6-11
「―――――こいつが、バジレウス!?」
言葉をこぼした俺を、バジレウスは数秒だけ見下ろした。
その後、直ぐに視線をアウルに戻してしまう。
まるで、人間。否、生物として扱われていないようなその感覚に、ゾッと寒気が走る。
その冷たさは驚きを通り越して、憤慨へと変わる。
この男がバジレウスなら話は早い。
――――――ここで倒せば全てが終わる。
そうして剣の鞘に手をかけたところで、バジレウスを囲うようにして立つ人影の存在に気付いた。
「…………っ!?」
ひとりふたりではない。
黒いローブの様なもので顔を隠した人影が10人、バジレウスを囲うように立っているのだ。
「バジレウスは常に人間の女性を侍らせている。そんなことより雷玉に注意したまえ!」
俺の様子に気付いたアウルが注意を促してくれる。
その声に、我を取り戻した俺は辺りを注意深く警戒する。すると、バジレウスを囲う10人の女性たちを更に囲うようにして、帯電した黒い玉が3つほど等間隔に浮遊しているのを見つけた。
「あれが雷玉」
ボソリと呟き、距離を取りながら警戒を続ける。
自動で敵意や悪意を認識して迎撃する雷の玉。あれがある限り、バジレウスへの接近は難しく、故に暗殺も不可能である。
バジレウスは俺には興味がないようにアウルだけを見詰めている。
俺を敵として認識していない。余裕さが奴の態度には現れている。
ヴァーテクスであるが故の傲慢さ。
それが、ヴァーテクスの欠点とは知らずに。
脚力を強化し、身体のボルテージを一気に引き上げる。
虹光剣を持ってこなかったのは悔やまれるが、仕方がない。
雷玉が敵意、悪意を察知する距離を測る。
………おそらく、俺と奴は20メートル程離れている。どうやら、この距離では補足されないようだ。
ならば、ここが好機だ!
俺は脚力を最大まで強化し、地面を蹴った。
一息で距離を詰め、剣を振るう。
だが、止められた。
剣を振るおうとして、空中で腕を動かす途中、障害物があった。
――――――否。正確には障害物ではなく、邪魔者だ。
黒いローブを被ったひとりの女が、鉄の剣で俺の剣を打ったのだ。
「――――――っ!」
予想外すぎる乱入者に、俺はその場に着地して足を止める。正確な身長はローブのせいで分からないが、140前半くらいだろう。
その小さなローブの女に、俺の渾身の一撃が止められた。
その衝撃に息を呑む。
瞬間、
「タクミ! 避けたまえ!」
アウルの声が響く。
その声に、停止しかけた思考回路を無理やり回転させる。
ピカッと暗闇が一瞬明るく照らされる。そして、雷玉から稲妻が放たれ、空気を焼きながら接近する。
「―――――ぐっ、ぅ!」
死を感じた身体が脊髄で反射する。ギリギリで稲妻を避け、距離をとる。
アウルがいなかったら危なかった。
直撃は文字通り即死を意味する。雷玉の直撃は必ず避けなければならない。
再び20メートルほど距離を取り、その場に着地する。
腰を少し落とし、警戒しながら肩で呼吸を繰り返す。
バジレウスと、そのバジレウスを守った人間の女。その右手には剣が握られている。
…………もし敵がバジレウスだけだったら今ので倒すことができたはずだ。俺に向けられない意識を利用して、渾身の一撃を叩き込む。それで全てが解決するはずだった。
それなのに。予期せぬ戦力に足止めされた。
身体強化した俺の跳躍スピードはおそらく、時速60キロぐらいだったはず。
この20メートルの距離を詰めるのに0.3秒くらいしかかからないはずだ。それを、あの女は止めて見せた。
つまり、あの女は普通の一般市民ではない。
高度な戦闘スキルを持っている。
額に浮かぶ汗を無視して、剣を握り直す。
油断は禁物だ。今は、一瞬たりとも彼女たちから意識を逸らしてはいけない。
そう、意気込んだ時だった。
「ユースティア!!」
バジレウスのバカでかい声が空気を振動させた。
その大声に、森が、大地が震え、驚いた鳥たちがいっせいに飛び立っていく。
「なっ!」
咄嗟に耳を覆うも、手遅れであり、キーン、と耳鳴りがして、耳と脳が大きくダメージを受ける。
そして、バジレウスが今呼んだ名前を頭が正しく理解する。
驚きと、絶望しかこぼれず、俺はその場で停止する。
数秒後。空から無敵を誇る女ヴァーテクスが落ちてくる。
衝撃と舞い上がった砂埃を耐えしのぎ、その姿を瞳に焼き付ける。
秩序のヴァーテクス。
ユースティア・テオスが、その場に姿を現した。
「…………最悪だ」
バジレウスと、正体不明の女剣士。そこに加えてユースティア。
考えうる最悪のパーティーが目の前で構成されてしまったのだ。
「命令に従い、ユースティア参上しました。次の命令はなんでしょう」
ユースティアは着地すると同時にバジレウスに向き合い、片膝をついて頭を垂れた。
「うむ。奴を殺せ」
短く発せられたその声に、戦慄が走る。
「了解です。…………奴は!」
直後、立ち上がったユースティアと目が合う。
「どうかしたのか?」
「あの男はアンジーナの従者です」
「そうか。ならば丁度いいな」
バジレウスの言葉を肯定し、ユースティアがこちらに向き直る。
「タクミくん。逃げる準備をしたまえ」
気が付けば、アウルが目の前にいた。俺がユースティアに気を取られている間に移動してきたらしい。
「………未来視は使えるんですか?」
「残念ながら全く使えていない。今までで一番未来が不安定な状態だ」
そこへ、
「アウル様!」とバルレもやってくる。
バルレはバジレウスとユースティアの姿を見て、驚き驚きの声を上げる。
「バジレウス様!? ユースティア様まで!」
「話は後だ。今は逃げることだけに専念したまえ。バルレ、契約は覚えているね」
最後に、アウルは横目でバルレを見る。
その言葉に、バルレは息を飲んで、表情を硬くする。
「契約? なんの事だ?」
「どうやら説明している暇はないようだ。後のことは任せたよ」
アウルはそう言い残したあと、バジレウスとユースティアに背を向けることなく、逆に近付く為に走り出した。
「―――――え、ちょっ!?」
不可解なその行動に、咄嗟に手を伸ばそうとして、彼の考えを理解した。
「…………行きますよ」
バルレは辛そうな表情で言葉をこぼす。
「ちょっと待て!」
俺はその肩を掴み、バルレが進むのを阻止する。
「アウルを置いていくのか!?」
「これがアウル様の選択です」
バルレがこちらを振り返る。奥歯をかみ締め必死に悔しさを押し殺している様子だった。
バルレはアウルの従者だ。自分が敬う存在がこの選択を行った。それを飲み込むのが辛くないはずがない。それでも………。
…………これがアウルの選択だから、彼を囮にして逃げるっていうのか?
…………違うだろ。
それは、俺の選択肢にはなり得ない。何故なら。
「俺はあの日、もう二度と誰かを置いて逃げないと誓ったんだっ!」
右手に力を入れ、剣を握り直す。
自分に喝を入れ、覚悟を持って脚力を強化する。
その様子を、アウルは見ていた。
俺より6メートル先、ユースティアと向かい合いながら、視線だけをこちらに向けている。
「――――――本当に、馬鹿な子だ」
それは、小さく囁かれたため息で。
それでも、彼の口角は自然と上がっていた。
その光景が、無意識に瞳に焼き付く。
アウルは目を細め、軟らかい表情になった、その後で…………。
「バルレっ!」
従者の名を叫んだ。
「これが最期の命令だ! タクミを連れて逃げなさい。生きてアンジェリカと合流するのだ!」
その豪快な叫びは、森の奥へと反響していく。
「―――――はいっ!」
瞳に涙を溜めて、バルレが叫ぶ。
そして、俺は首根っこと胸をバルレに掴まれる。
「―――――離せ!」
「少し、………黙れ!」
首の後ろ側を強い衝撃が襲う。
どうやらバルレに強打されたらしい。漫画やアニメでよく見る簡単に相手を気絶させる手刀シーンが脳裏に過ぎる。
「―――――――クッソ」
意識が遠くなり、視界が霞む。
力が抜けていく俺を、バルレが肩に担ぐように持ち上げる。
見た目に似合わず、そこそこの筋力を持っているらしい。
更に、意識が遠のく。視界が暗く、狭まっていく中で、遠くにユースティアの姿を見た。
彼女は俺たちを逃すまいと、その腕を構えている。
防御無視の遠距離手刀攻撃。
ユースティアが手刀を放つその寸前、懐に侵入したアウルの右フックがユースティアの顔面を強打した。
そして、俺の意識は完全に闇へと落ちた。




