#03「花と少女と花と花」
高校と外界を区切るブロック塀が破壊された裏庭には、まだ戦いの痕跡がありありと残っていた。
ブロック塀の大規模な三カ所の破壊の跡はまだ片付けられておらず、クトゥルフによって荒らされた花壇はレンガの境界がそこかしこで崩され、平らに整地されていたはずの土にいくつもの小さなクレーターが刻まれている。
片付けられたのはクトゥルフの死骸くらいのものだろう。それだけは軍が回収し、既にどこかに持ち去ったらしい。
数時間前までこで自分がクトゥルフと戦っていたのか――そんな事実が望自身の頭の中でも現実感を失ってしまいがちになる。
「明日には新しいブロック塀は工事が入る。その前に、できるだけガレキを片付けるように。各自、軍手を嵌めて怪我をしないよう気をつけろ」
体操着に着替えた一年F組とG組の六十人が動員され、そのほとんど手作業の撤去作業の監督をクレイが行っていた。
「あと、花壇の修復だ……踏み散らされた花は捨てて、生き残った花だけでも見栄え良くすること。こればっかりは業者は直してくれないからな」
制限時間は二時間、余裕はあまりないぞ――手を鳴らすことで生徒たちを急かし、クレイ自身も作業に参加して汗を流しているようだった。
「先生、ワイシャツ姿でがんばられていますね」
「……現場指揮こそが士気向上の早道」
「こらっ、シルヴィー、なぁにサボってるのっ」
「ん?」
裏庭に設けられたベンチの一つに、体操着姿のシルヴィーが座り込んでいた。
左脚をいっぱいに伸ばし、こちらは折った右膝を両手で抱えて体を寄せている。すらっと形のいい長い脚が印象的に映るポーズだった。
「ほら……あたしって何着ても画になっちゃうから」
背中の半分まで伸びたやわらかいパーマがかかった金色の髪。
白く細く、しかしそこそこに引き締まった筋肉が作り出す優美な脚のライン。
内に曲げられた肩と伸ばされた腕の間で強調されている豊かな胸の膨らみが、無味乾燥なデザインの体操着に華やかな印象さえ醸し出している。
ここがファッションモデル会場かなにか勘違いしているように、完全無欠な営業用のスマイルを浮かべて、シルヴィーは自分の魅力をフルスペックでその場に顕現させていた。
殺風景な校舎を背景にしても、モデルの存在だけでその景色を華やかにしてしまえるだけの力はあった。
「かっこいいです……」
「……見た目だけなら満点」
「はぁ……」
さすがに素直な高得点を上げなくてはならなくなったリューネとミオと一緒に、望もそのシルヴィーの存在が醸し出す魅力にほとんど言葉を失っていた。
「……これは撮らねば」
その体のどこに持っていたのか、小さなデジタルカメラを撮りだしたミオがその場で撮影を始める。
「……目線くださーい」
「はぁい」
「ちょっとちょっと、ミオ、なにそれ」
「……ネコンの最新鋭コンパクトデジタルカメラ〈NYA14〉。耐ワームナノマシン性能はビカイチ。小型レンズながら広角センサーも優秀で普段持ちならこれが最適解……」
「誰も性能とか聞いてないっ!」
「……すみませーん、もっと胸を強調してくださーい」
「こうかしら?」
「……両脚をちょっと広げてくださーい」
「うふふ」
「……裾をはだけておへそを」
「それは契約外」
「……ケチ」
脱がないという範囲内でどこまでもセクシーなポーズを取りだしたシルヴィーと、それをパシャパシャとフラッシュを焚いて連写しているミオを前にクリスはそれ以上抗議する言葉もなくした。
「あの二人はもう……」
「いいじゃないですか、楽しそうで」
「リューネは甘いんだから、はぁ……。じゃあ私たち真面目組だけでも作業するわ、望、手伝ってね」
「うんっ」
ほんの数時間前にここで自分がクトゥルフと戦ったという事実が、まるで遠いもののように思えていた望がその呼びかけに振り向いた。
「半分の花壇は荒らされちゃってるわね……」
全体を眺めてみて、クリスが全体のプランを即決する。
「荒らされかたが軽い花壇に、ひどい花壇の花を移しましょう。ひどい奴はその後全体を一気に均した方が早いわ」
「移すのに手間がかかりませんか?」
「ここの花壇の花は、簡単に移せるようになってるから」
試しにクリスは半壊しているといっていいほどに荒らされた花壇に近寄り、まだ踏み散らされてない紫色の花の前に膝をついて植わっている周りを手で掘り出した。
土の下からは、花の根を囲むようなカップの形で黒くそこそこ厚いビニールが現れる。
「これを掘り出して植え替えれば、終わり」
ハンドシャベルで開けた穴にそのビニールカップを落とし込み、土をかけて隠すだけで植え替えは終わった。
「小さなプランターサイズで土に隠れてるのも結構あるみたいね。二人か三人で持つのは……ちょっとつらいか。まあそれは……」
撮影ごっこに興じている美少女モデルとカメラ少女の方に、クリスは視線を走らせた。
「あの二人もこき使えばいいか」
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「あああ……あたしの白魚のような指が泥まみれに……。これは人類の損失だわ……」
「……労働基本法を守れー」
「うるさい働け」
「その白魚のような手は軍手で守られてるじゃないですか?」
「この美しい手が、軍手なんていう野蛮なものに包まれること自体が罪悪なのよぅ」
「……私は頭脳労働担当……ダメ指揮者、ダメ指揮者……」
「うるさい働けっ」
不平不満を漏らしながら手を動かすシルヴィーとミオを、言葉の鞭で打ち据えながらクリスはテキパキと指示をしつつ自分も作業に没頭した。
手作業では修復が難しいほどに破壊された花壇を分解し、損壊の程度が低い花壇のレンガの境界を築き直し次々に花を移植していく。
そのクリスの指揮の上手さに触発されたのか、他のグループもクリスのやり方にならって花壇の修復作業を進めた。
「んしょ、んしょ……」
移植元の花壇の土をハンドスコップで掘り、花の根を傷つけないように丁寧な作業を心がけてそれを掘り出す。
落とさないように大事に抱えて移植先に運び、ビニールのカップが全部隠れるくらいに土をかけて軽く叩いてそれを均した。
「……あはは」
レンガが積み直されて一応は形になった花壇に新しく移された赤い花が、望の目の前で首を垂れるようにしてその鮮やかさをほこっている。
花を見たことがないわけではないが、見慣れているわけでもない。触れてみたのは初めてだ。
自然の美が醸し出す小さく鮮やかな色彩の産物を前にして、望は心から素直にそれを綺麗だと思った。
「望、お花、好き?」
自分が植えた花を見て微笑みを浮かべている少女の優しさに惹かれたのか、クリスが望の横で土に膝を着けた。
「よくわからないけど……小さくて、可愛くて、綺麗だと思う……」
「そっかぁ」
小学生のような感想に、それでもクリスは嬉しそうに笑う。
「望の好きに飾っていいよ。こんな風な花壇にしてみたいとかある?」
「まーたクリスは望に甘いんだから……あたしたちにも同じくらい優しくしなさいよー」
「……待遇の改善を要求する」
「あんたたちはつべこべいわずに働いて」
「いーけないんだ、差別はいけないんだ」
「……今に見ておれ」
「ほら、あんなのはほっといて。望はどうしたいの?」
「うーん……」
具体的にどうしたいか、といわれれば望に思案はない。どうすれば見栄えがよくなるかなどはわからない。
「花には詳しくないから……わかんない」
「あたしもチューリップとタンポポの区別くらいしかつかないわ」
「……幼稚園児か」
「じゃああんたはどれくらいの区別がつくっていうのよ、ミオ博士」
「……ここにあるのは全部つく」
「ホントぅ?」
言質を取ったり、という顔でシルヴィーはにやりと笑った。
「じゃ、これは?」
軍手に包まれたシルヴィーの指が紫色の花びらをつけた花を指差し、ミオは一度すぅ、と大きく息を吸い込んだ。
「……通称はアネモネ、学名はAnemone coronaria。キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。その語源はギリシア語で「風」を意味するanemosからきており、美少年アドニスが流した血からこの植物が産まれたとする伝説がギリシャ神話にあり、稀にアドニスと呼ぶことも……」
「ストップストーップ!」
非常停止ボタンを押すようにシルヴィーがミオの頭を何度も叩く。
「やめーい!」
「……あにすんだ」
「いきなり大容量の情報を垂れ流し始めるからよ! こっちの脳みそが追いつかないじゃない!」
「ミオさんすごい! 物知りです!」
「……ふふん」
リューネの素直な感心にミオはその悲しいほどの胸を張って見せた。
「……これが実力の差」
「わかったわかった! もう二度とこんな勝負しないわ!」
「……正義は勝つ」」
「じゃあミオ、この青い花は?」
「……それはネモフィラで……」
「望! あんたもこいつの再生ボタン押さない! 頭をパンクさせられても知らないわよ!」
「楽しそうねー」
なんだかんだできゃいきゃいとはしゃぐメンバーに、クリスが目を細めた。
それぞれ違う極端なくらいに違う個性で集まっているグループではあるが、それぞれの相性はとてもいいようだ。
今日、初めて一緒のグループになってというのに、もう何年も一緒にいるくらいの馴染んだ感じがあるのは本当に希有なことだった。
二時間ほどもすれば、裏庭の一面が整備された花壇とほぼ花が何もない花壇の跡に別れる。
最後の小型プランターを移し終わって、クリスは額に浮いた汗を軍手で拭った。
「見た目はだいぶよくなったわね」
一面の花が咲き誇っていた前に比べれば寂しい感じがないでもなかったが、新しい資材など皆無の状況ではよくやった方だろう。これを見たほとんどの人間がそう思うはずだった。
「ほう、大したもんだな」
破壊されたブロック塀の残骸の撤去、そして明日の工事の段取りをつけ終わったクレイが一連の作業の結果を見て素直な感嘆を示す。
「クリスの指示がいいの」
望のその言葉は本当にお世辞でもなんでもない。クリスがいなければ作業はもう一時間は必要だったと思えた。
「私たちの犠牲のおかげじゃないの?」
「……万国の女子学生団結せよ」
口ではシルヴィーも不平を並べ立ててはいるが、それが全く本気ではないということは、その明るい笑顔から望でも理解できた。なんだかんだで体が汚れるのをいとわず、泥がついた頬が微笑みの形を作っている。
「なんにしろよくやってくれたな。みんな、これで作業は終了だ。シャワーブースの使用を許可するから、全員汗と泥を落とすように。その後は解散とする。それぞれ帰宅するように――以上だ」
「やった、シャワーが浴びられるんだって」
「さすがに、このまま制服に着替えるのは気が咎めます」
体が丈夫ではないというリューネに割り振られていたのは、力仕事ではなく細かい道具やもののピッキングではあったが、それでも屋外での二時間の作業は少女にそれなりの汗を掻かせていた。
「リューネ、大丈夫だった? 体調は悪くない?」
「はい……今日は大丈夫です。私、体調のいい時と悪い時の差が激しいんです」
シルヴィーの肌の白さとはまた違った感じで色が抜けているリューネが頬に手を当てた。
「調子のいい時は、リハビリついでにハイキングにも行きますから。綺麗な山は大好きです」
「……調子のいい時は遊びついでにハッキングもしますから……ヤバいヤマは大好きです……」
「ミオさぁ、あんたがいうと冗談には聞こえないから、気をつけた方がいいよ?」
「……冗談じゃないぞ」
「じゃあ望、この花壇みんなにお水上げてからシャワー浴びようよ」
「お水?」
「シルヴィー、じょうろにお水入れて持ってきて、五人分」
「無茶いうなぁっ」
「……ホースという文明の利器がある」
水まき用のシャワーヘッドがついたホースをミオが引き出してくる。
「じゃあ、私、蛇口をひねってきます」
「お願いね、リューネ」
とてとてとて……という足取りでリューネがホースが接続されている蛇口の元に向かった。
「いきますよー」
手を振って声を上げたリューネにミオが無言でうなずいた。
「ところでミオ……どうしてそのヘッドはあたしたちの方を向いているわけ?」
「……体操着は汚れてるし、この後シャワーを浴びて制服に着替える。問題ない」
「問題ないって、なにが?」
「……というわけで、食らえ」
ビームと化した水流の直撃が三人の少女たちを一度に飲み込んで、三者三様の悲鳴がその場に響き渡った。
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陽が落ち始めていた。
まだ地平線を赤く染めるには至っていないが、一日の終わりを告げかけるようにして太陽がその高度をじりじりと下げている。
今し方まで作業をしていた女子生徒たちがいなくなったのと入れ替わるように、一人の人影が裏庭に現れた、
低い確度から差す太陽の光は、少女の足元から伸びる影をますます長くしてその長身を際立たせている。
やや強く吹き出した風にそのポニーテールの髪を揺らしてその少女、アルクリット・イーヴンは、望たちが懸命に整えていた花壇の前に立って、即席作業ではあるがある程度は形になった花々の列に目を落とす。
ちっ、と小さく舌打ちし――足元に片付けるのを忘れられているハンドシャベルが一つあることに気づく。
その体が大きく巡らされ、人気が全く絶えているのを確認してから、アルクリットはそのハンドシャベルを手にした。
「見てろよ……ヘタクソどもが」




