3-10
「…………追ってこないな」
後ろをちらちらと確認しながら呟く。
追ってきてもおかしくない秩序のヴァーテクスが何故か追いかけてこない。
馬車はスピードを緩めることなく、前へ前へと進んでいく。
「そういえば、どこに向かってるんですか?」
馬車は来た道を引き返すように乾燥地帯を抜けて平原を駆けている。
「怪物のヴァーテクス様がいる神殿に向かっています」
運転席から声が返って来る。
「怪物のヴァーテクスって言うのは、怪物の親玉っていう解釈でいいのか?」
「ああ、そうだな。人間の敵、怪物を産み出している元凶だ」
アルドニスの声がいつもより低く感じる。
「おーい! 待ってくださーい」
突然、聞こえてきたその声に後ろを振り向く。
小さな影がゆっくりと動いているのが見えた。
「…………ユースティアじゃ、ない?」
隣でアンジェリカが言葉をこぼす。
目を凝らして確認する。
「…………ドミニクさん、少しスピードを落としてください」
声を掛けると、馬車のスピードが落ちる。
後ろに居た小さな影が段々と大きくなってきて、その姿が明らかになる。
それは見たことのある馬車だった。
運転席に派手なピンク色の髪の男が座っている。
「…………誰?」
アンジェリカを含めた全員が首を傾げる。
「…………ただの、胡散臭い商人だよ」
俺は笑みを浮かべ、そう答えた。
「いやー、追い付けてよかったぁ」
緑一色の道を2つの馬車が並んで走る。
「もしかして、追いかけてきたのか?」
「そりゃあ、あんな別れ方なんて御免だからね。僕はね、別れるときはお互いに笑顔がいいのさ」
確かに、俺は呼び止めるダウトを半ば無視して強引に別れてきた。
それがどうやら彼には不服だったそうだ。
「でも、ブラフォスの街とは逆方向だけどいいのか?」
「うん。目的は果たせたからね。わざわざ行く必要がなくなったのさ」
目に掛けるサングラスを指で押し上げながら笑顔をこぼす。
「そちらの人たちがもしかして謝りたかった人たちかい?」
「うん、そうだな」
「無事にいったようでなによりだ」
「おお、ありがとう」
「タクミ、そろそろ説明してくれよ」
横で、しびれを切らしたアルドニスが口を開く。
「その派手な人は誰なんだ?」
「あぁ、紹介するよ。この人はダウト」
「ただのしがない商人です!!」
俺の言葉にかぶせるように、陽気な声が響いた。
「よっろしくね!」
「あ、はい」
そのテンションについていけないアルドニスが面食らった表情で頷く。
「僕からも質問いいかな?」
「ん、なんだ?」
「そこの人はなんで顔を隠してるのかな?」
怪訝そうな視線を向けられたのはアンジェリカだった。
そんなダウトを見てアンジェリカは自身の顔に掛けた布を強く引っ張った。
「あー、いろいろと事情があるんだよ。ほら、煌点の光が苦手っていうか、体が弱い的な?」
説明が下手すぎるという視線が飛んでくる。
布越しだけど視線が痛い痛い。
「あぁ、聞いたことあるかも」
そう言って手を打って納得するダウトに俺は安堵のため息をつく。
「それで、ダウトさんは何故私たちについてくるのですか?」
ローズさんが口を開く。
その質問にダウトは笑みを浮かべて答える。
「向かってる方向が同じなんだ。僕はアストロに向かってるんだよ」
「ああ、なるほど」
と頷くローズさん。
俺は声を潜めてアルドニスに初めて聞いた単語を聞き返す。
「あすとろって?」
「街の名前だ。ブラフォスの街から見ると、北東方向に位置する街だな」
「この世界で一番きれいな街とも言われてるのよ」
アルドニスの説明にローズさんの補足が入る。
「…………一番きれいな街、か」
まだ見ぬ異世界の新たな街に、期待を膨らませる。
そんな心の逸りに従う様に、馬車は更に北東へと進んだ。
夜。
「あー、美味しかったね!」
煮込み料理を平らげ、一息つく。
今夜は小さな森の近くで野宿することになった。
水浴びのために、これからひと仕事しないといけないが、今は満腹なので怠けたい気分だ。
「休んでないで、行きますよ」
だが、ここで休ませてくれないのがドミニクさんである。
「わかりました」
そう言って渋々立ち上がる。
「お、伐採作業かな?」
テンション高めにダウトが声を上げる。
「…………………なんで、そんなにワクワクしてるんだよ」
「いやー、珍しいものだからさ。見学したいなーって」
「別に構わないぜ」
アルドニスが答えると、「やったー」と喜ぶ。
「珍しいものって普段の移動の時はどうしてるんだ?」
「いやー、僕ってそんなに筋肉質じゃないでしょ?」
そう言われてダウトを上から下まで眺める。
確かに、やせ型といった体型で俺と似たような肉付きをしている。
「だから、水浴びしないことなんてよくあることさ」
「なるほど」
まあ、男一人ならそんなこともあるだろう。
俺は納得して伐採作業に入った。
ドミニクさんとアルドニスと協力して太い樹木に斧を水平に振る。
30分くらいかけてようやく樹を切り倒すことに成功する。
切られた樹木からすごい勢いで水が上へと噴き出している。
膝に両手を付いて、両肩を上下させて呼吸を繰り返す。
アルドニスも同じくらい疲弊している様子だが、ドミニクさんは何故か平気そうだった。
「いやー、いいもん見れたよ!」
興奮した声で駆け寄って来るダウト。
満足してくれたなら、労働した甲斐があるってもんだ。
「…………いいって、ことよ」
「お礼に、僕もいいものを見せよう」
そう言ってダウトは足元に置いてあった黒い袋から木箱を取り出した。
…………ん? 見覚えがあるような。
「じゃーん。マジカルナイフ!」
キランッとナイフを見せびらかし、紐を引き抜いて俺たちが倒した樹木の隣に生えている木の根元に向かって勢いよく投げつけた。
「それそれ」と同じ動きを繰り返して、数本のナイフを投擲する。
直後、大きな爆発が辺りを包み込んだ。
「――――うおっ!」
アルドニスが腰を抜かして息をもらす。
衝撃と爆風と熱が通り過ぎたころ、メキメキと巨大な樹木が悲鳴を上げて倒れ出した。
樹木は完全に倒れ、残った断面からすごい勢いで水が噴き出る。
「す、すげぇー!」
その光景に目を輝かせるアルドニス。
ダウトは自慢げに鼻を高くする。
「でしょでしょー。今なら特別に一本50カッパーで売ろう」
「買うぜ!」
即答するアルドニスは一旦置いといて、隙あらば商売を始めるその姿勢は商人として素晴らしい。
…………だが。
「なんで最初から使わなかった!?」
当然の怒りをぶつける。
「いやぁ、他人が苦労…………じゃなくて、必死に頑張る姿って見ていて気持ちいいよね」
マジでぶん殴ろうかな。
長い息を吐いて軽い殺意を呑み込んだ。
それぞれが眠りにつく頃。
アンジェリカに呼び出されて俺はみんなの元から少しだけ離れた。
夜の大岩の光がぽつんと寂しく光る下を静かに進んでいく。
「アンジェリカ、お待たせ」
俺がそう呼びかければ、アンジェリカは被っていた布を頭から引きはがした。
「ふー、これ結構大変ね」
可愛らしい顔を覗かせ、一息つくアンジェリカに頬を綻ばせる。
「どうしたの?」
そんな俺を見てアンジェリカは首を傾げる。
「いや、さっきは謝ることで精一杯だったから。こうやって落ち着いて話せることが嬉しくて」
「…………それは私もよ」
視線を落としたその横顔に心臓が跳ね上がる。
「みんなが戻ってきてくれた時、タクミがいなくて悲しかった。みんなから訳を聞かされた時は寂しかったわ」
「…………ごめん」
「ううん。こうして戻ってきてくれたから今は嬉しいわ」
そう言ってくれるアンジェリカに救われる。
それでも、俺はあの時の選択を許してはいけない。
それを改めて噛み締めて本題に入る。
「それで、話っていうのは?」
「うん。タクミにこれからの方針を伝えようと思って」
「怪物のヴァーテクスの神殿に向かってるって昼に聞いたけど」
「うん。それで正しいんだけどね。その前に武器を準備しないといけないのよ。怪物のヴァーテクス、テラシアは無数の怪物によって守られてるから。だから、あの商人と同じアストロの街に向かうわ」
「なるほど。わかったよ」
そう答えると、アンジェリカに顔をジッと見つめられた。
「…………えっと、どうしたの?」
「やっぱり、変わったわね。タクミ」
そう言われて首を傾げる。
「そうかな?」
「うん。なんて言えばいいのか分からないけど、いい変化だと思うわ」
まあ、確かに少し意識していることはあるが、面と向かって言われると恥ずかしいものがある。
「そ、そこは、かっこよくなったって言うべきだよ」
「ごめん。ちょっとなに言ってるか理解不能だわ」
ぐっ…………。
その切り返しが深々と刺さる。
心に大ダメージを負い、勇気を出したことを後悔する。
「ふふふ、冗談よ」
打ちひしがれる俺を見て、アンジェリカは笑い声をこぼす。
「…………変な冗談はやめてよー」
これは数日引き摺りそうだ。
心を支えながら言葉を絞り出す。
「ごめんね。そんなに落ち込まないでよ。今のはちょっとした罰よ」
ドキドキと変な鼓動を刻む胸を押さえて深呼吸を繰り返す。
アンジェリカはべっと下を短く出して片眼を瞑ってみせる。その可愛い顔に免じて今回の事は許すことにした。というか、こんな顔されたら許すしかないだろ。反則だ。
何でもない会話。
それが何よりも心に染みわたっていく。
あぁ、戻ってきてよかった。
「…………アンジェリカ」
真剣な眼差しで彼女の名を呼ぶ。
「なに?」
俺を見詰めてくる綺麗な瞳を真っ直ぐ見詰める。
「少し落ち着いたら、会わせたい人がいるんだ。アンジェリカだけじゃなく、みんなに」
彼女との約束を果たすために。
「わかったわ。じゃあ、頑張ってテラシアに会いに行こう」
その言葉に強く頷いてみんなの元へと戻る。
無事に帰ってこれたことに安心して、静かに眠りについた。