1伯爵令嬢レア・ローズ・レヴィア(前編)
何も出来ない伯爵令嬢 レア・ローズ・レヴィア。
泣くことしか出来ない無能物(Incompetent thing that can only cry)である彼女が、泣きながら生き残るために走り続ける話。
「どうしてこうなったのよーー!」
重量のある白いドレスの裾を持ち上げながら令嬢らしからぬ姿で走りながらわななく。
「なんで、デビュタントで、私がこんな目にーーーー!」
半泣き叫びながら走る令嬢に周りもどうかしたのかと驚きつつも、自分たちの身を案じ何事も無かったかのように目線をそらす。
夜の静けさにホールから漏れ聞こえる音、そして彼女の声だけが響き渡った。
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「っ、すう……はあー……」
緊張が抜けない、とプルブルとふるえる1人の少女が部屋の真ん中で必死に浅く深い呼吸を繰り返していた。
プリンセスラインのロングドレスから出る白い肩を抱きながら、美しい亜麻色の髪を結い上げた少女は化粧が崩れないように涙を堪えては吐息をはく。
「うう、これからデビュタントだなんて…………」
本来、デビュタントは16歳~18歳。
今年で18歳になろうとしてる身としては、適齢期遅れ。
でもお粗末なダンスに最低限だけ出来る挨拶、全てがそこそこのギリギリ及第点を貰えるような状態な私。
優秀な兄や姉のいる伯爵家としては、恥になる私は表に出したくもない存在なはずなのに。
(今年も、難を逃れると思ってたのに…………)
くやしいのか悲しいのか自分でも分からないまま、部屋の真ん中で鏡に映る自分をうろんげに見つめてはうなだれる。
「――お嬢様、そろそろ御時間で御座います」
扉の外で控えていた侍女から声が掛かる。
嫌でも行くしかない。
「ええ、今、いくわ」
丸まっていた背筋を立たせ、渋々ながら部屋を出た。
「…………すごい……」
輝かしいホール。きらびやかなシャンデリア。
流石、我がアル・トゥリア王国の城内ホール。
厳かな雰囲気ながら、同じ白いドレスをまとった適齢期の少女達が集まっているのが見える。
あまりに輝かしい光景に周りを見渡してしまう。それを咎めるような視線を感じ、横に視線を戻せば父の険しい顔が目に入った。
「レア。はしたない。そのように見渡すな」
「………はい、お父様」
今宵の舞踏会のために、わざわざ予定を空けて帰ってきた父から窘められる。表向きはさとしているが、実態は「いい子にしてろ」だ。
「おや、レヴィア伯ではないか」
愉快そうに笑う、五十なかほどのかなりふくよかな男が近寄ってきた。
「これは、オルレアン侯。この間は―――」
知人のようで、慣れた様子で父が応対している。
とても機嫌のよい姿から、"お得意様"なのだろう。父は、恭しくもオルレアン侯という人物に敬意を示しつつも売り出したい商品の話をしている。家業である、舶来の品の話を。
「おっと、すまないね。こんな可愛らしいお嬢さんを放置して話し込んでしまった。許してくれるかい?」
ふと、私の存在に気づいたようで、ふくよかな紳士は恭しく手を取り、本来なら浮かすはずの唇を手の甲に"ぶっちゅー"と押し付けた。
「………お気になさらないでくださいませ」
思わず引き攣りそうになりながらも、なんとか笑顔を保ち
答える。
「本当に申し訳ございません、オルレアン侯。次女であるレアは内気で気の利いた事ができぬものでして……」
「何、なんとも奥ゆかしいお嬢さんではないか」
品定めするかのような深い笑みに気づき、背筋がぞわりとした。
そして、その笑みに気が付いた父も口元に笑みを浮かべる。
「…これは、これは、オルレアン侯。落ちこぼれとはいえ一通りのこともしつけてある、手間も金も掛かっている一品。ただの”ビスク・ドール”ではございませんので…。それなりに掛かってしまいますが、よろしいですか」
父の嬉しげに歪む顔が、自分の運命を指し示しているようで、
足場がグラグラと揺れる感覚がする。
「ああ、もちろん構わない。いくらでも惜しみなく出そうではないか」
ハッハッハッと互いに笑う声。
「大変ありがとうございます、オルレアン侯。それでは、他にも好い品が入りましたので、そちらの目録と細かな詰めをあちらでお話させて頂けたらと思います」
二人で休憩室にでも動こうとした瞬間、視線がこちらに向く。
「…おお、そうであった。できれば、”即日”持ち帰りたいのだが」
「…即日、でございますか?それは、こちらにも準備というのがありますので…。
さらに値が上がりますが。それでもよろしければ」
「構わぬ」
「ありがとうございます、では」
嬉しそうに返事をする、ご機嫌顔の父がこちらに近づく。
「レアがどこにもいかぬよう、傍で見張っておれ」
「かしこまりました」
小声で、後ろに控えていた従僕に命令する。
丸聞えだとは言えない。
「では、レア。デビュタントとはいえ、羽目を外さず振る舞うように。
少し席を外すが、…わかっておるな?」
いつもの冷たい表情で、促される。
「…はい、かしこまりました、お父様」
最後までお付き合い頂いてありがとうございます