11-5
それから女神は毎日、教会の子供たちと楽しそうに過ごした。
それを遠目から眺めるのが男の日常となり、10日が過ぎた頃。
事件は起こった。
女神の神官を名乗るもの達が教会を取り囲み、子供たちを捕らえようとしたのである。
もちろん、男はそれに反抗の意を示したが、たった1人では何も出来ず、神官の1人に差し押さえられてしまう。
「困りますな、女神さま。勝手に姿をくらまし、このような下賎の者たちと関わるなど」
「…………私が何をしようと、貴方たちには関係ないはず」
「そんなことはありません。この世にただ一柱の女神として貴女には相応の立場にいてもらわねば」
神官長と思われるその男の発言は空っぽだった。
少なくとも、男にはそう思えた。
「この捕らえた賊どもはいかがいたしましょうか」
「殺せ。いい見せしめになる」
神官長の冷たい言葉に、男の背筋が凍る。
「やめてくれ!
子供たちにはなんの罪もない!」
「罪の前に大人も子供も関係ない。
女神様を誑かすのはこの世で最も重い罪だ」
男の言葉など神官長には通らないにも等しい。
「やめなさい!」
そこに、女神の声が轟いた。
全員が顔を上げ、女神に視線を集める。
「………これからは貴方たちの言う通りに生きるわ。
だから誰一人、殺すことはやめなさい」
「………承知いたしました」
女神の言葉に、神官長は深々と頭を下げた。
その後、まるで無視を見るような目で男を蔑む。
男と子供たちは抵抗することなく連行された。
その後、男は薄暗い寂れた地下牢に手足を拘束された。
3方を分厚い壁に阻まれ、正面には鉄の柵。その奥には石のレンガでできた小さな空間があり、鉄の扉がひとつだけある。
ここは、広い地下牢にある、狭い個室牢。
1日に与えられる食料は固くなったパン1個とコップ一杯の水だけだった。
1日は我慢できた。
3日もすると常に空腹の状態が続いた。
5日が経過する頃、我慢が出来なくなりあらゆることを後悔しだした。
10日が経過する頃、ただ呻き声を出す機械へと変わった。
20日が過ぎる頃、何も考えられなくなった。
ただ呼吸をすることしか許されず、それ以外の自由は没収された。
地下牢にある柵で閉じられた小さな窓から入り込む少量の光と空気だけが、ほんの少しだけ男を繋ぎ止めた。
怒りと後悔だけが募り、
寒さと飢えと孤独に苛まれ。
やがて、それらの苦しみが日常に変わる頃。
地下牢の扉が開かれた。ガシャンと音を立て、誰かが中に入ってくる。その誰かは地下牢に相応しくない容姿をしていて、とてもきれいな少女だった。
彼女の持つ瞳には星が刻まれている。
「……………………ごめん、なさい」
女神さまは、男の前にへたり込む。
そして、ただ謝罪を続けた。
「先日、……………………子供たちが全員亡くなったわ」
その事実に、男はそっと顔を上げる。
「子供たちは全員同じ牢獄に入っていたの。こことは牢獄に入って20日が過ぎたころ、ひとりが病で倒れた。病は感染病だった。1人がなくなる頃、別の子供が苦しみだした。私は神様なのに、それを治すこともできなくて。目の前で苦しんでいく子供たちに何もしてあげられなかった」
涙をこぼしながら、女神は告白する。
「最初の子がなくなった時は気が動転して、怖くてここに来られなかった。
ごめんなさい。私がもっとしっかりしていれば。私がもっと、すごい神様だったら……………………」
後悔ばかりを告げ、女神さまは泣いていた。
子供たちの、ひとりひとりの顔を思い出す。
溢れてくるのは胸の痛みと懐かしい記憶。貧しくとも楽しかった、なんでもない日常の思い出。
「……………………ぁ、ぁぁ。俺は、道を間違えたのか」
そこで漸く。
男はすべてを理解した。
個人が何かを頑張ったところで何も変えられないこと。
この世には、どうしようもない程に理不尽が溢れている。
暫くの間、女神はそこで項垂れていた。
気が付くと、女神は退出し、また独りの時間が訪れた。
貴族の屋敷に忍び込み、金品を盗んで金に換えて食料を確保する。
そんなまやかしでは何も成せなかった。
その場しのぎの対処では何も解決しないこと。
根本から変える必要があった。
でも、そのための力などなくて。
だから、多くの時間を犠牲にする必要があった。
自分に恩恵が与えられることはない。
今ではなく、この先の未来のために自分を犠牲にしなければならなかった。
……………………………………きっと、誰もが思う。
なんで自分がそんなことを、と。
誰もが自分のために生きている。
女神に信仰を捧げる人間だって、自分が救われるために祈っている。
そこに、信仰される側の感情など考慮されていなかった。
未来のために自分を犠牲にできる人間など、多くは存在していない。
その為の精神力を持ち合わせている人間など稀だからだ。
そして、手遅れになってから後悔する。
「……………………………………必要なのは、覚悟。……………………なんて言葉では、生ぬるい」
言葉なんかでは推し量れない。きっと、そんなナニカが必要だったのだ。
多くの人間に欠陥している、そのナニカを持たなければ、何かを変えることなどできないのだから。
それから、50年近くが経過した。
男の髭は無造作に伸び、髪は地面に垂れる程になってしまう。
その間、男にあった感情はたった一つの色のみ。
そして、牢獄の扉が開かれた。
あの時と同じように、女神さまが入ってくる。
「……………………久しぶりね。貴方も随分と変ったわね」
女神は男を見て、そう言った。
男の変わりようと女神の変わらなさ。それは今更言う必要のないものだ。
「……………………貴女も、随分とお疲れの様子だ」
「わかるの?」
「そんなもの、顔を視ればすぐに察せられる」
男の声を聴き、女神は変な笑みをこぼした。
「ずっと私の周りにいる人たちは、私の顔なんて見ようとしない。
……………………私の顔を直接視るのは不敬に当たるらしいわよ」
「……………………馬鹿馬鹿しい。顔を直接見ながら言葉を交わすことがどんなに重要なことか、彼らには理解できないらしいな」
「……………………貴方たち人間は、多くの知見を得て、賢くなった。その過程で感情を知り、想像力を得た。……………………なのに、なんで人の心を想像することができないんだろうね。
なんで、誰も私を知ろうと、してくれないんだろう」
「……………………女神さまに近付くのも、その心を知ろうとするのも、想像を働かせることすら、不敬に値するからだろう。女神様であろうと心があり、痛みがあるというのに」
女神は遠くを見据えるように、眼を細めた。
そして、男に向き直る。
「……………………今、外では大きな戦争が起きているの。私を巡ってね。
でも、私はそんなことを望んでなんかいない。
……………………だから、全てを終わらせようと思うの」
「……………………終わらせる?」
「えぇ。この世界の彼方に、終焉の森というものがあるの。その森は、この世界の地中を流れる水脈が最後に集まる場所。その森の木を全て切り倒せば、この世界は水に呑み込まれる。
かつて、神々が人間と共存した時代。そのころに神がつくった対人間の終末装置。それを発動させに行く」
その言葉は悲しみに満ちていた。
「……………………そんな、ものがあったのか」
「えぇ。だから、最後にお別れにきたの。貴方たちと過ごせた数日だけが、私にとって唯一心温まる時だったわ」
それを告げた後、女神は牢獄を去ろうと踵を返した。
そこで、男は僅かに口を開いて言葉をこぼした。
「……………………ヴァーテクス」
女神の脚が止まる。
「……………………いま、なんて?」
「ずっと考えていたんだ。俺に神様のような力があったら、どうするかを。
……………………一人では駄目なんだ。複数の存在でこの世界を支配する。効率よく支配するためには役割を分担し、人間に恐怖と恩恵をそれぞれ与える。必須の能力は未来視と大地の操作、病の感染。すべてを束ねる支配者とそれを守る絶対の盾」
「……………………なにを、言っているの?」
「……………………人間を、神の代理として、世界を運営する。人間の生き方をコントロールして支配する。その存在を、ヴァーテクスと名付けた。神である貴女の存在を隠し、……………………10柱のヴァーテクスで世界を運営させる。選定基準は、特に必要とされていない、突然消えても困らない人間として、その中からランダムに選ぶ」
女神の足は完全に止まっている。
男の方を見詰め、呆けている。
男はより詳細な計画を女神に話した。
最初は否定していた女神を説得し、手足の枷を外してもらう。
「……………………貴女は、長い間頑張ってきた。だが、愚かな人間たちに理解されずそれは実を結ばなかった。もう、お休みください。これからは神に変わり、ヴァーテクスによりこの世界を運営します」
その存在のリーダーとして、他のヴァーテクスをコントロールする存在として男は変革する。
女神に与えられた権能は、「能力付与」。
神と同じように老いない肉体と精神力を手に入れ、先ず最初に雷操作と千里眼の異能を自身に付与した。
千里眼を用いて、戦争の火種と権力者をあぶりだし、雷でそれを焼いていく。
移動が手間なので、飛翔能力も付与した。
――――――――その日、この世界に最初のヴァーテクスが誕生した。




