第127話 須佐の男と宵の宴
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「よっし、そうと決まれば、もう何にも憂うことは無ぇ。飲むぞ!」
一転して素戔嗚さんは、また豪快な笑みを浮かべる。
なんか悪く見えるのは、素戔嗚さんのイメージのせいかな?
「いいね。私としては、あてになるものがあればなお嬉しい」
「あて、なあ」
顎に手を当てて考える姿がなんとも人間くさい。
さっき『また肉体を持った』なんて言ってたし、根源的な力に与えられた人格ってのは、元々存在した人間のものなのかもしれない。
ふむ、ちょっと鎌をかけてみようかな。
直接聞いても良いんだけど、役割を押しつけられる代わりにってことで。
たぶん、彼も気安いのを望んでるだろうし。
「五穀でも良いよ。目の前で口なんかから出されなければね」
「ぐっ……」
お、凄く渋い顔。
やっぱり人格の元は人間かな?
神としての彼ならば気にするところじゃない。
逸話の元となった出来事が人間時代にあったんだろうね。
「あれは、若気の至りっつうか。てか、てめぇ本当に良い度胸してやがんな!」
「ふふっ、ごめんごめん。まあ実際、本当になんでもいいんだ。美味しければ」
一応謝るけど、彼も怒ってはいないみたい。
どころか楽しそう。
ブツブツ言いつつも、あれは合わない、あれはどうだって考える声が弾んでいる。
「そういや、大蛇の肉があったな」
「大蛇って、八岐大蛇?」
え、いつのだろう。
腐ってないかな?
いや、その辺は魔法でどうとでもなるか。
ていうか何でそんな物を持ってることになってるんだろう?
なんかのゲームでそういうアイテムあったのかな?
「その顔はどっちだ。無表情すぎて大丈夫なのか分からんぞ」
あ、旧時代の人間だと生理的に蛇肉だめとかって事もあるか。
彼、意外と気が利く?
「……なんか無性にイラッときたな。なんかまた失礼な事考えたろ?」
「気のせい。大蛇の肉は大丈夫だよ。寧ろ興味がある」
表情読めないくせに、さすがに勘が良い。
あんまり変なことは考えないでおこう。
うん、あまりじとっとした目を向けないでほしい。
「……まあいいか。あの大蛇な、良いもんばっか食ってたからか知らんが、なかなか美味いんだ。干し肉にしてあるから、この酒とも合うぞ」
「ほう。期待できそうだね」
「だったらもう少しそういう顔をしろ」
そう言われましても。
興奮してない時の表情の作り方なんて忘れたのだよ。
ドヤァ。
「……またなんかイラッとしたな」
「気のせい」
む、どやるのもダメか。
「……どうせならもう少しこっちにこい。投げ渡すのもナンだろ」
「え、やめとく。魔法で浮かせて渡せば問題なし」
「なんでだよ」
また迂闊なこと考えて手を出されそうだからだが?
今私はボロボロなんだよ。
見た目は綺麗だけど。
変なこと考えなければ良い、って声はただの幻聴だな、うん。
本当に素戔嗚さんのこと敬ってるのかって声もだ、間違いない。
「はぁ、仕方無ぇな。ほれ」
「ん、ありがと。ついでにおかわり」
そんなジト目を向けられましても。
この徳利、ちっさいんだよ。
三合くらいしか入らない。
あ、なんかジトッと感が強まった。
おじさんのジト目は別に需要無いぞ?
イケおじではあるけども。
「やっぱお前、俺のこと一寸たりとも敬って無ぇだろ」
「そんなことは無い。敬ってる。畏み畏み申す」
ホントに勘が良いな?
いや、そんな事より大蛇のジャーキーだ。
見た目としては、豚のそれに近いだろうか?
言うても蛇だし、もっと白っぽいかなって思ったら、案外で赤い。
なんか伝承で、血の滴るようなーとか、そんな感じの形容があったから、それのせいかもしれない。
表面に見える黒い粒は、胡椒かな。
白い塊は、脂か塩か……。
まあ、兎も角食べてみよう。
手のひら大はあるから、普段ならちぎって食べるところだけども、折角だし齧り付こう。
そういう、雑なのも偶には良い。
「ん、思ったよりは柔らかい。てかウマ!」
「だろ?」
下手な牛肉より濃厚じゃないかな、これ。
ジャーキーとしては少し柔らかめだけど、歯ごたえはしっかりあって、噛めば噛むほどに肉の旨味が溢れてくる。
その脂も抜群に甘くて、胡椒のパンチを柔らかく纏めてくれていた。
塩加減も良い。
甘みを引き立てつつ、日本酒が進むような、絶妙な塩加減。
ここ百年で色んな物を食べてきたけど、肉でこれ以上はないかもしれない。
うん、大蛇君を狩る理由が一つ増えた。
やったね大蛇君、喜んで。
「ヤバいね。語彙力無くなる。おかわり」
「流れるように酒を強請るな……。美味そうに食ってくれるのは嬉しいけどよ」
ふむ、苦笑いされてしまった。
まあいいか。
そんなことよりも、もっと肉と酒を出すのだ素戔嗚さんよ。
豊穣の神の顔もあるって知ってるんだぞ。
重ねて言うけど、これでもちゃんと神道の人間だったんだから。
だから早くもっと恵みを寄越すべし。
「マジで敬われてる気が一切しねぇ……」
「三合を一瞬で飲み干せるようなお供を出してくる方が悪い。あ、ジャーキーもおかわり」
ん、何さその溜息は。
良いから早くおかわりぷりーず。
「せめてもう少し、美味そうな表情してくれたらな……」
してんじゃん。
ウィンテと令奈なら見分けられるよ。
「……はぁ」
あ、また溜息吐いて!
「まあ良い。それよか、なんか聞きたい事はあるか? できる限りで答えてやるぞ」
「お土産はどれくらいくれる?」
「……」
あ、そういうのじゃなくて?
はい、ごめんなさい。
真面目に考えるから、凄く良い笑顔で大量の肉と五穀と酒を召喚するのやめてもらって。
貰うけども。
収納収納。
「んー、聞きたい事ねぇ……」
だいたいの答え合わせは、さっきしてくれた。
他は、大方確信を持ってることか、私にとってはどうでも良いような、世界の真実。
でも、何も聞かないのも悪いかな?
せっかくこうして、わざわざ聞いてくれてるのに。
……そうだね、あれだけ、確認しておこう。
殆ど確信してはいるけども。
「じゃあさ、一つだけ。大国主さんって、どこにいるの?」
そう、この出雲大社の、本来の主祭神の行方。
確かに、素戔嗚さんがここに居るのもおかしくはない。
一時期だけとは言え、素戔嗚さんが主祭神だった時期もあるし、今も境内の最奥あたりに素戔嗚さんの社がある。
だけど、この迷宮は、最古の時代の出雲大社を入り口としておき、神話の時代をその舞台としていた。
それなのに、元々の主の影一つとしてないのは、おかしな話だろう。
その答えを、私は自分のうちにも持ちながら訪ねる。
「大国主? ずっとお前さんの隣に居たろ。まあ、お前さんが捨てた部分を全部請け負いやがったから、人格としては殆ど残っちゃいねぇがな」
……やっぱり、か。
ずっと、それこそ出会って間もない頃から、そんな気はしていた。
けど、確信は持てずにいた。
もっと正確に言えば、確信を持つ必要が無かったから、得ずにいた。
「……分かってて聞きやがったな?」
「まあ、殆ど勘だったけどね」
素戔嗚さんは私の返答に肩をすくめると、自身の盃に口を付ける。
呆れているのか、納得しているのか。
まあ、何でも良い。
「その辺についての話は、後でゆっくりするさ」
「そうしとけ」
気負う様子もなく、素戔嗚さんは返事をくれる。
そこそこの大きさがあるジャーキーをつまみ上げて、丸々、そのまま口に放り込んでいるのは、なんというか、彼らしい。
「さて、と」
彼が膝を一つ叩いて、自分の分の皿を全て消す。
「もう消えるの?」
「ああ。俺がここに居る理由は、お前がどうにかしてくれたからな」
大方、伊邪那美さんの封印のことだろう。
あの入り口の注連縄は、たぶん素戔嗚さんの力で維持されていた。
何の枷も無い彼女だったなら、きっと、さっさと大迷宮の支配を振りほどいて、伊邪那岐さんの元へ向かおうとしただろうから。
そうしたら、最悪のスタンピードになってただろうね。
「せっかくの祝いだ。もうちっとゆっくり楽しみてぇが、俺を起点にお袋が再召喚されちまいかねねぇ。そろそろお別れだ」
「なるほどね。それは大変だ」
まあ、そうなってもまた私が倒してあげるけど。
「色々押し付けちまうからな。最後にてめぇの封印を解いてやるよ。今のお前さんなら、なんだかんだやる事やってくれるだろうしな」
私の封印?
そう問う前に、彼は立ち上がって私に歩み寄り、中指と人差し指だけを立てて私の額を突く。
途端に感じる脈動は、私の内、魂から発せられるものだ。
「お前さんがお前さんのまま、神となることを選んでくれて良かったぜ」
遅れて感じる、全能感。
もう一つ神器の類いを飲み込んだような、それに匹敵する力が、溢れてくる。
「そうそう、そのうち、彼の方から招待がいくだろうから、心の準備だけしとけよ。ついでに解放しておいてくれたら助かる」
彼の方って誰さ、なんて聞きたいところだけど、私は荒れ狂いそうな力をどうにか抑えたところで、まだそんな余裕は無い。
余裕を取り戻す頃には、彼は彼らしい笑みをその顔に浮かべていて、別れの言葉を口にする。
「それじゃあな、次代の神の器。お前の生が、お前の望むままにあることを祈ってるぜ」
もう消えるんでしょ、なんて、無粋な返しは届かない。
口を開く前に彼は、その輪郭を蜃気楼のように歪め、光の泡となって消えた。
きっと、彼の愛する家族のもとに向かったのだろう。
高天原を追放されたその時のように、自由の身となって。
新しい疑問は、溜め息ひとつと共に飲み込んだ。
「……私は、私の生きたいように生きるよ。その為に力を求めたんだから」
迷宮のコアへ手を乗せ、支配権を確定させながら呟く。
誰へ向けた言葉なのかは、自分でも分からない。




