オハイオ州トランブル郡(3)
ロマンス小説は、心の常備薬。
もしあなたの気持ちが塞いだり、元気の素が必要なら、ロマンス小説を一服して、ロマンスの世界に心を遊ばせてから、また現実に戻りましょう。
あなたが帰って来た場所は、以前より少しばかりカラフルになっているでしょう。
創作技法を学んでない私が、最初からオリジナルの小説を書く自信はないから、とりあえずプロットが決まっている、フォーミュラ・ロマンスを書くことにした。このジャンルなら、パターン化されてるからオリジナリティにこだわる必要もない。平凡な女の子が、肉体的な魅力と知的能力と莫大な富を備えた「アルファマン」と結ばれるシンデレラ・ストーリーであることは共通している。
こうしたロマンス小説は、批評家からまともな文学作品として評価されることはないけどマーケットサイズは大きい。ペーパーバック市場のおよそ四〇パーセントは、ロマンス小説が占めているらしい。
ネットで調べてみると、このジャンル最大手の出版社〈Queendom〉の発行部数は、全世界で年間一億三千万部という驚くべきものだった。〈Queendom〉は、自社のウェブサイトで投稿を受け付けていて、ここから毎年三〇人あまりの新しいロマンス作家が誕生している。もっとも、毎月一〇〇〇件を越える投稿作品の中から出版まで漕ぎ着けるのはせいぜい一〇作前後のようだ。
〈Queendom〉は、新旧の作家を取り混ぜて、毎月百冊を越えるロマンス小説の新刊を発売している。発売された本は、書店ばかりでなく、スーパーマーケットの専用ラック(通称「love-nest」)にも並べられる。この会社が「ロマンス工場」と呼ばれるゆえんだ。
応募作品の投稿は、同社の専用ウェブサイトで受け付けている。ebookの形式でAmazonで販売することも考えてみたけど、「ロマンス」のカテゴリーで二五万冊近くのタイトルがあるのがわかって諦めた。こんな競争率の高い場所で、無名の新人の作品が読まれる可能性は限りなく低い。
〈Queendom〉が受け付ける応募作品は、いくつかのサブカテゴリーに分けられている。北米を舞台にした作品、メディカルロマンス、サスペンス、クリスチャン向けなどだ。私は海外を舞台にした「Queendom International」を選んだ。どこか別の世界に行きたいという自分の願望が投影できるからだ。
最初の作品が採用されて得られる収入は、三五〇〇ドルから四〇〇〇ドルくらいとサイトには書いている。軌道に乗れば、年収五万ドルくらい稼げるらしい。数は少ないけれど、このジャンルでベストセラーを出しているミリオネアもいる。なんといっても、フィクション市場で最大のジャンルだし、売上は二番目のミステリーの二倍近くある。
実際に書いてみると、想像の世界で遊ぶのは思ったより楽しい。『赤毛のアン』や『あしながおじさん』を読んでわくわくしてた、子供時代を思い出す。まずは小説を完成させてから、夏休みの副業を探すことにしよう。
小説のタイトルは『Little Wings of Love』。作中のブランド名をギリシャ神話でヘルメスが履いてる有翼のサンダル〈タラリア〉にしたから、それにちなんだものにした。
パトカーの音が遠ざかって行く。ドラッグで人が死んでなきゃいいけど、と私は思った。一月ほど前にも、この辺でオピオイドのオーバードーズで人が死んでいた。