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少女が愛した千の恋と万の嘘 -電装騎士フェイリス-  作者: 更科悠乃
第3話「GIRL FRIEND'S STORY」
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#01「アルクリット、吠える」

 顎を打ち付けた衝撃で望の顔から外れた眼鏡が床を滑り、アルクリットの靴に当たって止まった。冷たい眼差しを望に向けながらアルクリットはそれを拾い上げ、望には返そうとせずに手の中で弄ぶ。


 教室の中で望が派手に転倒したのに気づいた周囲の注目が集まる。ざわっと教室の空気にさざ波が立ち、全ての生徒たちの注目の中心に望はさらされてしまった。


「か……返して……」


 望は立とうとするが――体がいうことを利かない。顎を打ち付けた衝撃に頭がしびれている。


 戦闘兵器として作られたフェイリスといえども、日常生活を送るために機能を制限されている状態ではまさしく普通の人間となんら変わりはない。あるとすればそれは骨格の丈夫さくらいのものだ。


「お前、よくこんな趣味の悪い眼鏡かけてるな」


 赤いフレームの中に収まったレンズをピン、と指先で弾く。


「どうせあの兄貴に買ってもらったかなんかだろ。ふん……」


 手にしたその眼鏡をすぐに壊そうというつもりではないようだったが、すぐに返すつもりもないようだった。


「望になんてことをしてるの!」


 状況を理解したクリスが目を吊り上げてアルクリットに詰め寄る。

 アルクリットはそんなクリスの反応を最初から織り込んでいたのか、まるで動じる気配がなかった。


「はっ……子分をやられて親分の登場か?」

「望は私の子分なんかじゃないわ! 大事な友達よ!」

「大事な友達ねぇ……」


 鼻で笑う気配。


「望さん、大丈夫ですか……」

「……傷は深い、がっかりしろ」

「あいたたた……」


 いきなり足をかけられて派手に転倒させられた――精神的な方のショックでしばらく放心していた望がリューネとミオの手を借りてようやく立ち上がる。


「あんた、なかなか面白いことしてくれるじゃないの」


 シルヴィーも黙って傍観しているつもりは全くないらしい。クリスの脇を固めるようにし牽制に入る。

 二人の少女を前にして、アルクリットに怯む様子は全くなかった。というよりはむしろ、この状況を楽しんでいるとしか思えなかった。


「わらわらやってきやがって……仲良しごっこクラブどもが」

「あなた、望になんか文句でもあるの? あるんなら私が代わりに聞かせてもらうわ」

「シャンプー」

「……は?」


 唐突に呟かれた言葉に、クリスの理解が追いつかなかった。


「お前、気づいてないのか? そのチビの髪から匂ってくるシャンプーの匂いが朝と違ってるのに」

「な……」


 リューネとミオに半分両脇を抱えられるようになっている望にクリスが目を向ける。

 ミオが望の髪に鼻を文字通り突っ込ませて匂いを嗅ぎ、


「……確かに違う」


 そう冷静に判断を下していた。


「お前、オレたちがシェルターに避難していた時に、風呂でも入ってたか?」

「それは……」


 望は言いよどんだ。

 クトゥルフとの戦いで被った汚れを洗い落とすため、確かにシャンプーで髪は洗った。それが昨日の夜に髪を洗った時のものとまるで別物だったということに、望自身今の今まで気が付かなかった。


 それを少しすれ違っただけで気づいたのか?

 言いがかりの材料であったとしても、それに気づくのはある種の才能といえたかも知れない。


「お前、オレたちが避難していた時になにしてた?」

「…………」


 用意していた言い訳がとっさに口から出てこない。胸の重みが口まで重くしてしまって、その枷を解けずに望は沈黙を保つしかできない。


「いいよなぁ、教師が兄貴で校長に目をかけられてるんだろ。オレたちと違って扱いは特別か? 校長室に風呂でもあるのかよ、この学校は?」

「……シャワーの設備くらいこの学校にもあるわよ! 汚れたからシャワーを浴びたんでしょ! そうよね、望!」

「うん……そう、そう……」


 まさか、この学校の地下にはフェイリス用の基地があって、そこの風呂を使ったなんていうことを口にするわけにもいかない。

 もっとも、そんなことをいったところでどれだけの人間が信じるかは疑問ではあったが――。


「それが望に食ってかかる理由なの? 取りあえず、その眼鏡を返しなさい! そして望に謝って!」

「俺が食ってかかりたいのはそのチビなんかじゃないぞ――お前だ」

「……私?」


 意外に聞こえたその言葉にクリスがわずかに絶句した。今まで考えもしなかった言葉だった。


「……その眼鏡を返して!」


 望が前に出る。アルクリットが握る眼鏡に向けて腕を伸ばすが、明らかにリーチが長いアルクリットの手が上げられて狙いが外れた。


「はっ! チビに取られてたまる――かっ!?」


 いつの間にかアルクリットの背後に回り込んでいたリューネが、その背中に自分の体をぶつけていた。

 意表を突かれたアルクリットの体が前につんのめり、そのアルクリットに向けてクリスが稲妻の勢いのステップを踏んで間合いを詰める。


 クリスがアルクリットの手から眼鏡をもぎ取り、反射的に伸びてきたアルクリットの手を払って素早く後退していた。


「てめェ!」

「手前じゃないわ! 私はクリスチーナ・フォルクスよ!」


 クリスが眼鏡を望に手渡し、アルクリットに体の正面を向けてその腕を下ろす。肩幅に揃えられた脚は何かの構えのようにわずかな緊張を保っていた。


 アルクリットは望の眼鏡に執着はしないのか、クリスの方にその意識を完全に向けている。望へのちょっかいはオマケに過ぎず、本命はクリスである――その言葉に嘘はなかったようだ。


「いっぺん、お前の顔を張り倒したいと思ってたんだ……いい機会みたいだな!」

「……私があなたになにかした? ロクな接点もなかったでしょう? 会うのも今日でたった二回じゃないの!」

三回(●●)だよ」


 クリスの目が瞬かれる。


「その様子じゃすっかり忘れてるみたいだな……でもな、オレは忘れちゃいないんだよ!」


 その叫びを合図にしたかのようにアルクリットが猛然と踏み込んだ。クリスの喉元を狙って右手が突き出され、斬り込んでくるようなその体さばきに誰もがクリスの襟元が締め上げられる結果を想像した。

 ――が、そうはならなかった。


「っ!」


 もんどり打って、アルクリットの体が背中から教室の床に倒れ込んでいた。


 クリスの方は――ほとんどその姿勢に乱れがない。自分の脇を一人で勝手にすり抜けていったようなアルクリットに厳しい目を向けてそこに立っていた。


「クリス……!」


 望が感嘆の声を上げる。

 クリスがやったことといえば、ものすごい勢いで突っ掛かってきたアルクリットの右腕を手で捉え、そのままその勢いを全く殺さずに後方に流しただけだった。


 しかも、教室の壁にその体がぶつからないように床に倒れるように誘導し――倒れる際も頭を強く打たないようにする配慮つきだ。


「て……てめえ……!」


 アルクリットの声が上ずっていた。自分にされたことの全部を――手加減を加えられたことも含めて理解していた声だった。


「――残念だけど、あなたじゃ私に勝てないわよ。アルクリットさん」


 冷たく冴えた目が長身の少女を見下ろしている。誇張でもはったりでもない、厳然たる事実を事実のまま告げる眼差しだった。


「この野郎……!」


 アルクリットは吠えるが、強打した背中の衝撃に体がしびれているのか容易には立てない。

 騒ぎを聞きつけたクレイがようやく教室に飛び込んできたのはそんなタイミングだった。


「お前たち、いったいなにをやってるんだ!」


 遅すぎるくらいのその乱入に教室中の注目が向けられる。

 騒ぎの中心が床に仰向けになって倒れているアルクリットだとすぐに踏んだのか、カツカツと早い足取りでクレイが歩を進めてきた。


「どういう騒ぎなんだ、これは。ケンカか何かか?」

「先生、これは――」


 説明するために口を開こうとしたシルヴィーを、クレイが手で制する。


「お前たち、いくらこの学校の校則が緩いといってもな、私闘に関しては厳しい態度で臨む――知らんかも知れんから念押ししておくぞ……それでもう一度聞くぞ」


 全員の顔に自分の言葉の意味が染みこんだのを確認してから、クレイは再び口を開いていた。


「これはケンカか?」

「……オレがマヌケに自分でコケただけだ」


 床に手をついてアルクリットが体を起こす。


「フォルクス」


 クレイが視線を走らせ、その目の色を的確に読み取ってクリスは言葉を選んだ。


「ちょっとじゃれ合ってた拍子に、アルクリットが転んだだけです」

「そう、それ!」


 咳払いをしてシルヴィーが言葉を繋ぐ。


「私たちは仲良しのフォルクス班ですから」

「……無問題」

「そうか……で、だ」


 五人の声を受けてから最後に、クレイの目が望に向けられた。


「望はどうなんだ」

「えっ……」


 その問いが自分に向けられることは当然の成り行きだったのに、水を向けられた望は焦ってしまう。

 こんな時、どう機転を利かせればいいのかという経験が望には絶対的に欠けていた。


 生まれた瞬間から自我が確立されていたとはいえ――望は生まれてからまだ一年も経っていなかったからだ。

 高校一年生としては不自然なほどの時間をかけて熟考を重ね――達した一つの結論を、望は口にしていた。


「……なにも、なかったです」

「本当か?」

「……はい」

「――そうか。じゃあ、私の早とちりだったということか」


 望の頭にクレイの手の平が包むようにぽん、と乗る。


「わかってるな? くれぐれも問題行動を起こさないように。この学校も全てが緩いわけではないということをちゃんとわきまえておくように。あと、望――」

「は、はいっ!?」

「眼鏡はかけておけ」

「あ――」


 それを目に戻すのを忘れていたことに今気が付いて、おずおずと望は眼鏡をかける。

 無論、望の視力が悪いなどということはない。

 しかし、それをかけていなければ望には見えないものがまだ多すぎるのだ。


「あと、制服の前が汚れてるぞ」

「あ……」


 倒れた時に体で床を磨いてしまたためか、制服の胸元が汚れを拾って黒く染まっていた。


「あと――生徒の全員に連絡だ。今日の授業は中止になった。午後から裏庭の肩付けの作業があるから、昼休み終了後に全員裏庭に集合するように。それまでは校外に出ない限りの自由行動とする。自宅が心配なものは連絡をとること。以上だ」


 淡々と連絡事項を口にしてクレイは教室を出て行った。


「――チッ」


 アルクリットが自分の席に戻ろうと移動する。望の側を通ることにクリスが警戒して、望の前に立つことで牽制とした。


 が、アルクリットにはそれ以上ことを荒立てるつもりはないようだった。聞こえよがしに舌打ちを鳴らしただけで、なにもせずに自分の席について再び居眠りを始めた。


「はぁぁぁ……八日経っても授業を一時間やっただけじゃないの」


 自慢のふわふわパーマの明るい蜂蜜色の髪を払うようにしてシルヴィーがため息を吐く。


「こんなのでカリキュラムを全部消化できるわけ?」

「クトゥルフが来たということですから……仕方ありません。有事みたいなものです」

「それはそうとリューネ、あなた……さっきはがんばったね」

「そうですかっ?」


 クリスの言葉にリューネがぱっ、と顔を輝かせる。


「あなたみたいなか弱そうな女の子が体当たりなんてするのは、あの子にとっても予想外だったみたいね。……私も予想外だった」

「……人は見かけによらない」

「あんたは見かけそのまんまだと思うよ、ミオ」

「……えへん」

「別に褒めてないからね?」

「……このやろー」


 ぼすぼすぼすとボクシングを始めたシルヴィーとミオを放置して、


「なにやってんだか……望、大丈夫だった?」


 クリスが望の前に回ってその制服の汚れを手ではたき出した。


「あ……ありがとう、クリス」

「しばらくは気をつけた方がいいかもね。なんか知らないところで恨みを買ってるみたい」

「なんなんだろう……」

「なんか簡単に教えてくれる気はないみたいだけどね」


 いくら手ではたいても、制服に深く入り込んだ汚れはそれ以上は取り除けないようだった。


「これ以上は洗濯するしかないか」

「もう十分だよ。クリス、本当にありがとう」

「いいわ。――さっきの見たでしょ? これでも私、結構強いから、望を守ってあげられると思う」

「あはは……」


 複雑な笑いが望の口元を彩る。

 フェイリスである時(モード1)の自分はクリスを怪物から守ってやれるのに、日常態勢(モード3)の自分は女子生徒一人の脅威から自分を守ることもできないのだ。


 クリスに守ってもらえる――それは嬉しい。

 しかし、クリスに守られなければならないのは、情けない以外の何物でもなかった。


「もっと……」

「ん?」

「もっと、あたし、強くならなくっちゃ……」

「いいのよ、望は今のままで」


 それはクリスの満面の笑顔。その感情のエネルギーがどこから供給されているのかと、不思議になるくらいの笑顔。


「私は望を守れるのが嬉しいの。私に望を守らせて下さいな」

「それでも……」


 自分は強くならないといけないのだ。

 フェイリスとして。

 そして、フェイリスでないものとして――。


「あれ……制服のタグが外れてないよ」

「あ」

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