7-6
夜。
俺の女性経験の皆無という事実が発覚し、女風呂を覗くという発想はカルケリルから消え去った。
そのことに、喜んでいいのか。
複雑な感情を抱えたまま、俺は風呂を出た。
身体や心を休ませるために入ったはずなのに、逆に疲れてしまった。
俺はもう一度。
壁に向かって大きなため息を吐いた。
「どうやら、疲れている様子ですね」
急に声を掛けられ、顔を上げる。すると、そこにはバルレの姿があった。
「まぁ、そうだね」
俺は視線を落とし、簡素に答える。
「……………………カルケリル様はああいう方ですけど、決して悪いヴァーテクス様ではないんです」
俺たちは用意されていた薄い生地の衣服を着て、脱衣所から出て、長い廊下を歩いていく。
「……………………俺たちを騙してる可能性はないと?]
バルレの表情を覗いながら、言葉を口にする。
バルレと出会った頃、俺はバルレにあまり気に入られてなかった。
俺の言う事にバルレが噛みついてきたりと、なにかと最初の印象は最悪だったと言える。
俺はそんな数日前の事を脳裏に蘇らせながら慎重に問う。
「きっと、カルケリル様は隠し事が多いと思います。正直言うと、なにを考えているのか分かりません。
ですが、悪いヴァーテクス様ではない。それだけははっきりと言えるのです。
カルケリル様は、アウル様の良き協力者様でしたから」
最後の言葉に、俺は足を止めて顔をバルレに向ける。
「カルケリルが、アウルの協力者?」
「ええ、そうです。アウル様とカルケリル様は共に協力して、バジレウス様に反旗を翻そうとしてました。
その心中は私には察せかねますが……………………」
それが事実なら、カルケリルは俺たちの味方と考えていいことになる。
だが、それを直ぐに認めるには無理がある。
「その様子だと、直ぐに信じるのは難しそうですね」
「まあな。今の印象が印象でだけに」
俺は苦い顔をして言葉を返す。
「……………………では、もう一つだけ。私が知っているカルケリル様の情報をお話しましょう」
そう言って、カルケリルは窓の外に目をやった。
星のない夜空の下には眠らない街灯りが、一杯に広がっている。
「この街は、この世界における最大の娯楽都市です。この街には、人が生きる上で必要ではないものが集まっています。賭博場や、我々が今入った大浴場など」
それは俺の考え方とは違った思想だった。
娯楽や趣味は人生において必要だと俺は考えているからだ。
……………だけど、あえて今はスルーする。
「賭けのヴァーテクス様であるカルケリル様がこの街を運営し始め、1300年。
この街はこの世界で一番活気づいていると言っていい程に成長しました。
この街の今の形をつくったのはカルケリル様なのです。すべては、カルケリル様が自身の目的を叶えるための手段、だそうです」
「…………………目的?」
「ええ。この街はお金が集まってきます。
カルケリル様はそれをあることに使っているのです。
ひとつはこの街の運営費。
そして、もうひとつは、餓死者の救済です」
「―――――それは、つまり」
「あの方は、飢えで苦しむ子供たちを救うために、お金を使っているのです」
その言葉に、胸が痛む。
カルケリル、というヴァーテクスの善性。
俺は今までの街での風景を思い起こす。
いや、街だけじゃない。小さな村での出来事もだ。
……………………確かに、飢えで苦しむ子を見たことがない。
「…………………でも、それは効率が悪い。だって、カルケリルはヴァーテクスだ。
こんな周りくどい方法を取らなくても、声ひとつ掛ければ、飢えで苦しむ子供は救えるはずだ」
「それはタクミの言う通りです。でも、あの方はそれをしないんです。
だから、私にはあの方の考えが理解できないんでしょうね」
苦笑いをこぼし、バルレは頬をかいた。
こればかりは、カルケリル本人に直接聞くしかないようだ。
「それでも、カルケリル様は一番偉大なヴァーテクス様であると、私は思うのです」
「…………………でも、バルレはアウルの従者だっただろ」
「そうですね。私がアウル様に仕えたのは、アウル様が目指そうとしていたものが、私が夢見る光景と同じだったからです」
「それって、まさか」
「この世界の昔を、私は知りたいのです。ヴァーテクス様が誕生する1300年以上前の人間の暮らしを、いつか解き明かしたいと思っています」
バルレが夢見るのは、星の輝きだ。
この世界では見ることのできない、その小さな輝きを、彼は視たがっているのだ。
「……………………そうか。じゃあ、頑張らないとな」
「ええ、そうですね」
俺の言葉に、力強い言葉が返ってくる。
……………………アウルはもういない。
だからこそ、残された者たちが解き明かさねばならないのだ。
「……………………じゃあ、私はこれで」
そう言って会釈するバルレの背中を、俺は呼び止める。
「今までの話に比べたら、ほんの些細なことだけど、俺もバルレに聞きたいことがあったんだ」
「なんですか?」
「昼、俺がカルケリルと賭けをする前。ローズさんに何か耳打ちしてただろ。あの時、なんて言ったんだ?」
俺の質問に、バルレは「ああ」と思い出したように頷くと、
「タクミが裏切者か判断できる機会ですよ、と言っただけです」
その答えに、俺は納得する。
「そうか、だから俺が勝負することを許してくれたのか」
「ええ。勝負の最中に怪しさを感じたら、刺してやりましょう。ともいっておきましたが」
その言葉に俺の思考は停止しかける。
いまなんて?
バルレはくすりと微笑みを残して、歩いて行ってしまう。
後ろからいつ刺されてもおかしくはなかった、と思うと急に背筋に悪寒が走った。
今の言葉は、なるべく考えないようにしよう。
そう決意して、俺は止めていた足を動かし始めた。
だが、3分もしないうちに、別の人物に呼び止められることとなるのだった。
「……………カルケリル」
「やあ、君と少し話したいと思ってね」
そう言って微笑んむカルケリル。
見た目的には爽やかさを兼ね備えた陽気な男性。
髭とサングラスを取ったその容姿は、20代前半に見える。
「………………俺も、聞きたいことがあるんだ」
そう答えると、カルケリルから「屋上に行こう」と誘われ、それに従う。
カルケリルの後をついて行き、また長い階段を上って、屋上へと到着する。
屋上へと続く扉を開くと、一気に風が舞い込んでくる。
冷たく、それでも嫌に感じない心地よい風だった。
「信頼を得るために、タクミの聞きたいことに答えるよ」
俺の前に立つカルケリルは、くるりと身体を反転させた。
「…………じゃ、なんで俺たちに協力する?
その理由を教えてくれ」
「おっと、いきなり本題だな。
それはまたおいおい話すから、今は別の質問にしてくれ」
そう言って、てへぺろ顔するカルケリル。
本当に信頼を得る気があるのだろうか。
「………じゃあ、この街で稼いだ金で子供たちを救ってるってのは本当か?」
俺は考えた末に、今さっき聞いた話を口にする。
「あぁ。本当だよ」
間髪入れずに答え、不敵な笑みを見せてくる。
「………なんで、そんな効率が悪いことをしている?
ヴァーテクスとして動けば、それで済むだろ」
「たしかに、君の言う通りだ。
でも、それだと根本的な解決にはならない」
「根本的な解決?」
「………ヴァーテクスとして動けば多くの人がきっと賛同してくれるだろう。その結果、多くの子供たちを救えるかもしれない。
でも、それは今現在、その時の解決にしかならない。
僕が目指したいのはそんな世界じゃないんだよ」
悲しい表情で、自分の考えを、主張を言葉にするカルケリル。
「僕はね。半永久的に、飢餓をこの世界から撲滅したいんだ。
だからそのための機構を造りたいんだよ」
一時的にではなく、半永久的に。
そして、それを達成するための機構をつくろうとしている。
どの世界でも貧富の差はなくならない。
それは人類という種族の永久的な問題のひとつだからだ。
だから、カルケリルはこの街をつくったのだ。
豊かな人間に娯楽を提供し、それによって稼いだお金を貧しい人たちへ食料という形で提供する。
つまりは経済を回す循環装置を、カルケリルは造り上げたのだ。
偽善といえば、偽善。
綺麗事だ。
見る人によっては、いい顔をされない彼のあり方は、とても美しいものだ。
そういう生き方を貫く主人公を、俺は観てきた。
経済を回し、飢餓で苦しむ人を助けるシステム。
それを成し遂げたというのなら、なるほど。
バルレの言い分は正しい。
カルケリルの善性は、彼のこれまでの1300年間の功績が証明している。
疑う余地のない善人。いうなれば、善のヴァーテクスだ。
「…………すげぇな。お前は」
感動をこぼし、羨む。
ちょっとだけ、彼の生き方に憧れる。
その眩しすぎる生き方は、かつての俺が憧れて手を伸ばしたものだ。
ヒーローのような主人公としての生き方。
その感情に蓋をして、俺は真っ直ぐにカルケリルを視た。
「…………………僕は別に、アウルのようにたくさんの知識を持っているわけでも、特別な才能がある訳でもない。
……………………ただ、1300年という途方もない時間を目的のために費やしただけだ。そのためにバジレウスを利用して能力を獲得させてもらったからね」
その言い方が、引っ掛かるものだったから、俺は首を傾げて聞き返す。
「バジレウスを利用した? ヴァーテクスの能力ってもしかして……………………」
「ヴァーテクスの能力はすべてバジレウスから与えられたものだ。ただし、与えられ方は全員が一緒というわけではない。
アウルやテラシアのように、強制的に与えられ、役割を固定されたもの。
そして、僕やヴィーネのように、自分で能力を考案してその通りの能力が与えられたもの、だ」
「―――――、なんで、そんな不公平な方法を?」
「さあね、そればかりはバジレウス本人しかわからない」
「そうか。……………………アンジェリカはどっちなんだ?」
俺の問いに、カルケリルは少しだけ表情を曇らせた。
「彼女は、厳密にいえば誰とも違う与えられ方だ。僕と同じように自由に能力を決めれる権利を与えられながら、それを放棄したからね」
「……………………放棄?」
「あぁ、あの頃のアンジェリカは孤高だった。他人に興味を持たず、つながりを求めない虚ろな感じだったよ。だから、権利を与えられた後もなかなか能力を決めなかったんだ。
そこで、悩んだ末にバジレウスがアンジェリカに相応しい能力を考えて、それを与えたんだ。
……………………他に干渉する、という能力をね」
「……………………そうだったのか」
1300年前のアンジェリカの姿など、まったく想像できない。
ましてや、孤高の存在だったなんて……………………。
「それにしても、アンジェリカの能力って単なる物体操作じゃなかったんだな」
「抵抗さえなければ、あらゆるものを操れる能力だよ。まあ、本人は意思のない物体を操る力として使用しているけど。
君たちに特別な力を与えたのも、アンジェリカの能力によるものなんだろ?」
「そういえば、そうだな。……………………言われてみれば、かなりチート能力」
「さて、他に聞きたいことはあるかい?」
そう聞いてくるカルケリルに、俺は目を細める。
「…………………俺たちに協力する理由」
「おっと、それについてはまだ早いぜ」
やはり、この質問は簡単には答えてくれなさそうだ。
言いたくない理由でもあるのだろうか?
「―――――っと、言いたいところだが、僕が出す条件を達成出来たら教えようじゃないか」
急な切り返しに、思考が停止しかける。
「どんな条件なんだよ」
俺の問いに、カルケリルは「ふっふっふ」と笑みをこぼして言葉を溜める。
「賭けをしよう」
カルケリルは賭けのヴァーテクスらしい態度で詳細を説明する。
「ゲームをして、僕が勝ったら僕の思考を君には受け取ってもらう」
「そんなことが可能なのか?」
「賭けた内容を遵守させるのが僕の能力だからね」
「…………………わかった。俺が勝ったら、あの質問に答えてもらうぜ」
正直、リスクはあるのかもしれない。
それでも、これでカルケリルの腹の内を探れるなら挑むべきだろう。
ただの言葉なら、嘘はいくらでもつける。
だが、勝負に賭けたものを遵守させる能力の元でなら、こいつが俺たちに協力する理由を偽りなく聞きだすことができる。
「いいよ。ゲームはそうだな…………………コイントスって知ってるかい?」
「あぁ。投げたコインを手で取るやつだろ?」
「ああ、そうだ。ここにコインがあるから」
そう言ってコインを取り出すカルケリル。
「紋様が表。文字が裏だ。君が先に決めていいよ。それから、トスもやってくれ」
「―――――っ、いいのか?」
「あぁ」とカルケリルは不敵な笑みを見せる。
それを不安に思いつつも、コインを受け取り、裏表を確認する。
紋様と文字が刻印された金色のコイン。
「じゃあ、表で」
「分かった。僕が裏だね。さあ、始めようか」
俺は頷き、コインを親指で上に弾く。
クルクルと回転して打ち上げられるコイン。
それが落ちてくる寸前まで、俺は深い深呼吸をする。
この勝負は、ただのコイントス。
だが、俺がトスをすると決まった時点でこの勝負の行く末は決まっていた。
身体強化。
それを視覚情報とそれを処理する脳に機能させる。
爆発的に動体視力が向上し、落ちてくるコインを捉える。
コインの真下で、キャッチするための手をつくり、表で取れるように神経を尖らせる。
……………………これはイカサマじゃない。
勝負内で能力の使用は禁止されていないからだ。
「タクミ」
唐突に、名前を呼ばれた。
カルケリルは真っ直ぐに、俺を見詰めて、口の端を上げた。
そして―――――。
「好きだぜ」
まさかの告白が、まさかのタイミングで飛んできた。しかも、ウインク付きで。
「――――――」
あまりに突然の出来事だったので、思考が完全に停止する。
視界はカルケリルに固定され、クルクルと落ちてくるコインの姿を見逃す。
「あ、コインが落ちるよ」
カルケリルの忠告で、我を取り戻し、反射でコインをキャッチする。
「っぶね。……………………」
地面に落ちるスレスレでキャッチに成功した俺は、ゆっくりと指を広げて中を確認する。
「……………………あ」
結果は裏。
つまりは負けだ。
「よっしゃ、僕の勝ちだ」
幼児のように勝ちを喜ぶカルケリル。
「ず、ずるいっ!」
これは抗議ものの結果だった。
「なんで? ゲーム中に告白しちゃいけないっていうルールは特にないよ?」
その言葉にぐうの音も出ない。
というより……………………。
カルケリルというやつは、こういう男だった。
まさかの仕返しを喰らい、負けた事実を呑み込む。
その瞬間だった。
脳裏に流れ込んでくる異物。
それは、カルケリルの思考だった。
「ぁ、ぁあぁ」
今まで味わったことのない嫌悪感。
脳に他人の意識が入ってきたかのような気持ち悪さが襲ってくる。
「あ、念のために言っておくけど、さっきの告白はタクミの思考を乱すためのもので、本気のやつじゃないから」
「しってるわ!」
なんだか馬鹿にされた気分になって、思わず叫んでしまう。
誰も本気にしてない。……………………というより、本気だったら困る。
「ほんとかな? すこし顔が赤いようだけど」
こちらをからかうような視線と態度。
たしかに、顔に少しだけ熱さを感じた。
「いやいやいや」
とにかく全力で否定。
「あんなこと急に言われて、すこし驚いただけだからっ!」
俺の言い訳が伝わったのか、カルケリルは笑いながら、空を見上げた。
その後、俺に視線を戻したカルケリルの表情は、真剣なものだった。
俺は、そこで漸く、脳裏に流れ込んできた思考を呑み込んだ。
正しく処理をして、カルケリルに向かい合う。
俺は、カルケリルという男の思考を一部、獲得したのだ。




