16-3
それはタクミとカルケリルがブラフォスの街を出て冥界へ向かった後のことだった。
それから数日。フローガを悩ませる種が常にフローガの意識を刺激した。
あの時感じた頭痛と、脳に浮かんだ光景の正体。
「うがぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
手当たり次第に物にあたり、酒を飲んで暴れた。その結果、フローガの従者の何人かが怪我をした。その度にフローガを襲う頭痛は酷くなっていった。
それから数日が経過したころだった。
世界に異変が起きる。
その日、激しい揺れにフローガは酔いから冷め、天幕から外に出る。
既に人の壁が出来上がっている中、フローガは強引にその中を突き進み、最前列に立った。
「なっ、なんだ、こりゃ」
そして、異常を見た。この世の終わりとも思える光景を見た。
光の柱に導かれるように、街とその周囲が岩盤ごと持ち上がり、宙に浮いている。そして、地上だった所を見たこともない勢いの水が流れていく。
その光景が何を意味するのかフローガはすぐに理解した。
「…………バジレウスか」
中央都市のある方角に顔を向け、フローガは呟く。
「うわぁぁぁぁぁ!」
と近くで叫び声がした。
光の柱に導かれるようにして浮き上がる都市。
だが、全ての人が救われる訳では無い。
街に入れなかった人。切り捨てられた小さな村などは水の勢いに飲み込まれ、そのまま消えていく。
上昇する街にいて偶々助かった人々はただ茫然としていた。その光景をみて、ただ立ち尽くしていた。そのままその光景を受け入れていた。
それを見たフローガを再び頭痛が襲う。
まるで太い針で何度も刺されるような痛みが絶え間なくフローガを襲う。
「ぅ、ぐぐぐぐぐ」
そして、脳裏に浮かぶのはあの光景だった。
知らない青年が、武器を持った人々の前に立ちふさがり、集められた人を守ろうとする、そんな光景。
しばらくすると痛みが引いていく。
「………ちっ、酒飲んで寝るか」
舌打ちをし、フローガは踵を返した。
それからしばらく経ち、再び人々の騒がしい声にフローガは目を覚ました。
「…………ったく、なんだよ。一体」
頭をかきながら、フローガは人が密集する街外れへと歩く。
人集りを超え、身を乗り出す。
すると、遥か下。水に覆われた地表が見える。だが、人々が騒いでいる理由がそれでは無いとすぐに察する。
何か黒い影が水の上に浮かんでいる。
その小さい何かはゆっくりと進んでいるようだった。
「………なんだありゃ」
少し考えた末、フローガはそこから飛び降りる。
足元に炎を集中させ、バランスを取りながらゆっくりと下降する。
水の上を進む小さな影の正体。それは船だった。
といっても、フローガはそれを知らない。
ただ木造の何がゆっくりと水の上を滑るように進んでいる。
そして、近くで見ればそれは大きく、何人もの人を乗せて動いていることがわかった。
それに乗る人達は水に落ちて溺れる人を引き上げ、助けているようだった。
こんな状況になり、多くの人が呆然とする中で。
率先して人を助けるために動いている人間たちがいる。そして、その中に。
フローガの頭痛の種の原因となった少女の姿を見つけた。
「あれは……………」
ギリっと歯を噛み締め、フローガは足の炎を操り木造のそれへと上陸する。
ひぃ、フローガ様!
と数人が情けない声を漏らす中、その少女は真っ直ぐにフローガのことを見つけた。
「おい、お前に話がある!」
フローガは見下ろすように少女に視線を送り、威圧するように接近する。だが、その少女は怯えることなく、「なんですか」と口を開いた。
「お前は一体……………」
そこまで言いかけて言葉につまる。
フローガの頭痛の種は間違いなくその少女がトリガーとなって起きたもの。そして、時折脳裏に浮かぶ謎の光景。
それがフローガを悩ませる最たるもので………。
でも、それがその少女の手によって引き起こされたものでは無い事をフローガは感じ取っていた。
「……………なんで、人を助ける」
つい、出た言葉はそんなものだった。
力がない。権力もない。非力で押せば倒れるように細くて。脆い。
他人なんかに構わなければ自分が怪我をすることは無い。
ただ諦めて受け入れればそれだけで済む。
「人が困っていたら助けたいと思うのは、自然なことではないのでしょうか?」
少女は真っ直ぐにフローガを見てそう答えた。
それをフローガは理解することが出来なかった。
「分からねぇ。訳が分からない。なんでそこまでして人を助けたいと思う。俺にはさっぱり…………」
そこまで言いかけて、再びフローガを謎の頭痛が襲う。
「大丈夫ですか?」
少女がフローガに駆け寄る。だが、その行為がフローガには理解出来なかった。
心配されている。そんな事初めてだった。
だからこそ。思い出した。
「――――――――あれ、は。俺か」
そして、言葉をこぼす。
不思議なことに、フローガを襲っていた頭痛は綺麗さっぱりと消え去る。そして、胸の奥で凝り固まる何かが溶けたような、そんな感覚をフローガは感じていた。
思い出した。ずっと昔。
俺は誰かを、みんなを守るために。
村を攻めてきた兵士の前に立ち塞がった。
あの当時、徴兵から漏れた俺しか、男がいなかったから。
いや、もっと大事な何かのために。
俺は――――――――。
「…………俺は一体、何をしていたんだろうな」
思い出せば、キリがない。
今までのこと。今まで犯してきた罪の意識がフローガを襲う。
「俺はいつの間にか、一番なりたくないものになっていた」
かつての純真さを忘れ、力と権力に溺れ、好き勝手に生きた。
その代償がその重さだった。
もう、かつての名前を思い出すことも出来ない。
「………フローガ、様?」
目を移せば、心配そうな表情でフローガを見詰める少女の姿がある。
「人を助けるのに、大した理由は要らない」
「え………」
「そうだろ?」
驚く少女に、フローガは微笑む。
「は、はい!」
満足したように目を閉じ、開く。
「お前、名前は?」
「ハンナです」
「そうか。いい名だな。
ありがとよ。ハンナのおかげで、俺は本当に大切なものを取り戻せた」
そのフローガの様子に、ハンナは戸惑っていた。
それもそのはず。今まで伝え聞いていたものとまるで違うフローガの様子に、ハンナは状況を上手く飲み込めない。
「えーと。フローガ様、ですよね?」
「様は要らねぇ。俺はもうヴァーテクスは名乗らねぇ。一人の人間としてつけなきゃならねぇケジメをつけに行く」
そうしてフローガは飛び立つ。
赤い星が流れるように。
もうそこに、かつての炎のヴァーテクスの姿はなかった。
♦♦♦
「…………恩に着る」
「うるせぇ。俺は別にお前らと共闘しに来たんじゃねぇ。偶々あいつを殴りに来たところにお前らがいただけだ」
そう言ってフローガはそっぽを向く。
その様子に笑みを零しつつ、俺はバジレウスに視線を向けた。
肝心のバジレウスは相当キレている様子だ。
「フローガ、ありがとう」
そこへ、アンジェリカが立ち上がり口を開いた。
「………………さっきも言っが、俺はお前らを助けに来たわけじゃねぇ」
「それは分かったわ。でも、ありがとう」
アンジェリカの笑顔にフローガはそれ以上何も言えなくなる。
「………………そうか、貴様も気付いていたのか」
バジレウスは小さく言葉をつぶやく。
それの意味するところが俺には分からなかった。
分からない。
フローガがなぜ助けに来てくれたか。
恐らくこれはアウルでも予測できなかった未来。
カルケリルのお膳立ては影響していないはず。
「……………バジレウス。やっぱり、全知全能なんてものは存在しないんだよ」
「うるさい!
我は、全能の、ヴァーテクスだ!!」
バジレウスの周囲を包む空気が爆ぜる音がした。
その直後だった。バジレウスの身体が再び雷に包まれる。
「――――――――まずい、来るぞ!」
捉えきれないスピードによる雷の斬撃。気付いた時には身体が両断される未来が見えた。
だが……………。
「しゃらくせェ!!」
床を蹴ってからの飛び蹴り。吠えたフローガの一撃がバジレウスの顔面を捉えていた。
「――――――――ぐっぬぅぅ」
「はぁ? どうやってやったんだ。今の!?」
「あぁ? 勘だよ。勘」
フローガが頼もしすぎる。
「――――――――雷玉、展開」
再び、緊張感が張り詰める。
「させないわ!!」
展開された雷玉をアンジェリカがすぐさま潰しにかかる。
それと同時にフローガも飛び出す。足に炎を集中させ、どんどんと加速していく。
圧倒的に冴えた直感と戦闘センスから繰り出される炎の打撃はバジレウスの思考を凌駕し、追い詰めていく。
フローガの攻撃にバジレウスはその身体を焼かれながら吹き飛ばされる。
そして、それをサポートするようにアンジェリカは動いている。
バジレウスの攻撃を妨害し、フローガが動きやすいように動いている。
「ぐぬっ!!」
苦しげな吐息を漏らしつつも、バジレウスは攻撃の手を緩めない。放たれた雷撃がアンジェリカに迫る。
だが、俺がその間に割り込み、虹の斬撃で雷撃を掻き消す。
フローガという圧倒的攻撃精神の塊。それが加わることで、安定感が抜群に跳ね上がった気がする。
俺はアンジェリカのサポートに徹すればいいのだから。
「は、上手くいかねぇな。全能さんよ!」
敢えて煽る。
全能故に傲慢。それ故に単調。バジレウスの思考は読みやすい。
挑発が上手くいけばそれだけで更にバジレウスの攻撃が単調となる。
「よそ見してんじゃねぇぞ!!」
そこへフローガの拳がバジレウスの顔面を貫く。頭の芯を捉え、まるで野球の玉のようにバジレウスの身体が吹き飛ぶ。
髭だらけの顔はの炎に焼かれ、塵と化す。
だが、それも30秒ほどで元に戻る。
「明らかに治りが遅いわ」
そう呟いたのはアンジェリカだった。
そんなアンジェリカをギロリと睨み、バジレウスは口を開いた。
「………理解出来ぬな。我を倒そうというその魂胆。全く理解出来ぬ」
「お前、まだ優位に立ってるつもりかよ」
「………我は全能だ。我の存在が揺らぐことは無い!」
「は、バカかよ」
ここに来てなお権力を誇示するバジレウスを嘲笑するようにフローガが答える。
「てめぇの存在がなんであろうと、この時代は終わる。この俺が終わらせるからだ。この時代は正しい流れじゃねぇ!」
その言葉に、バジレウスの眉間に皺がよる。そして、バカでかい声で思いの丈を吐き出す。
「正しくないだと!?
世界をつくり変えたこともない奴が偉そうに吠えるな!
貴様の言葉に、価値などない!!」
突撃するフローガに対し、バジレウスは雷玉を展開する。
だが、間髪入れずにアンジェリカがそれを破壊する。
続いて、光弾を放つがフローガは足の炎の勢いを弱め、緩急をつけた動きでそれを避ける。
フローガの炎の蹴りがバジレウスの顔面に叩き込まれる。
「………………ぐっ!!!」
グラッとふらつきながら、バジレウスは俺たちを睨む。
「俺の言葉には価値がねぇ。その通りだ。でも、だからこそ、だ。
俺みたいな奴が生まれた。だから、少なくともこの時代は正しくはねぇ!!」
「自己否定。…………いや、自己肯定か。迷いなき意識。だが、我にも譲れぬものがある!
たった一人の少女に、神であるという理由だけで全てを背負わせた。責任も、力もだ。
身勝手に信仰の対象にしておいて、信仰される側の気持ちなど、一切考慮しない。その浅はかさやその愚かさが、貴様らの罪だ!」
怒りの咆哮と共に降り注ぐ雷鳴。
放たれた数本の雷撃がフローガの身体を貫く。
血を吐きながら、それでもなおフローガは止まらない。
「その罪は、私たちには関係ない!」
フローガと挟み込むように、アンジェリカがバジレウスへと迫る。
「関係なくなどない!
貴様らは、その罪の上に生きている!」
「たとえ、そうだとしても。
私から人生を奪うに値する理由にはならない!
人間が愚かでも、浅はかであったとしても。私にはそんな事どうでもよかった!
………私はただ、お父さんに。…………愛してくれてありがとうって、伝えたかっただけなのに」
バジレウスの反撃をくぐり抜け、アンジェリカの剣がバジレウスへと突き刺さる。そこへ、フローガの渾身の一撃が降り注ぎ…………。
そして、俺が振るう虹の斬撃がバジレウスの身体を捉える。
「はぁ、はぁ………………、はぁ、はぁ」
と荒くなった息を繰り返しながら、バジレウスは自身の身体を放電する。
それに巻き込まれないよう、俺たちはほぼ同時にバジレウスから距離をとる。
「…………見て!」
そこへ、アンジェリカの声が響く。
バジレウスを纏う放電が収まり、その身体が顕となる。
アンジェリカに刺された胸の傷。
フローガに殴られた顔の火傷。
そして、俺が斬った肩から腹にかけての傷。
そのどれもが完治していない。
ついに、再生能力がバジレウスの限界を超えたのだ。
ようやく、俺たちの勝――――――――。
「――――――――飛翔、全解除」




