5自ら貴族籍を抜く(前編)
「そういやまだ名乗ってなかったね。あたしゃ、アビゲイル。アビーでもゲイルでも好きに呼んでくれ」
体を起こしながら、アビーは快活に笑う。
「ありがとう、アビー」
呼びながら、少し気恥しい気持ちになった。
今まで愛称で呼べる人なんていなかったから、うれしいような恥ずかしいような…胸がふわふわする。
両手を胸元で抱きしめれば、気が付いたアビーが顔を緩める。
「ああもう、レアは本当にかわいいねぇ」
「ご、ごめんなさい。愛称で人を呼んだことがなくて。その、こんなにうれしい気持ちになるのね」
「そうだったのかい、これからは、いくらでも呼んでいいんだからね」
またもやアビーに引き寄せられ、頬ずりされる。
私はその温かさがうれしくて、同じように抱きしめ返した。
「俺も言ってなかったな」
とうとう止めることにつかれたのか、彼は呆れたように壁にもたれ腕を組む。
「オマエ…名前も教えずに連れてきたのかい」
呆れたように振り返るアビー。
「そんなヒマがなかっただけだ」
「だからといってねぇ…」
「す、すみません…。聞かなかった私が」
真剣な顔でアビーが向き合う。
「レア、今回は運がよかったけどね。本当は、簡単についてっちゃいけないよ。コイツはビビりだからいいが普通なら襲われちまう」
「……」
とんでもない雰囲気を近くから感じるが、気にしなさんなと訴えかけられるので一旦置く。
そして、自分が馬鹿な真似をした自覚があったから、素直に頷いた。
「はい」
「ああ、そんなカオしなさんな。あと、気遣いは不要だよ」
二カッと笑うとウィンクするアビー。
「…うん!ありがとう、アビー」
謝罪も敬語も不要だと遠回しに伝えてくれる。
「さて、バカ息子。さっさとしな」
「ババアがジャマしてんだろうが」
彼は壁にもたれたまま、眉間をピクピクさせている。
「アシェル。先に言われたが、このババアの息子だ。アシェとでも呼んでくれ」
「アシェル。うん、ありがとう、アシェ」
「ああ」
そういうと、アシェは優しく頭を撫でてくれた。
「さて、レア。何があったかまでは聞かない。が、行き場がないといったね」
「…はい」
こくりと頷く。
「それは、捨てられたってことかい、それとも逃げてきたってことかい?もし後者なら、アンタは今でも貴族。爵位のある親がシャシャリ出てくれば、即捜索隊を出されるだろう」
「……」
「オマエが、そんなことはないと思っているのは分かっているよ。でも、万が一があるといけない」
アビーは、一呼吸置くと私に問いかけるように口を開いた。
「レア、肩書を捨てる覚悟はあるかい」
「肩書…爵位を捨てる…?」
そんな方法があるのか。
思わず声がうわずる。
「捨てられるなら…!」
前のめりな私に、アビーが笑う。
「ふっ、アンタって子は。ホント変わってんね」
「そんなことないわ…」
だって、”それ”は、私にとって重みだったから。
もちろん、一般の生活が大変なのは知っている。
けど、私には貴族のお務めも、重圧も、トコトン向いてない。昔から分かりきってることだった。
ふと、遠い昔、領地の農村部で暮らしてた頃の情景が思い浮かぶ。
……あのころのように過ごせたら。
何度そう思ってきただろう。
「レア?」
考え込み過ぎていたのか、アシェがどうかしたかと顔を覗き込んでくる。
「あ、ごめんなさい、ぼーっとしてただけなの」
「ならいい」
ポンポンと、また頭を撫でられる。
「…オマエ達、ワザとかい」
「ハァ?」
「え?」
「…いや気づいてないならいいよ」
アビーは呆れたように肩をすくめ、話を戻すよと続けた。
「本来、貴族は簡単になれるものではない。ただ、放棄は当主の意思で簡単に行える。だが、当主以外からでは中々厳しい。でもな、一度だけ自ら選択出来る機会がある。それが、爵位の証をもって役所に提出する事だ」
「爵位の証?」
「レア、オマエなら、その紋章の入った髪飾りが使えるよ」
「……!」
そんなところまで見られてたのかと驚く。
「アタシャ、これでも腕利きのSランク組合員だからね。人より目鼻は利くつもりだよ」
フフンとアビーが鼻を高々にあげた。
この世界には、魔物と呼ばれる生物がいる。その生物は、人間に必ず危害を加えるものではないが、生態系によっては人間に危害を加えることもある生き物だった。
だから、それらを統制する機関が生まれた。
魔物を適度に間引きし、糧を持ち帰る仕事。調和機構(accord Organization)、通称…組合という組織が司っている。
組合はどこの国にも存在し、あらゆる地域に部署を置いて、世界の調和を保っている。
組合員にはランクがあり、上からSS・S・Aと、そのままFまで続く。
そして、B以下は一つの国に留まって活動するのが基本。
Aランク以上は自由に各国をめぐり、B以下では危険な討伐や任務を請け負う。
ただし、Aランク以上の付添人(一時的な契約関係など)のいるケース、または、Aランク以上の登録集団に所属していれば、個人のランクがB以下でも一緒に行動できる。
そのような冒険する人たちのことを"冒険者"、一国にとどまって守る人を"郷守者"と呼ぶ。
私も、一時期はそんな冒険者達の体験談が書かれた小説を読んで憧れた。
だから、Sランクという上位数パーセントに値する人物に出会えたことに、とても驚いたと共に興奮してしまった。
「アビーは、すごい人だったのね…!」
「ふふん。しかも、本来なら証を提出する時に、爵位を持っている人物、レアなら親だな、の一筆書いた書類または付き添いが必要だが、私がいれば問題ない。Sランクの肩書がそれに匹敵するから、レアのことも証明できる」
「……!アビー、カッコイイわ!!」
女だてらに冒険者してるだけでも凄いのに、つよくて、優しくて、しかも頼りにまでなる。なんて、カッコイイの。
思わず惚れ惚れした気持ちで見つめる。
「レア、褒めすぎだよ」
少し照れたのか頭を搔くアビー。
「ああ、だから、アビーはそんなに筋肉があったのね」
自然とアビーを上から下まで見る。
平凡な私より20cm以上は高い背丈、とても美しい筋肉質な体、アシェと同じ髪と瞳。動きやすいようにか、最低限の衣服に大剣を背負うための紐と鞘。
本当に羨ましい。カッコイイ。
思わずペタペタさわる。
「ちょ、チョット、レア」
「アビー……すごいわ、私も、貴方みたいになりたい」
アビーみたいな、カッコよくて、頼りになって、立派に生きていける人に。
アビーを見つめる。
「……フハッ、そうかい。なら、鍛えてあげないとねぇ」
「ええ!」
嬉しいと笑う。
「……オイ。そこは分かったが、役所に向かわなくていいのか」
「あ」
「そうだったね」
「……ババアはともかく、レアは忘れたらダメだろ」
「う」
「ホラ、とにかく行くぞ」
アシェはそういうと、スタスタと歩き始めた。