9-3
「……………ハンナ!? どうしてここに!」
「タクミこそ、なんでこの街に?」
お互いにお互いを見つめ合い、疑問を提示する。
だが、それをフローガが待っていてくれるはずもなく。
吹き荒れる炎が背後から迫ってくるのを感じ、咄嗟にハンナを抱きかかえて横の路地に飛び込んだ。
背中のすぐ後ろを炎の塊が通り過ぎ、酸素を枯らす。
とてつもない熱気と衝撃を押され、路地の中を転がった。
「………ありがとう。
もしかして、あの方が、フローガ様?」
ハンナを下ろし、俺は静かに頷いた。
「ここは危険だから、直ぐに離れてくれ」
「………これがタクミたちの戦いなんだね。
分かったよ。タクミも気を付けて」
そう言って、ハンナはその場を後にする。
俺たちが反逆者だと知っても、俺たちに対するハンナの態度は変わらない。
それがとても嬉しく、戦闘中の中で自然に口角が上がる。
突如、光の通らない路地の先が赤く燃え上がり、身体が熱に晒される。
足裏を炎の火力でブーストし、加速したフローガが拳を振り上げて迫ってくる。
咄嗟に地面を蹴り、距離を取るが、フローガはそれに合わせて動きを修正した。
「……………………マジで厄介だな」
このままでは、こちらの消耗が激しく、負ける。
息を吐き出し、能力を体中に走らせる。
こちらは能力を使用する事に身体に負荷が掛かるが、ヴァーテクスにそんなデメリットは存在しない。
つまり、短期決戦こそが俺が取るべき最善だ。
身体強化能力による強化場所は細かく区切ればかなり多くなる。
だが、同時に多くの箇所を強化した場合、身体にかかる負荷が大きく、身体が潰れてしまう。
…………………だから、俺は身体強化能力を大きくふたつの目的に分けて扱うことにした。
ひとつは脚力、腕力を中心に強化した、スピードとパワー特化型。
それを自身の中で、『身体強化・砕』と定義した。
そして、ふたつめ。
脳を中心に、視力、聴覚、嗅覚などを強化し、相手の動きへの反応を特化させた『身体強化・鱗』。
フローガの動きに対して剣を合わせ、攻撃へと転じる。
能力の用途をふたつに絞ることにより、身体強化による戦い方は前より洗練され、以前よりも戦いやすくなったと実感する。
……………………だからこそ、顕著に表れる才能の差。
フローガの動きに合わせて、強化した反応速度を、フローガはセンスだけで修正し、炎の拳、蹴りをもってこちらを追い詰めてくる。
「――――――――ちっ、短期決戦すら、厳しいか」
ひとり、言葉をこぼし、それでも退かず、応戦を試みる。
広範囲にわたる大火力の炎放出。それさえなければ、勝機はあると思っていた。
だが、それは誤算だった。
炎を巧みに操る思考能力。
乏しい経験を補う圧倒的な戦闘センス。
このまま戦いを続ければ続けるほど、奴は目にもとまらぬ速度で成長し続ける。
「……………………きっと、お前は誰よりも強くなるよ。
でも、それは今じゃない」
そう断言できる。
その根拠を、フローガ自身が気付いていない。
だからこそ、付け入る隙はあると、判断した。
強さと弱さの境界線。
それは決して、戦闘能力だけでは測れない。
俺は知っている。
この世界に来る前から。
でも、それはあくまで知識として。
実際に、この世界に来て目にした。
圧倒的に不利な状況の中で抗う心の強さ。
身体が弱くとも、誰かを救うために立ち向かった小さな勇気を。
断言できる。
「今、この街で一番強いのは、俺でもお前でもない。
俺は、それを知っている。それが俺とお前をはっきり別けるものだ」
フローガの右ストレートを誘い、それ通りにフローガが動く。
それを紙一重で避け、剣のを突き出す。
その瞬間、眩い光が刀身から放たれ、フローガを襲った。
フローガは成す術なく吹き飛び、無人の建物に激突し、その崩落に巻き込まれた。
瓦礫の下敷きになったのを確認し、俺はその場に膝を着いた。
肩で呼吸を繰り替えし、敵を見据える。
これで戦いが終わらないことを、知っている。
予測通り、瓦礫の下から火柱が空に昇り、その中から一人の上裸男が姿を現した。
「へへ、冷静に、なったかよ」
「……………………おかげさまでな」
苦々しい笑いしか出てこない、
この状況で俺とフローガの思惑は一致していた。
「……………………あと、一振りだ」
「……………………それで充分だ」
こちらは既に限界。それでも、満を持して剣を構える。
それに応えるように、フローガも腰を落とし、右腕を構えた。
お互いに、次の一撃に全てを賭ける。
脳へ送られる信号、脳から発せられる信号。
心拍数の上昇に伴う、血管と肺機能の強化。
身体から蒸気が吹くような錯覚を覚える。それほどまでに、身体が熱を高める。
……………………長くはもたない。
保つ理由もなし。
浮遊感に似た感覚が感覚を包む。
それと同時に、脚力、腕力に能力を注ぐ。
「………………整ったな」
嬉しそうにフローガは拳を握り直す。
フローガの右腕に小さな太陽を想起させる炎が集まり、小さく収縮し、爆ぜる。
「あぁ、いくぞ。フローガ」
お互いに地面を蹴ったのは同時だった。
次の瞬間、息をつく間もなく、お互いに攻撃に出る。
フローガの懇親の右フック。
それに対して反応し、最大出力で両断する。
――――――――故に、身体への負荷を一切考慮しない。身体強化・砕鱗
フローガの右拳が俺の顔面を狙って伸びる。
その刹那、時の流れが遅く感じる程、ゆったりと走馬灯に似た感覚が視界と脳を襲った。
フローガの右腕は完全に勢いが死ぬ。
動きが本当に一瞬止まり、炎が鎮まる。
そして、流れるようにフローガの左拳に炎が集約し、左アッパーが眼前に迫った。
――――――――フェイント!!?
フローガの性格からは考えられぬ一手に、完全に虚を突かれた。
故に、成すすべなく、顎を撃ち抜かれた。
ガクンッ、と大きく脳が揺らされる。
思考が乱れ、視界が白くなる。
地面から両足が浮きそうになり、遠くなりつつある思考を、……………………何とかつなぎとめる。
強化された思考回路は、人間の反応速度を超え、反射という危険回避を自らキャンセルする。
炎が吹き荒れ、顔の右半分が焼かれる。
体中の水分が飛び、眼球が渇き、唇が切れる。
それよりも、強い衝撃と熱が顔の半分を襲い、細胞が死んでいく感覚があった。
……………………………………それでも、踏みとどまった。
「――――――――なっ!!」
刹那、驚きがあった。
俺は全身の力をその一刀に込め、腕を振り下ろす。
次の瞬間、振り下ろされた虹色の刃は、男の身体を斬り裂き、紅い鮮血が辺りに飛び散った。
剣の勢いと共に、フローガの身体を地面に叩きつける。
「――――――――おらっぁ!」
声にならない叫びがあった。
先頭経験は両者共に拙く、才能やセンスは圧倒的に俺の方が劣っていた。
だがそれを上回る強さがあったとすれば……………………。
そこには、何物にも劣らない根性があった。
そして、それを支える強さも……………………。
決着の瞬間、身体に負荷を掛けた負債が一気に襲ってきた。
酸素不足による眩暈と身体の末端部分の痺れ。顔の右半分が死に、感覚がない。
迷宮での戦いで身体の方は傷だらけだが、おそらく、この世界に来て一番大きく、深い傷を負った。
筋肉の硬直と血液の逆流。
鼻や口から血をこぼし、その場にふらつく。
そこに……………………。
「タクミ!」
倒れる俺の身体を支えるように、ふたりの男女が駆け寄ってきた。
いや、ひとりは馬車を引いて来た。
「……………………ハンナ、カルケリル」
「ひどい怪我。直ぐに病院に運ばないと」
そう言って顔を皺くちゃにするハンナの好意を、否定する。
「……………………大丈夫」
「大丈夫じゃないよ。顔の右側なんて、もう……………………」
「お嬢さん。すまないが、僕たちは一分一秒を争う身だ。手当ては馬車の上で必要最低限だけ行う」
横からカルケリルが言うと、ハンナは、「そんな!」と悲鳴を上げる。
「いいんだよ、ハンナ。心配ありがとう。俺は大丈夫だから」
俺がそう訴えると、ハンナは暫くした後、黙り込んでしまう。
「……………………それで、フローガは殺すのかい?」
カルケリルにそう問われ、俺は迷う。
ここで殺しておくにこしたことはない。
「……………………再戦なら、全てが終わった後に受けてやる。
だから、強さを学べよ。お前に足りないものを知るんだ。じゃなきゃ、お前はずっと弱いままだぜ」
その言葉だけを残し、カルケリルとハンナの手を借りて起き上がる。
「……………………本当にいいのかい?」
「………………あぁ」
ハンナと一緒に荷台に乗り、カルケリルは運転席に乗る。
「松明はそこに転がってる。直ぐに出発しよう」
荷台には、火のついてないただの木の棒が転がっていた。
馬車は直ぐに走り出し、街の外へと向かった。
♦♦♦
ひとり取り残されたフローガ・テオスは四肢に力を入れ、起き上がる。
左肩から斜めに、真新しい大きな切り傷から血が溢れ、その場にふらつきながら、地面を蹴った。
足裏から炎を放出し、スピードを上げて馬車を追う。
赤い流星が街の中を一直線に突っ切り、馬車の背後に追い付く。
「――――――――!!」
「馬車ごと、燃やしてやる! 死ねぇぇぇぇ!」
決着なら既についた。
タクミは先程の選択を悔やむように、下唇を噛んだ。
フローガ・テオスは右拳を握り締め、それに炎を纏わせる。
その標的は、馬車というよりも、その荷台による一人に向けられる。
だが、そこに入る強い少女がいた。
フローガと少年の間に、割って入るように。金髪の少女が大きく両腕を広げる。
怯えも、恐怖も、その少女の目には映っていない。
「――――――――ハンナ!!」
少年が叫ぶ。
だが、既に遅い。伸ばされた腕が届くよりも早く、少女の身体は炎に包まれる。
……………………筈だった。
荷台の端で、大きく立ち塞がる少女を眼にした瞬間、フローガの脳裏に別の光景が映しだされる。
小さな村。
槍や弓矢を向ける軍。
怯え、嘆く村人。
そして、それを守るように、両手を大きく広げて前に出る知らない青年。
1300年の中で、一度も感じたことのない歪みが、フローガの中で突如生じた。
「…………………………………………お、お前は、……………………誰だ?」
不思議な光景はそこで途切れる。
ただ、効果はあった。
フローガの勢いは急に失速し、そのまま地面に落ちる。
「……………………どうする!」
運転席からカルケリルが叫ぶ。
「……………………このまま行ってくれ!」
タクミが返すと、それに応じて馬車のスピードが上がる。
タクミとハンナは消火しきれない思いを抱いて、街を後にした。