#02「お昼休み・直方体のランチ」
高校の昼食は給食か振る舞われるシステムになっているのだが、この日はクトゥルフ出現の混乱で給食の搬送が不可能となり、急きょ、生徒たちには非常食が配られることになった。
昼休み前にシェルターに備蓄されていた非常食パックが配られ、生徒たちはそれをそれぞれの場所で食べることになる。
望たちがそれを食べる場所として選んだのは教室だった。
「うー……美味しくない……」
それを一口かじった瞬間、シルヴィーの端麗な顔立ちが面白いくらいに歪んだ。
五本のブロック形保存食。小麦粉に栄養素を練られるだけ練り込んで極限まで圧縮したそれは、口にした瞬間、口の中の水分を全部奪っていくのではないかというシロモノだった。
かろうじて調達され配られたパック牛乳がなければ、どれだけの人間がそれを完食できたかは怪しかった。
「非常食ですから、仕方ありません」
「……保存性最優先」
味気ないもいいところの食事ではあるが、育ち盛りの少女たちに昼飯を抜けというのも酷すぎる話だったろう。
「クリス、これあげる……」
配られた五本のうち一本しか口にせず、シルヴィーは残った四本をクリスに押しつけた。
「昼休み終わったら多分力仕事よ? まいったりしない?」
「カロリーはあたしの敵なの……これ、一本だけでもすごいカロリー数じゃないの……」
「そのカロリーをとるための食べ物でしょ?」
「非常食ですから、仕方ありません」
「……エネルギー最優先」
「第一、私一人でこんなに食べられないし」
「大丈夫、クリスもさっきすごいカロリー使ってたから、ペロリ」
「あのね」
小さく軽く高栄養というのが理想の保存食であり、目の前のブロック形保存食はその理想的な形でもあった。
「みんな一本ずつ追加で食べて。リューネもミオもいい?」
「はい、いただきます」
「……私も育ち盛り」
「あんたはちょっとは育ちなさいよ」
「……あんだと」
ミオとシルヴィーがその場でエアボクシングを始める。
「食べてる時に遊ばない! ……望も食べる?」
「うん」
クリスから回されてきたブロックの銀紙を早速剥がして、望はそれを大きくかじった。
わざとらしいフルーツ味――そのフルーツがどのフルーツを差しているのかはわからなかった――が口の中に広がる。
シルヴィーは美味しくないと顔を歪めていたが、望にはそれほど不味いものとも思えない。いや、そもそも「不味い」という認識が弱いのかも知れない。
ものの美味い不味いを判別できるほど、まだ食べるということをしていないからだ。
「クリス……あたしの顔に、なにかついてる?」
「んー?」
自分の食事はおいておいて、望がブロック形保存食をもぐもぐと頬張るのを眺めているクリスが相好を崩す。
黙々と望がなにかを食べるのを見る――それだけで楽しいものがあるのか、向かいに座っているクリスの目が細められその口元には微笑が浮かんでいる。
「望が食べてるのを見てるだけ」
「……あたしが食べてるところ、面白い?」
「なんか、リスがどんぐり抱えて食べてるみたいで可愛い」
「あー、確かにそんな感じあるかなぁ」
「リスさんもめっきり数が減ってしまったらしいですけれど……」
「……小動物タイプ」
「ミオ、それはあんただって全然負けてないからね」
「……うるせー」
初めてみんなで囲む食事としてはメニューは寂しいことこの上ないかも知れなかったが、そんな味気ない食事でもみんなで食べることで気分は全然違っていたかも知れない。
一人で食べるということを知らないでもない望には、それは特に強く感じられたことの一つかも知れなかった。
「望もいっぱい食べて、いっぱい育たないとね。まだまだ伸びしろあるんだから」
「うん……」
フェイリスの骨格フレームと筋組織以外は有機物で構成されており、それを維持するには「食事」が必要だった。
加えて、質量をエネルギーに転移できるアインシュタインリアクターにはその質量を供給する必要があり、なにを手っ取り早く質量として扱えばいいのかというとまさに「食物」が最も適当であった。
要するに――フェイリスは食べる。しかもそこそこ結構な量を。
胴体に内蔵されている消化器官もなにもかも人間とほぼ同じで、レントゲン写真で撮影してみたところでほぼ区別はつかないくらいのものだった。
……ただ、成長はしない。
いくら栄養を摂ったところで、フェイリスの体を支えているアルケミウム鋼の骨格が伸びたりすることは決してなかった。
「それにしても、あのイーヴンさん、どこに行かれたんでしょうか?」
「イーヴンさん?」
「……アルクリット・イーヴン」
「ああ、あれね」
ほぼ隣といってもいい間合いにあるアルクリットの席は、空になっていた。
「どこか一人で食べてるんでしょ? 誰かと一緒につるむとかなさそうな子だし。放っておけばいいのよ」
夕食までの数時間を空腹と戦わなければならないシルヴィーは完全に突き放していた。あの少女と自分がとても馬が合いそうにないというのは、午前のうちに判明したようなものだった。
「あたしたちを目の仇みたいに突っ掛かってきて、ちょっとおかしいんじゃないの?」
「シルヴィーさん、そんなに人を悪し様にいうのはよくないと思います」
「そういうあなたは、あの子の背中に体当たりぶちかましてたじゃないの。あたしが出る幕全然なかったわ」
「……あの時は夢中だったんです……」
「あなた、意外に思い切りいい方なのかもね?」
「……いじめないで下さい……」
どう考えてももっといじめたくなるような表情を赤らめて見せて、リューネが肩をすくめるようにして小さくなる。
「……チャンスがあれば私もぶちかますつもりだった」
「あんたの背丈じゃ、あの子のお尻に突っ込んでいくだけでしょうが。体重も軽いくせに、きっと跳ね返されて終わるのがオチよ。今どれだけ体重あるの? リンゴ二個分くらい?」
ぽい、とミオが投げたブロック型保存食がシルヴィーのふわふわパーマの頭に当たって跳ねた。
「ミオ! なんてことするの! 食べ物に謝りなさい食べ物を粗末にして!」
「いやまずはあたしにでしょ!」
「あははは……」
望が噴き出す。みんなの微笑ましいやり取りに胸の中の全部が温かくなって、心の底に安置されている笑いの泉がこんこんと新しい恵みを湧きだしているのがわかる。
「なーにーがおかしいのっ」
「わたっ」
望のおでこにシルヴィーの方から飛来したブロック型保存食がぶつかった。
「やーめーなーさーいー!」
クリスが立ち上がって声を上げるが、それだって本気では怒ってはいない。
お互い、ここまでは許されるだろうという最大公約数の認識。
それが見事噛み合った時、本当に心地よい居場所ができるのかも知れない。
そのことをまだそれほどには理屈だって考えることはできないが、この仲間たちが好きになれそうな仲間だということには望は気づいていた。
好きになれそうな仲間。
それ以上に素敵な仲間がいるのだろうか――。
「あいた!」
望の頭にブロック形保存食の二重攻撃が加えられる。
「なーにニヤニヤしてんのっ」
「……隙ありお命頂戴」
一瞬ではあるが同盟を組んだらしいシルヴィーとミオがしてやったりという顔を見せて肩を並べていた。
乗っていた頭から落ちた二つのブロック形保存食を見つめ――その口元にいっぱいの笑いを浮かべて見せて、望はそれを手に取った。
「……やり返すー!」
「それでこそ我がライバルよ!」
「……ちょこちょこざいな」
「あああ……」
「やーめーてー!」




