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少女が愛した千の恋と万の嘘 -電装騎士フェイリス-  作者: 更科悠乃
第2話「クラスメートと秘密基地」
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#03「仲間――少女たち五人」

 始業のチャイムから五、六分も遅れたくせにそれについての謝罪は一切なく――というより、遅れたことによる後ろめたさなど微塵も見せず、


「みなさん、今から班編制を行います!」


 それどころか、誇らしささえ感じさせて表情を輝かせたマリーが教壇に立つや否や、そういい放ったのだ。


 政治経済の教科書を机の上に広げて、一向に姿を現さない教師を待っていたクラスの面々がそれぞれに面食らった顔を並べている。


 違う意味で驚いていたのは他でもない、(のぞみ)だった。


 可及的速やかに班編制の作業をするとはクレイから聞いていた。そのクレイが――今はこの教室を見渡してもどこにもいないのだ。


「……えっ? クレイがいないのに班編制するの?」


 先ほどのクレイを呼び出す放送は、教室でも嫌になるくらい大きく響いていた。なんらかの案件で校長室に行ったのはわかる。それで班編制が中止にならないのはどういうことなのか望には全く量りかねていた。


 正直不安しかなかったが、やめてくださいと発言するわけにいかない。


 クリスと距離を取らなければならない。間違っても同じ班にならないようにしなければ。


 その本題を忘れないように意識しつつ、肝心のクリスの様子をうかがおうと望はそーっと横目で左の席に視線を向けた。


「……あ」


 こちらに顔を向け、じっと注目を向けていたクリスと目が合った。

 望の唇の端が小さく引きつる。


「や」


 クリスの目元が笑うように緩んで、小さく手が振られる。反射的に望の顔が壊れかけたカラクリ人形のようにガチガチと音を立てながら笑いの表情を作った。


 そのままゆっくりと、中身がなみなみと満たされたカップを零さない心持ちで丁寧に視線を前に戻して、考えた。


「誘われたら、どうしよう……」


 多分、班編制の実行段階になるとクリスに絡め取られそうになる、砂鉄が磁石に吸い取られるように――そんな確信に近い予感があった。


 それから逃れるためには、どうすればいいか?


「とにかく逃げよう」


 砂鉄に足を生やせて逃げるしかない。他のグループに入ってしまえばいいだけの話だ。


 入ってしまえることができたら、の話だが。


「班編制……ですか?」

「そうです」


 一人のおずおずとした質問にマリーは明快に応えた。


 いつもの少し控えめなイメージがこの時ばかりは全く見えない。誰かと入れ替わっているのではないかという馬鹿なことを考える女子生徒もちらほらいた。


「みなさん、教科書は机の中にしまって下さい。今から自由に教室内を移動していただいてかまいません。グルーブのメンバー決めはみなさんの自主性に任せます。その代わり、一度決まったら変更は利きません。そのことに注意して、それぞれ相談するように」


 パンパンと手を叩いてマリーが起立を促す。望もクリスも、他の全ての女子生徒たちが椅子をガタゴトと鳴らしながら立ち上がった。


「みなさんには五つのグループに分かれてもらいます。この教室は三十人クラスですから、ちょうど六人ずつのグループができるはずです。時間は次の休み時間が始まるまであります。その間にメンバーを決め、決まったらお互いに自己紹介をしあって下さいね……望ちゃん!」

「えっ?」


 名前を呼んできたマリーが小さく手招きをしてくるのに、戸惑いを覚えつつ望はとてとてとした歩調でマリーの元に歩み寄った。


「先生、なにか……」

「望ちゃん」


 マリーの手が望の肩を抱く。いきなりの一時的接触に望の肩がバネのようにはねた。


「お兄さんから話は聞いたわ……望ちゃんも本当に大変だったらしいわね。先生、もらい泣きしちゃったくらいなのよ」

「は、は、はい?」


 ホームルームの時は「望ちゃん」だったか? いや……「望さん」だったはず?


 いつの間にか心理的な間合いが二歩も三歩も詰められていて、理解が追いつかない。


 そもそもこの先生は、いったいなんの話をしているのだろう?


「望ちゃんは少し引っ込み思案なところがありそうだから、お友達を作るのは苦手な方でしょう?」

「ええ、えっと……まあ、その……はい」

「先生もあまり人付き合いが得意な方じゃないからわかるわ……人って怖いものね。特に知り合ったばかりの人なら余計だものね」


 でもね、とマリーは笑って望の肩をまた大きく叩いた。


「私がいるから大丈夫。思い切ってぶつかっていきなさい。友達を作るのは思い切りが大事よ」

「お、思い切りですか……エジェット先生」

「マリーでいいのよ、望ちゃん」

「は、はい、マリー先生」

「なんならマリーお姉ちゃんでもかまわないのよ?」


 ほんのコンマ数秒、望の思考がハングアップを起こしてフリーズする。


 自分のあずかり知らぬところでいったいなにが起こり起こったのか、全くのミステリーだった。


「さあ、望ちゃん、がんばってね」

「は、は、はいっ、がんばりマス……」


 背中を押されて前に出る。教室の様子を俯瞰すると、バラバラに立っていたはずの女子たちはもういくつかのグループにまとまりつつあった。まだ数分と経っていないはずなのに出遅れ感さえ感じてしまう。


 これは速攻しかない――時間の経過は自分に味方してくれない、取りあえず手近な一団を照準に捉え、気を取り直して望は前に出た。


 目の前でおしゃべりしている女の子たちの中に割って入るのは、かなりの勇気が必要だった。ある意味、スレイプニールで火龍に突撃をかけるよりも思い切りが必要だったかも知れない。


「あ――あのっ、あたしも、仲間に入れてもらえないかなっ?」


 なけなしの度胸をはたいて台詞を絞り出した望に対して、現実は冷酷だった。


「ああ、もう私たちは班を作っちゃった」

「え――」


 班編制のための相談、というよりは純粋に雑談をしていた少女の一人があっけらかんと応える。


「私たち同じ中学なの。班編制があるのはわかってたから、入学式の時に一緒になろうって決めてたんだ」

「え、ええ――」

「ゴメンね?」

「あ……ああ、そうなんだ……」


 勝負は始まる前から決まっていた感じに望は小さくなく打ちのめされる。危機感を抱いていたよりも事態はずっと切迫しているようだ。


 後がないと次の集まりにターゲットを変えた望を、さらなる過酷な現実が打ち据えた。


「あ、あたしたち同じ小学校なんだ」

「ええっ?」


「私たちは同じ幼稚園の集まり」

「えええっ!?!


「「「「「「わたしたちは六つ子なの」」」」」」

「ええええええっっっっっっ!?」


 きっと冗談かジョークかシャレかのなにかで同じクラスに放り込まれたに違いない、同じ顔同じ声をした少女たち六人に異口同音で応えられ――一瞬望の気は遠くなった。


 心が先にばったりと地面に倒れ伏し、残された体はよろよろと後によろめいて――背中が誰かにぶつかった。いや、ぶつかったというよりは肩を抱き留められていた。


「あ……ごめんなさい……」

「つーかまえたっ」


 耳元でした声に望の肩が跳ね上がり、その反動で足の裏も三センチほど床から離れてしまっていた。


 振り向くと、やっぱりクリスがそこにいた。


「ク、クリスっ!?」

「そう、クリスだよ」


 その手が望の肩を軽くつかまえて離さない。振り払うには気力が全く足りなかった。


「望、私から逃げようとしてない?」

「そ、そんなことないよっ!?」


 短い台詞の前と最後でオクターブが完全にひとつは上がっていた。


「どうかなぁ、なんか私を避けようとしてるんじゃない?」

「気……気のせい……」

「で、望はどこかのグループに入れてもらえた?」


 何気ない言葉が銃弾となって、望のさほど厚くない胸を貫通した。


「……ダメだったぁ……」

「だろうね」


 意外でもなんでもないという顔でクリスは平然とそう口にする。


「なんか、もう最初っからあらかじめ決まってた感じだったし」

「あううう……」


 クリスから離れよう離れようとしていたのに、結局は捕まるのか。そんな落胆が頭をよぎって、ふと頭に浮かんだ思いつきに、心の中の消えかかっていた希望のランプに灯が灯った。


「……もしかして?」


 もしかしたら、クリスは自分なんかを放っておいてもうあるグループに入ってしまっているのではないか?


 同じ中学校同じ小学校同じ幼稚園――六つ子はさすがにないだろうが――のどれかにクリスが入っていてもなんら不思議はない。


 そんな一縷の希望をたぐり寄せるように、望はクリスに聞いていた。


「ク……クリスは、どこのグループに入ったか、決まった?」

「決まったよ」


 単純でいて明快な返事。望が求めていた答えだった。その言葉に望の心がぱぁっと明るくなる。


「あぁ、そっかぁ……決まったんだぁ……!」


 取りあえずクリスと離れれば最低限の目的は達成できる。自分が入った班がどういうメンバーなのかは……後で心配すればいい話だった。


「で、どこのグループなの? 同じ中学校? 同じ小学校? 同じ幼稚園?」

「そのどれでもないよ」

「……へ?」


 晴れた心が一瞬で雲行き怪しく陰が差した。


「…………まさか六つ子のグループ?」

「私と同じ顔が他に五人いたりした?」


 残念という色はなく、むしろそれが今日あったいちばん嬉しかったことのように、クリスの声は明るく弾んでいて耳に心地よかった。


「私は望と同じ余りものグループだから」

「――――――――」


 音を立てて望の首が前に折れた。敗北の音がした。


 五つのグループのうち四つのグループから弾き出されば、残った一つのグループに入るしかない。

 

当たり前といったら当たり前のことだった。


「それじゃ望、みんな集まってるからこっち来て」


 半分開いた口から魂が抜けかけた望は、クリスが少し手を引くだけでふわふわと浮くようについていく。いや、本当に浮いていたのかも知れなかった。


「クレイになんていったらいいのかなぁ……」


 きっと頭を抱えられるに違いない。そのことを考えるとこちらが先手を打って頭を抱えたくなった。


「なになに、望ったら泣いちゃってて。目の縁がちょっと濡れちゃってるよ」


 クリスにいわれて目の縁に手をやると、小指の先ぐらいの涙がたまってるのに指が触れた。


「クリスと一緒になれたから……」

「そんなに私といっしょになれたのが嬉しかった?」

「うん……」

「みんな、最後のメンバーを連れてきたよ」


 教室の隅に吹きだまるようにして、椅子や机に座ってくつろいでいた自他共に余りものと認める面々が顔をこちらに向ける。


 個性的なメンバーがそこにいた。


「なんだ、最後の子ってその子かぁ」


 机の上に座って腕と脚を組んでいる少女が、その頬に爽やかな笑みを浮かべてそういった。


 みぞおちの高さで組まれた腕には、平均的な少女とは明らかにレベルが一つ違う――望とは二つくらい違うと思われた――膨らみの胸が支えられるように乗っていて、それを見るものにやや強い心理的な圧迫感を与える。


 組まれてまっすぐ伸びる脚は贅肉の一切を見せず、黒いタイツの中で見事なシルエットを見せていた。


 明るい金色に輝く綿のようにやわらかそうなロングパーマの髪は腰にまでかかっていて、この学校の校則の緩さを最も雄弁に語っていた。


 ぱっちりと開いた目の奥でこれも明るい青の瞳がきらきらと輝いており、整った目鼻立ちと相まってその少女に文句なしの「美少女」という見えない勲章を飾り付けていた。


 人間の美醜に疎い望でさえも、他の少女たちとは違うまとっている空気の厚みというか……オーラのようなものを感じて一瞬言葉を失ってしまう。


「初めまして望、あたし、シルヴィー・エネス。よろしくね?」


 ニコ、とその顔の全部がやわらかく微笑んで腕が差し出される。その白く細い指の先の爪にもしっかりと薄いピンクのマニキュアが塗られていた。


「の、望・ランチェスターです、よろしく……」

「なぁに緊張してるのよ。タメ口でいいじゃない。あたしはその方が楽で嬉しいな」

「……女の私からいうのもなんだけど」


 シルヴィーと望の握手を眺めていたクリスがストレートな疑問をぶつける。


「どうしてあなたみたいな美人が余ってるの?」

「そういってくれるクリスってあたし、好きだなぁ」


 嫌味も皮肉も悪意もなにもない、ただただあっけらかんとした口調。


「あたしみたいに美人過ぎると要らない子扱いされるの。美人過ぎるからこっちが目立たなくなるんで横に立つなって。クリスが嫌がらなくてくれて、あたしは本当に嬉しいのよ?」

「美人過ぎるとか……一度は本気でいってみたい台詞だわ」


 混じり気なしの心底の正直な言葉がクリスの心から湧き出す。


「クリスだって美人じゃない。手入れをもっとすればもっともっと映えると思うわ。……これでもあたし、全力でがんばってるから」

「がんばったら、そんな美人になれるわけ?」

「栄養バランスも1グラム単位で管理して、今月に入ってから砂糖なんて口にしてないし。夜はちゃんと十時間は必ず眠って……ああ、寝る前のストレッチは欠かしちゃいけないし、この髪だって一ヶ月に一回は美容院でパーマ当てないといけないし、美容院代やら化粧品代やらで月に二万円弱は……」

「……私は今のままで満足だわ」

「そう? ハマると楽しいわよ。大変だけど」

「……がんばって。応援してる」

「ありがとう。よろしくね、望」

「よ、よろしく、シルヴィー」


 握りあった手が離れると同時に重い緊張が肩から半分外れた。だがまだ緊張するべきことは残っている。


 三人の少女たちがどこかぎこちなく挨拶する様を、並んで静かに見守っていた二人に望は視線を移した。


 シルヴィーが太陽だとすれば、その二人は月のように見えたかも知れない。自己主張が強いようには見えないその小柄な方の二人――取りあえずその内の背の高い少女から望は挨拶することにする。


「あたし、望・ランチェスター。あの……初めまして」

「望さん、初めまして。私、リューネ・ローアルと申します」


 ストレートのロングヘアを腰の高さまで伸ばしたその少女、リューネ・ローアルは立ち上がると背筋をピンと伸ばしたまま片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げて挨拶を返した。


 背は望とほぼ同じ高さ……ほんのわずかに高い程度だが、線の細く儚げな顔立ちがその小柄さを強調しているように見えた。


 白く抜けた顔色も余計にその印象を強めているのかも知れない。


 笑顔が元々の地顔なのではないかというくらいに自然な感じの笑みが目と口元を飾っていて、その口から悪意がこもった言葉が出るなど想像もさせない雰囲気があった。


「私のようなものをみなさまのお仲間に加えていただいて光栄です。よろしくお願いします」


 もう一度膝が上下されて一礼し、リューネはそろそろと席に着く。


「すみません。私、病気がちで体が強くなく……みなさまに色々とご迷惑をかけるかも知れません。その時はどうかご容赦下さいませ」

「どうせ余りものグループじゃない? そんなに堅苦しくなることないとあたしは思うな」

「そうそう。これで二年間過ごすんだからもっと気楽に行こうよ」


 シルヴィーの言葉にクリスが乗っかってそういう。


「堅苦しいでしょうか……私」

「ガッチガチじゃない。あなたの隣にいるのくらいに気楽にしてればいいのよ……ミオ!」

「ん」


 途中から興味をなくしていたのか、手元のスマートフォンに視線を移していたショートボブの少女が視線も向けずに生返事を返す。


「初めまして、えっと……」

「ミオ・セネカ」


 そこで口が閉ざされる。挨拶がそれだけだと望が気がついたのは十秒後だった。


 小柄な方の望よりもさらに一回り小さな印象を与える少女だった。クリスやシルヴィーと並べば確実に頭一つ分の差があるだろう。ほとんど贅肉とは無縁なその痩せぎすな体格で、制服の胸の辺りなどは完全に浮いていると見えた。


 決して可愛くないわけではないのだろうが、ほぼ無表情に近いその無愛想さが印象を下げていると周りには思わせる。しかし本人はそんなことには全くの無頓着のようだった。


「リューネの後だからかも知れないけど、あんたのは挨拶じゃないわよ。初対面なんだからもう少し愛想良くというか……」

「……愛想も挨拶も苦手だから」

「ま、いいけどねぇ」


 全員と挨拶が終わり、残りの緊張も肩から外れてほうっと望は軽く息をついた。


 この班で二年間の高校生活を送ることになったわけだが、取りあえずはみんな仲良くできそうとは思える少女たちばかりなのはひとまず安心できると思えた。


 あとは、何故かいつも横ぴったりに体を寄せてくるクリスに対してどう対応するかだが……今は忘れようと望は心の棚にそれを置いた。


「じゃあ、これで六人揃ったわけだね」


 望、クリス、シルヴィー、リューネ、ミオという、結構でこぼこを感じる顔ぶれではある六人の少女たち。


「……あれ?」


 心の中で引っかかりを覚えて、望が目をぱちくりとする。

 ……六人?


「えっと、あたしと、クリスと、シルヴィーに、リューネに、ミオ……あれ?」


 何回数えても五人しかいなかった。


「一人足りなくない?」

「六人目ならそこにいるんだけど……」


 シルヴィーが指差したその方向に、背中を見せてその少女は席に座っていた。


 いや、座っているというよりはふんぞり返っていたといった方がいいのかも知れない。


 尻は椅子に座っているのだが脚は机の上に大胆に投げ出され、見てる方が倒れないか心配になるくらいに椅子を傾けて大判の雑誌を読んでいる。


 今まで視界に入らなかったのが不思議なくらいに大きな態度と体格の少女だ。平均よりやや高いクリスやシルヴィーよりも数センチは長身だと思わせる。


 顔は見えず、後頭部で束ねたポニーテールが微かにゆらゆら揺れているのがここから見えるだけだった。


「なんで呼ばないの?」

「オレが班なんてかったるいのに入ってられないからだよ」


 望の疑問にその本人が体を向け、面倒くさそうな声を上げた。


 明るい小麦色の肌はいかにも活力に溢れていて健康そうに見えたが、今現在、心底の機嫌が悪そうな表情が好い印象を全て吹き飛ばしてしまっている。


 何が気に入らないのかはまるでわからなかったが、その吊り上がった目からも望たちに敵意にも似た感情が向いているのだけは確かなようだった。


「オレは一人がいいんだ。だからお前らとつるむつもりはないんだ。わかったら五人で仲良しごっこでもやってろ」

「アルクリット・イーヴンさん? いくらなんでもそれは通りませんよ」


 問題発生と見たのかマリーがこちらにやってくる。


「学校は共同生活を行いそれを学ぶ場でもあるんです。一人がいいから一人でいたいなんていうそんなことが通るなんてことは……」

「うるっせぇ!!」

「きゃあっ!」


 雑誌が机に叩きつけられた派手な音に怯えて、マリーは飛び込むようにして望の背中に隠れる。


「アルクリットさん! 先生はそんなワガママは許しませんよ!」

「マリー先生……あたしを盾にするのやめてからいってよ……」


 望の横目とマリーの目が合うが、無言の嘆願に望は折れた。ため息しか出なかった。


「授業に支障が出ようが損をするのはオレだろ。そのオレがいいっていってるんだ。アンタはオレを無視して授業やってりゃいいんだよ」


 話は終わりだ、というように少女――アルクリット・イーヴンと呼ばれた少女はフンと鼻を鳴らして再び雑誌を開き出す。


 息切ったクレイが教室に帰ってきたのはそんなタイミングだった。


「マリー先生! 遅くなりました! 班編制はどうなって……」


 教室内に五つのグループがそれぞれ塊になっているのを見て、クレイの首が前に折れた。敗北の音がした。


「ク……クレイ先生ー!」


 望の肩にしがみついて離れないマリーが涙目と涙声でクレイを呼ぶ。


 それに応じたクレイが近づこうとして、望の脇をしっかり固めているようなクリスの姿を目に捉え、全てを察して露骨な苦笑いを作った。


「君がアルクリット・イーヴンか」

「だからどうした」


 年上の男性教師に対して、いささかも恐れを抱いていない様子のアルクリットが真顔で応じる。


「うちの学校が生徒の自主性を最大限尊重するという校風であっても勝手は許されないんだぞ。学校は社会性を学びそれを獲得していく場なんだ。一人がいいなんていうことは今時小学生でも……」

「るっせぇぇ!!」


 教室内の全員の鼓膜を平手打ちし窓ガラスという窓ガラスが震えてなるくらいの大音声ががなり立てられる。


「お……大声を出せば主張が通ると思ったら大間違いだ! 大人の世界は甘くないぞ!」

「クレイ……先生! あたしの背中から離れて!」


 二人のいい年をした大人の盾にされて、望も泣きそうだった。


 チッ、と舌打ちをして前を向いたアルクリットが再び机の上に脚を投げ出し、開いた雑誌を仰向けにした顔の上に載せて押し黙る。


 もうこれ以上は応じる意思もないというその姿に、二人の教師は完全に戦意を挫かれていた。


「ク……クレイ先生、どうしましょう?」

「なんにしろ班編制の内容は提出しなければならないんでしょう。取りあえず名前だけこの班に載っけておきましょう」

「そ……そうですね。みんな、それでいいかな?」


 完全に生徒たちに対して助けを求めている女教師の、可哀想な犬を思わせる色の瞳にクリスは肩をすくめるしかなかった。


「私たち余りものグループですから。この班に名前を載せるしかないんでしょ?」

「本当、助かるわクリスさん。この用紙に名前を書いて班長も決めてね。じゃあ!」


 クリスに用紙を押しつけてマリーは顔を見られるのも恥ずかしいのかそのまま足早に去った。


「……望、あとで話な」

「はぁい……」


 クレイの言外の意思をさすがに望も察して、ぼんやりとした返事をするしかなかった。


「それで、班のリーダーは誰にするんですか?」

「……あたし以外なら誰でもいい……」


 リューネとミオの言葉にシルヴィーがそうね、と頬に手を当てて、


「あたしも忙しいし班長なんてできないかなぁ……夜は九時に寝なくちゃいけないから」

「私も一週間に何日か欠席するのが常になると思いますから、そんな重責は担えません……本当に申し訳ありません……」

「……だって。じゃあ望、やる?」

「えっ」


 クリスのどこか面白いものを楽しむような顔に望は慌てた。

 班長? リーダー? 正直自分一人のことさえ持て余している望にそんな未知の概念を許容できる余地はなかった。


「あ――あたしは無理、多分、きっと、絶対に無理」

「そっかぁ」


 ちら、と全く期待していない目でクリスはアルクリットの方を見た。


 豪胆にもアルクリットが小さないびきを立てて寝入っている。


 それにマリーも気づいているように見えたが、眠ってくれている猛獣を起こす気にはとてもなれないようなのか、むしろこのまま寝ていてくれと祈っている風にも見えた。


「じゃあ、私が班長になるしかないわけね」

「クリスは……それでいいの?」


 みんなが敬遠していたものを、さほどの拒否感もなく引き受ける。それに不思議を感じて望は思わず聞いてしまっている。


 そんな望に、クリスは百点満点の笑顔を見せていっていた。


「いいよ。誰かがやらなきゃならないんだし。だから私でいいの」

「そう……なんだ」


 正直、クリスのいっていることはよくわからない。でも、クリスがそれを笑顔でいえるのなら、いいことなんだろうと望は思えた。そう思えるだけの力があった。


「そういうわけで、みんなも賛成してくれるわね?」

「はーい、異議なーし」

「申し訳ありません、私が役立たずで……」

「……問題ない」

「んじゃ、うちはフォルクス班ということで。みんな名前を書き込んでね」


 クリスを筆頭として、マリーに渡された用紙にそれぞれがペンで名前を記していく。


 こちらをちらとも見ようともしないアルクリットの名前はクリスが代筆して、提出すべき書類の埋めるべき項目が埋まりきった。


「――よし、と」


 用紙をマリーに手渡し、これで名実共にクリスをリーダーとするフォルクス班が成立する。


 これからこの班の仲間で、色々な授業やイベントに取り組んでいくことになるのだ。クレイからそう聞かされていた望には確たる自信は全くなかったといっていい。


 何せ、クレイ以外の人間と生活の時間を共有するのはこれが初めてなのだから――。


「それにしても本当に個性的なメンバーばっかりねぇ」


 おそらくはいちばん目を引くだろう自分の存在をどう考えているのかはイマイチ不明だったが、多少の心配がないではないという口調でシルヴィーがそういう。


「あのオレっ娘も名前加えちゃったし、それがどうなるか心配だと思わない?」

「どうにかなるわ」


 自分はさほど心配していない――クリスの口ぶりはそんな風に聞こえた。


「世の中、どうにかならないことってそんなにないって、お母さんもいってた」

「そっかぁ」


 楽観的に聞こえる、楽観的に思おうとしているその台詞にシルヴィーは爽やかな微笑で応えた。


「クリスさんのその考え方、素敵です! 私も見習いたいです」

「……ポジティブシンキング」

「…………」


 リューネもミオもそれぞれに賛意を示しているようだ。なら、取りあえずはこれでいいのではないか――そう思える不思議な安心感を覚えて望の頬も自然に緩む。


 クリスの前向きな気持ちに当てられているのか、クリスの近くにいることで自分がフェイリスであるという秘密がバレるのではないかという心配も、望の心の中ではその重さが幾分削られたようだった。


「じゃあ我等がリーダー? フォルクス班の結成を高らかに宣言してくださいな?」


 自分はサブリーダーの位置に納まったつもりなのか、シルヴィーがクリスを肘でつついて促す。


 それにクリスはこほん、と小さく喉を鳴らしてから――ゆっくりと口を開けた。


「……私たちがこうしてこのクラスで、この班で一緒になったのも何かの縁だと思うの。私も頼りないリーダーかも知れないけど、一生懸命がんばります。だからみんな、みんなの力で私を助けて下さい……どうか、よろしく!」


 変わり映えのしない、垢抜けているとはいえない挨拶だったが、クリスのそのまっすぐな気持ちが熱として伝わったのか自然に拍手を呼んだ。


 もちろん望も促されるまでもなく手を打ち鳴らしている。そうしたいという気持ちが確かに働いていた。


「それじゃ、自己紹介の続きとして色々と話をしましょうか。次の時間までまだいくらかあるし――」


 教室の正面に掲げられている時計の針を読んでクリスがそう促した時だった。


 新たなショーの開幕を告げるようにそのベルは鳴り出した。


「――――!?」


 教室のドアの天井に据え付けられたスピーカーが突然甲高い非常ベルの響きをまき散らし、教室の全てをその高周波で震わせたのだ。


 聞こえなかったとはいわせないぞというくらいに激しい音で全員の鼓膜を打ったその音に、教室内の緊張感が一瞬で最高潮にまで高まる。


『校内の全職員・全生徒に連絡します、校内の全職員・全生徒に連絡します……当市内に〈クトゥルフ〉が現れました。当市内に〈クトゥルフ〉が現れました。至急全員体育館の緊急用シェルターに避難して下さい。至急全員体育館の緊急用シェルターに避難して下さい。繰り返します……』


 スピーカーから流れてきた〈クトゥルフ〉という単語にその場の全員の心臓の表面が一瞬にして凍り付き――そして次には制御不可能なほどのパニックが巻き起こった。


 ほんの数日前に起こったことを忘れているはずなどはない。浮かれた気分で忘れていた、いや、忘れたふりをしていただけのことで、あの日の災厄の記憶は全員の脳裏に刷り込まれていた。


「の、望――」


 避難を促そう、少なくとも今さっき自分は班の仲間に対して責任ある身になったのだ――その自覚だけで我に返ることができたクリスが望に呼びかける。


 そして、クリスは見ていた。


「……望?」


 今にもその場を飛び出しそうな、いや、我慢の利かない何人かはもう飛び出していった教室の女子生徒の中でただ一人、望だけが冷静さを保って窓の外を見ていた。


 その決意にも似たものをうかがわせる横顔をのぞき込んだクリスの胸で、とくん、と何かが跳ねる。


 それは予感が跳ねる感触。何かが始まる予感が転がり出す予兆――。


 十数秒、逃げようとすることも忘れてクリスはその横顔にただただ見入っていた。

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