#12「少女たちの決着」
「いってきまぁす」
朝。
起き出し、まだパジャマ姿で自分の部屋からあくびをしながらリビングに出てきたクレイは、制服姿の妹が目の前をパタパタとした足取りで通り過ぎていったのに目を見張った。
「いってらっしゃ……って、望、もう学校に行くのか!?」
まだ六時を少し過ぎたくらいの時間だ。割と早起きだと思う自分が起き出した時には、もう望は全部の支度を調えて玄関に向かおうとしていた。
「おはよう、お兄ちゃん」
「あ……ああ、おはよう……」
軽い三つ編みのお下げを揺らして振り返った少女の赤い眼鏡の中で、その目が微笑んでいた。
その微笑みの温かさに魅入られたように、クレイはおはようの挨拶のあとの言葉を失ってしまう。
数秒して、立ち尽くすしかできなくなっている自分に気づき、怖気を払うようにクレイが身を震わせる。
「ちゃ……ちゃんと食べたのか?」
「食べたよ、大丈夫。急いでいるからもう行くね」
「あ……ああ、いってらっしゃい……」
「お兄ちゃんも気をつけてねー」
歩くのが嬉しくて仕方ないという上機嫌な足取りで玄関までの距離を詰め、望が玄関を開けてその先に消えていく。
リビングからその一部始終を見送り――その機嫌の良さの正体がわからずに、クレイはただただ首をひねり続けるだけだった。
「……なんだ?」
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昨日、偶然出会った朝の交差点。
「おはよう! クリス!」
望の腕が天高く伸びる。明るい声が早朝の空に響いた。
その声を受けて、信号機の柱に背をもたれさせるようにして人待ち顔の横顔を見せていたクリスが振り向く。
「望、おはよう」
「クリス、待っちゃった?」
「ううん、本当に今さっき着いたところだから」
クリスが笑う。本当に嬉しそうに。
「じゃ、急ごっ」
「うん」
二人の少女が連れ立って歩く。朝早く店のシャッターを開けだした店主がそんな二人を見て自然に微笑む。
他愛のない会話が交わされ、まるでスキップを踏むように跳ねる望に、少しだけ大股に歩くクリスが続いた。
十数分歩けば学校の建物が視界に入り、工事の準備として立てられた仮の簡易フェンスの前を通過する。
校門の前に立った時には、それはまだ閉ざされて外部からの侵入を阻んでいた。
巨大な格子状になっている校門の向こうに、のっそりとした足取りで一人の中年の男が姿を見せる。
「おや、望ちゃんにクリスちゃんか」
「おはようございまぁす!」
「おはようございます、用務員さん」
望とクリスの元気な挨拶に用務員の垂れた目が更にやに下がった。
昨日のうちに、今日の朝はできる限り早く来ると告げておいたのだ。
「おはよう……本当に早く来たんだねぇ。まだ誰も学校には来てないはずだよ」
いいながら校門の鍵が開けられ、ギギギ……という音を響かせて鉄の門が動き出す。
「手伝います!」
「悪いね、望ちゃん」
「望。手を挟まないように気をつけてね」
「うん」
一緒に校門を押し出した望にクリスも続く。
何トンあるのかわからない巨大な門が数十秒かけて開放され、結構な重さに三人息をついた。
「いや、女の子にこんな重いもの押させちゃって、悪いね」
「気にしないでください。私たちもわがままいってますから」
「あはは……」
自分が本気を出せば、こんなものなどは小指で十分だなどとはいいたくてもいえない話だ。
用務員に再度頭を下げて礼をいい、裏庭に足を向ける。
「あの用務員さん、学校に住んでるのかな?」
「宿直で泊まってるの。住んでるわけじゃないよ」
「そっか」
もう歩き慣れた感のある校舎と校舎の間を通り抜け、望たちは裏庭に到着した。
そこにあったのは――。
「クリス!」
花壇に駆け寄り、望はクリスの前で腕を広げて嬉しそうな大きな声を上げた。
「無事だった!」
「ま、昨日最後に出て、今日最初に来たからね」
そうは口にするが、クリスの声にも嬉しさが乗っている。
「じゃあ、あの物陰から見張ることにしようか、望」
「うん」
花壇の全体を見渡せながら姿を隠せるポジション、裏庭奥の校舎脇に移動して、望とクリスは身を潜めた。
「こんな朝早く来るかどうかはわからないけれど……可能性はあるからね」
数十メートルほどの距離はあるが、用心に越したことはない。声もまた潜ませ、一定の緊張感を持ちながらクリスと望は時間が経つのをジッと待った。
二度も花壇を荒らした相手なら、三度目を行う可能性は十分にある――再び整備し直した花壇を囮にし、犯人が三度荒らしに来たところを現行犯で捕まえようというのが五人で立てた作戦だった。
取りあえず最初のミッション――早朝から始業までの時間は望とクリスの担当という話になって、二人は今ここにいる。
「……ふああ」
望の口が少し大きく開いて生あくびが漏れる。
「んにゅ……」
「望、ちゃんと寝た?」
「寝たけど……早起きしたから、にぇむい……」
次のあくびを今度は口の中で噛み殺した望が頬をむにむにと動かすのをクリスが面白そうに眺めている。
「眠たかったら、私の隣で寝ていていいのよ?」
「でも……クリスに悪いから……」
「いいのよ。望の寝顔も見てたい」
「……あたしの寝顔見たい?」
「面白そう」
「うう……寝ない」
クスクスと笑ってクリスが視線をじっと花壇の方向に据えた。
望はというと……クリスに任せられないという気持ちと、寝顔を見られたくない恥ずかしさで一生懸命眠気を払おうと努力する。
それが半分船をこぎ続ける運動になっている望に対して、クリスの視線は揺らがない。普通の少女にしては凜とし過ぎている気配さえある。
普段、どんな鍛錬をしているのか――それを疑うには望の人生経験はまだ圧倒的に足りなかった。
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結局、予鈴が鳴り本鈴が鳴る間近になっても、犯人らしい人間は姿を現さなかった。
ギリギリまで現場で粘り、授業が始まる直前で望とクリスは教室に駆け込む。
教室では待機組のシルヴィー、リューネ、ミオが席に着いて待っていた。いや、リューネは見張りのメンバーからは外されている。体が丈夫ではないので、万が一の荒事になれば不安があるからだった。
「あたしだって荒事になったら心配よ。あの筋肉娘とケンカになったら勝てるわけないじゃない」
「大声を上げれば駆けつけられるところにいるから、安心して。それに発案はシルヴィーでしょ?」
「……いい出しっぺがいちばん苦労するべき」
「ううう……今度は殺されるんじゃないかな……」
「でも、その当のアルクリットさんは……」
リューネの視線が問題の席に向けられる。
アルクリットの席は空だった。既に教壇にはマリーが立って授業が始まっているのに姿を見せる気配もない。
「今日もサボりなのかしら?」
「……不良」
「あの……今ちょっと気が付いたんですけれど……」
本当に申し訳ないという風にリューネが頭を低くするようにして申し出てくる。
「アルクリットさんがその気になれば、私たちが授業を受けているうちにあの花壇をどうこうできるのでは……」
「――――」
その指摘にクリスとシルヴィーの目が大きく開く。
「あたし、ちょっと見て――」
「望!」
反射的に腰が浮いた望をクリスが手で制した。
「授業中よ、外には行けない」
「だって、花壇が……!」
「気にはなるけれど……我慢して」
「や……休み時間が終わればその都度確認しに行きましょ? ……根本の解決にはならないけど……」
「花壇をどうこうするために授業をサボるとか、相当な執念だけどね……」
自分たちの限界にクリスも歯がみはするが、こればかりは仕方がない。
「腹立ち紛れにやってるんじゃないとすればすごいな悪意よ。望、クリス。授業が終わったらあたし、走って見に行くから」
「シルヴィー……あたしも行く」
「……おちつけ」
「望は慌てなくていいから、誰か一人がやればいいの。クリス、そうでしょ?」
「そうよ。望、冷静になって」
「うん……」
そうはいうが、アルクリットが出席してくるという前提がつぶれた以上、この作戦も半分破綻したも同じだった。
焦る気持ちを必死に心の中で押し殺して望は席に座り続ける。それもまた一つの拷問だった。
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昼休みまでの休み時間を重ねても、花壇に異状はなかった。授業が終わる度にシルヴィーが教室を飛び出して確認に行き、クリスが少し遅れてそれを追い――授業開始のチャイムと共に帰って来るというパターンを繰り返す。
「アルクリットが欠席しているということは、今日は来ないっていうことなのかしらね……」
給食のランチトレーを抱えて望とクリス、シルヴィーの三人は花壇をうかがえる例の物陰に身を潜めながら食事をている。
さすがにこのポイントに五人集まるのは無理があった。
「でも、学校に現れないという保証はないからね。今日一日は警戒しなくちゃ……シルヴィー、大丈夫?」
「あ……あたしは大丈夫よ……」
「無理しないでいいよ? シルヴィー」
「の、望、ありがとうね……でも、あたしはあいつに吠え面かかせないと気が済まないから……ふふふ……必ず現場を押さえてとっちめてやるのよ……ふふふ……」
シルヴィーの瞳が暗い炎に燃え、望とクリスがそれに嘆息する。
結局、その昼休みも異状はなかった。
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状況は放課後まで持ち越しになった。
少し疲れた望とクリス、そして体力がないリューネが控えに回り、体力を温存して来たミオと執念に燃えるシルヴィーが直接の監視に当たる。
学校が閉まる三時間ほどをそのままの態勢でいけるとも思えない。交替は必要だろう。
「いい? ミオ。ここが踏ん張りどころよ……相手が根性悪だったら、絶対この時間にやってくるわ」
「……了解」
「半分あたしの意地でやってるんだから、失敗は許されないわ! 一秒たりとも目は放さないわよ!」
「……承知」
意気込んで二人は視線を花壇の方に固定する。
十分後。
「スヤァ……」
「……スヤァ」
ゴンゴンッ!
「あいたぁ!」
「……あいた」
脳天に拳骨が垂直に落とされ、幸せな眠りに落ちていたシルヴィーとミオはそれぞれ頭を押さえて目覚めた。
二人が顔を上げると、鬼のような形相をしたクリスが目の前に立っている。
「気になって来てみたら、案の定じゃない! 二人とも寝るとかダメでしょ!」
「ちょ、ちょっと疲れちゃってて。やっぱり無理だったのかな、あはは……」
「……おっぱい枕が気持ちよかったから……不覚……」
「クリス! 誰か来てるよ!」
二人を叱っているクリスを望が呼ぶ。
花壇の方から人の気配――いや、気配というには大きすぎるくらいな、二人ほどがいい争う声が聞こえてきて、全員の目がそこに向けられた。
「こっ……テメエ、いい加減にしろっ!」
「やめて……やめてっ……」
欠席していたはずのアルクリットの姿が目に入る。
「クリス! アルクリットだわ!」
そのアルクリットとまるでつかみ合うようにして争っているもう一人は……。
「あの子、昨日シルヴィーとぶつかった子!?」
「うん、確かにそうだよ!」
望も叫ぶ。昨日の昼休み、裏庭に向かおうとする途中でシルヴィーが背中からぶつかって転倒させてしまった女の子だ。
小柄な彼女がアルクリットと手をつかみ合い、溺れてもがくようにその手脚を動かしている。
「アルクリットを止めようとしてくれているのね! ここであったが百万光年だわ!」
その口元ににやりとした笑みを浮かべてシルヴィーが突進する。これでトドメだという意志がその足を加速させた。
「待ってて! 今あたしがそいつをつかまえるから!」
「――シルヴィー!!」
望が、クリスがその声にハッと振り返った。
その凛とした声。
空に突き刺さるような鋭い声が、いつもボソボソとしか喋らないはずのミオから発せられていたからだ。
いつもは眠そうに半分閉じられている目がかっと見開かれて、再び電撃のように声が飛んだ。
「間違うな――犯人は、アルクリットが捕まえていてくれている子の方!!」




