5-2
「お待ちしておりました! アンジーナ様とその従者の方々!」
元気な声が草原に響き渡る。
アンジェリカは咄嗟に頭から布を被ったものの、あっけなく正体が看破されて、布を引きはがした。
ローズさんは荷台の上でおっとりと構えているが、ドミニクさんは鋭い眼光で立ち塞がる女を睨んでいる。
アルドニスは運転席から動こうとしていない。
どうやら状況を呑み込めていないらしい。頭にはてなが浮かんでいるのが見て取れる。
「…………追手、ですかね」
俺は声を殺して、ドミニクさんに耳打ちする。
「分かりません。なので、様子見が必要ですね」
俺は道の真ん中で仁王立ちする女に視線を移す。
紺色の短髪に、スラッとした身体つき。腰のラインがはっきりとわかる黒の短パン。ガタイはいい方で、身長も高い。恐らく、170cm近くはあるだろう。
女の奥には大きな荷物が詰まれて置いてある。その横には、ゲームなどで見たことのある武器が横になって置かれていた。
槍斧。バルバードとも呼ばれるその武器は、名前の通り槍と戦斧が一体化したような夢の武器である。長さは2メートルほどであり、大きいので恐らく、見た目以上の重量があるだろう。女性が振り回すのは現実的に無理がありそうだが、アニメやゲームではよくバルバードを振り回す女性キャラを偶に見かける。
現実の戦でも愛用されていた武器のひとつだ。
ちなみに俺はこのバルバードを扱うキャラが好みなことが多い。
俺の人生の最大の推しであるシャルロットは槍と旗が一体化していた武器を扱っていたが、そのシャルロットを除けば、バルバード使いで好きなキャラは多くいる。
バルバード使いというのはかっこよくて好きなのだ。
決して、浮気なんかではない。
「オレの名前はルイーズ。あんた達の仲間に成りに来た!」
…………オレっ子とは、かなりいいキャラをしてる。
俺独自の判断としては即採用にしたいところだが。
現実はそうあまくない。
「…………っと言ってますが、どうしますか?」
横に居るドミニクさんに判断を仰ぐ。
「そうですね。先ずは警戒してー――――」
ドミニクさんがそう言いかける。
「オレを仲間に入れてくれ!」
再度、強めの主張が飛んでくる。
そして、「いいわよ。これからよろしくね!」とアンジェリカが物凄く軽い感じで承諾してしまった。
…………なんという失態だ。
誰かこの女神を止められないのか。
…………まあ、いないよね。
新しい仲間という事で、アンジェリカの瞳は輝いている。興奮気味に馬車を飛び出して、ルイーズと名乗る女性に近付いていく。
うん。テンションが高い。
かわいいな。
と心の声が漏れたところで、馬車を下りて、アンジェリカにストップを促した。
「ちょっと待って、アンジェリカ。少しは人を疑う事を知ってほしい」
「ん? 大丈夫よ。だって人がヴァーテクスを謀ることなんてないもの」
自信満々でそういうアンジェリカに、俺は重たい溜息を吐いた。
「…………ヴィーネの能力で操られていたら、どう?」
「あっ! 可能だわ!!」
虚を突いた発言だったらしく、アンジェリカは大きな声を上げて眼を見開いた。
おまけに口に手を当ててこっちを見ている。
うん。可愛いけど、もう少し慎重に、いろいろと考えて行動してほしいなぁ。
再び溜息を吐いてドミニクさんに視線を送った。
彼は、やれやれといった様子でこちらのやり取りを見ていた。
きっと、俺の前はドミニクさんがこの役割を行っていたんだろう。その苦労が垣間見えて、少しだけ肩が重くなった。
「…………俺が代わりに、いくつか質問するからそれに答えてくれ」
「ああ、いいぜ。ドンと来い!」
「まず、俺たちの仲間に成りたいって言ってたけど、その理由は?」
「フローガ様と戦う姿に感動したんだ。アンジーナ様は凄いぜ!」
真っ直ぐこちらを見詰めてくる眼差しに、若干の苦手意識を覚える。
「ここに来る前は、どんなことをしてたんだ?」
「南にある街で怪物から都市を守る守護隊に入ってた。だから、怪物との戦闘は得意な方だ」
嘘はついていないと思うが、もともと嘘を見抜くようなスキルを持っているわけではないので、何とも言えない。
「今、アンジェリカ様に付き従うという事は、バジレウス様に逆らうという事です。その覚悟が貴様にあるのか?」
ドミニクさんが馬車を下り、女に敵意を向ける。
それは核心に迫る質問だ。
怪物を倒し、怪物を生み出しているヴァーテクスを打倒する。その行動が多くの人を救うことに直結するとしても、今のアンジェリカはバジレウスの在り方に逆らっている身だ。
この世界に住む多くの人が、全能のヴァーテクスに信仰を捧げ敬っている。
それに逆らうというのは簡単に行えるようなものではない。その決意は、おそらく人間が下せるものの中でもかなり重いもののはずだ。
アンジェリカが戦う姿に感動した。それだけで見て見ぬふりは出来ないほどに、重要なことのはずだ。
「あぁ。オレはこの選択が正しいと直感した。覚悟は決めてきた」
「…………わかりました。貴女を歓迎します」
しばらく、女を見詰めたドミニクさんは敵意を消して微笑んだ。
「おし、やったぜ。これからよろしくな!」
ルイーズは笑顔を浮かべて、ドミニクさんに急接近する。
まるで男友達のようなノリだ。
「これからよろしくね」
それを見ていたアンジェリカが彼女に近寄る。
「はい。よろしくお願いします。アンジーナ様!」
「あ、これから私の事はアンジェリカって呼んでね」
アンジェリカがそう微笑むと、ルイーズは戸惑うように辺りを見渡した。
俺たちの顔を覗っているようだ。
「問題ないわ。私がそう望んでいるのだから」
アンジェリカが自信満々でそう言うと、「分かりました。アンジェリカ様」と答えた。
その日の夜は、少し騒がしいものとなった。
新しく仲間になったルイーズの歓迎と、軽い質疑応答が飛び交う。
情報交換というやつだ。
俺たちも、彼女の事を聞きたいし、きっと彼女も俺たちの事を聞きたいはずだ。
「ルイーズは髪が短いんだな」
アルドニスが口を開く。
たしかに、ルイーズは髪が短い。
彼女の紺色の短髪は、遠目から見たとき男性と間違えてしまいそうなほど短いのだ。
「あぁ。戦闘の邪魔になるからな。短い方が楽だしよ」
そう言って、ニシシっと笑うルイーズ。
「でも、それだけ短いと男性に間違われることもあるんじゃないの?」
ローズさんの質問に、「あるぜ。まあ、オレは気にしないけどな」と答えている。
「私は、少し夜風に当たってきますね」
そんな最中、立ち上がったドミニクさんがそう言い残し、夕飯の席から離れていく。
アンジェリカをはじめ、他のみんなはそれを見届けて会話に戻る。
「…………じゃあ、俺も行ってきます」
俺は少し気になることがあったので、ドミニクさんの後を追いかけることにした。
少し離れたところで、ドミニクさんんは夜空を見上げていた。
その隣に移動して、聞きたかったことを切り出す。
「…………信用していいんでしょうか」
「分かりません。そう簡単に判断できることではないので」
当然のように、ドミニクさんはルイーズを警戒している。
「ヴァーテクス様に対する人間の信仰心は絶対のようで絶対ではありません。その実、隙間のような穴が存在していると私は思っています」
唐突に、空を見上げながら語り出す。
「バジレウス様はこの世界における絶対の支配者です。逆らうことなど考えられません。ですが、アンジェリカ様に付き従う私たちはバジレウス様に逆らっていると言えます。このように、完璧な信仰などこの世には存在しないのです。だから、その隙を突けば、人間はヴァーテクス様に刃を向けられます」
その言い方に、俺は息を呑んだ。
ドミニクさんの言う通り、ヴァーテクスを欺く方法はいくつか存在し、また人間がヴァーテクスを傷つける方法も存在する。
「ルイーズが美のヴァーテクスに操られている可能性があるってことですか?」
「いえ、その可能性は低いでしょうね」
その答えは意外だった。
「なんで、そう言い切れるんですか?」
「ヴィーネ様の強みはその能力で操れる人間の数です。今更、ひとりを諜報員として送ってくることはないでしょう」
「…………そう言い切れますか?」
「はい。ヴィーネ様はアンジェリカ様を捕らえることに固執してましたから」
そう言われればそうかもしれない。
そもそも、ヴィーネは俺たちを捕らえた時点で、俺たちを罠に使っておけばもっと効率よくアンジェリカを捕まえられたはずだ。
それに、ヴィーネは俺たちがあの街を出るときに最大のチャンスを逃している。
アンジェリカを呼び止めたあの時、能力を使っていたら俺たちはあそこで捕まっていた。
「考えても分からないことに時間を割くつもりはありません。私たちには時間がない」
「…………時間ですか?」
「はい。次にバジレウス様が動く前に、…………ユースティア様が追ってくる前にテラシア様の神殿に入る必要がありますから」
ユースティア。
その名前を聞くだけで悪寒が蘇ってくる。
あの存在はチートに近い。
戦闘方法も、抵抗手段も突破口すら見つけることができない。
もう一度、彼女と真正面からぶつかれば今度こそ全滅する。そんな予感すら感じられる。
「…………まあ、私たちにできることはアンジェリカ様のために全力を尽くすことだけです。とりあえず、ルイーズの事は経過観察ということで。…………それにしても、まさかタクミとこんな話をすることになるとは」
「ん? それはどういう…………」
「貴方が仲間になった時も、私は貴方の事を疑っていましたから」
ドミニクさんの言葉に、俺は身を固くする。
言われてみればそうだ。
そりゃあ、警戒ぐらいするわな。
「さて、戻りましょうか」そう言って、ドミニクさんは踵を返した。
俺に背を向けて歩き出す。
俺もそれに続いて脚を踏み出す。
「…………全ては我が主様のために」
風に乗って、小さな声が聞こえてきた。
「―――――え?」
「何でもないですよ。さあ、行きましょう」
そう微笑んだ顔に、俺は聞き返すことができなかった。