#11「みんなの花」
闇の中から意識が浮かび上がって望が目を開いた時、最初に感じたのは鼻をツンとつく臭いだった。
今までに嗅いだことのない臭いに興味を引かれて、望は体を起こす気になった。
「ここは……」
自分が白い鉄フレームのベッドに寝かされていることにそこでようやく気づく。薄いベージュ色のカーテンで仕切られた空間だった。天井の色からして……教室の一つのようだ。
でも、どうして教室にベッドが?
シャッ、と小さく音がしてカーテンが開かれ、ぬっと首が突き出されて望は目を瞬かせた。
「気が付いたか」
「……クレイ?」
スーツ姿のクレイ――ということはまだ教師としてのクレイなのだろうか、カーテンを開いて入ってくる。
「なんでクレイがここに?」
「学校じゃ先生をつけなさい、望君」
微苦笑を口元に浮かべ、クレイはベッドの脇の椅子を引いてそこに座る。
「倒れたっていうのを聞いた時は焦ったけどな、異状はないようでよかった」
「倒れた……誰が?」
「お前に決まってるだろう」
「え?」
クレイのいうことがわからない。理解として染みてこない。
自分が倒れた? いつ? どこで?
「覚えてないのか?」
「あれ……あたし……ここはどこ?」
「保健室だ。俺がお前をかついでここに運び込んだんだ……フォルクスたちが騒いで大変だった」
「保健室……あたし、えっと……」
望は頭を手で押さえた。
開かれたカーテンの窓に目をやる。
空の色が暗く、もう昼とはいいがたい時刻なのがそれだけでわかる。
「あた……し……」
断片化されていた記憶のピースが頭の中で再構成されていく。確か自分は、昼食後に……。
その歪なパズルが完成された瞬間、望の頭が跳ね上がった。
「そう! 花壇!」
再び花壇を荒らされたのを見て気が遠くなり、そのまま意識を失ったのだ。
「花壇はどうなってるの……!? 授業は!? クリスやシルヴィーは!? リューネにミオも……!」
望はベッドから下りようと体を滑らせ――滑らせ過ぎてベッドから転がり落ちた。
「あいた!」
「おいおい」
反対側に回り込んでクレイが望の体を抱き起こす。
外宇宙金属アルケミウム鋼のフレームを骨格として持つ、人工戦闘生命体・フェイリス。
しかしその体の重さは普通の少女と全く同じものだった。偶然なのだろうが、アルケミウムの比重はカルシウムのそれにほぼ等しいのだ。
「保健室でケガをしないでくれよ……頼むから」
「もうこんな遅い時間……授業は!?」
「もう放課後だ、とっくに終わってる。そろそろ学校を閉める時間なんだ」
「ええっ!?」
手首に嵌められた白く細いブレスレットに目を落とす。それがもう五時に近いことを表示していた。
「あたし、花壇に行ってくる!」
「おい、大丈夫なのか!」
「大丈夫……大丈夫だから!」
足を靴の中にねじ込み、望はほとんど走るようにして保健室を飛び出す。
花壇のことも、クリスたちのことも全て不安として一つのカテゴリにまとめられていた。
廊下を風のように駆けて望は花壇の元に急いだ。
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「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
夕焼けの赤さが空と地上の境界線をくっきり浮き立たせている時刻。
息を切らせて望があの花壇の前にたどり着く。
人気のない裏庭。……いるはずもない。ただでさえここは人通りから外れていて、加えてほとんどの生徒たちがもう下校している時刻なのだ。
再び荒らされた花壇をもう一度見るのは勇気が要ったが、見ないわけにはいかない。それから逃げていては、自分は今夜は夜も寝られ――。
「……あれ……?」
花壇の前で足を止めて、望はその目を見開かせた。
花壇が……直っている。
「……あれれ?」
荒らされたのを朝に直した直後――再び荒らされる前の景色がそこにあった。
「あれ、あれ、あれれれ?」
どういうことだ? 二回目に荒らされた時、花はもう全滅に近かったはず。自分はそれを見てショックで気を失ったのだから。
それが……今は元に戻っている。
「あーっ、やっと来た」
背後からの声に望は振り向いた。
「望っ」
「……クリス……」
日没間際の弱い太陽光線の中に浮かび上がるように、制服姿のクリスが物陰の中から現れる。
「やっと望が来たの?」
「望さん、お加減は如何ですか?」
「……元気そう」
シルヴィーにリューネ、ミオがぞろそろと続くように現れる。
「みんな……」
「目が覚めたらここに来ると思ってた」
クリスが笑う。その輝くような笑顔に望は引き込まれそうになった。
「クリスたちが、花壇を直したの?」
「メチャクチャになった花壇を見て望がまた倒れたりしたら困るでしょ?」
少女が見せる白い歯。額をうっすらと濡らした汗。
「でも、花はほとんどダメになってたのに、どうやって……」
『苦労したんだからねー」
腕を組んでその上に乗せたバストを支えるシルヴィーがうんうんと首を縦に振る。
「クラスのみんなに呼びかけて、おうちで余ってる花の鉢とかをもらったんです」
「……クレイ先生が軽トラックを出してくれた」
「みんなが自分たちの花をわけてくれたんだよ、ね、シルヴィー」
「そうそう。あたしの家からもいくらか寄付させてもらったわ」
「え……」
もう一度望は花壇に目を移す。
確かに花の数だけは前と同じくらいだったが、種類が全然違っていた。
均された土から茎を伸ばして咲いている花の色はもう統一感など吹き飛んでいて、モザイクのように勝手気ままな色彩を描いている。
「でもなんかあれね、前より『クラスのみんなの花壇』って気がしない?」
「私もそう思います、シルヴィーさん」
「もうなんでもいいから植えちゃえの精神だったね、アハハ……」
「……だがそれがいい」
小さな体をすっと伸ばしているミオがいう。手は洗ったのだろうが、少しの土が頬を汚しているのがまだ少し残っていた。
「『クラスのみんなの花壇』……」
見栄えは決してよくはないだろう。でも、それは前よりずっと素敵なものに思えた。
色んな花のひとつひとつがクラスにいる仲間たちの心そのものに思えて、花の色の数だけ大切なものとして望の胸に染みこんでいく。
だが、それが大切なものであればあるほど、不安になることがあった。
「でも、またこれがメチャクチャにされたらどうしよう……」
「そんなことさせない」
望の髪にクリスの手が置かれる。
「このみんなの花を踏みにじらせるなんてもうさせない。私か守る、守ってみせる」
「あたしたちが――、でしょ?」
シルヴィーの手もクリスの手の上に乗って、二人の手の重さを望は首で支える格好になった。
「クリスも自分だけかっこつけちゃって……あたしたちにもかっこつけさせなさいよ」
「私も、微力ながら協力します!」
「……頭脳担当なら任せろ」
両手で握り拳を作るリューネ、いつもの無表情のミオ。
「みんな……」
四人を見る望の視界が、じわっ、とぼやける。視力の異常なのか、目に入る全ての像が輪郭をなくす。
「あらら……望がまた泣き出しちゃった……クリス! あんたがいけないんだから。あんなかっこいいセリフを口にしたりするから!」
「シルヴィーだって人のこといえないでしょ……」
「いいんです、今の望さんのはうれし涙ですから!」
「……泣け乙女よ、心の泉が涸れるまで」
「みんな……」
クリスが笑っている。その隣でシルヴィーも微笑み、リューネも微笑み、ミオも小さな笑いを唇の端に浮かべていた。
袖で涙を拭おうとした望の目元に、リューネのハンカチが当てられる。
「ありがとう……」
それでも拭いきれないものを目と心から溢れさせながら、望は呟いた。呟いていたかった。
「ありがとう……みんな、大好きだよ……」
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杏色の夕映えの向こうに五人の少女の姿が消えていく。
それが完全に見えなくなったのを確かめてから、その少女は大柄な体を起こして物陰から姿を現した。
手に持った大型スコップの先を地面に刺して、杖のようにして半分の体重を預ける。
少女――アルクリット・イーヴンはすぅ、と吸い込んだ息を大きく吐き出した。
赤レンガの囲いの中で勝手気ままに息づいている花の群れ。
その色の数々に目を細めて――アルクリットの喉から、苦く言葉が漏れた。
「……本当に、ヘタクソどもが……」




