#05「家路――わかれみち・いつつ」
日が傾いていた。
西の空はあかね色の色彩にうっすらと染まり、ほどなく真っ赤に染まる夕焼けの予感をうかがわせていた。
「あれ? 私がみんなにおごるっていう話じゃなかったっけ?」
髪を十分に乾かす時間もなくシャワーブースを出、教室に戻って教科書を詰めたカバンを手に持つ。
望、クリス、シルヴィー、リューネ、ミオの五人は連れ立って校門を出、途中までの一緒の帰路をたどっていた。
思い起こせば色々なことがあった一日だった。こうして連れ立って下校するという日常が成立しているのが不思議なくらいだ。
「おごってもらいたいけど、クリス、お金ちゃんと持ってる?」
「……今、ちょっとピンチ」
「私はそんな、無理におごられなくてもいいです。お気遣いなく」
「……私はタカれる時にはタカる主義」
「リューネ、ミオの口を閉じておいて」
「はい」
「……むぐぐ」
ミオの背中に回ったリューネがミオの口にそっと手を当てる。
「クリスがあたしたちにおごりたくなった時でいいからさ」
「今日は迷惑かけたのに……悪いなぁ……」
「おごらなきゃっていってくれただけで満足よ。仲間じゃないの」
「仲間……」
……仲間。
確かに知ってはいるが、まだ完全に理解していないその言葉を音もなく口にして望は胸に手を当てた。
喋りながら歩けば景色が過ぎていく。いくつもの家、いくつもの店、いくつもの人とすれ違う。
「まあ、クリス一人じゃきついと思うから、望にも協力させるのね」
「望は悪くないわ。先生の手伝いしていただけだもの。私が我慢できなくて飛び出したんだから、私は望にもおごらなきゃいけないの」
「でも女子高生の経済力には限界がある。お金は残酷よね」
「……うぐぐ」
「お金の苦労はわかるからね。あとで恨まれたくないし」
「ちゃ……ちゃんと後でおごるから」
「期待しないで待ってる」
細められた目の中で、透き通るような青い瞳を輝かせるシルヴィー。
同性もうっとりとさせかねないその美貌でそんな殊勝な台詞を吐かれれば、いわれた方はもう諸手を挙げて降参するしかない。
「なんで美人なのに嫌味じゃないの。それってすっごく嫌味じゃない?」
「……しかし喋れば残念になるから、これでいいのだ」
「うるさい2S」
「……だまれDプラス」
後からミオをヘッドロックで締めるシルヴィーと、喉に回ってきたシルヴィーの腕にがぶがぶと噛みつくミオ。
それも本人たちが冗談とわかり合ってて演じている寸劇なのだから、微笑ましい以上の感想はなかった。
「仲がいいって、いいですよねぇ」
ストレートロングの髪にきっちりと櫛を入れて伸ばしているリューネが温かく優しい微笑をその頬に浮かべていた。
「今日初めてあったようなお友達なのに、本当に素敵なことです」
「えっ、本当に今日初めて会ったんだっけ?」
「班編制があったのは今日でしょ? 入学式の時は話もしなかったから」
真面目にとぼけてしまったシルヴィーにクリスが指摘を入れる。
「なんか、今日初めて一緒になったって感じがしないわ。もうずっと前からこの仲間だった感じがしない?」
「初日からこの馴染んでしまっている感じはすごいですよね……」
「……相性の一致」
「とってもいいことじゃない。初めての日からずっと仲良しみたいになれる仲間なんて。望もそう思うでしょ?」
望と肩を並べるようにして歩いていたクリスが傍らの望に笑いかける。
ずっと仲良し……仲良し?
仲良しという感覚が望にはわかりにくい。
そもそも仲間というものを持ったことがない。比較の対象を持っていない。
わからないけど、心地いい。
心地いいのならば、いいのではないのか。
クリスもシルヴィーも、リューネもミオも満足しているように見える。
それならば……。
「うん」
こくん、と望の顔が縦に振られたのを見て、クリスの頬に桜色の微笑みが浮かんだ。
「そっか。よかった」
「まったくクリスは本当に望を猫可愛がりするんだから……あたしにも可愛がらせなさいよ」
「わ」
もう反対の脇にシルヴィーが入ってくる。いくらか背の高い少女二人に挟まれた望がわずかに慌てる。
「なんか、異様にしっくりとくる感じね……」
「そうでしょ? でも望は私のだからあげないわよ」
「たまに貸してくれてもいいじゃない、ケチ」
「あやややや」
二人の少女に両脇からぐいぐいと圧迫されて、望の顔がかっと熱くなった。
「いいわねー、あたしなんか中学で馴染めるグループなんてなかったの。すっごく幸せ」
「……そのルックスで周りを霞ませるから」
「私たち、霞んでいるんでしょうか……」
「あたしはすごい美人っていうだけ」
聞きようによっては――というか、普通に聞けば傲慢にしか聞こえない台詞をいとも簡単にシルヴィーは口にしていた。
「リューネもミオは可愛い、望もね。別ジャンルなのよ。かち合わないわ」
「私はどう分類されるの?」
「クリスはあたしのライバル」
にっ、とシルヴィーが笑う。
「その伸びしろをあたしは警戒してるわ」
「ありがと……」
クリスもそれに苦笑でしか返せない。本当にシルヴィーのレベルまで行けるのか自信はなかった――行くつもりも今はなかったが。
「……明日にでもその頂点を追われるがいい」
「あんたも毒吐かせると天下一品ね?」
「……うぐぐぐぐ」
再びシルヴィーのヘッドロックがミオの頭に決まり、ミオもまたシルヴィーの腕にがぶがぶと噛みついた。
「はぁ……」
「ってなに、どうしてそこでため息が出るのよ?」
「私、わかります。クリスさんはアルクリットさんのことが気になってるんですね?」
初手でチェックメイトするようなリューネの的確な指摘にクリスの目が見開かれるが、それは次の瞬間には遠いものを見るものに変わっていた。
「ま……ね」
「放っておきなさいよ、あんな奴。って放っておけっていったのはクリスじゃない」
「そういう放置じゃないの」
「あの方も、そんなに悪くないような御方の気がするんです」
「えーっ? 望に足引っかけて転ばすような奴が?」
シルヴィーの声に怒りとも苛立ちともつかない色が混じる。
「ことあるごとに向こうから突っ掛かってきて、あんな奴クラスからいなくなってしまえばいいのよ!」
「……うぐぐぐぐぐぐぐぐ」
アルクリットへの怒りがついついミオの喉元を締める力に変わってしまって、無用の苦しみにミオがうめいた。
「望だって痛い目に遭わされて、あんな奴と関わりたくないでしょ?」
「うん、痛かった、けど……」
痛い、というよりは驚きの方がショックの半分以上を占めていたのかも知れない。
何故、自分が危険を冒しても守ろうとしたみんなの一人であるアルクリットに――アルクリットがそれを知らなかったとしても――敵意を向けられなくてはならなかったのか、本当に理解ができなかったのだ。
「いいの! 合わない奴とは合わない! 合わない奴とは合わせない! これが人生! なんか質問は!?」
「シルヴィーさん、過去になにかお辛いことでも……」
「辛いことはいっぱいあったわよ! でもいわせないで!」
「……うぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ」
「シルヴィー、そろそろミオが死にそうだから離してあげて」
「あっ……これは失礼」
怒りで万力のように締め上げられていたシルヴィーの腕からミオが解放される。
「でも、いつまでも今のままというわけにはいかないからね」
「クリスちゃんは真面目なんだから、もっと人生適当でいいのよ?」
「……みんながシルヴィーみたいに適当だと、世界が崩壊する」
「望、なんかあったらすぐに私にいってね。いつでも力になるよ。いい?」
またヘッドロックと噛みつきを始めたシルヴィーとミオを無視し、クリスが望に微笑みかけた。
「ありがとう、クリス。でも……」
「でも?」
「でも……なんでクリスはそんなあたしに優しいの?」
クリスの瞳が一瞬、膨らんだ。
一拍か二拍の呼吸分、わずかな間が置かれる。
次には答えを探すようにその目が揺れ、そして望をまっすぐに見つめた。
「望だからじゃない?」
「あたし……だから?」
クリスのいうことを口の中で反芻する。……わからない、それは理屈になっていない。
そんな望の心の動きを読んだように、クリスは続けた。
「私はそんなに頭がよくないから、ちゃんとした説明はできないわ。でも、私が望と仲良くしたいっていう気持ちは本当よ」
「……うん」
「それさえ望が知っていてくれればいいんじゃない?」
「……うん」
「私だって、自分の気持ちがどこから動かされてるのか、ちゃんとわかってるわけじゃない」
ふっ……と影を帯びるようにクリスの目が遠くなる。
この世のものを見ていない目になる。
その不思議な色を帯びた目の意味を、まだ望は理解し得ない。
「だから他の人にわかるように説明なんてできない。……でもね、そういう説明自体が要らないと私は思うの」
「…………」
「結果と結果で心は結びついていくんじゃないかなって私は今思った……わかる? 望」
「……ちょっとわかった」
「そっか。じゃあ今はちょっとでいいや」
望の頭にクリスの手が置かれて撫でられる。
「そのうち、いっぱいわかってもらうから」
まだ乾ききってない髪を撫でられても、望は不快さは感じなかった。
「あぁに青春ごっこやってるの」
「友情……素晴らしいです……」
「……情の切れ目が縁の切れ目……」
「あはは……さてと」
先頭を歩いていたクリスが立ち止まった。
交差点。分かれ道。
それぞれの行く道がここで別れる軌道を描いていた。
「私はここを左に曲がるんだけど、みんなは?」
「あたしは右」
「私は病院に寄らないと……右です」
「……私も右」
「望は?」
「えっと」
望の目が周囲を見渡す。その景色を確かめる。
「まっすぐ……だったっけ」
「なーに自信ないのよ。自分ちでしょ」
「望さんは最近越してこられたばかりなんですよ」
「あ、そっか」
「……じゃ、ここでバラバラ」
五人が一度足を止め、それぞれの家路に向かって意識を向ける。
そのまま流れるように別れる――ことができず、微妙な間が心に空いた。
「――――」
今日、一緒になったばかりのグループ。いきなり馬が合ってしまうくらいの一体感があったから、初めて解散するということにまだ不慣れさを感じているのか。
誰しもはっきりとは口にはしないが、立ち去りがたさを覚えてその場に数秒の間無言でたたずんでしまう。
それでも別れないわけにはいかない。それぞれの家があるからだ。
「じゃあ、また明日ね、みんな」
繋がれてしまった見えない枷を解くように、一歩先にクリスが歩き出した。
「裏庭の花壇に水をあげないと……ね、誰がやる?」
「私はもしかしたら欠席の可能性が……」
「……早いものがやればいい」
「ま、教室に行く前に裏庭をのぞけばすむ話か……じゃあね、望、クリス」
「さようなら、ごきげんよう」
「……さらば」
クリスは左、シルヴィーはリューネとミオを引くようにして右に歩き出す。
歩み出すのが遅れた望は、一人、交差点で取り残された形になった。
「…………」
今まで五人で賑やかだったのが、今では一瞬で一人だ。
一人に慣れていないわけではなかったが、今さっきまでみんなのぬくもりに包まれていた分、いきなりそれを引き剥がされたさみしさがあった。
心のさみしさは望の肌をも震わせて、ぶるっとした震えに思わず片方の肩を抱いてしまう。
戸惑いが歩を進めるのを拒んでいたが、立ち止まっているわけにはいかない。歩き出さなければならない。
「……行かなきゃ」
声を出して自分にいい聞かせ、望は歩き出した。
我が家へ。
まだ一度も足を踏み入れたことのない我が家へ。




