2伯爵令嬢レア・ローズ・レヴィア(後編)
レア・ローズ・レヴィア伯爵令嬢。
それが、私の肩書だ。
兄や姉のように頭がいい訳でも、運動ができるわけでも、特別な力(魔法の素質など)を持ってるわけでもない。見目もイマイチで、父や家庭教師から指示されたことすらまともにできない無能物と呼ばれていた。
もはや、伯爵令嬢という肩書きだけが取り柄と言える。
でも、ひたむきに頑張っていれば、いつかは認めてくれるのではないか。
父から見放されていると分かっていても、その希望は捨てきれなかった。
でも、まさか、真っ当な手順すらしてもらえず、
売り飛ばされるなんて。
信じていたものが、崩れる感覚がした。
「くるしい…」
令嬢らしからぬ声が漏れる。
他の白いドレスをまとった彼女たちはホールで踊りながら幸せそうに笑っている。私とは違って。
なぜ、私は……。
なぜ、私は、今年はデビュタントに連れてこられたのか。
なんて、すべて分かってしまった今となっては、納得しかない。
「……ねえ、お化粧直しに行ってきてもいいかしら?」
どこか諦めがついた気持ちで、せめて、少しだけ自由にしてたいと遠回しに伝える。
「…申し訳ございません」
「…そうよね。ふふ、仕方ないわよね。もし、何かあったら、あなたが困ってしまうもの」
困らせてごめんなさい。
少しだけ、自由が欲しかったの。
そう小さくつぶやく。
私には、逃げる力もなければ、逃げた後に生活できるだけの能力もない。
一度買われれば、自由に動くこともきっとできない。
抗うすべを持たないから。
だから、最後の望みにと思った。
でも、誰かを困らせてまで、従僕から離れて一人になりたかったわけでもない。
いつも父の横ですました顔をしている従僕が、何故か唸るような悩むような顔で表情を変えている。そして、絞り出すように
「…旦那様は、一度商談に入られると一時間は出てこられません」
「…?」
意味を理解できなかった私。
「三十分。それが限界です」
父に長年使える従僕ローウェルの、初めて聞く、弱々しくも優しい声だった。
その優しさに気づいた私は、微笑む。
「ありがとう、ローウェル!」
思わず手を握りしめて感謝を述べると、そのまま振り返らず早足で向かった。
「……お嬢様、私めこそ、でございます」
一人になった従僕が、噛み締めるような声をもらした。
「…忘れていたわ」
そう、忘れていた。ここは、女性専用の化粧室であり、休憩室。
踊りつかれた女性や女性同士で話したい方々が集まるので、軽い軽食やドリンクが置いてある。
あまりに父とのことがショックで壁の華となって佇んでいたが、
本来はデビュタントがファーストダンスを踊る。
「…わ、わたし、踊ってないわ」
すなわち、元々交友関係を立たれていたので知り合いもおらず、今日一緒に踊って作るはずだった友人もいない。
集団で集まっている場所に一人だけポツンと浮いている、そんな状態になっているのだ。
まずい、そう思ったものの、手遅れだった。
「あら?」
「ねえ、あのこって」
「あら、踊ってなかった子よね」
「ほんとね」
「デビュタントに、何しにいらしたのかしら?」
「おどらないなんて、ねえ」
くすくすと笑う子達、そして、関わらないでいようと遠巻きにする子達。
恥ずかしいけれど、何も言えない。
「…もうしわけ、ございません」
皆が踊っているのを眺めていただけの私に悪い歓心が向くのは当然だ。踊る余裕がなかったからといって、眺めていた私が悪い。
自分の過ちにいたたまれなくて、ただ周りに合わせることもできなかったのが恥ずかしくて、おずおずと部屋から飛び出た。
「どうしよう…ローウェルには化粧室にいると言ってしまったし、せっかく、自由な時間を貰ったのに…」
たった1分の滞在となってしまった。
どうしたらいいのだろうか。
心の中には深い悲しみが押し寄せる。
考えれば、考えるほど、じんわりと目尻に涙が浮かぶのが分かった。
「っ、泣いても意味ないって分かってるのに」
咄嗟にハンカチを取り出す。泣いてはいけない。
化粧が崩れたら、自分では直せない。
だから、綺麗にしてもらった化粧を崩したくなくて、ハンカチで目じりを優しく抑えた。
「え、あっ…!」
すると強い風が吹き、驚いた拍子にハンカチが手から離れた。
驚いて顔を上げ、あたりを見回す。
そして、部屋を飛び出して、結構歩いていたことに気づく。
喧騒も少し穏やかになっていて、道も異なる。
通路は、外の景色を眺めることができるよう、道の片側がくり抜かれていて、木々がさわさわと揺れるのが見える。
早く元の場所に戻らなくては。
「でも、…どこに行ったのかしら」
そのまま探すようにキョロキョロと廊下を見渡せば、近くの扉の前に落ちているのが見えた。
「…よかった」
ほっと安心してハンカチを拾い上げ軽くはたけば、備え付けの小さなポケットに戻す。
「さて、それはいいけど、どう戻ったら…」
ふう、とため息をつきたくなるが、クヨクヨしていても仕方ない。最悪来た道を戻ればいいか。
そう楽観的に結論付ければ、扉が開いていることに気づく。
「え……」
隙間からふわりと香る…きつい草の香りと独特の甘い匂い。そして、誰かの楽しげな声と一緒に、むつみ合う姿が目に入った。
「な、な、な、な、なあああ」
思わず狼狽してしまう。
伯爵令嬢とはいえ、知識は持っている。
だからといって見たことも体験したこともないが。
薄暗い部屋に、カーテンレースのかかったベット。
そこに映し出されたぼんやりとした影が、何事かと動く。
「…だぁれぇ?他に人は呼んでないのだけどぉ?」
妖艶な声に息を飲む。
「も、申し訳ございません。たまたま部屋を通り掛かってしまっただけで、その見るつもりはなく…。お気になさらずお続けくださいませ」
咄嗟に言葉を絞り出すがこれで合ってるのか分からない。
「そうなのぉ~?おかしいわねぇ。扉は鍵を掛けておいて、外にも見張りを置いていたのだけれどぉ」
へんねぇ?とでも言いたげな、女がベットから降り立つ。
その女は、豊満なボディを隠すこともなく、黒髪を靡かせていた。
「は、はぁ」
迫力に押され、なんとなく及び腰になるのを堪える。
「でも、残念ねぇ」
「…?」
「これ、見られちゃだめだったのよねぇ~」
妖艶な笑みをうかべながら、気づけば顔を判別できる距離にいる女。
黒だと思っていた髪は、よく見れば至極色で、
瞳は、藤の花を煮詰めたかのような濃色だった。
アル・トゥリア王国、わが国は他国に比べ色彩が多い。
平民の大半は茶髪だが、何故か貴族はそれに当てはまらない人物が多いのだ。私はどこにでもいるような亜麻色の髪(茶髪に近い色)だが、兄や姉は違う。
だからこそ、珍しい色彩の貴族は目立つ。
そして、我が国にここまで見事な濃い紫を持ってる人物は、一人しかいない。
メランサ・ケンブリッジ侯爵令嬢。
とても美しい色合いと美貌だと、兄から聞いたことがある。
そんな人物が姿を現した。しかも、裸で。
「だから、ごめんなさいね?帰すわけにいかなくなったわぁ」
そう彼女が口にした瞬間、さきほどまでベット周辺にいた男達が近寄る。
「っいや!」
腕を掴まれそうになり、咄嗟に後ろに下がる。
このままではまずい。
きびすを返すと、とっさの判断で廊下をかけ出す。
それにつられて、男達が追いかけてくる。
「っ、も、もうっ、な、な、な、なんて日なのーーーー!!」
ドレスの裾を抱き込んで、声を震わす。
今日あったことが走馬灯のように一気に駆け巡れば、泣き言を言いながら来た道とは違う道をかけていった。