#02「ベルド戦闘ヘリ小隊・火龍を迎撃す」
高速で回転する一対二枚のメインローターが間断なく空気を切り続け、目下の街に音を叩きつけながらそれは空を突き進んでいた。
郊外の駐屯地から発進してユーラスト市空域に進入した三機の戦闘ヘリ編隊が、ビル群にえぐるような深い傷を刻んで侵攻している〈目標〉に接近する。
一辺二百メートルの正三角形編隊を構成して低空を滑るその戦闘ヘリ〈ポリステス〉。
狼煙のように幾筋の黒煙がたなびき、時折炎の揺らめきと爆発の光が瞬くように見えるビル街の惨状の上空にヘリ編隊が到達し、薄く黒く煙った空気を蹴散らして空を滑る。
「なんてこった、残り物が一番の大物かよ……!」
出撃前のブリーフィングで聞いていた以上に酷い状況に、コックピットの前部座席で操縦桿を握るゼファート陸軍中尉ジェルファ・ベルドは顔の全部を歪める。
まさに呪われた朝だった。
このほんの三十分の間に国内の十数カ所において一斉に巨大生物の出現が報告され、ほぼ全ての駐屯地に出撃命令が下ったのだ。
機動力に優れた戦闘ヘリは真っ先に駆り出され、万一に備えて最後まで予備として残されていたベルド小隊にも出番が巡ってきたのである。
まだ遠方、緩やかな風に流されてたなびく黒煙の数と量に、その原因の大きさを想像してベルドは唇をかむ。
「どう見てもあの様子は大型の仕業だな……楽できる仕事じゃなさそうだ」
ヘルメットの中で苦々しげに言葉を吐き捨て、操縦桿脇のスイッチを跳ね上げて無線のチャンネルを開いた。
その途端に鼓膜を殴りつけてきたノイズの塊に耳から脳を叩かれ、指が反射的に無線のスイッチを切っている。
「やっぱりワームのノイスがデカいな」
予想は十分にしていたことだが、現場でそれを確認すると腹立たしさが舌打ちを鳴らさせた。
「げ……現在、ジャミングレベル4です! 音声通信不能!」
後部座席で火器管制を担当する伍長の声が応じ、その声の若さと上ずり様にベルド中尉のいらだちが加速した。
先月に戦闘部隊に正規配属されたばかりの若造だ。今まで留守番役しかしていなかった実戦経験ゼロの新兵だが、そんな未熟者でも駆り出される事態が今まさに起こっている。
「通信はボイス変換したコード通信で行う。二番機三番機にコマンドを送れ。わかってるな、ミサイルはホーミングなんか一切しないぞ」
「軍用の通信機も全然役に立たないなんて……〈月〉の影響はこんなに酷いんですか!?」
「ワームナノマシン下の戦闘訓練は受けているだろ! 訓練の時になにをやったかを思い出せ! 訓練のように実戦をやればいい!」
怒声を発して伍長の無駄口を封じ、ベルド中尉はコックピット上部の強化ガラス越しに天空を仰ぐ。
中尉の視線の先――38万キロという遙かな距離に毒々しい色を放って輝く二つ〈月〉――〈赤い月〉と〈青い月〉。
人類の文明の発達に強い歯止めをかけているその二つの忌々しい物体の存在に、ベルドは心底からの怒りを覚えていた。
あの二つの物体が無尽蔵に振りまくワームナノマシンがなければ、自分たちは今ここで命の危険を冒さずにすむかも知れないのに!
時速三百キロを超える速度で目標に向かって三機の編隊は突き進み、自動車が溢れて渋滞しきった道路と歩道で逃げ惑う市民たちの頭上を通過する。
道という道を埋め尽くす人の多さに、ここを戦場にするという現実が冗談にしか思えなかった。
「全然避難が進んでないな……」
通勤が終わった時間帯だ。どこのビルも人を満杯にしていたのは道に溢れ出している人間の波を見ればわかる。
「隊長、直上に空軍機が見えます!」
伍長の声に促されてベルドが視線を上げると、確かに二機の戦闘攻撃機が遙か上空を低速で飛んでいるのが目視できた。
「あの空軍機は支援してくれるんでしょうか?」
「市街地じゃあいつらにできることなんかない」
こんな近距離なのにレーダーには映っていない。いや、コンソールのレーダースクリーンがまともに役に立ったことなどベルドは経験したことがなかった。
「空軍さんに期待なんかするな。やっこさん等は見届け人みたいなもんだ……それより前を見てろ。そろそろ目標が確認できるぞ」
建ち並ぶビル群が作り出す壁が途切れ、今まで視認できなかった目標が――見えてくる。
機首の望遠カメラで捉えた画像を確認した伍長の声が、いちいちコックピットではねた。
「あ……あれは竜型の〈クトゥルフ〉です!」
「ああ、竜型だな……報告には間違いはなかったが……」
それは単に目標の名前をつけるだけで、分析的にはほとんど意味がない。いや、意味を持たせること自体が危険だった。
唾を飲み込んで自分の中の緊張を押さえ込み、ローターの羽ばたきが鳴り響き続けるコックピットの中でそれに負けない声を張り上げる。
「わかっているな! 竜型だとしてもあれは以前に出現した竜型とはまるで別物だと思え! 今までのデータは頭から排除しろ! 先入観で判断するな!」
「りょ……了解!」
クトゥルフか――とベルドは声にならない言葉を口の中で転がし、それを苦々しさと共に奥歯でかみつぶした。
〈クトゥルフ〉。
それは旧世紀の人類の愚かなる遺産、行き着くところまで行き着いた遺伝子工学が生み出した魔の産物だった。
大きさは人間大から高層ビルに届くまで様々で、その形はこの世に存在する生物のキメラそのものに千差万別に変わる。
共通しているものがあるとすればそれは、類を見ないほどの凶暴性くらいなものだ。
かつて、狂気に取り憑かれた人類が創造し産み落とした人工生命体の慣れの果てを、現世の人々は〈クトゥルフ〉と呼んでいた。
その名称は旧世紀に流行した架空の創作作品群に登場する魔物、怪物の類の総称から引用されたものだが、目の前に存在する巨大な竜は架空でも何でもない。
れっきとした現実の産物だった。
遺伝子の改変スピードが異常に速く、親と子の形態がまるで違うという例まで確認されている〈クトゥルフ〉。
それだけではない――何らかの方法を採ることで同一個体であるにも関わらず、その遺伝子構造が似ても似つかない別物に〈変身〉するものいる始末だ。
人が科学の粋を尽くして作り上げた、常識を遙かに超えたその怪物たち。
そもそもは敵国の後方に送り込むことで混乱を引き起こしダメージを与えるための人工生物兵器だったが、設定してあるとされていた安全装置はことごとく外されていた。
〈大崩壊〉の原因の一つでもあるクトゥルフたちは激しい地球の変動を生き延び、過去から迫る人類の罪そのものとなって現在の人類を苦しめている。
〈悠暦〉の歴史はある意味、終わりの見えないクトゥルフとの戦いの歴史であるともいえるのだ。
そして今、最も新しいクトゥルフがメインローターの爆音に気づいたのか、こちらにその頭部を巡らせる。
ビルの階数の比較からその大きさは容易に割り出せた――体高は40メートルほどはある……!
「あいつは……デカいな……!」
今まで何体もの大型クトゥルフを倒してきた経験を持つベルドではあったが、眼前にいるそれは今までに相対したことのない大きさと凶悪さに心が冷えるのを覚えた。
自分の胸に吹いた冷たい風を払いのけるように、必要以上の叱声を飛ばす。
「報告にあったよりも深く市街地に食い込んでるぞ……発砲には細心の注意を払え!」
ビルの足元で右往左往している大勢の市民を見れば、うかつにトリガーを引くわけにはいかない。視認できる限りのほとんどの道路は自動車の列で隙間なく埋まっており、車道と歩道に無数の市民が溢れていた。
逃げ遅れている人間がいるのはビルの中も同様だろう。戦闘ヘリ〈ポリステス〉搭載された最も威力の低い火器、30ミリ機関砲でもビルの壁など段ボール同然に引き裂く。
それを考えれば、万一にも流れ弾など出すわけには行かなかった。
「マヌケに外して、軍人が市民を傷つけるなよ……奴に肉薄して必中距離で発砲しろ! 戦術コマンド、アルファ・ロメオ・ウィスキー!」
了解、と僚機の応答が機械音声によって再生され、後方についていた二番機と三番機がそれぞれ左右にダイブする。
それまで頭に湧いていた全ての雑念を振り払って、ベルドは操縦桿を思い切り押し倒した。
グン、と機首を下げた一番機は一段と速度を増した鉄の猛禽と化し、巨竜の正面に向けて猛然と突進した。