#01「彼女の名は望〈のぞみ〉」
チャイムの音が響いて一時間目の歴史の授業が終わり、担任教師のマリー・エジェットが退出していく。
「はぁ……終わった……」
この数日の事件の激しさにまだ頭の奥がしびれているのを取り除けないクリスは、半分うとうととしているうちにそのチャイムを聞いていた。
まだ最初の最初が終わっただけだというのに、一日の授業をやりきった感さえしている。
これではいけないと生真面目な部分が自分の頬を叩き、気合いを入れ直す。
さて、休み時間だ――。
「望? よかったらちょっと付き合――」
右の席に視線を向けると、そこは既に空だった。
引かれた椅子だけが、先ほどまで誰かが座っていたことを無言で主張していた。
「……望?」
授業が終わって離れられるタイミングをつかむや否や、望は席を蹴るように――しかし音を立てず静かに離れ、教室の外に飛び出していた。
マリーよりも早く教室から退出していたクレイの姿を廊下で見つけ、早足で、いや走るように駆け寄っている。
「待って、待って待って!」
「望君、廊下は走らないように」
「そんな教師みたいなこといってないで、大変なんだから!」
「俺はれっきとした教師なんだぞ」
ユーラスト市第十三高等学校一年F組副担任クレイ・ランチェスターは平然といってのけた。
「そんなことはどうでいいから、早く人気のない所へ行こうよ」
「知ってるかな、望君」
さすがにクレイは周囲を伺う。
休み時間になった廊下にはそれなりの人数の人影が見えて、目立たないのであればすぐそこのうるさく喋る小さな口を手で塞いでしまいたかった。
「男性教師と女子生徒が進んで人気のないところに行くっていうのは、非常にマズいんだ」
「冗談いってる場合じゃないんだって!」
「冗談でもないんだがな……おい!」
「はーやーく!」
望がクレイの手を引いて走り出し、クレイも腕を引っ張られて小走りで応じる。
二人揃って廊下を駆け出すその様子に、すれ違う教師や生徒のほとんどが足を止めて振り返っていた。
女子生徒が男性教師の手を引いて走るという構図は多分に周囲の興味を引きそうで――実際に引いていたのにクレイはまたも頭痛を覚えた。
自分がこの少女と兄妹であるという設定を知らない教師生徒たちはまだいる――というよりも圧倒的多数だ。
いや、その設定は事実でもあるのだから、最終的に開き直ればすむことなのだ。が、それにかかる手間を考えるだけで加速度的に酒量が増えそうだった。
内密の話をするために途中で注目を浴びるという本末転倒とも思える醜態を演じ、ようやく校舎の隅、物置と化している空き教室を見つけて二人で滑り込む。
掃除が行き届いていない空き教室はカビの臭いが漂っていて、それがクレイの顔をしかめさせた。
「で、なんだ、大変なことって」
「あたしの隣のクリスって子!」
「クリスチーナ・フォルクスか」
クレイは懐から出した携帯端末でクリスのプロフィールを確認した。
住所、生年月日、家族構成、病歴――公的に確認できるデータは網羅されている。
「特に問題がある生徒ではなさそうだぞ」
「大問題だよ! あの子、あたしが火龍と戦った時に助けた子だよ!」
「なにぃ!?」
さすがにクレイもその事実には大きな声を出してしまっていた。慌てて自分の口を両手で塞いでいる。
「……本当か!」
「間違いないって……あたし、顔をじろじろ見つめられちゃったし……」
「フェイリスの姿であるところを見られてるのか……気づかれたか?」
「バレてはないと思うよ。あの時はしっかりとヘルメット被ってたし、声も変えてたし」
「万が一のために用心はしてたからな」
偶然にしてはできすぎだろう。
誰彼かまわず大勢を助けていればそういうこともあるかも知れないが、望がじかに助けたのはクリスという少女一人だけだったはずだ。
「バレてはないと思うけど……なんか、感づかれていた感じはあった」
「ああ……そうみたいだったな」
クリスが望の顔をのぞき込んでいたのはクレイも目撃していた。それが何故なのか気にかかってはいたが、こういう形で知れるとは。
「バレていないんだったらこのまま自然を取り繕うしかないな。今日あのクラスに入ったのに明日には別のクラスに移るとか、かえって目立つだけだ」
「大丈夫かなぁ……バレたらマズいんでしょ……」
「なんでもないって顔をしてろ。気にするだけボロが出る……どうせ証拠はつかまれてないんだ。今朝の校長の話、覚えてるだろ?」
「覚えてるから慌ててるんじゃないのよぅ」
ホームルーム前に、校長室において行われた面談――。その内容を二人は思い出していた。
* * * * *
「君が新しいフェイリスですか。報告は受けています」
ユーラスト市第十三高校校長アーバド・ドーソンは、やや薄くなった髪の代わりにたっぷりと蓄えた口ヒゲを揺らしながら温和な表情で二人の訪問者を迎えていた。
それなりの値段をうかがわせる革張りのソファと大理石のテーブルという定番の応接セット。クレイと望がソファの座り心地に感嘆の声を漏らしながら座り、その向かいにドーソン校長が着く。
普段は校庭を一望できる窓は、金属のシャッターで完全に閉じられていた。盗聴を防ぐための防振シャッターで電波も完全に遮断する特注品だ。
もちろん出入り口のドアも同じ材質でできており、応接室になっている隣室は無人でそこから廊下に出られるドアも厳重に施錠されている。
この学校の中では最も密談に適した部屋だといえた。
「ナンバーZOM1……君もランチェスターくんも一週間前はご活躍だったそうですな」
「恐縮です、大佐」
「ここでは私は大佐ではありません、校長です」
「はい……恐縮です、校長」
反射的に直立して敬礼してしまう衝動を抑え、クレイはあくまで一般市民としての振る舞いを自分に意識させて言葉を選んでいる。
その横で、望は初めて座る高級ソファの座り心地をそのお尻で何度も確かめていた。腰を浮かせて沈める動作をしきりに繰り返していた。
「こら、やめろ」
「だって面白いんだもん……ねぇ、大佐ってえらいの?」
「俺よりずっとえらいよ」
「クレイは確か大尉だったよね……あたしって階級はなんだっけ?」
「お前は准尉だ。教育課程が終わったら自動的に少尉になる。そういうことになってる」
「じゃ、准尉と大佐ってどっちがえらいの?」
「大佐に決まってるだろうが! お前は俺よりえらいつもりでいたのか!」
口から炎が漏れ始めたのを感じて、クレイが慌てて居ずまいを直す。
「すみません校長、私の教育がまだ行き届きませんで……」
「はっはっはっ……元気が良くていいではないですか。君も指導のしがいがあるというものでしょう」
「は、ははは……」
しがいがあるなんてものじゃない、という言葉を飲み込んでクレイは作り笑いでそれに応じた。
「では、ナンバーZOM1……」
「望、です」
クレイが言い添える。一枚の書類をテーブルの上に滑らせた。
「この子は今日から望・ランチェスターです」
「のぞみ、ですか」
その書類――入学届を手にし、丸い顔の奥で小さく円く並んでいるその目を校長は細めさせた。
「いい名前をつけたものですね。ランチェスター先生、あなたの命名ですか」
「はい」
「そう……希望の望、ね……」
嬉しそうな笑みがたっぷりのヒゲの奥でもわかった。
「わかりました……望君?」
「うん?」
クレイに小さく背中を叩かれ、望はやっとトランポリンで小さくはねるのをやめる。
「君はこの学校でなにをするのを目的としているのか理解していますか?」
「全然」
あっけらかんとした望の隣で、クレイが頭を抱えたくなる衝動を必死にこらえている。
「あなたは市民を――人間を守るフェイリスです。人間を守るためには、人間がどう暮らしているのか、なにを考えているのか、どう生きているのかを学ばなければなりません。その人間を学ぶいちばんの近道は、人間と一緒に暮らし学ぶことなのです」
「ふーん」
さすがにクレイの肘が望の肩をつつき出す。そんな光景も微笑ましいのか、無限の寛容さで校長はその笑みを小揺るぎもさせないようだった。
「ですから望君、あなたにはこの学校で二年間、人間の生徒として学んでもらいます。人間と学ぶことであなたも人間のなんたるかを知ることだと思います。法的にはフェイリスも――制限的ではありますが――人権を与えられている人間でもあるのですから」
「ジンケン?」
「……あとで説明するから、黙って聞いてろ」
クレイは校長の言葉を一語一句聞き逃すまいと緊張感を高めた。この校長の訓示をそのまま繰り返して聞かさないと危険すぎると思えた。
「ただ、人間の生徒として学ぶということは、同時にある一つのことを意味するわけです。わかりますか、望君」
望が首を傾げる。それも織り込み済みだというように、校長の口調にはよどみがなかった。
「――この学校は普通の高校であると同時に、その裏では君のようなフェイリスが二年間、人間を知り人間として生きていくための教育機関であるわけです。しかし、その事実を知っているのは校内では三人だけ……」
「あたしと、クレイと、校長だけ?」
「先生をつけろ、先生をっ」
「あいたたた」
ついにクレイの十本の指が、鉄の爪と化して望の側頭部に食い込んだ。
「申し訳ありません校長、教育の期間が全然足りなかったんです。しかし全ては私の努力不足です。どうか今日の所は大目に……」
「ランチェスター先生もご苦労しそうですなぁ」
「既に苦労してますよ……」
たっぷりお仕置きを加えてからクレイは望を解放した。
そんな二人にいいですか前置きをし、ここだけは重要だと校長は口調をやや強めていう。
「つまり、他の先生方や生徒たちには、その秘密を知られてはならないのです」
「秘密……」
「あなたがフェイリスであるという秘密です」
秘密。
自分はフェイリスであるのに、それが秘密?
「あなたがフェイリス――特別な存在であるとわかれば、誰しもあなたを人間とは扱いません。それでは人間として学ぶという意義が失われるのです。あなたは一人の人間、望・ランチェスターとしてこの学校で学び、そして卒業しなければならないのです」
「そういうことだ……自分がフェイリスだなんていうことは、口が裂けてもいうな」
これから何回でも念押しすることになるのだろうか、と思いながらも、クレイはまだどこかこの状況を半分他人事のように思っているような少女の頭に、言葉を刻み込むようにいっていた。
「バレたその瞬間に、お前はこの学校を退学しないといけないんだ」
「ふーん……」
学校を退学する――その意味がまだ染みていないのか、果てしなく生返事の望にクレイは言葉を選び直した。
「学校を退学にされたフェイリスなんてのはな、現場じゃずっと馬鹿にされるんだぞ」
「ええーっ!!」
効果はてきめんだった。あまりの手応えの良さに、この戦術の方が有効なのだろうとクレイは学習する。
「そんなにみっともないことなの!?」
「恥も恥、大恥だ。みんなこの過程を経るが、バレたフェイリスなんてのはまずいない。人の前に立つ限り名前の前に『あの』がつくだろうな」
「うううう……それは嫌だぁ……せっかく火龍をやっつけたのに、なしにされたし……」
まだ教育課程も終わっていないフェイリスをお披露目することなど論外というので、市に大被害を与えた火龍を倒すという大金星も公式の記録には残してもらえなかったのだ。
「手柄を立てるのは、実戦配備されてからでも遅くはありませんよ……ですが」
「ですが?」
「……遅くはありませんが、いつもとは少し事情が違って来ています」
「違って来ている?」
「そこの説明は、ルミエール中佐からしていただきましょう」
校長がスイッチを操作すると、天井に格納されていた大型モニターが下りてきた。
天井からアームで吊されたそれに電源が入ると、画面に軍服姿の女性が映し出される。
場所は執務室だろうか。オーク材の見るからに硬そうなデスクの奥に座り、肘をつき両の手で握った拳の上に顎を乗せたその女性。
年齢は四十を少し超えたくらいだろうか。さすがに肌には加齢がややうかがえはするが線の整ったその顔は十分に美人の部類に入る。
ただ、神経質そうな細めの目と唇、まっすぐに通った鼻の線がが性格の厳しさを無言で主張しているようだった。
ヴァネット・ルミエール中佐。
その顔を確認したクレイに緊張が稲妻のごとく走って、反射的に立ち上がって敬礼をする。
電気に打たれたように立ち上がったクレイの様子に、自分もそうしなければならないと思ったのか、望ものっそりとした動作で立ち上がった。
モニターの下部に設置されたカメラでこちらの様子を確認しているのか、モニタの向こうから女性将校の氷とも思える冷たい視線が心臓を冷たく凍えさせ始めていた。
『今度は……そんななのか……』
語りかけ――ではない、自分にいい聞かせるようにヴァネットは呟き、咳払いを一つして背筋を正した。
『ランチェスター大尉、そこでは敬礼はいい。その習慣はしばらく改めたまえ』
「は……はい、中佐」
『気持ちの切り替えは大事にな……染みついた習慣というのは気が抜けた時に現れる』
「は――――」
威厳を漂わせた、というよりも威厳の塊のような女性をモニターの向こうに見て、まだ人間関係が全くわかっていない望がクレイの袖を引っ張った。
「ね、誰なのこのオヴ」
それだけは、なんとしてもそれだけは死守せねばならないと、クレイの手が電光石火の速さで望の口を塞いでいる。
『事情が変わったというのはだ、まずは現状の説明からさせてもらうが……』
モニターの画面がゼファート国の地図に切り替わる。
望のいいかけたことが聞こえていなかったのかそれとも無視してくれたのか、前者であることを祈りながらクレイは心の中で魂に穴が空くくらいに深いため息をついていた。
『八日前の同時多発的なクトゥルフの出現はもちろん知っているな。我が国の領土内の実に十三カ所において大型クトゥルフが出現した』
画面の地図に赤い×印が刻まれていく。そこに現れたクトゥルフの形状と大きさ、投入された戦力とその被害などが次々に表示されていった。
それらへの対応のために軍は戦力を分散させられる羽目に陥り、即応可能な戦力が枯渇した所を突いて――ユーラスト市の上空に火龍が飛来し、クレイと望が遭遇したのだ。
『ユーラスト市以外の地点では、郊外であることもあり大型クトゥルフを駆逐することには成功した。成功したが……これほどの同時期による大量発生は今までなかったことだ。情報局の分析では、クトゥルフの活動がさらに活発化する兆候があるという仮報告が上げられている』
「……つまり、八日前のようなことがまた起きる可能性があるということですか?」
『その可能性は非常に高いということだ。しかし、我が国は隣接している四カ国のうち三カ国と戦時体制にある状況だ。その全てと停戦状態にあるのは喜ばしいことだが、停戦は停戦だ。いつまた戦闘状態に入るかはわからない。よって、前線の戦力を国内の安定に割くのにも限度がある……ここまでいって、私がいいたいことはわかってきたか?』
「……つまり、教育課程中のフェイリスも状況によれば実戦に駆り出されるということですね?」
『理解が早いのはいいことだ、大尉。もちろん前線の戦闘に配置するつもりはない。無駄に損耗されても困るからな。よって……今後クトゥルフが近傍に出現した場合、これの迎撃に当たってもらうことになる。私からは以上だ』
「そんな、ちょっと無茶じゃないですか!? 学校で授業をやってる間でも戦闘に飛び出せっていうことでしょう!?」
実際にそうなった時のことを考えると背筋が寒くなる。先ほどまでいっていた、フェイリスであることを隠すというのと真逆のことをやれといわれているのだ。
『対応できるように環境は整えられている。できるはずだ』
「しかし、成功するかどうかはその時により――」
『これは命令だ、要請ではない』
クレイの言葉が途切れた。軍人にとってはそれ以上抵抗不可能な言葉だった。
『必要な機材は回す。手ぶらで戦わせるような真似はしない。要望があればいつでも回せ』
「…………了解しました」
台詞とは裏腹に、クレイは口調のいじらしさで言外に抵抗を示す。
『納得していないようだな……いいだろう大尉、私から特別に言葉を贈ろう』
ふっ……とヴァネットの口元が弛んだ。
『――失敗を恐れるな。愚か者が失敗を恐れる』
「はぁ……」
月並みな言葉に失望しかけたそんなクレイに、トドメの一撃は加えられた。
『――失敗したらどうなるかは、わかってるな?』
「――――」
一瞬瞬いた光を残してモニターの映像が消えた。ヴァネット一流の笑えないジョークを食らって放心するクレイに、気の毒なものを見る表情で校長が視線を向けていた。
「……と、そういうわけです。私としても極力協力するつもりです。もしも近くにクトゥルフが現れた場合、それを撃退しなければこの学校の危機に繋がりかねません」
「ええ、ええ……そうですね」
「……えっと、質問なんだけど」
小さく手を挙げた望に、クレイと校長の視線が向いた。
「そのクトゥルフをあたしが倒しても……あたしの手柄にならないわけ?」
「あの時の火龍と同じ理屈だ。俺たちは覚えておいてやる。頭くらいは撫でてやる。不満か?」
「ええぇ……」
* * * * *
「成功しても自慢にもできず、失敗したらそれで終わりだなんて酷い話じゃないの?」
カビ臭い空き教室。校長室での訓示を思い出すはずが、自分たちの不遇を確認するだけになってしまったようで望もクレイも明らかに心のテンションを下げていた。
「終わるのはお前だけじゃないんだぞ。フェイリスを退学にさせた指導係なんていうのも同じく一生馬鹿にされるんだからな」
「……クレイもつらいんだね……」
「そうだ、お互いつらいんだ」
クレイはその感情を理性でかみつぶせてはいるが、望にはそんな芸当はまだ無理のようだった。その大きな目に涙をいっぱいに溜めてしまっている。
「さあ、そろそろ休み時間が終わるぞ。……フォルクスのことも考えないとな。班分けの問題があるんだ」
「班分け?」
「三十人のクラスを六人グルーブの、五つの班に分けなきゃならないんだ。班単位で行う授業があるからな……明日以降にやるはずだったけど、早めにするように段取りすることにする。フォルクスと違う班にしてしまって、班ごとに集まるように席替えをするとしてしまえば隣同士でなくなるようにもできるしな……」
クレイが腕時計を見る。次のチャイムまでもう二分もない。
空き教室の戸を開け、望の肩を抱くようにして前に進むようにクレイは促す。ドアをくぐり、足を廊下に出した望が、涙で決壊しそうな目でクレイの方を見つめた。
その目に見つめられて、クレイの心の中でどくん、とはねるものがあった。女の涙の威力を垣間見た気持ちになり、首を振ってそれを払う。
「取り返しのつかないことになったらどうしよう、あたし……そんなことになったら……あたし……」
「大丈夫だ。心配するな……お前の面倒は俺が最後まで見る」
それは決意だった。
二人は二人で一つの運命共同体――今更変えることのできない宿命なのだから。
揺るがない気持ちを伝えるようにクレイは望の肩を抱く。望の目から涙がこぼれ――こぼれ落ちて、それは細い川となって頬を滑り唇の横を流れて落ちた。
「お前になにがあっても責任はちゃんと俺が取る――いや、取らされることになってるんだ。だからいい加減、泣きやんで……」
望の肩を押していたクレイの力が、消えた。
溶けるように消えた力に望が不安げにクレイの顔をのぞき――クレイの目が彼方に向かって見開かれているのを見て、自分もその方向に目を向けた。
教室と教室の間を団体で移動しているらしい女子生徒のクラス一個小隊、三十人ほどがそこにいた。
その女子生徒全員の目に瞳に、男の方――クレイに対しての非難と軽蔑、そして怒りの感情が燃えさかる炎のように宿っているのがわかった。




