9-9
タクミたちが丁度、終焉の森に入って四日が経過するころ。
冥界内でも動きがあった。
「そろそろ、答えて。カイロン。どうして私をここに連れてきたのか」
アンジェリカは明るい冥界の中でも暗めの場所にある支柱に、縄で身体を縛られていた。
そんなアンジェリカの目の前には、こげ茶色の地面に垂れる程長い髪をした特徴的な少年が薄ら笑いで髪の間から白い歯をのぞかせている。
「だ、だって。じゅ、十年前に君が言ったじゃないか。ま、またここに来るって。
ぼ、僕は待ったんだ。だ、だけど君は、こ、来なかった」
おどおどと、それでもはっきりと自身の意見を主張する茶色の少年。
背筋が曲がっており、少し小さく見えるカイロンに対し、アンジェリカは口を開く。
「確かに、私はそう言った。でもそれは今じゃない。私たちの計画を邪魔して、一体何がしたいわけ?」
「ひぃ、………………お、怒らないでよ。ぼ、僕はき、君に会いたかった。そ、それだけなんだよ」
自信なさげに肩を落とすカイロン。他のヴァーテクスと違い、冥界のヴァーテクスであるカイロンには威厳や自信というものが欠けている。
「私に会いたかった? どうして?」
「だ、だって、き、君はとても、す、素敵な、じょ、女性だから」
「………………訳が分からないわ。私はカイロンとそんなに話したことないと思うのだけど」
「そ、それに、ば、バジレウス様が、い、言ったんだ。
き、君を冥界に。つ、連れてこれば、ぼ、僕の願いが、叶うって」
その言葉がキッカケだった。
アンジェリカは大きく瞳を開き、牙を剥く。
「なるほど。バジレウスの差し金、というわけね。
ここまで来て、まだ私たちを、敵とすら見てないなんて」
アンジェリカの声に怒りが籠るのを、カイロンは気付かない。
アンジェリカを固定していた縄がひとりで勝手に外れていく。
「あ、アンジェリカ。や、やめるんだ」
「言っとくけど、こんな拘束、私には効かないんだから!」
アンジェリカの拘束が完全に外れる。
アンジェリカは頬を膨らませ、カイロンを睨む。
それに対し、カイロンは戦う構えをとった。
それにより、冥界内部に散乱する青白い光の玉が集まってくる。
それは生物の肉体に宿る存在。
それは死後、生物の肉体から解き放たれ、次の生へと向かうために冥界に集まってくる、魂と呼ばれるもの。
魂に生前の記憶や想いは宿らない。冥界という機能により次の生へと向う旅人だ。
この世界の魂は循環し、巡る。
冥界に集まった魂は、生前の労わりとして、冥界で一通り遊んだ後、次の生へと向かう。
それは誰かに妨げられるものではない。
だが、冥界の支配者としての権能を与えられたカイロンだけは別だった。
カイロンの能力は二つ。
ひとつは、外から冥界への一方通行の空間転移。
ふたつめが、人魂の操作。
冥界に集まってくる魂に命令を強制し、実行させる能力。
魂自身に攻撃力はない。だが、魂が通った軌跡はひとつの例外もなく、あらゆるものを凍てつかせる。
故に、触れれば抵抗虚しく冷凍拘束され、カイロン自身にその気さえあれば、相手の命さえ奪える。
炎のヴァーテクスの対となる存在。
「こ、ここでは、ぼ、僕には敵わない。
そ、それに、こ、ここには、き、君が操れる、ものなんてない」
カイロンの瞳に敵意が宿る。だが、そこに殺意までは含まれていない。
「………………それが、私に勝てる理由にはならないよ」
「ば、バジレウス様が、い、言った通りだ。
き、君だけは、ぼ、僕の想いを、理解してくれると信じていたのに」
お互いの意思が交錯し、戦闘が始まる。
僅か数分後。
この戦闘は誰の目にも止まることなく、アンジェリカの圧勝で幕を下ろす。
ガハッ、と腹の中のものを吐き出し、地面に膝を着くカイロン。
「つ、強い。な、なんで」
「この十年間、何もしてこなかったわけじゃない。武器の扱い以外にも、いろんなことを習ってきた。
素手で相手を倒すことだって簡単にできる。これはドミニクに教えてもらった技。
それに、タクミが言ってたもの。ヴァーテクスは戦闘を知らないって。私が他のヴァーテクスよりも優れている点は、そこだって」
「く、あ、ありえない」
そう言い残し、カイロンは気を失った。
「むー、これからどうしようか」
冥界で一人、アンジェリカは眉間に皺を寄せた。
♦♦♦
「こんな冥界があってたまるか!」
「そんなこと言われても、これが冥界なんだろ?」
「そんなわけあるか! 古今東西、いろんな冥界の話を眼にしたことがあるけど、これは絶対違うって断言したい!」
「タクミはさっきから、なにに興奮してるんですか」
「こんなマスコットが出てきそうなテーマパークは、絶対に冥界じゃない!!」
「おっと、これ以上はまずそうだ!」
興奮する俺に対し、カルケリルがストップをかける。
「でも、私はなんだか納得がいったかも」
と、ローズさんが口を開いた。
「納得って、なにが?」
と聞き返すルイーズ。
「だって、小さいころ、疑問に思ったんだもの。
なんで冥界に旅立った魂は、帰って来ることがないんだろうって。
つまり、冥界が楽しすぎるから、帰って来れないってことね」
いかにもよくありそうな、ロマンチックっぽい回答に、俺は身震いする。
「………………こんな陽キャの奴らが行くような場所は冥界じゃない。
冥界は陰の場所だ。これは絶対譲らない」
きらきらと光る謎の冥界に敵意を向けたところ、遠くから俺たちを呼ぶ声が聞こえてくる。
おーい、おーい、と。
何度も木霊する声に、俺たちは振り返る。
俺たちがここに来た目的。
アンジェリカがこちらに手を振りながら可愛く小走りで近付いてくる。
「アンジェリカ!?」
「みんな! 冥界まで来てくれたのね!」
俺たちが冥界に来たことがよっぽど嬉しいのか、アンジェリカの目が潤んでいる。
「アンジェリカ。カイロンはどうしたんだい?」
「倒したわ。向こうで倒れているわ」
小さく拳を握るアンジェリカ。その姿が可愛くて、悶えそうになるのを、必死に隠した。
「ヤヴァイ。かっわい過ぎる。ハグしてもいいですか?」
「おい、こいつ最近、歯止めが効かなくなってきてるぞ」
俺の真っ直ぐな欲望に対し、ルイーズとローズさんがかなり冷めた視線を向けてくる。
「……………………タクミ」
そんな邪な思いを、アンジェリカの超美少女の大きな瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
その瞬間、俺の心臓が一気に高鳴った。
頬を赤く染めるアンジェリカ。目をウルウルとさせ、見つめ合う時間が生まれる。
至福のひと時に、俺の思考は停止しかける。
「……………………アンジェリカ」
ロミオとジュリエットのように、最早この運命の恋は誰にも止められない。
俺は自然と腕を広げ、その華奢な身体を受け入れる準備をする。
「……………………その目、大丈夫?」
邪なものなど一切ない。真っ直ぐな心が、ぐさりと胸に刺さった。
ブフッ、とカルケリルが後ろで吹き出す。
「……………………ええ、心配いりません。そろそろ包帯も取ってみますか」
頭に巻かれた包帯を解き、白の眼帯を外す。
今まで隠れていた顔面の右側の傷が露わになる。
ドミニクさんとアルドニスは無言でそれを見詰めた。
息を呑んだのは女性三人。
その中でも、アンジェリカが一番表情を暗くさせた。
「……………………ごめんなさい」
「アンジェリカが気負う事はないよ。これは俺自身が負った傷なんだから」
「……………………でも……………………。ううん。ありがとう」
暫くの沈黙の後、アンジェリカが無理に笑顔を向けてきた。
その表情に、胸が苦しくなる。
「……………………大丈夫だって。それよりこの傷のお陰で、かっこよさが八割ぐらい増しちゃったんじゃない?アンジェリカ、惚れ直しちゃったりしない??」
「うん。大丈夫」
と、かなり気を使わせてしまう。
俺はそっと、カルケリルに視線を送る。
「いろいろと積もる話もありそうだし、もう少し奥に移動しようか。
ここだと眩しすぎて話しづらいからね」
カルケリルの先導に従い、冥界の奥へと移動をすることになった。
暫くして、冥界の中でも暗い場所で、俺たちは松明を囲うように丁度いい岩などの上に座り、これまでの経緯などのすり合わせを行った。
話の内容は、主にフローガの事、終焉の森の突破に関して。
そして、アンジェリカの口からカイロンの撃破、といったものとなった。
「それじゃあ、そろそろ次の話に入ろう。バルレ」
カルケリルの言葉に、バルレに視線が集まる。
「はい」
「君が得た、この世界の情報を放してくれるかい?」
皆の期待と不安が交錯する中、俺は覚悟を決め、ストップをかける。
「待ってくれ。その前に、確認したいことがあるんだ」
視線の集まりが、バルレから俺へと変わる。
「――――――タクミ、まさか」
何かを勘づいたドミニクさんが声を上げるが、それをカルケリルが抑制する。
俺は、続きの言葉を口にする。
「アンジェリカが、俺たちに隠していることに関して。
ここで話してもらいたい」
俺は真っ直ぐにアンジェリカを見詰めた。




