#14「GIRL FRIENDS」(LAST)
クリスの声が震える。
何故、自分は今まで忘れていたのか。
いや――それは、忘れようとして忘れていたのだろう。
抱えて生きて行くには辛すぎる出来事だったから。
だから、もうそれは終わったこととして、心の棚の隅に無理矢理押し込んでいた。
けれど、今、目の前で泣いている少女は違う。
クリスが忘れようとした事実を、この少女は忘れまいとしていた。だから、その事実の重さに耐えかねて今まで悲鳴を上げていたのだ。
その、事実の名前は……。
「ティーシャ・エイブリー……」
その名を口にした途端に、クリスの心に鉛の苦さと重さが広がった。
口の中でその名を呟くだけで罪悪感がクリスの全身を萎えさせていく。手足に重り付の枷を巻き付ける。
だから、忘れたことにした。忘れたことにしていかなくては生きていけなかった。
「覚えていてくれたか」
「忘れるはず――忘れられるはずがないわ。そうでしょう?」
全てを変えてしまったかも知れない、この街を蹂躙した火龍型クトゥルフの襲来。
その火龍から逃れようとクリスが手を引いて走っていた少女。
そして、救えなかった少女。
目の前で彼女は……潰された。
「あなた……あの子の……」
「……親友だったんだ」
望の胸からアルクリットが顔を離す。しかしまだ、立ち上がるだけの気力はない。長身の少女が膝を折ったまま望のさほど大きくない体に抱きついていた。
「オレのたったひとりの友達、親友だったんだ……」
葬儀の中で人目をはばからずに泣いていた少女がいた。
膝を折り、手を地面につけて辛うじて自分を支えて泣いていた少女がいた。
そのあまりの見ていられなさに、少女の死に関わったという自覚があるクリスはまともに直視できなかったのだ。
だから印象には残っていなかった――本当に今の今まで、記憶の底に封じ込められていたくらいに。
「オレには、ティーしかいなかったんだ……」
少女の痛みが言葉を紡ぐ。今まで押し殺していた感情がその芽を開く。
「こんな馬鹿なオレに話しかけて、ダメなところをずけずけいってくれて、一緒に歩いてくれるやつなんて……一人しかいなかったんだ。……だから、一緒のクラスになれた時、嬉しかった。それが……」
その告白を胸で聞くようにしていた望の心臓が跳ね上がった。
「……じゃあ、あたしが今座っている席は……」
「ティーが座っていた……いや、座るはずの席だったんだよ……」
自分の心臓が半分に縮むような苦痛が望の胸を前から後から貫いていった。
だからか。
アルクリットが自分に対して憎しみに似た感情をぶつけてきたのは。
親友を失い、その親友の墓のようになった席に自分はずかずかと座り込んだ――知らなかったこととはいえ。
「アルクリット――」
「わかってる! お前が悪いんじゃねえよ! 全部あのクトゥルフが悪いんだ!」
その切なさに耐えきれずに呼びかけたクリスに、アルクリットが頭を大きく振る。
涙は未だ流れ続けて、止まる気配もない。今まで我慢して溜め込んでいただけのものが、決壊を契機に全て流れ出ようとしているようだった。
「でも……でも、もしも側にいたのがオレだったら! 救えたのかも知れないって……側にいてやることもできなかったのに、そんな詮ないことばかり考えて……イラついてさあ!」
再び望の胸にアルクリットの目が当てられる。そうでもして涙を止めなければ、心が干涸らびて死んでしまうのではないかというように。
「オレはひとりぼっちになったのに、お前らは仲良しになって、楽しそうで、嬉しそうで……だからたまらなくなったんだ。我慢できなくなったんだ。ひとりぼっちのオレの前であんなに仲良くされてさ……!」
今まで虚勢の中に押さえつけていた感情が全て流れ出る。それは、少女の心が生まれ変わるために必要な儀式だったのだろう。
「あいつを助けようとしてくれたお前を恨むような真似なんて、馬鹿なことを、本当にオレは……救いようがなくって……本当に……」
「アルクリット……」
望は再びそのアルクリットの頭を抱いた。壊れ物の繊細なくらいに薄いガラス細工を抱えるように。
「ごめん……みんな、ごめん……ごめん、ごめんなさい……」
アルクリットの口から漏れる謝罪の言葉には痛切さしかなくて、関係のないものがこの場にいれば、いたたまれなさに逃げ出していたかも知れない。
少女の普段の剛直さを知っているものからすれば、それは胸を引き裂かれるような光景だった。
「――そっか」
望には、わかった。
何故アルクリットが花壇を荒らしたあの少女を捕まえられる場所にいたのか。
わかった。今、理解できた。
「アルクリットは、謝ろうとしていたんだね」
胸に抱きしめている少女の心が見えてくる。切なさと悲しさが自分の心のように伝わってくる。
「あたしたちにイライラをぶつけてしまった、罪滅ぼしに」
「……生意気なこというなよな……」
「……あはは」
きゅう……と望はアルクリットの頭を抱く腕に力を少しだけ込めた。
愛おしかった。
クリスの強さに感じる頼もしさとは、全く逆のベクトルの感情。しかし、それは根を同じにする感情。
強さを張ることで自分を守ろうとするアルクリットの弱さがたまらなく愛おしく、そして愛らしかった。
「じゃあ、あたしたちがシャワーを浴びていた時に、花壇にいたっていうのは……」
「……花壇を直してくれていた」
「えっ?」
ミオの答えにシルヴィーの目がいっぱいに開く。それでは、自分が考えていたことの全く逆ではないか。
「……花屋の娘なんでしょ?」
「お前……なんでもお見通しなんだな」
「……私たちが直したのが下手だったから、手直ししてくれていた」
淡々と喋るミオにアルクリットが苦笑する。だが、涙の中でもアルクリットが笑えたことは望にとって素直な嬉しさだった。
「ミオ……あなた、だいぶ前からアルクリットが犯人じゃないとわかっていたの?」
「……昨日の時点でそう思ってた、シルヴィー」
「ホントかよ。まだ真犯人も捕まえてないのに……靴跡のことか?」
「……それもあったけれど、決定的なのは……クリス、あれを出して」
「あれって、なに?」
「……押し花。持ってきてるよね」
クリスがポケットから小さな箱を出す。蓋をされているそれを開くと、赤く大きなひなげしの花びらが真っ白な紙の上でいっぱいに咲いていた。
ミオがそれを受け取り、アルクリットの前に出して見せる。
「……あなたがこれを踏みつけられなかった時、犯人はあなたじゃないと思った」
「踏みつけられなかったって……じゃあ、あれは!」
シルヴィーの声にミオがうなずく。
「……これを踏んでしまいそうになったからとっさに避けようとして、転んだ……そうでしょ?」
「お前……すごいな……」
感心したのか呆れたのかわからない口調でアルクリットが呟く。
「……こんな千切れた花を踏みつけられない人間に、花壇を荒らすことなんてできない。私はそう判断した」
「アルクリットさん……」
「はは……花屋の娘が花壇を荒らすなんてことないよな……。……昔から花に囲まれて育ったんだ。性格はがさつになったけれど、花は好きだよ。そいつを踏みつけるやつは許さない。だからオレも見張っていたんだ」
望から顔を離したアルクリットが、自分の顔を袖でゴシゴシと拭う。その乱暴な仕草を見かねたのか、シルヴィーがハンカチを差し出した。
「いいよ、いらねえよ」
「あげる」
シルヴィーがアルクリットにそれを押しつける。
「あなた、ハンカチ持ってないんでしょ?」
「……がさつだからな」
「それをあげる。……だから、あたしを許して。あなたのこと、本当にいろいろ悪くいってしまったわ……」
「オレだってお前のこと散々にいったろ? それを勘弁してくれたら、オレも許すよ」
「じゃあ、あいこ?」
「そうじゃない。許して、許されるんだ」
「…………あなた、いい子ね?」
「いい子なんかじゃない、馬鹿な奴なんだ」
「ふふっ……」
「シルヴィーさん、アルクリットさん」
リューネが二人の間に立って二人の手をつなぎ合わせる。少女たちの右手と右手が握り合わされた、
「や……やめろよ、照れくさいだろうが」
「仲直りの挨拶はいつも握手――当たり前ですよね?」
「そうね……アルクリット。自己紹介するわ。あたしはシルヴィー・エネス。見ての通りの美少女よ」
「なんて自己紹介だよ……オレはアルクリット・イーブン。見ての通りの馬鹿女だ。まともに付き合ったら痛い目に遭うぞ」
「いいじゃない。馬鹿なの、あたし好きよ」
「ったく……」
口では悪態のようにそういうが、アルクリットの声は快活だった。シルヴィーのハンカチの力だろうか、あれほど流れていた涙はもう止まっていた。
つなぎ合わされた手と手が数回振られて、放される。膝をついていたアルクリットが立ち上がった。
そんな目の前のアルクリットを望は見上げる。目の前で立たれるとその背の高さが際立つようだ。実際の身長の値を超える印象を受けるくらいに。
「望、だったよな。……突っ掛かって悪かったな。許してくれるか?」
「許すよ!」
望の声が弾んだ。嬉しくて仕方がないというくらいに勢いよく弾んだ、
「だから、アルクリットも――」
「ああ……いい、あれだけ謝ったろ? あれで許さない奴なんていないぞ……ったく、泣かせやがって……みっともないところ見せまくらせやがってさ……」
「えへへへ……!」
胸からあふれ出る嬉しさ、愛おしさに望の顔がいっぱいの笑顔になる。
もうそれ以上に心の色を表せないというほどに、いっぱいに。
「……な、なんか、問題が解決したらこう、お腹が空いたわね!」
照れ隠しのようにシルヴィーがいう。
「帰りになにか食べに行きましょ! 今日はあたし、ダイエットのことは忘れるわ! 明日の体重計なんて気にしないことにする!」
「私も、美味しいもの食べたいです。病院の食事は味気なくって……」
「……いいだしっぺがおごる、これ常識」
「いいわよ! このシルヴィーお姉様がおごってあげるわ!」
自慢の胸を最大限に張ってシルヴィーが宣言した。
「昨日バイト代も振り込まれたことだし、軍資金はあるのよ! もう怖いものなんてあたしの前にはなにもないわ! 明後日のことを考えなければ!」
「じゃあ、シルヴィーお姉様のお言葉に甘えて私もおごられようか……」
「アルクリット! どこに行くの?」
背を向けて歩き出したアルクリットに望が声をかける。
「もう全部問題は解決して、打ち上げをやるんだろ? お邪魔虫は消えるんだよ。楽しくやってくれよ」
「アルクリットも行こう!」
アルクリットの足が、止まった。
「……だから、そういうのは仲良し組で……」
「あたしたち、一緒の仲間じゃない!」
望がアルクリットの元に駆け寄る。その手を取る。
「――アルクリットは一人じゃないよ。あたしたちがいてあげる!」
「おま…………」
望の笑顔にアルクリットは今度こそ本当に言葉を失った。震える唇はもうなにも言葉を発せられなかった。
「私たちがあなたの親友の代わりになれるとか、そんなおこがましいことはいわないわ」
クリスが歩を進める。望とアルクリットの前に立つ。
「でも――だからといって、新しい友達を作ってはいけないということにはならないんじゃない? 生意気かも知れないけれど、あなたが一人で居続けることをティーシャさんも喜ばないわ」
「…………本当にお前、生意気な奴だな……」
「よくいわれる。慣れてるわ」
「…………はは」
アルクリットが笑った。
それは少女が初めて周りに見せる表情だった。
「じゃあ、決まりね! 明日を考えない人間の強さと恐ろしさを思い知らせてやるわ!」
「……私の食欲を思い知るがいい」
「私、いいお店知ってます。美味しくてお値段も手頃なお店」
「みんな、心残りがないくらいに食べることね。遠慮するなんてシルヴィーに悪いから!」
「ほら、アルクリット、もっとみんなの中によって」
「あ、ああ」
歩き出した少女たちの後に着いていたアルクリットが、面白いくらいにぐいぐいと望に引っ張られてその顔をますます赤くする。
「あ……あんまりオレに近づくな、馬鹿が感染るだろうがっ」
「えーっ? あたし馬鹿じゃないよ?」
「オレの馬鹿がお前に感染るんだっ」
「あははは!」
嬉しさだけの歓声を上げて望がアルクリットの背中に抱きつく。望の足が完全に浮いてもアルクリットは小揺るぎもしない。
「おいおい! 危ないぞ!」
「アルクリット――アルクって呼んでいい?」
「ああ、もう好きに呼べよっ……」
「アルクって、おっぱいすごい大きいよね!」
「こらこら、あちこち触るな!」
アルクの抗議を無視して、望はアルクリットの前に回ってその胸に顔を押しつける。硬い制服の生地からも、その下にあるやわらかいものの感触が面白いくらいに伝わってきた。
「アルクの腕と脚は硬いのに、おっぱいはふかふか! シルヴィーよりふかふかだね!」
「なっ……巨乳美少女のあたしの立場がっ……!」
「ただの美少女になってしまうのでしょうか……」
「……巨乳死すべし」
「もう、お前ら、こいつにどんな躾してるんだよー!」
「あはははは!!」
しがみついてくる望を振り払おうとアルクリットは体をぐるぐると振り回すが、望は一向に放さない。新しい遊具で遊ぶ子供のように、その脚が地面と水平になって一緒に回転するだけだった。
「これは……完全になつかれてしまいましたなぁ……クリスさんや」
「私、この数日で初めて嫉妬という感情を覚えてるわ……シルヴィーさん……」
「アルク、可愛い! 頬ずりする!」
「うわぁ――!?」
泣きそうな顔で望を振り回すアルクリットと、心からの笑顔で振り回される望。それをそれぞれの表情で見つめるリューネとミオ。
いろいろな行き違いがあって、いろいろな誤解があって、今、ひとつの出会いが完成していた。
六人の少女たちにとって大事なこと。
この時、この瞬間にしか作れないもの。
困難な時代にも愛すべきものはある。
それが存在してくれていることの幸せを噛みしめながら、六人は歩いて行く。
――さらなる困難が立ち塞がるであろう、この運命の旅路を。
第3話「GIRL FRIEND'S STORY」いかがだったでしょうか?
アルクリットが抱えている問題をきっかけに六人の少女たちが仲間になる物語が書きたくてこういう筋になりました。
もともとアルクリットは望やクリスたちの障害としての役割を持たない、悪グループの嫌な女役として発想されたのですが、キャラ設定が転がるうちに作者の中でも愛着が出てきて、こういうある意味可愛すぎるキャラになってくれました。その意味ではキャラクターが勝手に歩き出したのを上手くコントロールできたと思います。
この3話の終了を持って、「電機人形の少女騎士は千の恋をして万の嘘を吐く」は第一部完といったところですが、望の物語はまだまだ続きます。ニッチなカテゴリでPVもPTも伸びない中がんばっています。エタらせだけはなんとしてもしないつもりですので、長丁場の物語にまだまだお付き合い下さい。
できましたら、評価の方お願いいたします。感想も短くてかまいません。反応は大変励みになりますので、入れていただければ本当に幸いです。たとえ「つまらなかった」の一言でも私の返事は「読んでいただいてありがとうございました」です。
追伸:第3話第1節「アルクリット、吠える」を身近な人間に読ませたところ「これってアルクリットが実はいい者なのよね?」と早々にバレていたことをここで告白します。恐るべし……。




