10-2
光を通さない真っ暗な穴。
それが痛みだと知ったアンジーナはテラシアを探す旅に出た。
初めて目にする中央都市の外。
そこには、感動ばかりが溢れていた。
だが、それに心を奪われている場合では無い。アンジーナは進み続けた。
そんな中、ひとつの噂がアンジーナの耳に届く。
それは、人々を襲う怪物と呼ばれる生命体の出現。
それは各地に出現し、人間を襲うという。
だが、怪物の攻撃はアンジーナたちヴァーテクスには通らなかった。
それにより、旅は滞ることなく進んだ。だが、テラシアの行方も、以前から抱えていた喪失感の正体も、突き止めることは叶わなかった。
テラシアが消えて100年が経過する頃。
アンジーナは一度、中央都市に戻ることにした。
支配者の間にいるバジレウスを訪ねる。
「テラシアがどこに行ったか知らないかしら?」
「驚いたな。貴様がそのように他者に興味を持つなんてな」
800年間、開くことのなかったアンジーナの心の扉。この100年、何をしていた?
とバジレウスがアンジーナを問い詰める。
「………テラシアを探していたわ」
「………そうか。だが、我は知らぬ」
「そんな事ないはずよ。貴方は今現在の世界を視る術があるでしょ?」
「なるほど。千里眼でテラシアを探せということか」
「………そうよ」
「悪いが、それは出来ぬ」
「…………どうしてかしら」
「テラシアは自身のヴァーテクスとしての使命に殉じておるからだ。だから、貴様もヴァーテクスとしての使命を果たせ」
バジレウスの返答に、アンジーナは鋭い眼光を向ける。
バジレウスの周りには、フードを目深にかぶった人間の女性が数人控えており、アンジーナの視線に一部の女性が戸惑いを見せる。
「………数日前、アウルに会ってきたの。アウルならテラシアがいる場所に心当たりがあるかもと思って。
でも、アウルは知らなかった。でもその代わりにアウルはひとつの可能性を私に教えてくれたわ」
アンジーナの言葉に、バジレウスの眉がピクリと動く。
アンジーナは止まらない。
「テラシアが消えた瞬間、終焉の森の外にも怪物が生まれ始めた。あの怪物たちはテラシアの能力によって生み出されたものかもしれないって」
「…………なるほどな。その可能性があったとして、それがどうした」
「………テラシアはそんな事しない。もし、それをテラシアに強制できるとしたら、それが可能なのは貴方しかいない」
アンジーナはキッと目線を鋭くしてバジレウスを睨んだ。
だが、バジレウスは怯むことなく、ただ淡々と口を動かすだけだった。
「…………もし、それが真実だったとして、貴様はどうするつもりだ?」
それはアンジーナにとって、最初の怒りだった。
今まで何も感じなかったはずの心に、どす黒い何かが生まれる。
気が付けば、アンジーナは手を伸ばしていた。
その先にある、壁に装飾品として飾られた剣を操作し、バジレウスに向ける。
…………だが、それがバジレウスに届くことは無い。
それは一瞬だった。目の前が光り、凄まじい轟音と共に剣が叩き折られる。
空間を走り、燃やす電光が弾けた。
「―――――――――っ!」
「無駄だ。………今のは不問としてやる。貴様もテラシアを見習いヴァーテクスとしての使命を果たせ」
崩れることの無いバジレウスの表情。
アンジーナは奥歯を噛み締めた。
「…………どうして。どうして、テラシアにそんなことを!!
彼女は人間たちを愛していた!」
悲痛な叫びに、バジレウスはため息混じりに口を開く。
「ヴァーテクスに対する過度な信仰は禁じている。
だが、テラシアの恩恵は人間たちには大きすぎた」
「それは、貴方がそういう能力をテラシアに与えたからでしょ?」
「………能力の問題ではない。奴の人格が問題だったのだ。
出来うる限り、多くの人間を救おうとした。あまりにも罪深いその在り方がな」
その答えに、アンジーナの頭の中は白い霧に包まれる。
多くの謎と疑問が頭の中を駆け巡る。
「…………どういうこと?
人間に恩恵を与えるのもヴァーテクスとしての使命でしょ?」
「………恩恵が大きすぎたのだ。人に恐怖を与える炎や病魔との天秤が壊れるほどに」
「…………わからない。………わからないわ。理解出来ない」
「…………それで良い。ただ、与えられた使命を果たすことだけに集中しろ。それ以外は特に問わぬ」
ギリっと何かが砕ける音が響いた。
「…………それは、貴方の操り人形として生きろと?」
「ヴァーテクスとして生まれただけでも奇跡に等しい運命だ。
半永久的な命、苦しみのない生。ヴァーテクスとして富も名声も権利も力も与えた。それに何か不満があるというのか?」
何が決定的に違っていた。
アンジーナの持つ価値観とバジレウスの持つ価値観が交わることは無いと、この時ハッキリと理解した。
これ以上の問答は無用だとも、理解した。
アンジーナは、踵を返し、背中をバジレウスに向ける。
「…………いつか、絶対に」
その先は口にできない。冗談でもそれを今口にすれば、自分の命はないと理解出来たから。
「………………貴様のこれからの働きに期待する」
そうして、重く固い扉は閉じられた。
それからアンジーナは再び、各地を転々とし始めた。
テラシアの情報。自身の胸にある喪失感の謎を解明する手がかりを求めて。
それから50年が経過する頃、アウルに呼び出される。
「テラシアは地下迷宮にいる可能性が高い」
そう言われ、いても立ってもいられなくなり、すぐさま地下迷宮へと向かった。
後の世に、怪物のヴァーテクスの神殿と呼ばれる場所。そこには、まるで入口を守るように無数の怪物たちが放たれていた。
胸のざわめき。テラシアはここにいると、アンジーナは確信した。
「テラシア! アンジーナよ」
どれだけ声を荒らげても、繰り返し叫んでも返答はない。
ヴァーテクスを攻撃できる特殊な怪物たちに阻まれ、アンジーナは神殿を後にした。
それを繰り返し、阻まれ続けること100年。
諦めて挫折し、心を無くした100年。
何も答えを得られない悔しさと苛立ち。自身の不甲斐なさを噛み締め、それでも立ち上がり前に進み出す。
強くなる為に。
答えを探すために。
具体的な目的を持たず、アンジーナは世界を歩いて回った。
直ぐに10年が経過した。
それからまた50年が経過する。
移ろいゆく時の中で、アンジーナは孤独を噛み締め、前に進む。
先の見えない吹雪の荒野を何百年も歩き続ける錯覚に襲われても尚、足を止めることなく進み続けた。
そして、アンジーナがヴァーテクスとして目覚めてから1290年が経過しようとしていた頃。
その村を見つけた。
森に囲まれた小さな村。バジレウスでさえ把握しているか分からないほど小さなその村に、アンジーナは辿り着いた。
森を抜け、村の門を潜る。
衛兵はアンジーナの姿を見て驚き、村長を呼びに村の中へと走る。
その村に足を踏み入れた瞬間、アンジーナは謎の感覚に襲われ、目眩を覚えた。
胸の奥が痒くなるような、そんな感覚があった。
奥へと進む度、動悸が早くなるのを感じた。
村長を中心に、村人に歓迎され、こそばゆくなる感覚を他所に、強ばる足を奮起させ、奥へと進む。
「あ、アンジーナ様。こんにちは」
そう声をかけてきたのは、幼い少女だった。
金髪の肩まで伸びた髪に、痩せ細った少女。その少女が病弱であることを、アンジーナは一目で理解した。
その少女を目にした瞬間の驚きと感動を、アンジーナは生涯忘れることは無い。
たまたま、偶然辿り着いた村で見つけた小さな光。
1300年間、思い悩まされてきた喪失感の答えがそこにはあった。
決して他人事では済まされない。
病弱な少女に感じた懐かしい面影。記憶を封じられた分厚い扉に亀裂が走る。
アンジーナの心臓が一気に高鳴る。
既視感。そして、謎の懐かしさ。
「………………私は…………この村を、知っている?」
その日、無名のヴァーテクス。アンジーナ・テオスに掛けられた魔法が解かれたのだった。