8-8
自身から熱が失われていくのを感じながら、デービルは朧げに見上げる。
その視界には、優しい1人の男の姿が写っている。
それが微笑ましくて………。
デービルの口角が自然に上がる。
そして、デービルは昔を思い出す。
―――――それは、始まりの記憶。
♦♦♦
1300年前。
デービルはヴァーテクスとして目覚めた。
いや、目覚めた時にヴァーテクスだった、と言った方が正しいかもしれない。
中央都市の中心部。
天まで届かんとする高い城の玉座に座るバジレウス。
外見はジジイ。
でも、その厳つい顔からは老いを感じない。
皺だらけの顔も、獅子のたてがみのような髭も。
バジレウスという男を補完している要素のひとつでしかない。
「―――――今日、お前たちはヴァーテクスとして目覚めた。
お前たちはお前たちの意思関係なく、これよりこの世界の支配にあたってもらう」
バジレウスの口が開かれ、低い声が発せられる。
デービルは、
「はっ? 何言ってんだこいつ?」
くらいの感想しか抱けなかった。
デービルと並んで地面に膝を着き、頭を垂れる他の8柱の同格の生命体は各々反応を示す。
それを気に止めるでもなく、バジレウスはヴァーテクスの説明を始めた。
不老であること。
人間ではその身を傷つけれない事。
そして、特殊能力を与えられること。
その中で、バジレウスに勝手に能力を決められる者と、自分自身で選ぶことができる者に別れたが、それは大きな差ではなかった。
「………ひとつ、聞きたいことがある」
見た目からして賢そうな、髭を生やした男が口を開く。
「なんだ?」
と聞き返すバジレウスに、その男。アウルは口を開いた。
「支配、というのは?」
それは、きっとこの場に集う誰もが思ったことだった。
「この世界の効率的な運営。
そのために、崇拝と恐怖によって、人間の行動を管理する」
バジレウスの答えに、アウルは眉を顰める。
「…………人間を、ね。君の中では人間というのは相当危険な種族、ということになるのかい?」
「そうだ。奴らは放っておくと、この世界を蝕む危険な種族だ。独自解釈で事象さえ捻じ曲げて歪める愚かで危うい存在なのだ」
「………なるほど。理由は理解した」
他にもなにか言いたげそうだったが、アウルがそれ以上口を出すことは無かった。
「我の示す使命はただ一つ。それを守る範囲でなら、お前たちは最大の自由が謳歌できるだろう。
この世界のあらゆる種族の頂点に立つ存在。
すなわち、頂上種。それがお前たちだ。
我はただそれを束ねる長だ。我の使命に殉じて、好きに生きるがいい」
その後、ヴァーテクス間の殺し合いをご法度とし、
能力と名前が与えられる。
そして、その場は解散になる。
各々がそれぞれの生き方を決め、部屋を出ていく。
デービルは動けなかった。
直ぐに割り切り、部屋を出ていく者と、足を止める自分の差に、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
ふと、自分以外にも部屋に残る存在に気づいた。
デービルは顔を上げる。
薄紅色の長い髪の女。
頭の上の方に2つで髪を少しだけ束ね、残りは下ろしている。
「…………たしか、あんじーな」
女はデービルの方を振り向かない。
ただ、部屋の中の一点を見つめ、ぼー、と突っ立っていた。
「ねぇ、貴女たち」
そこへ、別の声が響く。
振り向くと、胸の大きな朗らかな顔立ちをした女が立っていた。
「あん? なんだよ」
デービルが問うと、その女は目を細めて口を開く。
「良かったら、一緒に暮らしませんか?」
それはとても暖かな、まるで煌点に優しく抱かれるような、優しい言葉だった。
ヴァーテクスとして目覚めてから数日。
デービルはテラシアとアンジーナと共に生きていた。
生きていた、と言っても、それはとても退屈な日々で、なんのために生きているのか分からなくなるほど嫌な数日間だった。
中央都市と呼ばれる大都市の中を3人で歩いて回るだけ。
噂で聞いた話だと、中央都市以外の場所ではヴァーテクスという存在は人間から受け入れられてないとか………。
デービルは大きく息を吐いた。
「………ったく、嫌になるぜ」
嫌味を吐いても、返ってくるものはない。
テラシアは優しいし、アンジーナに至ってはずっと虚ろな瞳でぼー、としてるだけ。
そんな環境が肌に合わず、デービルは小さく舌打ちをした。
…………特に。
アンジーナの姿は本当に頭に来た。
それでも、それを本人の前では決して表に出さず、やり過ごす。
それから数ヶ月が経った。
中央都市で暮らす人間たちは、ヴァーテクスの存在に慣れ始め、あちらから声を掛けてくるようになった。
特に、中央都市は都市部であるが故に、穀物などを育てるような余裕がなく、食料に困る人間が多くテラシアの元を訪れた。
テラシアは能力を駆使して、穀物を育てる。
そして、それを無償で人間に分け与えた。
その結果。街は潤い、餓死する人間は街から消えた。
そして、今度はそれを金儲けに使おうとする人間が増え始める。
「…………バジレウスが管理したがるのにも納得だぜ」
崇拝しつつも、自身の欲を満たすために行動する生物としての歪さを目にし、デービルはため息を吐く。
件のバジレウスはヴァーテクスに反逆を考える人間組織をたった一柱で壊滅させた。
さらに、街道を塞いでいた巨大な大岩を空へと打ち上げ、伝説を歴史に刻んだ。
文字通り、崇拝と恐怖をもって、人間を管理し、ヴァーテクスの中で最も支持される存在となった。
中央都市の外へ出ていったヴァーテクスも各々が頂上種もして認められつつある、という噂を耳にしたこともある。
デービルはより一層、大きなため息を吐いて、都市の中を歩く。
デービル自身は何もしていない。
その結果としてはアンジーナと一緒だった。
その事に嫌気を感じつつも、特に特別な動機も見当たらないので、日々を適当に過ごす。
何もしていないのに、デービルに寄ってくる人間たちがいた。
その目は、デービルではなく、テラシアを見ていた。
それが透けて見えたため、適当にあしらいながら、都市の中を進んでいく。
「………恥ずかしくねぇのかよ」
小さな呟きに、行動を変える者はいない。
心の中で舌打ちを繰り返し、デービルは差し伸べられる手を払う。
――――――変化があった。
でも、それは決してデービルが望んでいたようなものではなく…………。
デービルの周りにいた人間が、一斉に倒れた。
「――――――――え?」
あまりに突然の出来事に、デービルは思考を停止しかける。
少し遠くで人の悲鳴が響き、人が集まってくる。
倒れた人が運ばれていく。
その様子を、デービルは眺めていることしか出来なかった。
中央都市の中心部にある城。
その最奥。玉座の間に繋がる巨大な中央廊下に繋がる螺旋階段を、カツカツと一定の間隔で音が響いていた。
その足音には明らかに苛立ちが含まれている。
階段を登り終わり、続いて廊下に音が移る。
玉座の間と廊下を隔てる分厚い扉が、勢いよく開かれる。
「おい! バジレウス!!」
小さく、幼い少女が、白髪と皺の多い厳つい顔の男に向けて、食い掛かるように、声を荒らげた。
「…………どうした、デービルよ」
乾いた唇が開かれ、低い音が部屋の中に響く。
「てめぇ、あーしに能力の説明を省きやがったな!」
「………最後まで聞かなかったのはお前だ。デービルよ」
その言葉に、堪忍袋の緒が切れる。
玉座に座り続けるバジレウスとの距離を強引に詰めようとして………。
何かに弾かれた。
「―――――――っ!」
デービルはバジレウスを見上げながら睨む。
バジレウスが居座る玉座。
その後ろには、人間の女が数人立っている。
全員が同じように顔を隠し、少しだけ気味が悪い。
だが、そんな彼女らよりも、デービルはバジレウスより少し前に立つ女に鋭い眼光を向ける。
「てめぇか、ユースティア」
「今の貴様には、明らかな敵意が感じられた」
「バジレウスの犬が、吠えてんじゃねぇよ」
ユースティアの眉がピクリと動く。
ユースティアがほんの少し、体の向きをデービルへと向けた。
明らかな戦闘開始の合図。
だが、禁忌が破られる寸前、再びバジレウスの口が開かれた。
「それで、デービル。お前はどうするのだ?
ここで我に逆らってみるか?」
ただの質問。
されど重圧がデービルの双肩を襲う。
「………ふ、まさか。そこまで馬鹿じゃねぇよ。
だけど、ひとつ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「あーしらヴァーテクスへの能力付与。アレには大きく2つのパターンがあった。
自分で能力を選べた奴と、お前に決められた能力を与えられた奴だ。
あの人選に意味はあるのか?」
「………いや、特には無い。我の直感で判断した」
「なるほどな。…………あーしはお前の直感とやらで自由に生きることも出来ないらしい」
「何を言ってる。前も言ったはずだ。我の使命に殉じて、好きに生きるがいい」
「………………あっそ。あーしはこの街を出るぜ。今まで世話になったな」
そこでデービルは踵を返す。
その背中に、バジレウスの声が響く。
「このまま街に残るという選択肢もあるぞ?」
「……………………あーしが、それを選べないことも、全部見越してんだろ?」
最後に、デービルはバジレウスを睨み、玉座の間を後にした。
ユースティアがバジレウスの従順な犬になった時点で、他のヴァーテクスが束になっても、状況が好転することはない。
つまり、全てはバジレウスの手の平の上。
デービルは手早く荷物をまとめ、街の外を目指す。
特別持っていくような荷物はないけど。
それが幸いして思ったより早く準備が済んだ。
馬車に乗るのは気乗りしない為、徒歩でどこかを目指すつもりだった。
そこへ。
テラシアがやってくる。
傍にはアンジーナもいた。
「デービル! この街を出ていくの?」
何かを聞きつけたのか、それともただの勘か。
テラシアは声を震わせた。
「あぁ。じゃあな」
短く答えて、足を動かす。
「どうして! 一緒に生きていこうって、言ったじゃない!」
引き留めようとしてくるテラシア。
デービルは伸ばされた腕を振り払う。
「うぜぇんだよ! 母親みてぇに接してきやがって、気色悪ぃ」
その一言でとどめを刺す。
まるで、固定されたように、テラシアは動きを止める。
再び、歩き出すデービル。
最後にチラリと、振り返る。気付かれないよに。そっと。
泣き崩れるように膝を地面につき、顔面を両手で覆うテラシア。
そして、ぼーとただ突っ立っているだけのアンジーナ。
そして。
デービルは中央都市を後にした。
簡単な話だった。
デービルがバジレウスに与えられた能力は、病魔の瘴気を操る。というものだった。
その瘴気に触れた者は病に侵され、苦しむ。
処置が遅ければその病は命を奪う。
簡単に人を殺せる能力。
最初、それでも問題ないと、デービルは思っていた。
でも。それは勘違いだった。
瘴気はデービルの身体から漏れ出す。
瘴気を動かすのも、量を調整するのもデービル自身。
だけど、その瘴気をゼロに抑えることは出来ないらしい。
デービルがどれだけ抑えようと、瘴気は少しずつデービルの身体から漏れていく。
そして、他者の命を苦しめる。
誰よりも長く居たテラシアやアンジーナより、人間が先に苦しみ出したのは、きっと、ヴァーテクスと人間の差が顕著に出たのだ。
デービルの瘴気は例えヴァーテクスであろうと、その毒牙を振るう。
バジレウスは最初からこうなることが分かっていた。
いや。こうなるように能力を設定してデービルに与えた。
デービルが中央都市を出て、××日。
行くあても無いまま、さまよった。
行く先々で人々が喜び、デービルを敬った。
頭を垂れ、信仰を捧げるように喜んだ。
でも、少し付き合えばそれだけで一変する。
崇拝から恐怖へ。
「雑魚が、笑えるぜ。あーしに近づくな」
高圧的な態度で接する内に、人は遠ざかっていく。
みんなが距離を置き、デービルを恐れるようになった。
噂は人の口から人の耳へ。
そして、それが繰り返され、あっという間に広がる。
病魔のヴァーテクス。
気が付くと、そう呼ばれるようになっていた。
それから数ヶ月。
どこかに留まることも無く、世界を一周する勢いで歩き続けた。
耳に聞こえてくるのは、明るい笑い声。
嫌でも目に映るのは、微笑ましい親子の姿。
人の愛。自分への恐れ。
ヴァーテクスへの崇拝。
自分への恐れ。
嫌なものが次々と視界に移り、目を抉り出したくなった。
そして、あっという間に長い1年が経過した。
それから…………。数年が経過した。
嫌な音が聞こえた。
目を抉り出したくなっても、意味が無いと気付いた。
耳を塞いで歩き続ける。
何もかも無視して歩き続ける。
…………唯一楽だったのは、相手から近づいてくる事がなくなったことだ。
歩いて、歩いて…………歩き続ける日々。
終着点なんて、ない。
どこを目指しているのか、自分でも分からなかった。
特に疲れを感じることは無い。
ただ、時折足が止まる。
それでも、歩き続ける。
自分が惨めに見えて………。
デービルは現況を呪った。
バジレウスも、自分自身も。
状況が好転することはない。
だから、デービルは歩き続けた。
年月は折り重なり、数十年。
それから、数百年。
ある日、テラシアという懐かしい名前が中央都市から姿を消したと、耳にした。
デービルは構わずに歩き続けた。
なんのために歩き続けているのか、分からなくなる。
もう、世界を何周したかも、覚えていない。
冥界を目指したこともある。
それでも、自身から溢れる瘴気が周囲の命を奪い、楽になることを許さなかった。
小さな足で一歩前に進むことで、100年が経過するように………。
そんな錯覚さえ感じながら………。
それでも尚、歩き続けた。
千年が経過する。
そして、気付いた。
自分がなんのために歩き続けてきたのか。
その理由を…………。
「……………………………………馬鹿だな。………あーしは」
千年の月日を感じることの無い手足。
それでも、何かがすり減っていた。
そして、足を止めた。
デービルは空を仰ぎながら、言葉をこぼす。
「この世界に、あーしの居場所なんてない」
そんなことに気付くのに、千年も費やした。
自身の能力の真相に気付き、中央都市を出た日から分かっていた事を、肯定する。
デービルは自分が求めていたものが、決して手に入らないことを悟った。
だから、その場に腰を下ろし、膝を抱えて頭を下げた。
もう、歩くことに意味は無いと、気付いたから。
気付いて………込み上げてくるものがあった。
どれどけ抑え込もうとしても、意味がなかった。
鼻の奥が熱くなり、大量の涙が溢れる。
なにより、胸が痛かった。
「…………………………ひとりは。………いやだぁ」
人気のない、暗い森の中でひとりの少女が泣く。
煌点の光すら届かない、厚い森の奥。
今まで溜めてきたものが、一気に溢れ出す。
泣いて泣いて、泣き喚き、愚痴をこぼしていく。
その果てに…………。
「………………誰かっ、あーしを………」
その言葉が出て、その先に続く言葉が不明瞭になり、それを、呑み込む。
「………あーしは、何を求めてるんだろうな」
今まで、散々求め続けたものか。
それとも、楽になりたいのか。
はたまた、別の想いか。
分からなくなった。
「………………ほんとに、馬鹿だな」
自分しか居ないと思っていた森の中で、人の足音が僅かに響き、デービルの耳に届いた。
木の枝を踏む足音に、身を縮める。
馬鹿馬鹿しい。求めるように泣いたからと言って、今更…………。
ただ、現実を眺める。
余分な気持ちなど、持たない方がいいと、学んできた。
でも、そんなデービルの思いとは裏腹に。
少女の前に姿を現したのは、今まで見たこともない身なりをした男だった。
黒髪を頭の上で束ね、分厚い布に身を包まれた男。
その足に履く履物ですら、理解不能の一品。
腰に携えた剣に似た何か。
その男は、デービルを見つけると、無言で目の前まで迫り、静かに腰を下ろした。
「よう、嬢ちゃん。こんな所で泣いてどうした。
良かったら拙者が話し相手になるぞ」
変に耳に残る変な喋り方。
それよりも、デービルが驚いたのは男がとった行動だった。
その男は、何も恥じることなく、デービルの頭の上にそっと自身の手を置いた。
優しい風が吹く。
デービルは紅潮した自分の顔に気付く。
それは、まるで風に運ばれてきた出会い。
デービルの1300年を変える、静かな出会いだった。




