ルゥカ、やばいと思う
「おはようフェイト、昨日は遅かったみたいね」
朝、朝食を食べるために部屋に来たフェイトに向かってルゥカが言った。
「夜番だった奴が不調で。本人は大した事はないから大丈夫だと言ったんだが、有事の際に動けなくなったらルリアンナ様をお守り出来なくなる。そんな事はあってはならないからな、他の奴と二交代制で夜番に入ったんだ」
「そう。だから遅かったのね。ちゃんと眠れた?」
「夜番は慣れてるからな、問題ねぇよ」
「そっか」
昨夜、日付けが変わってからフェイトが部屋に戻ったのは物音でわかっていた。
ルゥカの部屋とフェイトの部屋は隣同士。
薄い壁一枚を隔てているだけだ。足音や生活音で不在や帰宅がわかってしまう。
シャワーを浴びて就寝したのはかなり遅い時間であったはず。
それでもフェイトはいつも通りに起きて、朝の鍛錬も欠かさず行ったようだ。
真面目で仕事に対しての責任感が強いフェイトらしい。
きっとそれもこれも全て聖女のため。
フェイトの行動理念は全てルリアンナのためにあるのだとルゥカは今更ながらに感じてしまう。
「…さ、朝ごはん食べましょ!」
「ああ」
心に去来した一抹の寂しさを振り切るようにルゥカが言うとフェイトが返事をしてテーブル椅子に座った。
王都に来て四年、変わらず過ごしてきた二人だけの朝の光景。
あとどれくらいこうしていられるんだろう、ルゥカはそう思った。
◇◇◇
朝食の後、フェイトはいつも通り教会へと出勤して行ったがルゥカは今日は非番である。
先週借りたレシピ本の返却もしなくてはならないし、
コダネを貰うための話術の本を新たに借りたい。
ルゥカは午前中に家事を済ませ、昼食を食べた後に王立図書館へと足を運んだ。
返却カウンターで借りていた本を返し、話術やスピーチ関連の図書が並ぶ書架へと来た。
「うーん……結婚式のスピーチ…これは違うでしょう、すべらないジョーク集これも違う、ん?喧嘩した妻に述べる謝罪名語録集!こんなものもあるのね……でも知りたいのこれじゃないし……」
故郷へ帰って一人で子どもを産み育てる事を伏せたまま、フェイトにコダネを譲って貰えるよう巧みに話の流れを操る。そんな話術の本がないだろうか……。
ルゥカは書架の前を行ったり来たりしてお目当ての本を探した。
そんなルゥカに声をかける者がいた。
「ルゥカさん……!いらしていたんですね!」
図書館司書のパトリス=ダーヴィンが表情を明るくしてルゥカの元へとやって来た。
「パトリスさん、こんにちは」
ルゥカは笑顔で彼を迎え入れた。
「先日はありがとうございました。おかげで姉は元通り普通の生活を送れるようになりましたよ」
嬉しそうにそう告げるパトリス。
聖女ルリアンナの癒しの神聖力により不自由だった姉の足が治り、以前に会った時よりもさらに穏やかな印象になったように感じた。
「私は何もしてませんよ。すべてはルリアンナ様のお力です」
ルゥカのその言葉にパトリスは小さく首を振った。
「いえ、僕の気持ちの問題なんです。不安で仕方なかったあの時、あなたがくれた言葉がどれだけ嬉しかったか」
「聖女教会のメイドとして、少しでも患者さんとその家族の方のお役に立てたのなら私も嬉しいです」
ルゥカがそう言って柔らかい笑みを零す。
パトリスは何か眩しそうに目を細め、それから彼もまた穏やかな笑みを浮かべた。
「今日は何かお探しですか?」
パトリスが司書として告げると、ルゥカは書架の方へと視線を移してそれに答えた。
「真の目的を悟らせずに相手の持つものを譲り受ける、それを上手に話せる交渉術の本を探しているんです」
「それはまたかなり高度な話術を必要としますね……失礼ですがルゥカさんが誰かと交渉したい、そういう事ですか?」
「そうなんです。どうしても欲しいものがあって!」
両拳をぎゅっと握り力強く言うルゥカにパトリスが訊ねた。
「それはルゥカさんにとって必要不可欠なものなのですか?」
「そうですね……子供の頃からの初恋を諦めても、私が幸せになるためには必要なものですね。あ、ものじゃないか子どもだ」
「え……?」
「あ、そうそう、先日探して貰った“コダネ”に関する本もそれが目的で調べていたんですよ」
「えっ?……ええっ!?じゃあコダネって本当に子種……」
ルゥカの発言にパトリスはここが図書館であるにも関わらず大きな声を出してしまった。
まぁそれも仕方のない事だろう。
「私、どうしても彼のコダネが欲しいんです。でも実際にそれがどんな種なのかも知らないし……ましてやその種をどうやってコウノトリさんにお渡ししていいのかもわからない。でも人生が懸かってますからね、しっかり下調べをした上で彼に交渉したいんですよ!だから人類の英智の宝庫である図書館で調べているわけなのです」
そう力説するも、パトリスは固まったままルゥカを凝視しているだけであった。
「……パトリスさん?」
途端に様子がおかしくなったパトリスにルゥカは小首を傾げて声をかける。
「………………………ルゥカさん、それって…
またたっぷりの間を置いてパトリスがなんとか言葉を押し出した時、ふいに別の男性の声が重なった。
「ダーヴィン君、いつもご利用頂く子爵令息がキミにカンファレンスを頼みたいとのご指名だぞ」
恰幅のいい壮年の男性がパトリスに声をかけてきたのだ。
制服から彼も図書館の職員である事がわかる。
パトリスは困ったようにその男性に答えた。
「ですが副館長。私は今こちらの利用者の方のカンファを……」
「それは他の職員に代わらせる。子爵令息様がお待ちだぞ、早く行きなさい」
副館長と呼ばれたその男性は有無を言わさない様子でパトリスに告げた。
業務命令とあらばパトリスは従うしかない。
ルゥカはパトリスに言った。
「私は大丈夫ですから行ってください」
返すパトリスは真剣な表情でルゥカに告げた。
「だけどルゥカさん、今僕に言った話を絶対に他の人にしては駄目だ」
「え?」
「さっきの話、ちゃんと僕に聞かせて下さい。ルゥカさんの抱える問題を一緒に解決したいのです。だから今日のところはもう帰って欲しいのです」
「誰にも……話してはダメ……」
そういえばドリーにも誰かに話してはいけないと言われていたのだった。
──本に詳しい司書さんならばと話してしまったけど、これはもしかしてドリーに怒られる案件なのでは……?
ヤバいわと両頬に手を当てるルゥカにパトリスが重ねて言った。
「いいですねルゥカさん。今度教会に伺いますから、それまで絶対に今の話を他の人に、ましてや男性に話してはいけませんよ」
そう仰るあなたが話してはいけないと言われていた他の男性なんです……とは言えないルゥカがとりあえず首をカクカクと振って頷いた。
「ダーヴィンくん、早くしたまえ」
「はい。直ちに参ります」
副館長に促され、パトリスは立ち去りながらもルゥカにもう一度念を押す。
「いいですね?お願いしますよルゥカさん」
「は、はい!」
ルゥカはもうお利口さんに返事をするしかなかったのであった。
そうしてパトリスが立ち去った後、ルゥカは慌てて図書館を後にする。
──どうしよう。これってドリーが話しちゃダメって言ってたヤツを私、やっちゃった?
図書館からの帰り道、ルゥカはそんな事をぐるぐる考える。
まだ夕方にもならない早い時間ではあったが何処にも立ち寄る気になれず、ルゥカはアパートへと戻った。
しかしその建物の前で、見慣れた人影を目の当たりにする。
実家のある地方から王都に戻り、その足でルゥカのアパートに訪ねてきたのであろう。
「ぎゃっ!ドリー!」
「ただいまルゥカ。……ぎゃってなぁに?ルゥカ?あんた私が居ない間に何かやらかしたの?」
ルゥカの同僚にして親友のドリーが圧のある笑顔でそう言った。