10ー3
アンジーナは6歳の病弱な少女の家を訪ねることにした。
肩の上で切りそろえられた、綺麗な金色の髪色が少女が歩くたびに揺れ、アンジーナはそれを見詰めている。
アンジーナは胸の奥を抉るような感覚を抑え、黙って少女についていく。
「それにしても、ヴァーテクスに会えるなんて。
物凄くラッキーだわ」
少女は嬉しそうにアンジーナを家に招待し、中で待っていた母親らしき人の元へと駆け寄った。
「これは、ヴァーテクス様がこのような辺境の村に…………………」
「……………………構わないわ。頭を下げないで」
アンジーナがそう言うと、その女性は頭を上げた。
「私はソフィアと申します。この子の母、のようなものです」
それからアンジーナはソフィアからハンナの病気の事を聞いた。
ハンナも、その母も、またその母も……………………。その村に生きてきた少女の血族はずっと同じ病により倒れ、苦しんできたことを。
事実を知る度、胸が強く締め付けられる痛みに襲われた。
アンジーナが抱える悩みの種を、ソフィアが解き明かすことはない。
故に、アンジーナが表情を歪め、苦しんでいるにも関わらず、ソフィアはただ困惑することしかできない。
人間に身でヴァーテクスに近付きすぎることは出来ないのだ。
そこに歩み寄る影があった。
ソフィアの心情も、アンジーナの苦しみも。
それらを吹き飛ばすように、純白の少女がアンジーナに走り寄った。
「ねぇ、アンジーナ様。もしよかったら私の話を聞いてくれませんか?」
そう言う無邪気なハンナに、ソフィアが勢いよく口を開く。
だが、それをアンジーナが制止させる。
「大丈夫よ。そんなに怯えないで。私はこの子の話を聞きます」
アンジーナの言葉に、ソフィアは息を呑んだ。
「お話聞いてくれるんですか?」
「えぇ、もちろんよ」
ハンナの言葉に、アンジーナは優しい微笑みで答えた。
1300年間生きてきた中で身に着けたスキルのひとつだ。
そして、ハンナは嬉しそうに語り始める。
アンジーナがこの村を見つけたのは偶然だった。
見つけた後、村の中に入ったのも偶然だ。
だが、それこそがアンジーナがずっと追い求めてきたものだった。
ここにたどり着くのに1300年もかかってしまった。
それは、病弱な少女たちが語り継いできた昔の記憶。
今はもう、霞んでしまったはるか遠い過去のこと。
この小さな村で起きた悲劇と大きな愛の物語。
たしかにそこに存在した誰かの事実。
『ある日、いなくなってしまった娘の帰りを待つ父親の物語』
♦♦♦
それはまだ、この世にヴァーテクスが誕生する前の頃。
その小さな村に病弱な少女と、その子を育てる父親がいました。
少女の母親は同じ病気で娘を産んで直ぐに帰らぬ人となり、少女と父親は小さな家に2人で暮らしていました。
「ただいま」
「おかえりなさい。お父さん」
家の扉が開き、父親が家の中に入ってくる。両肩と頭に積もった抜きを払い落しながら、ベッドの上で身体を起こす娘に歩み寄る。
「………………元気にしていたかい?」
「うん。ずっと本を読んでいたの」
7歳になったばかりの少女は母親と同じ病を発症し、その年で半分寝たきりのような生活を送っていた。
現状の医学では解明できず、身体が弱っていき、次第に死を待つことしかできなくなる、呪いの病。
そんな状態でありながら、少女は明るく笑ってみせた。
それを見て、父親は少しだけ目を細めた。
「そうかい。今日はどんな本を読んだんだい?」
そうして、少女は本の内容を拙いながらに話し始めた。
それがその親子の日常だった。
咳を繰り返し、元気に走り回ることも叶わない少女と、娘のために働き続ける父親。
話が終わると、父親は優しく口を開いた。
「さぁ、もう遅くなってしまった。今日はもう寝なさい」
「でも私全然眠くないの。お昼に寝てるから」
父親は娘の頭を撫でながら、寝かしつけようと試みる。
「……………………そうだね。でも、子供が遅くまで起きていると、怖い怖い怪物たちがこの村にやってきてしまう」
「知ってる!
この村を出て、ずっと進んだところにある、終わりの森でしょ!
その森には人間を食べる怖い怖い怪物さんたちが住んでるの!
でも、怪物さんは森から出られないんだよ」
本を沢山読んでいるため、知識が豊富な少女に、嘘は通じなかった。
父親は感心するように息を吐き、少女の頭に手を置く。
「ほんとうに、いろんなことを知ってるね」
「本をたくさん読んだから」
「このままいくと村にある本を、全部読んでしまいそうな勢いだな」
「うん。そのつもりでがんばるわ」
「しかし、困ったな……………………っと、じゃあお母さんの話でもするか」
「おかあさんの!?」
父親の言葉に、少女は目を輝かせた。
咳を繰り返し、喉を傷めながら、嬉しそうに父親の言葉に耳を傾ける。
「お父さんは最初ね、お母さんのお母さんに一目ぼれしたんだよ。
■■■■■■(少女の名前)からすると、おばあちゃんのことだね」
「すっごく綺麗だったんでしょ?」
「うん。そうだね。綺麗で儚い人だった。
僕が母さんと知り合った頃にはもう大きな病気を抱えていてね。母さんはよく村の隅っこで泣いていたんだ」
父親は昔を振り返るように目を細め、話していく。
「僕らが大人になる頃には病で亡くなってしまい、失意に沈む母さんを視ていられなくて、僕は必死に励ました。その結果、互いに好きになり結婚した」
「……………………お母さんも綺麗だった?」
「あぁ。勿論。だから、■■■■■■も将来、絶対に綺麗になるよ」
「やったー」と喜びを露わにする少女。
父親は少女の薄紅色の髪に手を当てた。
背中まで伸びる少女の薄紅色の髪は父親の髪色と一緒だった。
「■■■■■■の髪色は僕と同じで薄紅色だね。お母さんも、おばあちゃんも金色の髪だったから」
「でも私、お父さんの髪の色、好きだよ」
父親は照れながら笑う。
その優しい顔が、少女は好きだった。
そんな日常が過ぎていく。
厳しい冬を越え、温かい季節になり、また冬が訪れる。
雨の日も、冬の日も。変わらず、父親は働き続ける。娘の身体を犯す呪いの病。
治療方法を探すために、街を訪れ、医師に当たる。
可能な限り、医者を村に呼び、娘の症状を診てもらった。
そんな日々を繰り返すだけで、莫大な金額が掛かった。
少女はずっと同じ景色を見ていた。
雨の日も。雪の日も。
家の窓から見る景色はずっと同じものだった。
ベッドで本を読む日々。家の外に出れたとしても、30分が限界だった。
身体が疲れれば、免疫機能が下がる。それだけで命にかかわる高熱を発症した。
ずっと同じような日々。だが、少女がそれを嘆いたことはない。幼いながらにも父親の負担を娘は正しく理解していた。
閉鎖的な生活。それを退屈だと、少女が口に出すことはなかった。
3年が経過する。
身体の免疫力が向上した少女は父親と共に外に出る機会が増えた。
といっても、主に街の医師を訪ねるのが目的だが……………………。
生まれ育った小さな村を出て、一番近くの街に出かけた時、胸と脳を刺激する世界の広さに感動を覚えた。
あくまで、その街と村を往復できるようになっただけだが、少女の世界は確かに広がったのだ。
医師の診察を繰り返しても、治療法は見つからず、少女は病弱なままだった。
帰りに街のパン屋でパンを購入するのが、少女にとっては凄く嬉しいことだった。
そして、7年が経過する。
小さな村で、17年間同じような生活を繰り返してきた少女の身に、変化が起きる。
それは、想像よりも早くに訪れた。身体の限界だった。
少女を蝕む病は良くなることもなく、少女の母親を死に至らしめた時と同じ苦痛を少女に与え始めた。
そして、その年。
変わったのは少女だけではなかった。
世界の情勢が、激しく変わったのだ。
世界に君臨するたった一つの存在。その存在を賭け、人間同士による激しい争いが始まった。
それはどんどんと飛び火して広がり、あっという間に全土を巻き込んだ巨大なものへとなっていった。
その小さな村には情報が回ってくるのが遅かった。
情報が回ってきた数時間後には、敵勢力の攻撃を受けたのだ。
充分な準備もできず、村は炎に包まれた。
父親は少女を逃がすため、親族の手を借りながら、娘の休む地を家から近くの森の中にある洞穴へと移した。
簡単に木の葉で敷布団をつくり、その上に少女を寝かせる。
それと同時に、村が炎に包まれたのだ。
「くそ、なんで。……………………なんでこんなことに!」
「……………………お、とう……………………さん?」
病で苦しい中、少女は身体を起こす。
「あ、あぁ。起こしてしまったか。
大丈夫だ。少し寝づらいかもしれないが、ここで待っていてくれ。直ぐに戻るから」
父親は、娘に笑顔を向けた。
まだ生き残っている村人を救うために、父親はその洞穴を後にした。
少女は手を伸ばす。だが、焼けるような喉の痛みと、胸の痛み。咳によってそれは阻まれてしまう。
それが、父親と少女の最後の時間だった。
とある大きな問題が発生し、争いは急激に鎮静化した。
村は炎に包まれ、数人の村人が死んでしまったが、全滅は免れた。
そして、父親が洞穴に戻ると……………………。
そこに、娘の姿はなかった。
それから、村の復興が住んでもなお、父親は洞穴で娘の帰りを待ち続けた。
街に出かけ、娘の目撃情報を探したが、それらしい情報が手に入ることなく……………………。
数十年が経過した。
白髪が増え、物忘れが多くなっても、娘の帰りを待ち続けた父親はその洞穴で息を引き取った。
衰弱死であった。
その男の妹がそこに墓を立て、消えた少女の母親の妹家族と協力しその物語を継いでいくことになる。
それから、数年後。
この世界にヴァーテクスが誕生した。
♦♦♦
ハンナの話を聞き終え、アンジーナは村の外にある洞穴へと向かった。
そこには1300年が経過しても、綺麗な墓が立っていた。
ハンナやソフィアを中心とした村人とその祖先が代々綺麗に守ってきたのだ。
たしかに存在するその景色に、アンジーナは足を止めた。
話を聞いている最中、ずっと脳を襲っていた謎の痛みも、耳鳴りも、激しい動悸も今は収まっている。
1300年間。ヴァーテクスとして生きてきた。その間ずっと抱えてきた胸にぽっかりと空いた穴の正体。その喪失感はいつの間にか無くなっていた。
魔法が解かれる。
否。記憶が正常に戻る。
一番最後に残る記憶は、手を伸ばしても届かない、愛しい父親の背中と、病の苦しさ。
そして、その後にこの洞穴に訪れた、獅子のような髭が特徴的な男の姿。
少女の頬を、大量の涙が流れる。
「………………………………ただいま」
小さな呟きは、風の音に消されていく。
1300年間、探し続けた物の答えを、胸に少女は顔を上げる。
少女は、全てを思い出したのだ。
「……………………私の、本当の名前は――――――」