原因も探さないままに強く地面を蹴り、離脱。直後に先ほども見た黄金が大地を揺らした。
見上げるとそこには、金色の煌めく巨体があった。黒い瞳孔を持った金の瞳が天より睨みつけてくる。揺らめく鬣も、髭も、全てが黄金で美しい。でもむき出しにされた牙は獰猛さを隠す気が無くて、彼のうちの野心が透けて見えるようだ。
大きさは、夜墨よりは小さいかな。まあ、どうやら彼は龍の中でも殊更大きいみたいだし、龍帝が小さい訳ではないだろう。
考えたそばから手札を切ってきたね。龍器の冠もそのままだ。
龍帝の周囲に目をやる。魔法発動の予兆がいくつか。これは陽動だ。
本命は、周囲に漂う煙。それはゆらゆら揺れながら、ぼんやり何かしらの文様を象ろうとしている。
やっぱり、間違いない。
「我が国、ね。そういえば昔、朕が国家なりだなんて嘯いてた人がいたね」
フランスのルイ十四世だったかな。
「フンッ」
天から魔法の劫火が降り注ぐ。敢えて誘いに乗って魂力による無効化を行えば。煙の文字から別の殺意が向けられた。具現化された無数の槍は、蛇文と同じ能力によるものだ。
即ち、彼の龍器の能力は、配下の能力の完全再現。ステータスも上乗せされてるだろう。
この国の兵力が充実するほど、龍帝は強くなる。なるほど、龍帝こそがこの国だ。全てを我が物とせんとする能力は、実の父を殺し、頂点を簒奪した彼に相応しい能力じゃなかろうか。
強化を集中した尾を一振りし、分子結合破壊の力を込められたそれらを弾き飛ばす。いくらかの鱗が砕け鮮血が舞ったのは、あれらが私の命に届き得た証左だ。
さすが、私と同じ時代に生まれただけある。この時代にそぐわない科学知識も、虎憲たちと龍帝を明確に分ける一因だろう。
「やるね。嬉しいよ」
「まだ我を見下ろすか。傲慢な女め」
「高い所に昇れば私を見下ろせると思った?」
残念だけど、それは無理だ。
一足飛びで彼の頭上に飛び上がり、眉間へ踵を叩きこむ。それだけで龍帝は再び地に落ちて、物理的な上下が入れ替わった。これが、互いの立ち位置だ。
素の体力ステータスは大きく負けてるけど、強化の魔力出力が違うんだよ。
もっと中国の兵たちが育ってたら、もしかしたら十割の私でも苦戦したかもしれないけど。
「貴方の玉座、譲ってもらうよ」
「……させぬ」
おっと、雰囲気が変わったね。
「させぬぞ。この座は、私のものだ。誰にも渡さぬ……!」
彼の魂が怒りに染まり、迸る黒色の魔力には私への殺意が情報として宿る。これまでは露にすることのなかった乱れが、ただ私を殺そうと暴れまわる。
どうやら彼の逆鱗に触れてしまったらしい。どれだけ皇帝の立場に執着してるのか。
紅蓮に血走った黄龍の顎が凄まじい勢いで昇ってくる。今まででいちばん早い。
宙を蹴って牙を躱し、爪を槍でいなしてそのまま斬りつける。斬れたのは鱗と、その下の薄皮一枚。覇下の硬さの再現だ。
もっと強く斬りつけないとだめか。――っと、危ない。
地上から飛んできた岩を真っ二つにして躱し、一旦距離をとる。魔力に私個人への殺意が存分に籠ってるせいで、あんなのでもまともには受けられない。龍の逆鱗に触れる恐ろしさが分かるってものだ。
まあ、激情を駄々洩れにしてるって意味では未熟さの表れだけど。
劫火を打ち払い、牙を躱し、爪を弾く。そのいずれも今の私には十分すぎる脅威。一歩間違えればそのまま殺され得る。
「グルルァッ!」
咆哮が全身を打った。周囲の建物が砂となる。第二皇女の力だ。
ただでさえ私に特化した攻撃になってるのに、鱗を貫通して内側を砕くこれは辛い。口元を伝う血の感覚だなんて、いつぶりに感じただろうか。
思わず動きを止めてしまい、その隙を突かれる。覚えのある炎は第一皇女のものか。死者の力まで使えるなんて、本当に強力な龍器だね。
「なんて、言ってる場合じゃないね!」
身を焼くそれを魔力の放出で吹き飛ばし、追撃の爪へ槍の刃を合わせる。爪を裂き、肉を断った。今度の咆哮は龍帝の悲鳴だ。
四本指の一つが宙を舞い、辛うじて形を保っていた建物を押しつぶす。
三本指にした。それが更に怒りを買ったようだ。龍帝の魔力が、魂力がますます荒ぶる。余波が生み出したのは、まさに天災のそれ。天を稲妻が裂き、地上を大火が焼いて、両者を竜巻が繋ぐ。夜墨にお願いしておいて良かったよ。
本当に、期待以上だ。暇つぶしと、私の逆鱗に触れたおバカさんの粛清、それだけの為に来たはずだったのに。




