9-2
ブラフォスの街に到着したのは夜だった。
「……夜のブラフォスにあまりいい思い出ないんだよな」
と、俺は1人呟く。
「松明は街の中央部にある。フローガとの衝突は避けたいから、慎重に進もう」
カルケリルと共に、馬車を停留所に置き、徒歩で闇の中を歩いていく。
夜のブラフォスの街は静かだった。
建物の明かりがぽつぽつとついているだけで、熱気などは無い。
静かすぎて不気味なほどだった。
「この調子なら見つからずに進めそうだな」
と、息をついたその時だった。
ぼおっと前方で空が赤く光った。
いや、正しくは大きく炎が吹き荒れたのだ。
空に立ちのぼる黒煙と、鼻の奥を刺激する嫌な臭い。
その直後、人の悲鳴が津波のように押し寄せてきた。
「――――――――っ!!」
その光景を見なくても、勝手に脳に浮び上がる。
その葛藤から思わず、奥歯を噛み締めた。
「タクミ。分かっているとは思うが、ここは我慢だ」
その言葉に我を取り戻す。
だが、思考は定まらなかった。
感情を含めた思考が頭の中でグルグルと巡り続ける。
合理的な判断では無い。
そこで足を止めた時点で間違っていた。
「………分かってるよ。分かってる。………カルケリル。
でも、ここで見殺しにするのは違う。
それでアンジェリカを助けたって、アンジェリカは悲しむだけだ」
カルケリルの答えを聞くまでもなく、俺は走り出した。
「あぁ。もう!」
カルケリルの叫びが背後から聞こえてきたが、それも無視をする。
「フローガ!!」
俺が叫ぶのと、次に炎が発射されたタイミングはほぼ同じだった。
逃げ戸惑う人々が、俺を避けながら走り去っていく。
フローガは俺を視界に収め、嬉しそうに口を釣り上げた。
「まさか、俺が出向く前にお前の方から来るとはな、タクミ!!」
次の瞬間、合図もなく戦闘の幕が上がる。
フローガの右手が向けられ、酸素を奪うが如く、炎が放出される。
迫る炎の津波を避け、剣を鞘から抜き、一息でその距離を詰める。
フローガは先頭の素人。視界一杯に広がった炎は文字通り、奴の判断を鈍らせる。
そうして、奴の懐に潜り込み、その右肩を斬り落とすべく、剣を振るう……………………。
しかし、カウンターの如く、炎を纏ったフローガの左拳が俺の腹に炸裂した。
「――――――――――ぐ、っ!!!!」
殴られた勢いのまま身体は吹き飛び、後方の建物に当たって、地面に落ちる。
背中と後頭部に強い衝撃を受けたが、それよりも多いな問題が俺の身体を襲った。
腹が焼け、ジンジンと内部まで痛みが広がってくる。
腹部周辺の衣類は焦げ、真っ黒にひずんだ腹部が露わとなり、風にさらされ、更に痛みが増す。
瞬間、脳を支配する痛み。
「俺は強くなった。お前の噂はかねがね聞いてるよ。バジレウスからの伝達もあったしな。
アンジーナと一緒にバジレウスに逆らってるんだろ?」
「……………………それが、どう、した」
痛みに耐えながら、口を開く。
勝手に涙が出てくるほど、腹が痛む。
「お前の現状など俺には関係ない。強くなった俺がお前を否定し、俺はかつての栄光を取り戻す。つまり、お前はここで死ね!」
言葉の終わりに、炎の塊が飛んでくる。
それを避けた瞬間、フローガが距離を詰め、今度は炎を纏った蹴りが炸裂する。
それを何とか剣で防ぐが、炎の火力に負けて、俺の身体は無惨にも、また吹き飛ばされる。
空中で体勢を整え、着地と同時に距離を取る。
フローガの攻撃を警戒しながら走り、頭の中を整理する。
『俺は強くなった』とフローガはそう言った。
前回、フローガと戦い、俺たちは勝利した。
その後、俺たちはこの街を後にし、いろんな戦いを潜り抜けてきた。
その間、あいつも強くなったんだ。
以前は出来なかった近接戦闘を身に着け、文字通り、強さを手に入れた男。
フローガは鬼気迫る勢いで追ってきて、拳やら蹴りやらを次々に放ってくる。
それを剣で防ぎながら、攻めの機会を窺う。
「……………………くっ、受けるだけで、」
「おらぁ、どうしたんだよ!!」
迫る猛攻を潜り抜け、虹の斬撃を飛ばすが、フローガの炎に阻まれ、それは届かない。
フローガが炎を纏っている拳には、斬撃が届かない。
火力を勝る威力を出すしかないが、それには隙が大きくなる……………………。
「ひぃ……………………」
そこへ聞こえてくる女の悲鳴。
それはまだ幼さの残る少女のものだった。
刹那、フローガの炎が少女に向けられて放たれた。
身体強化を両足に集中させ、少女を抱きかかえて、その場を離脱する。
少し離れた場所に着地し、少女を放す。
少女は怯えるように、こちらを見上げた。
「ここは危ないから、速く逃げるんだ」
そう促すと、少女は素早く頷いて、踵を返した。
「……………………くだらんな。わざわざ弱者を助けるために、傷を負うか」
フローガの視線は、俺の左脚に向けられている。
やつの言う通り、今の少女を助ける時に左脚が僅かに炎に呑まれた。
焼けた左脚に、腹部と同様の痛みが走る。
「今のが理解できないなら、お前は変わらないよ」
その言葉に、フローガの眉間が険しくなる。
「なんだと?」
「……………………お前はこれからもずっと、弱いままだ」
その言葉は、フローガにとって地雷だった。
怒ったフローガの炎が吹き荒れ、辺り一帯を燃やし尽くす。
「殺すぞ! ゴミくずが!」
「やってみろよ! お前の方がゴミだってことを、今から証明してやる!」
煽りに次ぐ煽り。
フローガは完全に我を失い、こちらに猛攻を仕掛けてくる。
思った通りだった。
経験を積み、近接戦闘を身に着けてきたところで、こいつの弱さは変わらない。
「おい、フローガを怒らせてどうするつもりだ!」
そこへ、カルケリルがやってくる。
「怒らせた方が倒しやすいと思っただけだ」
共に逃げながら、言葉を交わす。
「で、結果はどうだ? 倒しやすくなったか?」
俺は逃げながら、フローガにチラっと視線をやる。
まるで火山の噴火の如く、炎を撒き散らし、砂の建物と空気を燃やしていく。
近付く事すら叶わない炎の化身。
その姿はまさに、災害そのものだった。
「…………………………………………いや、見当が外れた」
「何やってんのさ! ……………………で、対策は?」
と聞いてくるカルケリル。
俺はかなり、間を空けた後、
「………………………………………………………………ない」
と正直に答えた。
「……………………君、少しアンジェリカに似てきたね」
「おい、それは俺に失礼だろうが!」
「その答えはアンジェリカに失礼だろ!」
馬鹿みたいな討論を繰り広げられ、お互いに息をつく。
「カルケリルが助けてくれてもいいんだぞ?」
「僕に戦闘は期待しないでくれ。それじゃあ、検討を祈る」
とカルケリルが右手を上げ、去っていく。
「まさか、見捨てるのか?」
「周囲の避難だけは任せてくれ」
俺を見捨て、カルケリルは姿を眩ませた。
「タクミ!!!!!」
と叫び声をあげ、炎がうねり、迫ってくる。
「あぁぁぁぁぁぁ、マジでどうしよう!!」
近付けば、一瞬で灰になる。
それだけは確実だった。
後先考えず、怒らせるんではなかった、と今更ながらに後悔するが……………………。
「うだうだ後悔しても、意味はない!」
そうして、脚を止め、フローガと向き合う。
剣を握り直し、なんとか勝機を見つけようとして……………………。
「タクミ?」
そこで、少女の声が響いた。
それは、見知った少女のものだった。
名前を呼ばれ、直ぐに振り返る。
少女の姿を見た瞬間、思考が、真っ白になった。
「――――――――――――ハンナ!?」
そこには、病弱で、村から出ることがないはずの少女の姿があった。




