8-9
目の前に現れた男の姿を目にし、デービルは困惑していた。
男の奇抜な格好に目を奪われたのもある。
だが、そんなことよりも、優しい表情で頭を撫でてくる男の無神経さに、心を奪われた。
「…………お前、何者だ?」
デービルが問うと、男は躊躇わず答える。
「ん? 拙者は武士じゃ」
聞き慣れない言葉だった。
だから、デービルはそれを男の名前だと勘違いした。
「………ほう、それがお前の名前か。
ところで、あーしの顔を見てもお前はこの手を退けないつもりか?」
「………ん、あぁ。これは悪いな」
男は手を退け、一歩下がる。
でも、それは恐怖に満ちたものでも、逃げようとするものでもなく…………。
ましてや、頭を下げて敬おうとする姿でもなかった。
その時点で、デービルの頭の中には、はてなが沢山浮かんでいた。
「…………まさか、お前。
あーしの事を知らないのか?」
「ん? あぁ。奇抜な格好しているなぁ。もしかして、どこかのお偉いさんの娘さんか?」
デービルの質問に、男は真っ直ぐな瞳で答える。
その男が嘘を言っていないことを、デービルは見抜く。
だからこそ、その男の存在が不愉快でしょうがなかった。
「お前、何処から来た?」
「それが分からぬのじゃ。
拙者、居眠りをしていてな。
目が覚めたら知らん場所にいたんじゃ。帰り道も分からぬから、好きに歩いておったら、幼子の泣き声が聞こえたのでな。こうして様子を見に来たのじゃ」
デービルはその後も男の話を黙って聞いた。
その内容から察するに、この世界とは別の所から来たらしい。
そんな馬鹿馬鹿しいことを直ぐに受け入れることが出来たのは、昔にアウルが別の世界の存在について語っていたからだ。
その時は興味は毛ほども感じなかったが、こうして実際に会ってしまうとは。
デービルにはそれが少しおかしかった。
あーしの事を知らないのも当然か
とデービルはため息を吐いた。
「なるほどね。………要するに、お前は元いた世界とは別の世界に飛んできたってことだ」
「………別のセカイ、か。にわかには信じられん。
頭から変な熱が出そうじゃ」
「信じられなくても、お前自身がそれを体験してるんだろ?」
「…………うむ。確かにそうであるな」
難しい顔をしているが、男は状況を何とか呑み込んだ。
「言葉が通じるのは幸いだったな」
デービルは捨てるように言葉を吐いた。
あーしの事を正しく伝えることが出来る。
そう心で付け足した後。偽ることなく、デービルは自身の事を話した。
ヴァーテクスという存在。
自分が病魔を振り撒く存在であること。
全てを、包み隠さずに。
「分かったか?
分かったら、とっとと消えやがれ」
追い払うよに手を振る。
だけど、男はそこから離れようとしなかった。
「おい、聞いてんのか?」
「なるほど。そうやって冷たく当たって相手を遠ざけることで、相手を守ってきたんじゃな」
「………………………はぁ?」
その男の言葉に、デービルは耳を疑った。
「辛かったじゃろう。苦しかったじゃろう」
「……………っ、やめろ!
勝手に同情するんじゃねぇ!」
思わず、声を荒らげるデービル。
だが、男はそれに構わず、デービルとの距離を縮めた。
「……………ひぃっ」
逃げるように払った腕が、男の身体に当たる。
どっしりとした重み。
デービルの力ではびくともしない重い壁。
それが。そっと優しく小さな少女の体を包み込んだ。
「もう、強がらんでよい」
「………………………っ、っ!!」
デービルの動悸が早くなる。
喉が詰まり、声が出ないのを感じた。
「貴殿がどれだけ嫌がろうとも、拙者が傍に居てやる。もう、デービル殿を一人にはさせん」
「…………………どう、して」
ただ、不思議だった。
今日初めて会った自分に、どうしてそれだけ優しくできるのか。
デービルはどうしても問いたかった。
男は抱擁を解き、答える。
「………拙者は武士じゃからな。
泣いてる女子を無下にはできん」
木になった果物が落ちるような自然な笑みがあった。
その言葉に。その笑顔に。
その日、デービルは心から救われた。
特別な存在として目覚めてから1300年。
ずっと、ひとりで生きてきた。
苦しみの中をただ歩いてきた。
『…………そうか。あーしは』
そこでようやくデービルは答えにたどり着いた。
今まで歩き続けてきた理由の、その答えに。
スっとデービルの頬を伝う水滴があった。
その日。
1300年間の苦痛の報いとなる出会いがあった。
それは、小さな少女に与えられた…………小さく、暖かな幸福だった。
♦♦♦
とても………小さな出会い。
それでも、ひとりの少女にとってはとても大きな救いであった。
1300年の孤独を癒すように。
それからの数ヶ月はとても幸福に満ちた日々だった。
それでも、デービルの胸を刺激する痛みがあった。
共にいれば命を奪い、傷付けるこの身を焼きたくなるくらいには…………。
でも、幸せを手放したくなく………。
デービルは男と共に歩み続けた。
バジレウスに何度も救いを求めたが、それを受け入れられることはなく……………。
それでも、諦めることが出来ないから、見返りを求めてこの戦いに臨んだ。
それが、デービル・テオスに与えられた人生の全て。
…………………そして。
デービルは自ら振り下ろされる刃の前に、その身を晒した。
♦♦♦
刻一刻と終わりが迫る中、デービルは許しを乞うように口を開いた。
この先も、きっと長く続いたであろう侍の寿命を縮めてしまったこと。
自由に生きるという、他の選択肢を奪ってしまったこと。
………そして、彼に与えてしまう大きな傷のこと。
そのどれもが自分で自分を許せない、デービルの悔いだった。
だが、侍の男は必死に顔を横に振った。
「そんなことない。そんな事ないぜよ。
拙者はデービル殿と生きられて、とても幸せじゃった」
その言葉に、デービルは思考を止める。
自然と目から落ちる涙。
小刻みに震える唇。
ただ、真っ直ぐに愛おしい男の顔を見詰める。
千年以上歩き続け、悟った理由。
それを埋めるかのような、ただの幸福。
特別な少女が、ただの少女としての幸せを得たあの日から、この結末は決まっていた。
男の時間を奪ってしまう代わりに、この身のすべてを、彼のために使おうと覚悟してこの戦いに臨んだのだから。
やり直しを望んだことは何度もある。
男から離れようかと、葛藤したこともある。
それでも、デービルの脳内に再生されるのはあの日に聞いた、救われた言葉。
『貴殿がどれだけ嫌がろうとも、拙者が傍に居てやる。もう、デービル殿を一人にはさせん』
きっとこの人生をやり直せたとしても、デービルはこの選択を選び続ける。
侍の男と共に歩き続ける幸福を取るだろう。
男を不幸にさせてしまう事が分かっていても、避けられない自身だけの幸せ。
……………………そう、思っていたのに。
その男は、デービルと共に生きられて幸せだったと口にした。
想いが溢れる。
「…………………それが、たとえ嘘だったとしても。……………………嬉しい」
「……………………嘘じゃない。嘘じゃないぜよ」
男の手が、優しくデービルの頬に触れた。
まるで包みこまれるような温かさ。
……………………できれば、この先の時間も。
ずっと共に歩いていきたかった。
……………………独りではなく。
デービルは自身の終わりを悟りつつ、口を開く。
最期に、伝えなければならないことがあるからだ。
もう、自身の後悔なんてどうでもいい。
「……………………ブシ。………………あーしも、幸せだった。
ずっと、一緒にいてくれて、ありがとう。あーしに、生きる意味を与えてくれて、ありがとう。
居場所を、つくってくれて、……………………ありがとう」
想いの丈を、言語化できないこの想いのすべてを、口にしたかったけど、それはもう時間が許してくれない。
「―――――っ、っ。拙者の方こそ、感謝の気持ちでいっぱいじゃ」
―――――あぁ、愛おしい男に抱かれて、
この生が終わるのなら……………………。
それも案外悪くない、とデービルは出来る限り微笑んで……………………。
「……………………あの日、あーしを。……………………見つけてくれて、ありがとう」
あの日、口から出かかった言葉とは、違う答えにたどり着けたことに感謝しながら……………………。
優しく瞼を閉じた。




