ミラノ(5)
ロマンス小説は、心の常備薬。
もしあなたの気持ちが塞いだり、元気の素が必要なら、ロマンス小説を一服して、ロマンスの世界に心を遊ばせてから、また現実に戻りましょう。
あなたが帰って来た場所は、以前より少しばかりカラフルになっているでしょう。
「キャサリンこちらへおいで」
来場者への感謝を述べ終えたコスタンティーニ氏から呼ばれて、キャサリンは我に返った。
「わしの孫娘のキャサリンだ。今夜のパーティーは、彼女のお披露目のために開いた。わしの後継者は、キャサリンにするつもりだ」
ゲストの間に軽いどよめきが起こった。
「キャサリン、お客様へご挨拶をなさい」
「初めまして、パオロ・コスタンティーニ氏の孫のキャサリンです。生まれ育ちはアメリカです。祖父は後継者と言いましたが、正直に言って自分に経営者の資質があるかどうかわかりません。しばらく経営に参加してから、今後のことを決めるつもりです」
キャサリンが自己紹介を終えると、たちまちタキシードを着た男たちに取り囲まれた。今や彼女は、タラリアの後継者指名を受けた令嬢なのだ。男たちが彼女の歓心を買おうと群がるのも無理はない。ひっきりなしに自己紹介に訪れる男たちに息をつく暇もなかった。とても顔と名前を覚えられそうもない。
ふと射抜くような視線を感じた
視線の先を追うと、身長一九〇センチは越える、ひときわ目立つ体躯の男がいた。年の頃は、三十代前半くらいか。肩幅が広く、厚い胸板に張り付くようにタキシードを纏っている。漆黒の頭髪の下の吸い込まれそうな気のする青い瞳がこちらを見つめていた。
彼は誰なのかしら?
一目見るなり、キャサリンは胸騒ぎを抑えることができなくなった。でも、彼はキャサリンに自己紹介をする気配はない。超然とそこに佇み、次々と彼の元にやってくるドレスアップした美女たちと歓談している。
「ちょっと失礼」
あまりに多くの男たちが次々とやって来ることに気疲れして、ひと休みできる場所を探してキャサリンは自分を取り囲んだ人の輪を抜けた。
慣れない高いヒールの靴を履いているせいか、数歩歩いたところでよろめいた。すると横から伸びてきた腕が、キャサリンの腰を支えた。ジャケットの袖の上から、硬い筋肉が動くのが感じられた。彼女は抱き寄せられるような形で姿勢を取り戻した。助け主の顔を見上げると、さっき人の輪の外からキャサリンを見つめていた男性だった。彼女を支えたため、互いの顔が近づいている。彼の澄んだ湖のような青い瞳と視線が重なった。タキシードのジャケットの上から、大胸筋が大きく盛り上がっているのがわかる。この頑健な体格の男性なら、片手で軽々と彼女の体を立て直したのも納得できる。
「どうもありがとう」彼女は胸の高鳴りを抑えつつ言った。
「こういう場所は不慣れなようですね。なんだか居心地が悪そうだ」背の高い彼は、彼女を見下ろしながら冷ややかに言った。
「つい一週間前まで、アメリカにいたわ。こんなパーティーも初めてよ」
「慣れた方がいい。あなたはこれからタラリアの経営に加わるのだから。ブランドビジネスにパーティーやレセプションはつきものだ。いつまでも中西部の理科教師の気分のままでは困る」
「あなたは誰なの? どうしてわたしが教師だったことを知ってるの」尊大な態度と無礼な発言にむっとしながら、キャサリンは相手のある種の冷酷さを感じさせる青い瞳を見返した。
「ぼくはロレンツォ・ブルーノ。タラリアのCOOだ。君については、コスタンティーニ氏との縁故関係を調べた調査会社が提出したレポートを読んで知っている。プライバシーの侵害なのかもしれないが、経営に参加するのはどういった人物か確認する必要があってね」
この人が、お祖父様が優秀な経営者だと言っていたロレンツォ・ブルーノ? 思っていたよりずっと若い。キャサリンは、この男の尊大な態度に反発を感じるのと同時に、彼が放つ野生的な魅力に惹かれていることを意識しないわけにはいかなかった。