7-4
まずい。
非常にまずい。
騒がしい街の喧騒。その一角にある大きなギャンブル場の中央で俺は窮地に陥っている。
物珍しさに釣られたのか、既にテーブルの周りには野次馬が集まってきていた。
7ターンあるポーカーゲームで、俺は何としても、目に前に座る男、賭けのヴァーテクスであるカルケリルに勝たなくてはならないのだ。
それなのに、俺は既に負けを2つ積み重ねた。
もうミスは出来ない。
残りは4ターン。2つ以上勝ち星を上げなければ俺たちは敗北する。
「ー----くそっ、こんなはずじゃ」
無かったのに。
ギュッと拳を握り締める。
もう負けられない。
…………なんとかして過去に戻りたい。勝負を選択する前に戻りたい。
「そろそろ、ゲームを進めたいんだけど、いいかな?」
カルケリルはそう言ってゲームの進行を促した。
4ターン目。
中央の3枚はハートの2、ダイヤの3、クローバーの6。
俺の手札はスペードの9とジョーカー。
ここに来てのジョーカー。
まるで落ち込む俺を嘲笑うように、そのピエロは手元に舞い降りた。
中央のカードの並びは少し危うい。カードが揃ってしまえばストレートができてしまう並びだ。
折角なら、9が4か5だったら。
そんなイフの事を考えていた。おれは、いつもそうだった。
ソシャゲとかで欲しいキャラがいても当たらず、同じ最高レアが出てきたとしてもすり抜けで欲しくないキャラが当たる。
そんなこんなでいろいろと金を溶かし、バグったような生活をしていた。
俺は2連続で勝負に挑み、2連続で負けている。
いくらジョーカーが来てくれたとはいえ、奴がそれ以上の役を揃えていたらその時点で積みだ。
……ここは、降りるべきだ。
だって、負ければ…………取り返しが出来ないだろうから。
そう、思考が判断していた。
「タクミ、大丈夫?」
そんな最中、背後から俺の名前を呼ぶ声がした。ゆっくり振り返ってみると、そこには心配そうな表情で俺を見るローズさんの姿があった。
「…………ローズ、さん」
ほとんど無意識で、彼女の名前を呼ぶ。
「あんまり1人で気負わないでね。ゲームの内容が難しいから私は力になれないけど、タクミの判断は信じてるから」
彼女の、優しい微笑みに触れる。
それは、一体どれほどの重責だろうか。
判断を間違えれば、仲間の命が危険にさらされ、自分は奴に従属しないといけなくなる。
負けられない戦いがあって、その結果を覆す力など持っていなくて…………。
1人で戦っているなんて…………。
そんな勘違いは甚だしい。
―――――そうだ。俺は。
かっこよく。アンジェリカを助けたいのだ。
望んだカードが来なかったから?
2連続で負けたから?
そんな言い訳は、勝負をしない理由にはならない。
この世界に来て、俺が視ている景色はずっとひとつだけだ。
俺はアンジェリカを助ける。これはそのためのギャンブル。
相手に期待してはダメなんだ。他者に期待するのは間違っている。
自分だけだ。
自分を救うのは、自分だけなんだから。
「………………ありがとうございます、ローズさん。おかげで気分が楽になりました」
優しく微笑み返すと、ローズさんは安心したように一息ついた。
「…………僕は今回はノーペアだったよ。さて、タクミはどうする?」
嘲笑うようなそこの言葉に、俺は真正面から向き合う。
「勝負だ」
その一言を発すると、周りは静寂に包まれた。
「………………正気かい?」
と、そう聞いてくるカルケリルに対して、「ああ」と深く頷く。
「………………勝負することが、負けることが怖くないのかい?」
「ふ、バカ言うなよ。怖いに決まってる。この世界に来てからずっと俺を悩ませてる問題だぜ」
「じゃあ、なんで勝負することを選択する?」
何故か不思議がるカルケリル。
勝負することを選択する理由など決まっている。
「お前に勝つためだ」
「―――――あぁ。そうか」
そう言ってカルケリルは天井を見上げた。
ふぅー、と長い息を吐き出した後、顔を下ろして俺と向き合う。
「じゃあ、一斉にカードを表にしようか」
カルケリルの言葉でゲームが再開される。お互いにテーブルの上に手札を晒す。
「ジョーカーと9でワンペアだ!」
カルケリルの手札は、と彼の手札を見て驚きのあまり思考の停止に陥った。
クローバーの8と4。
それがカルケリルの手札だった。
何度も中央の3枚とテーブルに出された手札を見比べる。
信じられないほどあっさりと、俺は1勝を獲得したのだ。
だが、驚くべきことがもうひとつあった。
それは、カルケリルの役が宣言通りだったことだ。これまで一貫して嘘の役を報告し続けてきたカルケリルがここに来てノーペアと宣言し、結果もノーペアだった。
その事実に驚きが隠せない。気が付けば心臓が高鳴っていて、額に汗が浮かんでいた。
「………………本当に、ノーペア?」
「………………まぁ、偶には僕も正直になるってことさ」
などとカルケリルは涼しい顔で言葉をこぼした。
「それよりも、1勝おめでとう」
「……………………ふん、涼しい顔をしていられるのも今のうちだぜ」
5ターン目。
中央に、ハートの3、10、9が並ぶ。
俺の手札はダイヤの8とスペードの5。
……………………ペアは、なし。
あと3ターンで最低1回は勝たなければ俺の敗北だ。それが段々と近付いてくる。
「あぁ、ノーペアか」
手札を視ながら、カルケリルは分かりやすく肩を落とす。
「……………………そう落胆するなよ。俺もノーペアだ。勝負は降りるぜ」
冷静に、正しい選択を行う。
すると、「ちぇー、惜しいなぁ」とカルケリルは舌を出して手札を見せてきた。
ハートの5と7。
つまり、本当の役はフラッシュ。
「本当に喰えない奴だな。この噓つきめ」
「あははは。嘘じゃないよ。ブラフ、というやつさ」
未だ涼しい顔が崩れないカルケリル。
本当にむかつく。ダウトという商人として出会った時から、こいつは嫌な奴だった。
……………………まぁ、助けられたりもしたけど。
とにかく、こいつの本性は性悪だ。相手を陥れ、騙し、その様子を見て愉しむ。
それが賭けのヴァーテクスであるこいつの在り方だ。少なくとも、俺の中ではそうなのだ。
……………………あと2ターンで1勝。
ここまでくると、まだ出ていないカードはだいぶ絞られてくる。
続いて、6ターン目。
中央に3枚のカードが置かれ、それぞれに手札が2枚配られる。
中央が、スペードの1、ダイヤの12、ハートの6。
そして、俺の手札はクローバーの12とスペードの6。
ー----ツーペアだ。
「僕の役はツーペアだけど、勝負はどうする?」
カルケリルは首を傾げて眼を細めた。
ツーペアなら互角。
そう。奴が本当にツーペアだったなら……………………。
「ー----ダウトだぜ! カルケリル!」
俺は机を勢いよく叩き、手札を机の上に置いた。
「この数字の並びで、お前がツーペアなのはありえないんだよ!」
1のカードはカルケリルが3ターン目にスリーカードで揃えている。更に12のカードは前に2枚出ている。
俺の手札に1枚ある以上、奴が揃えられる数字は6のみだ。
「――――――!」
僅かに、ほんの僅かにカルケリルの顔色が曇った。
それは、初めて見せた奴の本音。
…………少なくとも、俺にはそう思えた。
これで、お互いに2勝。
これで次のターンの勝負を降りれば次のゲームでカルケリルの虚言に注意を払いながら勝負が行える。
………………と、思ったか?
「………………カルケリル。ここでひとつ提案がある」
俺は、カルケリルの顔をジッと見詰めて口を開いた。
「次のターン、お互いに手札を見ずに勝負しないか?」
「――――――――は?」
カルケリルは、ぽかーんとアホ面を晒して息をこぼした。
7ターン目は特殊ルールで、中央の3枚は伏せて勝負を行う。
これで互いに手札を見なければ、それこそ単純な運ゲーになるだろう。
「ちょっとタクミ!? 今の状況分かってるの?」
後ろでゲームを観戦していたローズさんが声を荒らげる。
「分かってるよ。確かに、安全にゲームに勝つならこのターンは降りて次のゲームに賭けるべきだ」
それが、カルケリルに安全に勝つ方法なのは理解している。
それが、最適手段なのも分かっている。
それでも、俺はあえてその選択をしない。
「…………次のゲームで運良くカルケリルに勝つ役が揃うとは限らない。最悪の場合、7ターン全部ノーペアってことも確率的には有り得る。それに――――――」
俺はチラッとカルケリルの顔を見る。
奴はポーカーフェイスを崩さず、俺の言葉に耳を傾けている。
「それに?」
「次のゲームでカルケリルが同じように虚言を使ってくるとは限らない。俺をもっと混乱させるやり方でゲームに望んでくる可能性だってある」
その言葉に、ローズさんは黙ってしまう。
納得したように頷き、「…………確かに。そこまでは頭が回らなかったわ」と言ってくれた。
「…………いいだろう。君の提案を受け入れよう」
カルケリルが頬を持ち上げる。
7ターン目。
カードが裏の状態で中央に3枚並べられ、同じくお互いの手札も裏の状態で配られた。
未だ場に出ていないカードは限られている。
これで全ての決着がつく。
「………………なぁ、カルケリル」
最後の勝負を始める前に、俺は友人に問い掛けるようにカルケリルに質問を行う。
「お前は、自分は運が良い方だと思うか?」
それは、きっと多くの人が一度は考えた事のあるものだと思う。
「………………そうだね。僕は他の人と比べたら運が良い方だと自覚、…………自信がある。そういう君はどうなんだい?」
問い返され、俺は今までの人生を振り返る。
まあ、目の前にいる男のように、自分は運が良い! と胸を張れるとは言えない。
「俺は、自分は運が悪いと、………………そう思っていたよ」
自然と目が細まる。
この世界に来る前の人生を思い起こす。
「ガチャでは欲しいキャラは当たらないし。最高レアリティの確定演出があっても大体すり抜けだし。天井まで引くことなんてザラだし…………」
SNSでは、俺の欲しいキャラを何枚も当ててる人がいて。
それが羨ましくて、悔しくて…………。
学生の自分で行える上限ギリギリまで課金して、お金を溶かしてきた。
冷静に、そういう自分が馬鹿だなぁ、と思ってるし、課金を抑えないと、と思うことはいつもの事だし。
それが、将来何の役にも立たないと理解していても。
やっぱり欲しいからと、課金を繰り返してきた。
それでも、こちらの意図通りにキャラが出てきてくれることは少なくて。
その度に、自分の運の悪さを呪ってきた。
俺の言葉の羅列に、カルケリルは眉をひそめて首を傾げた。
当たり前だ。今の俺の言葉を理解出来たものなんてこの場にはいないだろう。
ふふ、と息をこぼす。
「とにかく、俺は今まで自分は運が悪いと、そう思っていたんだよ」
目を閉じ、あの日の光景を甦らせる。
脳裏に浮かぶのは、数ヶ月前の色褪せることの無い出会いの記憶。
「―――――アンジェリカに、出会うまでは」
目を開き、力強く主張する。
自信を持ち、胸を張って言えることがある。
「俺は運がいい」
「…………随分と、自信があるんだね」
「あぁ。だって、推しキャラに激似の(髪色は異なるが)超美少女に、念願の異世界転生を果たして出会えたんだぜ」
「…………それが、君の主張だとして。彼女と出会ったことで君は人生の運を全て使い果たしたとは思わないのかい?」
「…………まぁ、それは言えるかもな。でも、この世界にもし、勝利の女神がいるのなら、俺はアンジェリカこそを推すぜ」
推しの2次元キャラ、シャルロット。
彼女に恋をして、愛(金)を捧げて…………。
その果てに、似ているけど、彼女では無いアンジェリカという少女に出会えた。
例え、彼女に後ろめたいことがあるのだとしても。
俺は、彼女のことを信じる。
彼女と出会うことが出来たこの運命を信じる。
「―――――すまん、話が長くなったな。…………そろそろ、決着をつけようか」
「うん。そうだね」
先ず、中央の3枚を表にひっくり返す。
スペードの3、ダイヤの7、クローバーの5。
そして、お互いの手札を手に取り、表にして机の上に置く。
――――――結果は。
俺が、クローバーの3、ハートの11。
カルケリルが、クローバーの2、スペードの8。
つまり、俺のワンペアで…………。
「おめでとう、タクミ。完敗だよ」
カルケリルはどこか悔しそうに口の形を曲げてみせた。
その瞬間、心臓の音が一気に跳ね上がり、身体の熱が上がった。
「―――――ヨシ!」
信じていた勝利を無事に掴み取り、俺は拳を固く握り締めた。