6-3
次の日の朝。
俺は村の端にある森の奥で剣を振るっていた。
左腕は完全に治っていない。
それでも、次いつ戦いになるか分からない。そのため、虹の鉱石剣の性能を知っておく必要があった。
鞘から引き抜き、剣を振るう。
虹色の光が放たれ、木の一部が切れて地面に落ちる。
「……………なるほど。こういう使い方もできるのか」
剣を振るう事で光の斬撃が放たれ、10メートル前方にある木が斬れたのだ。
この力は使える。この不思議な剣のお陰でアニメやゲームに出てくる魔法剣士みたいになってしまった。
他に調べることは、斬撃をどこまで飛ばせるか、と剣の持続時間だ。
このふたつは最優先で調べなければならない。
煌点がまだ登り切っていない早朝。
多くの人々がまだ寝ている寒い時間帯に俺は更に強くなるための特訓を続けるため、剣を振るい続けた。
一時間ほど剣を振るい、額に浮かんだ汗を手の甲で拭ったその時だった。
木々の葉を掻き分ける音と生き物の気配に、俺は一時特訓を中止した。
足音が響き、暫くすると一人の男性が木々の間から姿を現した。
「おっと! ……………………タクミか?」
その男性は俺の顔を視ると、驚いた表情を浮かべて言葉をこぼした。
厳つい皺だらけの顔と、白髪の多い頭。
俺はその男性の事を知っている。以前、この村に来た時にお世話になったからだ。
薄い生地の白い袖の無い服を着ている。その姿が似合っていて、それでもその顔には依然あった元気な姿はなく、どこかくらい雰囲気を纏っていた。
「―――――ゼンさん」
俺は無意識にその男性の名前を呼んだ。
昨晩、家を訪ねても会えなかった男性と、早朝の森で再会を果たしたのだった。
「……………………久しいな。タクミ。村に帰ってきたのか?」
暫くの沈黙。それが互いに続き、先にしびれを切らしたかのように口を開いたのはゼンさんだった。
「はい。お久しぶりです。少し村に寄っただけです」
「そうか。……………まぁ、元気そうでなによりだ」
「はい。ゼンさんも元気そうですね。昨日、アラン村長に寝込んでいると聞いたので心配してたんですよ」
「まったく、あいつは余計なことばかりしゃべりおって」
と小さく呟くゼンさん。
「もう身体は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だからこうして歩いとるんじゃ!」
渋い顔で返される。
元気そうな姿が見れて、ほっとする。
すると、ゼンさんは黙って俺の持つ剣をじっと見つめた。
「……………………お前さん。剣を使うのか?」
ゼンさんは瞳を大きく見開いた後、俺の顔を視てそう聞いてきた。
「はい。そうですね」
今更隠しても遅いだろう。俺は正直に答えることにした。
「……………………そう言えば、前にレオガルトを倒したのもお前だったな」
「……………………はい」
するとゼンさんは近くにある木に背中を預けて腰を下ろした。
「ゼンさん?」
「少し振るってみせろ。どんなものか儂が見てやる」
その言葉に、俺は頭の回転を一時停止させることになる。
「……………………え、ゼンさんって剣の事わかるんですか?」
「莫迦にしとるのか!?」
鋭い眼光が向けられる。
その視線に背筋が凍る思いをする。このまま話していたら頭の上から怒鳴られそうなので、考えるのをやめた。
言われたとおりに剣を数回振るう。
「……………………全然だめじゃな。畑仕事と同じでなっとらんわ」
……………ダメ出しを喰らった。
「…………にしても、珍しい剣を使っておるな。その剣、どこで手に入れた?」
「この剣は怪物のヴァーテクスの神殿で見つけたのをそのまま武器にしました」
「…………………………………そうか。神殿でのぉ」
ゼンさんは空を見上げる。
その口角は少し上がっているように見えた。
「……………………儂が稽古をつけてやる。そこの棒切れを拾え」
「いえ。間に合ってます。既に素敵な師匠がいるものですから」
丁寧に、笑顔で、迅速にお断りする。
こういうのは笑顔で切り抜けることが大切なのだ。できるだけ相手を不快な気持ちにさせてはいけない。
「儂が素敵な師匠になれんと申すのか! それに、剣の基礎がなってない時点で貴様の師匠とやらは未熟者じゃ!」
おいおい。そう言うのはドミニクさんの実力を見てから言うもんだぜ。
と、反論は勿論できない。
「いいから儂のいう事を聞け。そこに落ちている棒切れを拾うんじゃ」
大人しくその言葉に従う。
ゼンさんも同じように落ちていた木の棒を拾う。木の棒といっても、太い木の幹で剣の代わりになるようなものだ。
「ほれ。儂に向かって打ち込んできてみろ」
ゼンさんがそう言う。
「どうした? 遠慮はいらんぞ」
木の棒で殴る。俺が振った木の棒がゼンさんに直撃した場合の事を考える。
軽傷では済まないだろう。
「儂はお前さんがレオガルトを倒した瞬間を実は見ておったんじゃ」
ゼンさんの言葉に、俺は顔を上げて彼を見詰めた。
「―――――え」
「人間離れした身体能力じゃったな。あの時のように全力でこい」
途端、ゼンさんが纏う空気が一変する。まるで鉛のように重たいそれを全身で感じ取る。
「……………………どうなっても知りませんよ」
喉を鳴らし、木の棒を構える。
互いの距離は約2メートル。足を一歩踏み出せば相手に武器が当たる距離だ。
脚に熱を走らせる。
直後、右足で地面を踏み砕き、その間合いを侵す。
左腕は使えない。だから右腕に能力を走らせ、強化した腕力で木の棒を振るう。
完璧にゼンさんの首筋を捉えた。
……………筈だったのに。
俺が振るった木の棒はゼンさんに当たることなく。
次の瞬間にはゼンさんが振るった木の棒で顔面を叩かれていた。
顔面に直撃を受け、着地と同時に悶える。
「痛っ! 痛い!」
なにが起きたのか。
まったく理解できなかった。
「……………………一体、ゼンさんって何者なんですか!?」
「昔はお前さんと同じように剣を振るっていた。これで儂の実力が分かったであろう。儂が剣というものを教えてやる。だから素直に儂のいう事を聞いておけ」
ゼンさんは上機嫌な様子でそう言ったのだった。
それから俺はゼンさんに剣の修行をつけてもらうことにした。
虹の剣はひとまず置いておき、普通の木剣でゼンさんと打ち合う。
それから素振り。
だけど、ゼンさんに教えられたのはただの素振りじゃない。
「タクミの剣は素人そのものじゃ。いうなれば剣というものに憧れを持った子供が振るう剣。ただの素振りだけでなく、相手を想像して剣を振るうとよい」
「こうですか?」
「なっとらんわ!」
畑仕事を教わった時を思い出す。
厳しい言葉でダメ出しを喰らい、それを受け入れて動きを修正していく。そんな日々が数日続いた。
その日は、雨が降っていた。
「全然違うぞ!」
「はい!」
「剣術の基礎は歩法にある。足の動きを常に注意するんじゃ」
雨で足取りが悪い中、歩法……………というよりはステップに力を入れて剣を振るう。
「もっとしなやかに。敵の次の動きを予測するんじゃ!」
足の動かし方に迷う中、ゼンさんは体勢を崩すことなく、木剣で俺の剣を弾いて距離を詰めてくる。
その切っ先が俺の喉に触れる。
「……………………少し休憩じゃ」
「…………わかりました」
強い雨に打たれる中、木に背中を預けて休息をとる。
「タクミの師匠は一流の剣士じゃな」
「分かるんですか?」
「タクミの剣の振り方を視れば想像できるわい。それでも人に教えることに長けてはおらん。そのせいでタクミはその師匠の動き方が染みついていてそれが足枷になっておる」
ゼンさんは曇った空を見上げて語り出した。
「……………足枷ですか?」
「そうじゃ。タクミの師匠は恐らく何年も剣を振るってきた一流の剣士。それに対してタクミは1年も剣を握っていない素人同然の剣技。だからこそ、師匠の剣をまねてもそれが全然形になっていないのだ」
そこまで見抜かれるとは恐ろしいものだ。
俺が実際に剣を握ったのはこの世界に来てから。それをゼンさんは俺の剣の素振りを見ただけで見抜いたのだ。
「……………どうすれば強くなれますか?」
「ひとつは常に相手の事を考えること。相手が嫌がる戦法で戦うことが重要じゃ。そして、ふたつ目が剣術だけに頼らず、体術を取り入れて戦う事じゃ」
「……………………体術、ですか?」
体術を剣術に組み合わせるなんて素人の俺にはハードルが高すぎる。
「剣の試合で強くなりたいというのなら剣の技を鍛えればよい。でもタクミは違うのだろう? お前さんは命を賭けた戦いで勝つために強くなろうとしている。そうじゃな?」
「そこまでお見通しなんですか」
「あたりまえじゃ。これでも儂は昔は強かったんじゃから」
そこで一旦言葉を区切ったゼンさんは俺の眼を見詰めて続きを口にした。
「相手が人間であれ、怪物であれ、……………その他のなんであれ、大切なことは変わらない。ひとつの道だけに捕らわれることはない。強さとは自由なのだから」
「……………………強さとは、自由」
「さて、休憩は終わりじゃ。続きをやるぞ」
雨の中、俺は剣を振り続けた。
そして、それはその日の夕方ごろだった。
稽古の終わりごろ、ゼンさんが口から血を吐いて倒れたのである。
「―――――ゼンさん!」
「――――――っ。……………はぁ、はぁ。少し無茶をし過ぎたか」
ゼンさんはその後、地面に倒れて気を失う。
俺が何度呼びかけても反応を示さず、俺はゼンさんを抱えて診療所に駆け込んだ。
その後、ゼンさんが身体を起こすことはなかった。
それから数日後。
俺は診療所で眠るゼンさんのお見舞いに来ていた。
この数日間、ゼンさんは目を覚ましていない。
俺は胸の奥に募る重たい何かに、心が押し潰されそうだった。
「タクミ。ここに居たか」
そこへ、アラン村長がやってくる。
「……………アラン村長?」
「いま、少し話せるか?」
その言葉に、俺は短く頷いた。
そして、アラン村長に続いて部屋から出て診療所の先生の部屋へと向かった。
「どうしたんですか?」
俺が中に入ると、畑仕事の仲間たちと診療所の先生が真剣な顔つきで顔を俯かせていた。
「タクミくん」と、診療所の先生に名前を呼ばれる。
「もう、ゼンさんはあまり長くない。おそらくだが、あと生きられるのも数日というところだ」
衝撃の事実が告げられる。
「―――――っ、そんな! …………何か方法はないんですか?」
「ない、だろうな」と短く村長が呟いた。
「……………………もともとゼンさんは安静にしていないといけなかったんだ。それなのに毎日外を出歩いて……………………更に剣を振るっていたなんて」
先生が肩を落として下唇を噛んだ。
「……………………それは、俺のせい。ですね」
このままゼンさんが目を覚まさなかったらそれは俺のせいだ。俺に剣を教えるためにゼンさんは無茶を続けたのだから。
「それは違う」
と、そう否定したのは村長だった。
「これはタクミのせいなんかじゃねぇよ。老いというものは誰にも止められねぇからな」
「でも、俺は剣を教わった。ゼンさんの体調を確かめもしないで」
「それはゼンさんが望んだことだろう。タクミは悪くねぇよ」
「それでも。それでも。俺にはゼンさんに無理をさせた責任がある」
「……………ゼンさんはそんなことを思って剣を教えていたわけじゃないと思うぜ」
その言葉に、俺は何も言えなくなってしまう。
「とりあえず、みんなには知っておいてほしかった。ゼンさんに恩を感じているのはみんなも同じはずだから」
その日の夜。
アラン村長の提案で俺は診療所に泊まることになった。
「…………そう言えば、ゼンさんは昔、剣士だったんですか?」
俺がそう問うと、アラン尊重は口をポカーンと開けて、
「ゼンさんがそう言っていたのか?」
と逆に質問してきた。
「はい。昔、剣を振るっていたと、言ってました」
そう答えると、アラン村長は「そうかぁ」と重たい息を吐いて顎の髭を指で弄り出した。
「……ゼンさんはこの村出身の人ではないんだ」
アラン村長は昔を思い出すように、眼を細めて語り出した。
「5年くらい前だったかな。ある日、突然この村にやってきたんだ。名前以外の記憶を失くしてるらしくて、何故自分がここにいるのかも分からないって言ってた」
「………………名前以外の記憶を?」
「あぁ。だからゼンさんの過去を知る者はいないんだ」
表情に影を落とし、アラン村長は俯いた。
ゼンさんは昔、剣士だった。だけど、出身地は不明で記憶を失っていると嘘をついていた。
「……………………どうして、名前以外の記憶を失っているなんて」
嘘を、ついたのだろうか?
「きっと、訳があったんだろうな。これでも、5年間一緒にいる。ゼンさんは悪い人じゃない」
「それは、俺にもわかります」
「……………………きっと、話せない事情があるんだろうさ」
それを許容できない程、子供じゃない。
ゼンさんにはいろんなことを教わった。
鍬の振るい方も、剣の振るい方も。
本当に多くのものをもらった。それを、俺はまだ返せていない。
……………………あと数日の命。
知り合いが死ぬのは嫌だ。
この世界の医療技術の水準は決して高い方じゃない。地球では治る病気や怪我でも、この世界は致命傷になりえる。
でも、今回のはそういうものではない。
老いという、人間ならば逃れることのできないものだ。
「………………タクミよ」
アラン村長に名前を呼ばれ、顔を上げる。
「どうか、最期の時を看取ってやって欲しい。きっと、ゼンさんもそれを望んでいる筈だ」
抗う事は許されない。
俺は静かに頷いた。
それから、また数日が経過した。
ゼンさんが眠る病室を毎日のように覗いた。それでもゼンさんは目を覚まさなかった。どんどんと衰弱し、栄養の取れない身体は更に細くなっていく。
その日も、俺はゼンさんの病室を訪れていた。
このまま目を覚ますことなく、死んでしまうかもしれない。
それが悲しくて……………………。
最期に、一言何かを話したいと、そう願う事しかできなかった。
具体的な内容が決まっているわけではない。もちろん、聞きたいことは沢山あるし、話したいこともある。お礼をしっかり伝えたい。
何でもいいから。ただ、その声が聞きたかったのだ。
その日も、何事もないまま煌点が沈みだし、空が暗くなり始めた。
呼吸だけを続けるゼンさんに頭を下げて病室を去ろうとした、その時だった。
「………………………………タクミ、か」
今にも消えてしまいそうなほどか細い声で、名前が呟かれたのだった。
「――――――――ゼンさん!」
身体の向きを反転させてゼンさんの眠るベッドに駆け寄る。
「……………………心配を、かけたな。……………少し、無理をしすぎた」
咳を鳴らしながら、弱弱しく音が並び、消えていく。
「――――――どうして、……………………俺に剣を教えてくれて、ありがとうございました」
ただ、頭を下げた。
お礼を口にした。
それだけは、絶対に伝えるべきだと判断したから。
それを見たゼンさんは嬉しそうな表情で部屋の天井を見詰めていた。
「………………ここまで、長かった。……………………でも、やっと。………………みんなのところへー――――――」
虚ろに囁かれたその音は、最期まで形になることはなく。
ゼンさんは静かに、息を引き取った。
その最期の顔は、穏やかなものであった。




