#07「攻防、苦戦、そして」
またも二秒の間に五発の砲弾が立て続けに発射され、今度はその全てが火龍の巨体目指して真っ直ぐ飛んだ。
背を丸め前傾姿勢で待ち受けていた巨竜の胴体と脚に五発の砲弾が命中、そのことごとくが爆発して巨竜の体が小さくない火球に包まれる。
砲声と着弾の爆音がごちゃ混ぜになって公園に面する全てのビルを震わせた。
大きく開いた炎の華は数秒で消滅し――あとには、砲弾を食らう前とほぼなにも変わっていない火龍がそこにいるだけだった。
下半身についた汚れを払い落とすかのように火龍が腕を動かす。どうひいき目に見ても効いているようには見えなかった。
全弾直撃を受けた火龍がゆっくりと倒れて息絶える――そんな希望した展開が起こりそうにない気配に、またも少女か小首を傾げた。
『……あれれ?』
「あれれ、じゃない!!」
クレイが上げるのは失望が五割増しされた悲鳴にも似た叫びだ。
「大尉、血管が切れそうになってます」
『……全然効いてないじゃない! どうなってんのよ!』
「奴の装甲は戦闘ヘリの30ミリ機関砲を跳ね返すんだ! 同じ30ミリで真正面から撃っても同じに決まってるだろ!」
『じゃあどうしてこんなもの持たせたの!』
「接近して奴の装甲の隙間に撃ち込むとか! 口の中に直接ぶち込むとか! そういう手段をとるかと思ってたんだ!」
『なんでもっと早くいってくれないのよ!』
クレイは絶句した。あまりもの無策ぶりに戦慄さえ覚えていた。
思考の空白地帯になった頭を物理的に叩き、強制的に再起動させてクレイはマイクを握り直す。
「……いう前にお前が全弾撃ち尽くしたんだろうが!」
『すんだことは仕方ないじゃない! 次の弾をちょうだいよ!』
「馬鹿いうな馬鹿! これ以上お前に馬鹿弾撃たれてたまるかこの馬鹿!」
次の発砲で市民に巻き添えを食らわすリスクを考えれば、死んでも次弾などくれてやるわけにはいかない。
『じゃあどうすればいいの!?』
「火器なしでがんばれ!」
『ええ――っ!?』
無線の向こうから驚きと失望に彩られた喚きが聞こえてきたがクレイはそれを無視した。
「大尉、奴が動き出しました」
「なにっ……」
目の前の獲物の出し物がこれ以上ないことを察したのか、事態の推移を見守っていた火龍がゆっくりと前進を開始していた。
その強靱な脚が一歩、二歩と前進し――止まったと同時に巨大な顎がまたも直角の大きな角度をとって開いた。
開かれた口の淵で二重に並んだ鋭い歯、下顎に寝そべる赤く広い舌の奥の喉元がまばゆい発光を示す。
それが次になにを生み出すのか――それを見せられたのは今日何回目だろうか、いぶかしむ必要さえなかった。
『わ――あいつ、あれを吐こうとしてる!』
「インヴィジブルシールド発生器をつかめ! 早く!」
『え!?』
「盾だ! 早くしろ!」
無用となった対物ライフル砲を投げ捨て、目の前の地面に突き刺さっていた盾に少女が駆け寄る。
「インヴィジブルシールド強制起動!」
「りょ……了解!!」
ビルをかじられるほどに開いた火龍の口からプラズマビームがほとばしるのと、少女が飛びつくように盾を手にするのと――クレイの上ずった声に背中を押されて助手がコマンドを送ったのはまさしく同時だった。
「っ!!」
この世の全てのものを灼き尽くす勢いでほとばしる灼熱の柱が少女を直撃し――少女の前面を直撃して四散、炎の飛沫の傘を形成する。
少女の体を一瞬で炭化させるはずの熱線が少女の目の前で見えない壁に阻まれ、開いた傘に激突する放水かなにかのように四方八方に飛び散った。
「!?」
全くの予期せぬ展開に火龍の目が見開かれた。あってはならない光景だった。
目の前の取るに足らぬはずの小娘が、何物にも阻まれるはずのない我が炎の奔流をその小さな体で防いでいるだと……!
左腕の全力で突き出した盾が――正確にはその盾の前に展開された力場が炎の洪水を受け止めてそのほとんどを対消滅させている。
「くっ……!!」
それでも炎の流れが与えてくる勢いは消すことができず、両の脚を地面に突き刺す杭にして少女は全力でその流れにあらがった。
「くぅぅぅぅ…………!!」
火龍の喉から吐かれるプラズマビームがさらに力強くあふれ出る。炎が防がれているのなら風圧で吹き飛ばそうと持てる限りの力を尽くしてそれは吐かれ続けた。
「っ――――!!」
激突してくる炎の勢いに少女の手から盾がもぎ取られたのと、そのプラズマビームが途切れたのはほぼ同時だった。
少女の手から離れて空中に舞った盾が回転して地面に突き刺さる。その表面は完全に焦がされ、一部は変形して内部の電子機器がむき出しになりスパークを発していた。
「シールド、ロスト!」
盾がその機能を失ったことを確認した助手の叫び声にクレイの目が吊り上がる。
「うわぁ……ちょ、ちょっと! 武器も盾もなくなっちゃったよ!?」
『……丸腰じゃないぞ、ソードがあるだろ!』
無線からの声に少女は自分の左腰に差されている剣に目をやった。
確かにそれはある――先端から柄の尻までが八十センチほどの両刃の直刀が。
「で、でもこれって儀礼用の剣なんでしょ!?」
鞘からして細身、長剣ともいえない小ぶりなサイズに少女の声が怯えている。
『それでもそいつは純粋なアルケミウム鋼でできているんだ、飾りじゃない!』
「ええぇ……」
最後に残された武器であるそのソードを鞘から抜き、柄を両手で握りしめて正面で構える。
相手がもう飛び道具を失ったのを知ってか、速度を上げて前進して距離を詰めてくる火龍を前にして――両手で握りしめるその武器からは不安しか湧いてはこなかった。
「ねぇ――やっぱりこれであいつとやり合うのは無理じゃないのかなぁ!?」
『いや、そいつは意外に使える。あのライフル砲よりは期待できるぞ』
「本当? 嘘いってない?」
『いいからやれ! どのみち今のお前にはそれしか残されてないんだ!』
「うえぇ……」
クレイの非情な正論にねじ伏せられ少女は泣きべそをかきかけるが、次には唇をかんで視線を上げている。
『奴に接近させるな。こちらから接近しろ! 白兵戦で相手に主導権をとられるな!」
「や……やればいいんでしょ! どうせあたしからいい出したことなんだし!!」
撤退や逃走という選択肢をかなぐり捨て、剣を構えて少女が跳ぶ。その強靱な脚力からの跳躍にスペクトルスラスターの推進力が加わって、火龍との数百メートルの間合いを一瞬で詰めた。
火龍が反応するよりも早くその巨体に肉薄した少女が剣を鱗に突き刺す。が、鋼鉄の数倍の強度を持つ堅く厚い鱗は細い剣の刺突を難なく弾き返した。
「うぇぇぇっ!?」
猛然と懐に飛び込んできた小さな獲物の攻撃に火龍は一瞬たじろいだ気配を見せたものの、相手がまるで有効打を持っていないことに安堵したのか少女を振り払おうともしない。
「ちょっとっ!! なにがライフル砲よりは使える、よ! 傷もついてないじゃないっ!」
『そのままで斬りつけたりするからだ! ソードにエネルギーをドライブさせろ!』
「ドライブさせるって!?」
『ソードに力を流せ! 頭の中でイメージするんだ! スラスターを噴かすのと同じ感じでいい!」
「イ……イメージって……」
飛びすさり火龍の腕のリーチから逃れ、地に足をつけた少女は再び両手で青眼の構えをとった。
クレイの曖昧もいいところの指示に従い、自分の体に流れる力が両手に集まるのを頭の中で描く。
「こう……!」
肩から腕、腕から手、手から剣へと血流を巡らせるように力の流れを思い描くと、自分の体の中で実際に気の流れに似たものが回り出すのを感じる。
「え……!?」
時を置かずに両手で握る剣の刃が明るい青の光に包まれた。
熱とも風圧ともつかない波動のようなものが少女の体を撫でるようにして触れる。光そのものを握りしめるようになった少女は、自分の手の先で静かにしかし力強く発光する輝きに目を奪われた。
「…………!?」
それに気を奪われたのは少女だけではない。少女につかみかかろうと一歩、歩を進めようとしていた火龍もまた、少女が構えるソードの眩い輝きに目を眩まされる。
『今だ! 行け!!』
「うん!」
耳元で響いたその声に力づけられ、勇気を振り絞って少女は矢の速度で跳躍した。
火龍の肩めがけて突き出される青い光の刃。その先端が火龍の装甲に触れ――触れたと同時に岩のような鱗が沸騰し握り拳大の穴が穿たれる。
「!?」
ソードの表面に形成されたプラズマビームのフィールドがその圧縮された高熱で火龍の鱗を瞬時に溶解、沸騰させて消滅させているのだ。
大口径の砲弾を弾いていたはずの鱗は焼けたナイフを刺されたバターよりもやわらかく穿たれ、厚さ十数センチはあるはずのそれが一瞬のうちに貫通される。
火龍の目が今度こそこれ以上もないというほどに見開かれた。
ソードの柄までが火龍の体に突き刺さり、刃の全てが火龍の肉を穿ち肉と血も超高熱の前に消滅させる。目と同じくその顎も限界まで開かれた火龍が、地響きに似た雄叫びを発してその場にある全てのものを振動させる。
「――すごい!」
この地に降り立って初めて火龍が発する苦悶の絶叫。
打撃となってぶつかってくるその音の揺さぶりにさらされながら、ほんのさっきまでの不安な気持ちは全て吹き飛んで少女は自分が握っているソードの威力に感嘆していた。
「これなら、この剣だけで勝てるかも知れな――」
――――逃げて!
「えっ」
心に突き刺さる声があった。耳から聞こえたのではない。五感を介さずに少女の魂に響いたその声。
その不可思議な声に顔を反射的に上げた少女に、渾身の力を込めて振るわれた火龍の腕が激突していた。
「うわぁ――――!!」
ものもいえず砲弾の勢いで吹き飛ばされた少女の代わりに、クレイが痛烈な悲鳴を上げる。
バットのスイング以上の速度で振り切られた腕の一撃を全身に浴びた少女の体は斜め下30度の角度で飛び、まさしく砲弾そのものとなってその先の公園管理事務所の建物を貫いていた。
まるで砲撃されたように鉄筋コンクリートの建物が破片をまき散らして、大きく揺らぐ。
「シ……シ、シグナルチェック!!」
フェイリスの状況を簡単な信号の受信でリアルタイム監視しているモニターにクレイと助手が顔をぶつける勢いでかじりついた。
「ソードロストしました! 素体にバージンシェルは……双方シグナルグリーン! 無事です! 生きてます!」
『無事じゃないわよ!!』
間髪入れずに少女の声がスピーカーから響く。マッハに迫る速度でコンクリートの壁に叩きつけられた割にはその声は元気だった。
『……死ぬかと思ったじゃない! いたたた……体がバラバラになるところだった……』
「大尉!」
その助手の悲鳴にクレイは監視ドローンが送ってくる映像に目を向け――音もなくその喉の奥が引きつった
。
「り……離脱しろ! 早く!!」
『えっ? な』
間の抜けた応答は唐突に途切れた。
少女を腕で薙ぎ払ったと同時にその背の翼を広げ、飛翔――というより跳躍した火龍が、管理事務所の残骸の上にその巨体を激しい勢いで着地させていたのだ。
数千トンという圧倒的な重みで屋根も壁も瞬く間に押しつぶし、無論その下にいた少女も巻き添えにして火龍の体が建物の中に沈んでいく。
まだいくらか明瞭だった交信にいきなり大きなノイズが乗ったかと思った次には、交信自体が途絶してしまっていた。
「おい!? おい――!!」
甲高い警告音と共に状況監視モニターのコンソールの上に据えられた小さな赤いパトランプが点滅する。
「素体信号途絶! バージンシェルの発信もありません!」
「――――」
それが意味することにクレイの体がぐらりとよろめき、倒れそうになるのを助手が慌てて支える。
地面に倒れることだけは免れたが、もはやその脚で自分の体を支えることはかなわずパイプ椅子の上にその腰を落とした。
信号が届かないということは、信号が発せられていないから。
何故その信号が発せられなくなったといえば――。
「お……終わった……」
魂が抜けた顔でそう漏らす。わななきが笑いのように震えて唇の端をけいれんさせていた。
最悪の事態だった。
まだ実戦配備など遠いフェイリスを、独断で戦闘配置させた挙げ句無駄に喪失する。
フェイリスが持つ価値を最も知っているうちの一人であるだけにその絶望は深かった。
軍法会議は開かれるのかどうかという不安が、羽を広げてクレイの頭の中で飛び回る。開かれなければ軍事刑務所の重禁固室に直行するだけだった。
* * * * *
市庁タワー屋上の展望台から中央公園を俯瞰していたクリスもまた、絶望に取り憑かれていたうちの一人だった。
中央公園に少女と火龍が降り立ってからの攻防は全て目撃していた。肉眼で全てを観戦できたという意味では、クリス以上にその事態を把握している人間はいなかったといっていい。
「あ……あ、ああ……」
外周を囲んだフェンスの金網に両手でしがみつき、座り込みそうになる体をそれで保ちながら公園の真ん中で演じられた惨状に奥歯を小さく噛み鳴らして体を震わせている。
自分の体に深い傷をつけてくれたこしゃくな獲物を踏み潰し、勝利の雄叫びを上げるように首を大きく伸ばした火龍が天を仰いで咆哮していた。
クリスの膝が砕け、その指が金網を滑って、腰がコンクリートを叩く。ぺたん、とその小さなお尻が地面についたまま動けなくなる。
目が激しくけいれんしているが涙は出なかった。それが自分でも不可解と思えた。いや、本当に悲しくなれば泣くことすらできないのか。
「だから……死なないでっていったのに……」
少しだけ言葉を交わした相手がまたしても目の前で死ぬ。そんな悲惨な目に今日は立て続けに二度も遭うというのか。
心を見えない銃弾に貫かれ、それ以上の思考が巡らず――この街は自分のものだと無言の宣言を行うようにその場に鎮座した火龍の姿を無感動に眺めることしかできなかった。
これからこの街がどうなるのかというところまで思考が回らない。クリスの中で世界は止まっていたに等しかった。
「…………え?」
チン、と高い音を聞いたような気がしてクリスは顔を上げた。いや、それは音ではない。
心が、魂が感じた音。
頭の中の陶磁器を指で弾かれたような音。
考えるよりも先に体が立ち上がっていた。顔が巡らされて、今し方までは目を逸らしたかったほどのそれに視線が向いている。
なんの確信もなく、ただ予感だけでクリスはそれを凝視していた。
* * * * *
クリスの次に異変を感じたのは火龍だった。
もはや我にあらがえるものもいなくなったこの街をどうしようか、ゆっくりと考えていたのだ。
建ち並ぶビルの群れをこの腕と脚、尻尾で薙ぎ倒すのは面白いだろう。特にひときわ高くそびえるあの建物などは是非とも破壊したい。どういう風に崩れるかとても興味がある。
だが、この街の全てを手足で崩すのはかなりの面倒だ。美味しいところだけはじっくり楽しんで、その他の有象無象は焼き払い燃やし尽くすに限る――火種は一つでも燃え移り続ける限りどこまでも燃え広がるのだから。
まずは、面白そうなあの目標から潰すか――そう考えた火龍が、今し方建物ごと少女を踏み潰した右足を動かそうとした、その時だった。
「…………?」
足の裏から伝わってきたゾワッという違和感に火龍の神経が震えた。それは悪寒となって頭の先にまで瞬時に到達する。
この足を上げてはいけない。本能がそう告げていた。その巨大な不安の正体がなんなのか――火龍は数秒後にそれを知ることになる。
* * * * *
「……大尉、大尉」
パイプ椅子の上で抜け殻になっていたクレイは助手の呼びかけで我に返った。
「……なんだ」
そうだ、ここで呆けているわけにはいかない。せめて、このコンテナに残された高価で貴重な設備だけでもなんとか回収しなければ。
そのためには……そのためには、まずなにから……。
「警告音が止まっています」
「……止めたんだろ。あれは止めるまでいつまでも鳴り続けるから……」
「いえ、勝手に止まったんです」
その意味が脳に染みこむまで数秒の時間を要した。
パイプ椅子を蹴り倒すようにして立ち上がり、コンディション監視モニターにかじりつく。
「…………!!」
素体と装備の状態を示すシグナルランプがグリーンの輝きを発している。
さっきまでは確かに赤く灯っていたはずの、それ。
だが、今見ているそれは錯覚でも気のせいでもない。
確かにグリーンだ。
「と、いうことは……!」
クレイは振り返っていた。コンテナの壁に阻まれて何も見えないというのがわかっていながらもその方向を見ずにはいられなかった。