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無名頂上種の世界革命  作者: 福部誌是
5 怪物のヴァーテクス
34/119

5-7

 やばい。


 これはヤバすぎる。


 急いでマジカルナイフを取り出し、紐を引き抜いて電気ウナギに向かって投げる。

 ナイフは電気ウナギの皮膚に刺さることはなかったが、爆発は電気ウナギを巻き込んだ。


 …………巻き込んだにも関わらず、電気ウナギにダメージはないように見えた。

 巨大すぎて、爆発の威力が足りていないのか?

 それとも、皮膚が特殊な構造をしているとか?



 だめだ。

 じっくり観察している暇はない。


 奴の放電を喰らえばそれで終わりなのだから。



 状況を理解して、逃げることを選択する。



「くそ!」


 最後のマジカルナイフを取り出し、電気ウナギを誘導する。


「おら、こっちだ」


 声を上げて電気ウナギの前を通過して壁沿いに寄る。


「もうちょっとだけ…………持ちこたえてくれ!」


 身体に鞭を打って走る。

 壁にナイフを突き刺して、電気ウナギが近付いてくるのを待つ。


 ここだ!


 地面を削りながら迫る電気ウナギの怪物。

 タイミングを見計らって壁を蹴り、その勢いでナイフの紐を引き抜く。


 電気ウナギの巨体を避けて着地。そのまま走り出す。

 背中で爆ぜる音と衝撃、爆風と熱を感じながら倒れるルイーズを抱きかかえる。


「うご、けぇえええええ!」



 身体に…………脚に命令を強制させる。

 倒れることなどあってはならない。


 背後では崩れる瓦礫に電気ウナギの巨体が押し潰されている。

 だが、これは足止めにしかならないだろう。


 …………意識がない人って、こんなに重たいのか。



 ルイーズを抱えて走り出す。




 そこからは、ただ必死だった。



 必死に走り続け、怪物に遭遇しないように最低限の警戒をしながらできる限り全力で駆け抜けた。


 …………どこか、休める場所を。


 ただ、それだけを思って進み続ける。

 脚はどんどんと重くなり、気が付けば歩いていた。

 意識のないルイーズをお姫様抱っこで抱きかかえて、前に進む。



 喉が、乾いた。

 頭が熱く、痛い。

 腕が、脚が…………痛い。


 苦しい。


 身体はボロボロで、頭も上手く働かなくて、視界すらもぼやけ始めた。



 脚を止めれば、あの怪物に追い付かれる。


 だから、とにかく物陰を探して進み続けた。





 はぁ、はぁ、はぁ…………。


 呼吸が、苦しい。

 息を吸うことが、苦しかった。


 痛みと苦しさで、頭が真っ白に漂白されていく。


 ただ、背負っている荷物が。

 重く感じた。



「ここで、こいつを置いていけば…………………」

「助かる。きっとたすかる」

「…………おれは、わるくない」

「気を失うほうがわるいんだから」

「…………楽をしたい」

「ここに置いていけば…………!」



 なんども、なんども頭の中をそんな妄想が駆け巡った。


 別に、置いて逃げたところで、俺は悪くない。



 自分の命すら危ない迷宮内で、意識のない他人を守れるほどの力なんて、俺にはない。


 俺は俺の力を正しく理解している。

 だから、置いて逃げるのが正しい判断だ。


 そう。……………………正しい判断なんだ。


 だから、この女を置いて、地上への道を…………引き返そう。









 …………ダメだ。

 だめだ、だめだ、だめだ!


 …………俺はもう、誰かを置いて逃げたりはしない!!


 そう、誓ったのだから。


 下唇を噛み、前に進む脚に力を入れる。


 絶望的な状況だ。それでも、前に進むことだけはやめない。

 頭に蘇る葛藤を、前に進むことで掻き消した。


 一度、犯した罪を振り返る。


 自分の命欲しさに、たった一度の負傷で自身の実力を悟って、仲間を置いて逃げたあの瞬間を。

 忘れてはならない、重たい罪を。

 後悔したことを忘れない。

 あの村で教えてもらったことを改めて身体に刻み込む。


 人の強さの在り方を、思い出す。


 逃げた俺を、再び迎え入れてくれた優しい人たちがいる。

 アンジェリカ。アルドニス。ドミニクさん。ローズさん。


 俺はもう、あの人たちを裏切れない。裏切ってはならないのだ。

 これだけ優しくて、温かくて、強い人たちを俺は他に知らない。


 好きなのだ。この場所が。

 初めて異世界にやってきて、俺を怪しみながらも優しく接してくれた。なんの知識もない俺を、ただの足手まといにしかならない俺を迎えてくれた。戦い方を教わった。剣の振り方を教えてくれた。俺を庇い、命を懸けて助けてくれた。無謀な俺を信じてくれた。

 …………逃げた俺を、赦してくれた。


 これだけは言える。はっきりと。


 俺は、人との出会いには恵まれた。



 あの人たちが好きだから。

 俺は、俺が変わったという事を証明したい。


 強くなったのだと、証明したいのだ。




 滲み出た涙に、勇気と元気を貰う。

 ただ、前に進む。

 さっきまでは重かった脚が、今では軽く感じられる。


 …………大丈夫だ。





 ――――ガルルルルルルルルルッ



 それは、前に進むことを決意して、進み出した時だった。


 聞こえてきた音に俺は顔を上げた。


「―――――ぁ」


 思わず、息が漏れてしまった。


 目の前には、大きな角をもった黒い獅子がこちらを睨んでいた。

 きっと、俺の態度に出た絶望と恐怖をその獣は感じ取ったのだろう。大きく裂けた口を開き、牙の間から涎を垂らしながらニヤリと口角が持ち上がった。

 赤い眼は通常よりも細まり、こちらを見詰めている。獲物を狩るときの眼ではない。勝ちを確信したが故の眼だった。



 剣に手をそうとして、ルイーズを抱きかかえていることに気が付いた。

 いや、そもそも俺の剣は壊れて…………。


 だから、剣は捨ててきた。

 ルイーズの槍斧も、電気ウナギから逃げるのに必死で置いてきてしまった。

 マジカルナイフは使い切った。


 俺の手元には武器がなかった。







「――――――――っ」


 声を殺した慟哭に、獣は何を感じ取ったのだろうか。

 その歩みを止めて、こちらの動きをずっと見詰めていた。


 顔を下げる。横目で辺りを見渡して壁の傍に移動する。地面に膝を着き、そして腕からルイーズを下ろし、少し離れたところに寝かせた。



「…………ごめん。ちょっと待っててくれ」


 傍にあった大きめの石を掴んで、立ち上がる。

 こちらの準備が整うのを待っていてくれた獣に向き合う。



「おまえはいつも、ほんとにクソなタイミングで現れるよな」


 不思議と、焦りはなかった。

 恐怖は既に消えている。この身を動かすのは勇気と使命感だけ。


 この獣を倒す以外に、助かる術はない。

 俺が殺されれば、次に喰われるのはルイーズだ。


 心臓が、高鳴っている。いまから自分がやろうとしていることをイメージする。思考でなぞり、それを忠実に脳内で再生させる。

 …………バカげた話だ。



 鼓動が苦しい。ただ、立つことすら恐ろしいと、そう感じた。


 俺は正気だ。きっと、正しく狂えている。だから、安心してそれを実行できるだろう。


 みんなの顔を思い出す。

 金髪の少女の顔を思い出す。

「…………勇気を貸してくれ」


 最期に、アンジェリカの顔を思い浮かべた。



「うおぉぉぉおおおおおおおおおおおっ!!」


 雄叫びで躊躇いを掻き消す。拒絶反応に蓋をして踏む出す。

 地面を蹴って、その間合いを侵した。


 それに合わせて、レオガルトも地面を蹴る。そのスピードは俺のものを遥かに凌駕し、涎を撒き散らしてその大きな口を開いた。


 勝負は一度。

 長引けばそれだけ、こちら側が不利となる。

 武器はない。奴の命を刈り取る為の火力がこちらには不足している。


 故に、脚に能力は使用しなかった。

 間合いの浸食に、余分な力は裂けない。そもそも、俺には奴の攻撃を避ける意思が存在していなかった。


 奴の牙の前に、無防備な身体を晒す。

 身体の左側を、差し出すように。



 ――――――!!


 鈍い音が響いた。


 牙が皮膚を破り、肉を裂き、骨を砕く音が身体の内部に響き渡った。


「ぐがっ、がぁぁ、ああああああああああああああああああ」



 熱が走る。左腕を獣の口の中に突っ込み、その牙で穴を空けられ、その涎で内部を洗われるかのような感覚。

 痛みで、意識が遠くなる。視界が白みだし、それでも気を失う事を脳が許してくれない。

 気絶と覚醒を痛みで繰り返す。

 脳の全回路が燃え上がり、断線していく。ただ、熱い。左腕からは絶え間なく血が流れ続け、牙が深々と身体の内部を犯してゆく。


 許容したはずの痛みに、脳が溶かされていく。


「あぁぁぁ、ぁー――――――――――――、ぁぁぁあああ!」


 意識がなくなる。左腕が瓦解する。血液が逆流する。思考が漂白される。脳にギロチンが振り下ろされる。何度も、何度も。


 それでも、俺の意思を繋ぎとめているものがあった。

 人間の抵抗なんざ、甚だしい。こんな状況の中で、俺の意思だけは、はっきりとしていた。


 ―――――二度と逃げない、と。


 その使命だけが、俺の身体を動かした。


 叫ぶことしか許されない身体を、無理矢理動かす。

 身体の支配を本能から思考へと切り替える。

 否、思考を凌駕する意思。


 それに突き動かされるまま、右手の中にあるものを握った。


 ある。

 左腕の痛みで、落としていなかった。

 そのことに安心して、右腕を振り上げる。


「―――――――――っ!」


 顎に力が戻る。

 奥歯を噛み締めて、白く濁った視界で奴の姿を捉える。次の瞬間、視界が晴れた。思考が正常に回路を回す。

 細胞が目を覚ます。

 壊れた脳が狂ったまま働きを再開させる。




 回避も、防御も捨てた。


 ――――すべては、この一撃のために。



 左側の熱に負けないほどの熱が右腕に流れる。

 視界の先には、奴の顔がある。


 ――――――最大出力。



 全身ではなく、右腕のみに全神経を注ぐ。


「お、ぉぉおおおおおおおおおおお!」


 痛みに耐えかねた叫びではない。

 目の前の獣を殺すために放たれた叫びと共に、その右腕を振り下ろした。


 石の角がレオガルトの左眼を潰す。

 そして、そのままその奥。左脳へと直撃する。


 頭の左側の骨を砕かれたレオガルトは、反射的に口を離し、後ろに下がった。


 右手の石はその硬度を失い、崩れていく。

 これで、本当に武器は無くなった。


 右拳を握り締めて、その間合いを侵す…………。

 侵そうとして、膝から地面に崩れ落ちた。


「……………………ぁ」


 力を出し尽くしてしまったと悟った。

 俺の身体にはもう力は入らない。


 起き上がることさえ許されない。獣はまだ健在だ。


 俺は、最後の詰めで失敗した。


 痛みから回復した獣が、こちらを警戒しながら唸り声を響かせた。

 左眼から血を滴らせて、再度、その牙を動かなくなった俺の身体に向けた。



 ――――――あぁ、。もう、駄目だ。



 死を覚悟して、瞳を閉じる。


 そこへ風を切る鋭い音と共に、何かが飛来した。


 瞼を空けて、状況を確認する。

 顔を上げれば、レオガルトの身体に複数本の剣が刺さっていた。



 こんなことをできる人物は一人しかいない。


 追い打ちをかけるように再び飛んできた剣、槍、槍斧に身体をめった刺しにされ、レオガルトは断末魔を響かせて地に伏せた。


「タクミ、大丈夫!?」


 焦りを含んだ可愛い声。

 その姿を一目見ようと顔を上げようとするが、それは叶わなかった。


 それでも、その姿は最初に出逢った時と同じように…………。


 まるで、女神さまのようだった。





 視界が真っ黒になり、意識が遠くなる。

 そのまま水に沈むように、俺は安心して眠りについた。




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