7-5
「いやー、負けたね」
カルケリルは天井を仰ぐ。
「………カルケリル様」
「いいんだ。憐れまないでおくれ」
駆け寄る従者を、カルケリルは抑制する。
「カルケリル。約束は果たしてもらうぞ」
「うん。分かってるよ。僕の使える金の全てを君に譲渡する」
その言葉に、俺は本気でカルケリルを睨んだ。
「そんな怖い顔をしないでおくれよ。ちゃんとアンジェリカの元に案内するからさ」
そう言い終わると、カルケリルは席を立った。
それに続いて俺も席を立つ。
賭博場を出て、カルケリルと俺、ローズさん、そしてバルレは街の奥へと移動した。カルケリルが先頭を歩き、その後を俺たちが追う。
大通りを通過し、街の南端にある大きな建物の前でカルケリルは足を止めた。
「ここだよ」
カルケリルが指したのは目の前にある大きな建物。
その建物は四角形の大きな黄銅色のレンガが重なっている。
豪華そうな大きい玄関があり、その上には規則的に並んだ小さな窓が並んでいる。
「………………ぁぁ」と、俺は呆気にとられていた。
「凄い大きな建物ね」
ローズさんの感想を聞いて、
「まぁ、中央都市の建物には敵わないけどね」とカルケリルは答えた。
巨大な玄関はガラス張りで、その奥にはエントランスが続いている。
扉は自動ではなく、手動で横にスライドさせるタイプ。その正面には大きな観葉植物が置かれている。
「…………これってホテルだよな?」
「宿泊施設さ。中はもっと凄いんだぜ」
子供のように笑うカルケリル。
この世界に来て、初めて見慣れた建造物を見た気がする。
カルケリルに続き、中へとはいる。
さすがにエレベーターはなく、エントランス奥の階段を上って上の階を目指す。
階段を上り始め、10分後。
「………これ、けっこうしんどいわね」
最初に悲鳴をあげたのはローズさんだった。
「そうですね。かなり脚にきますね」
バルレも少し息を乱しながら口にする。
「足元が見えにくいから、かなり大変だわ」
ローズさんが額の汗を拭いながら呟く。
豊満な胸が邪魔で、足元の確認が出来ないらしい。
「もう少しだから頑張って」
カルケリルの案内に従い、さらに上ること5分。
ようやく階段が終わり、長い廊下を歩くことになる。
赤い絨毯に、淡く、黄色に光る水晶が壁にかけてあり、幻想的な雰囲気を思わせる。
長い廊下のちょうど中央でカルケリルは足を止めた。
その横には大きな扉がある。
ちょうど、カルケリルの2倍くらいあるその扉を、カルケリルは体重をかけて押していく。
すると、ゆっくりと扉が開かれ、中の光と共に話し声が漏れてきた。
「この肉うめぇな!」
「おい、それはオレの肉だろ」
「2人とも、もっと大人しく食事はできないのですか」
肉を奪い合うアルドニスとルイーズ。そして、それを注意するドミニクさん。
「んっ、この飲み物美味しいわ」
と目を輝かせるアンジェリカ。
うん。マジで可愛い。……………じゃなくて!
自分で自分にツッコミを入れてから今1度部屋の中を見渡す。
その部屋は巨大なホテルのラウンジだった。
部屋の中央に置かれた円形のテーブルを囲うように、4人が座り豪勢な食事をしている。
俺はその光景に呆然とした。
「無事でよかったわ、ドミニク!」
その部屋に入るや否やローズさんがドミニクさんに駆け寄る。
それに気付いたアンジェリカが顔を上げ、俺と視線が合う。
「タクミ! よかった、無事だったのね」
そう微笑むアンジェリカ。
それはマジで天使のような微笑みだった。
「……………じゃあ、僕はそろそろ」
そう言いながらこの場から消えようとするカルケリル。
逃がす前に、咄嗟に腕を伸ばし、その首根っこを掴む。
「おい、何逃げようとしてるんだよ」
「いやいや、逃げてないよ。ただ感動的な再会に水を差さないようにしただけで」
「…………この状況は?」
「…………えーと、無事に再会できてよかったね?」
カルケリルを掴む右手に力を込める。
「痛い、痛い」
と泣き叫ぶカルケリルの様子に、俺は少しだけ力を緩めた。
「はぁ、痛かった。…………にしても、本当にヴァーテクスに危害を加えることができるんだね」
1人で解析し、感心するように頷くカルケリル。
「アンジェリカたちは捕らえられた訳じゃなかったのか?」
カルケリルに問い質しても埒が明かないので、美味しそうに飲み物を飲んでいるアンジェリカに視線を向ける。
「ううん。私たちは丁重にもてなしを受けていただけよ。………確かに、ここにはカルケリルの手で連れてこられたけど」
それを聞き、俺はカルケリルに視線を戻す。
「あっはは。僕は捕らえたという嘘をついた訳じゃないよ。その方が都合がよかっただけさ。現にこうして無事だったんだから、細かいことは気にしない方がイイぜ!」
キラーンと片目ウィンクを放つカルケリル。
首を横に逸らして、そのウィンクを避ける。
「…………どうして、そんな嘘をついたか、きちんと説明しろ」
「まあ、僕の素性が気になるのは分かるけど、それは後回しにしようぜ」
「―――――は?」
カルケリルのおちゃらけた態度に、イラッとする。
「大丈夫。後でしっかり説明するからさ。それより今は体の疲れを取る方が大事だよ。ここには大浴場だってあるんだから」
カルケリルがそう言った後、しばらく部屋の中に沈黙が漂った。
だが、その静けさはたった一時のもので……………。
「だ、大浴場!?」
見事に、カルケリルとバルレ以外の全員の声が重なった。
水浴び………ではなく、浴場。
しかも大浴場ときた。
こうなったら細かいことは全部後回し。
みんなが歓喜の感想をもらし、騒ぐ。
「………わぁ、みんながここまで喜んでくれて僕は嬉しいなー」
俺を含め、みんなの様子を眺めていたカルケリルがそんな感想をこぼすが、そんなものはもう俺たちの耳には入ってこない。
「…………誰が大浴場に入ることを許す、と言った?」
そんなカルケリルの一声に、喜びが一瞬で消え、絶望の底へと叩きつけられる。
黄色い空気から一転、真っ黒で重たい空気が部屋の中に漂い始めた。
「……………嘘嘘。冗談だよ。さあ、大浴場に行こうぜ!」
カラッとカルケリルが笑いながら大声で叫び出す。
カルケリルの手のひらの上で転がされ、一喜一憂した俺たちは大浴場へと向かった。
♦♦♦
♦女風呂
湯気が立ち込める中、3人3様の体つきをした女性が風呂場へと足を踏み入れる。
「わぁ、浴場なんて、ものすごく久しぶりだわ」
アンジェリカは目を輝かせて口を開いた。
「こ、これが………浴場」
対するローズとルイーズは初めての風呂に感嘆の息をこぼした。
「大勢で入る時はね、先に身体を洗うのがマナーなんだよっ!」
うきうきで先輩風を吹かすアンジェリカ。
それに習い、ローズとルイーズは見よう見真似で身体を洗い始める。
「それにしても、アンジェリカ様もローズもいい胸してるよな! 羨ましいぜ」
ルイーズが隣の男浴場に聞こえるような声でそう言った。
「そうかしら?」
天然なアンジェリカは首を傾げ、自分の胸と見詰め合う。
「……………」
ローズは恥ずかしそうに両手で豊満な胸を隠しながら後退る。
「………特にローズの胸はヤバい! …………前から思ってたんだけど、ちょっとだけ触らせてくれよ」
「―――――い、いやよ!」
恥じらいながら、ルイーズとの距離を取るローズ。
「大丈夫。ここにはドミニクはいないぜ」
グッと親指を立てて見せるルイーズに、ローズが声を荒らげる。
「なんで、ここでドミニクの名前が出てくるのよ!」
顔を赤らめながら、なんともわかりやすい表情で疑問を投げかけるローズに、ルイーズは頬を緩ませた。
そんなやり取りが行われる女風呂の傍らで、アンジェリカは未だ自分の身体と睨めっこをしている。
そんな天然ぶりを発揮しながらゆっくりと時間は経過していく。
身体を洗い終わり、アンジェリカたち3人はそれぞれ湯船に浸かる。
「んっ、気持ちいい」
喘ぎ声に似た蕩けた声を発する、アンジェリカ。
湯船の中で伸びをしたり、お湯に肩まで浸かったりと、それぞれが至福の時を過ごす。
その浴場は大浴場という名の通り、50人は入れるくらい広い風呂だ。
円形型になっている部屋の中央に大きく縁取られた浴槽。浴槽の中心には、まるで山のように煉瓦が積み重なっており、その頂上からお湯が湧き出ている。そして、浴槽の周りを、囲うように身体を洗うための木の椅子が並んでいる。
女風呂のと壁を遮られ、その横には同じ造りで男風呂が広がっている。
♦男風呂
「こ、こ、これが浴場かー!」
誰よりも大きい声で燥ぐアルドニス。
「これ、本当に入っていいのかよ!」
アルドニスは一糸まとわぬ姿で感動のあまり、その場に膝を着いた。
その横で、見知った風呂屋より豪華な浴場に目を奪われ、感動している少年がいた。
「―――――ま、マジかよ。めっちゃ豪華じゃん」
想像の遥か上をいくその出来に、目を見開く。
その横を素通りしていくドミニクとバルレ。
「ん、ドミニクさんたちは初めてじゃないのか?」
タクミは、その様子から推察をそのまま言葉にする。
「ええ。私は1度、入った事がありますから。………でも、確かにこれは心を奪われる光景です」
懐かしむように目を細めるドミニク。
「私もアウル様に連れられて以前に入った事が」
今は亡きアウルの姿を思い出したのか、バルレは力なくそう言った。
「ぉ、おお、これがお湯かっ!」
指先を浴槽に入れ、温度を感じて感動するアルドニスに、タクミが注意を促す。
「こら、アルドニス。先に身体を洗え!」
不思議な事に、お風呂というのは人を童心に戻す効果があるのか、しばらく騒がしい夜の時間が続く。
久しぶりの風呂の感動に慣れた始めたタクミは、じとー、とアルドニスとドミニクを見詰めた。
見事に鍛え抜かれた筋肉。
大胸筋、腹筋、上腕二頭筋に上腕三頭筋、前腕筋。
広背筋と僧帽筋。
大腿四頭筋、下腿三頭筋にハムストリング。
程よく漂う湯気の中に浮かぶ筋肉。
それを見て、タクミは男としての自信を消失させていた。
アルドニスは外見からして、身体を鍛えているのが分かる。
だが、タクミにとってドミニクの鍛えられた筋肉は意外だった。
一見、細身のように見えるドミニクの意外な一面を目の当たりにし、タクミは天井を見上げて現実逃避に浸る。
長い髪はお湯につけないように結ってある。ドミニクという人間の人間性が光っているのだ。
「……………顔もイケメンだし」
ボソッと誰にも聞こえないように文句を口ずさむ。
タクミは再び、視線を天井に向けると。
「………………考えないようにしよう」
と、頭の中の邪念をそっとお湯で流した。
「やっぱ、お風呂は気持ちいいなぁ」
浴槽のお湯に浸かりながら、タクミは溶けるように声を震わせる。
タクミが見ているのは、この世界に来る前の地球での出来事。
自宅の風呂と近所にある風呂屋。そして、少しリッチな温泉での思い出を脳裏で再生させ、疲れた身体を休ませる。
張った筋肉が程よく和らいでいくような久々の感覚に、完全にリラックス状態へと陥る。
そのすぐ側で、陽気な声が響く。
「喜んでくれて、なによりだよ」
唐突に耳元で響いたその声に驚き、タクミは、ぶふー、と息を吹き出した。
「―――――は? カルケリル?」
後ろを振り向けば、そこには一糸まとわぬ姿のカルケリルが。
「お、お前。なんでここに!?」
「僕の浴場なんだから、僕が使うのは当然の権利だろ?」
カルケリルはそう言った後、チラっと右斜め上に視線を送った。
「…………よし。覗くか」
神をも恐れぬその言葉に、初めて風呂に入ったアルドニス以外が正常な反応を示す。
「――――――えっ、はぁ?」
顔を赤くし、声を荒らげるタクミ。
「却下です」と口を揃えるドミニクとバルレ。
「えー、2人とも冷たいなぁ」
ため息混じりに言葉を発するカルケリルに、アルドニスが疑問をこぼした。
「………覗くってどういうことですか?」
「ん、隣の女風呂をだよ」
口を三日月形に曲げて答えるカルケリルに、
「え、いいんですか!?」と驚くアルドニス。
「ダメに決まってます」
間髪入れずにドミニクのチョップが炸裂する。
「えー、いいじゃんかぁ。本当はドミニクも興味あるだろ?」
しつこく勧誘を進めるカルケリルに、ドミニクは長いため息をこぼす。
「隣にはアンジェリカ様もいるんですよ」
敬っているとは思えない、鋭い視線がカルケリルに向けられる。
「僕もヴァーテクスだから、大丈夫だよ」
その言葉に、誰も言い返すことができない。
さらに、その話題は突如、タクミに振られる。
「タクミも興味あるでしょ?」
「―――――へっ!?」
変な高音を出すタクミに、みんなの視線が集まる。
「……………えっと、いやぁ…………」
言葉に詰まるタクミを見て、カルケリルは嬉しそうに頬を持ち上げた。
それに気付いたタクミは咄嗟に顔を背ける。
「すげぇ初な反応じゃん。もしかし女を抱いたことないとか?」
ニマニマ笑うカルケリル。タクミは何も言い返せず、ただ照れる事しか出来ない。
「…………えっ、マジ? …………ごめんね」
タクミの反応を見たカルケリルが、てへっ、とベロを出す。
「くっ…………、アルドニスだって経験ないかもしれないだろ!」
恥ずかしさのあまりか、タクミはアルドニスに標的を移す。
「失礼だな、俺は経験済みだ!」
胸を張って主張するアルドニスに、タクミはより一層肩を落とすのだった。
タクミは次にドミニクに、視線を移す。
優しい長髪イケメン。経験がないわけないと、視線を次に移す。
バルレ。
学園モノの作品に必ず1人出てくる、爽やかな陽キャ。
こういう男は学園内だと必ずスクールカーストのトップ層に君臨している。とタクミは自然と視線を落とした。
「まあ、気にすんなって。男としての魅力はなにもそれだけじゃないぜ」
タクミを励まそうとするアルドニス。
だが、それは逆効果だった。
「そうだそうだー」
陽気な声が浴場の中に響く。
「いつだって、そう言うのは経験済みの人間だ」
ボソッと呟いたタクミはさらに気分を落とすのだった。
こうして、煌点は地平線の彼方へと沈み、
夜は更けていく。