46話 ゾンビが幽霊に恐怖する
僕は脱衣所で部屋着に着替えつつ、一人気まずい雰囲気を感じていた。
さっきの温泉の中で起きた、寧による不意打ちのキス。妹だというのに、僕はすっかりドキドキしてしまい、それは今でも収まってくれなかった。けど、後ろで着替えてる寧に気まずさのようなものはない。
……一応、僕あれが初めてだったんだけどな。人生初めてのキスを妹に奪われてしまい、何とも言えない気持ちを抱いてしまう。
「ところでお兄様。このホテルで何か怪現象に襲われたりしたかしら?」
唐突に、そんな脈拍のないことを寧は聞いてきたため、気まずさを一瞬忘れ頭に疑問符を浮かべてしまう。
「怪現象? 何でそんなこと……」
言っているうちに、ついさっき部屋で聞こえた物音のことを思い出してしまう。あれも、怪現象と呼べるのでは?
「お兄様たちには伝えていないけど、実はこのホテル、出るらしいのよ」
寧の神妙な顔つきから発せられたその一言に、サーっと血の気が引いてしまう。出るって、つまり幽霊!?
「ちょっ!? え、冗談だよね!?」
「こんなことで冗談は言わないわよ。公の場では有名ではないんだけど、一部の人たちの間では、ここのホテルは怪現象が起こるホテルってことで有名なのよ」
何それ!? そんなの普通に訳あり物件みたいなものじゃないか!?
「いやいや!? 何でそんなホテルを旅行先に選んだのさ!?」
「仕方ないじゃない。3学年分もの旅行費を急に捻出するのだって簡単じゃないのよ。限られた予算の中で行けるところ、それがここしかなかったのよ」
くっ、お金のことを持ちだされたら何も言えない。確かに、最初は何でこんな良いホテルを用意できたのか疑問に思っていたよ。それも、怪現象の噂によって人が来ないから、料金が抑えられていたと考えれば納得だ。どうりで、他の人があまり見えないと思ったよ。
「ま、噂は噂よ。それに、幽霊なんて所詮オカルトだしね」
「僕、まさにオカルトのような存在だけどね!?」
ゾンビである僕がこうして存在している以上、オカルトが証明されたようなもんだよ。そのせいか、さっきの物音も幽霊の仕業と思えてならない。
恐怖する僕を無視して、寧は先に行ってしまう。僕は慌ててその後を追った。
「ま、待って!? へ、部屋まで一緒に行こうよ」
「ふふ、お兄様の頼みなら聞きたいところだけど、今回はだめよ。こんな夜中に、お兄様が寧という女の子と出歩いてるところを見られでもしたら、お兄様の心証が悪くなるわ。それに、これはお兄様への罰の続きでもあるのよ」
寧はいじらしく微笑み、僕を置いて行ってしまった。え? 僕、ここから一人で部屋まで戻らなくちゃいけないの?
自分以外誰もいなくなった暗闇に残された瞬間、急に心細さを感じてしまった。
いつまでも廊下に立っているわけにもいかなったため、覚悟を決め部屋まで歩き始めた。本来なら恐怖を感じることなんてないんだけど、寧の話と実際に聞いた物音のこともあって、僕はすっかり萎縮してしまった。こんな姿、ましろにでも見られえたら以前みたいに子供とからかわれそうだな。
そんなことを思いつつ気を紛らわせていると、急に窓がガタガタと鳴りだした。ビクッとしてその窓を見ると、どうやらただの風……あれ? いつの間に雨降っていたんだ?
窓の向こうでは、大粒の雨が降りしきっていた。さっきまで夜空が綺麗に見えていたほどだったのに。
まさか、これも怪現象の一つ!? すっかり疑心暗鬼になっていると、それを助長させるかのように雷まで鳴りはじめた。嘘だよね? 偶然にしてもタイミングが良すぎるというか悪すぎるというか。
僕はなるべく何も考えないよう、足元だけを見て急ぎ足で部屋まで向かう。楽しい旅行のはずだったのに、何でこんなことに!? 誰に対するものでもない怨念まがいの気持ちを抱いてしまう。
部屋がある3階まで辿り着くことができ、後は数メートル先を進めばいいだけだ。ここまで来ればもう安心と、僕は安堵しきっていた。だから、それを見た瞬間、夜中だということも忘れ叫び声を上げてしまった。
「ぎゃああああ!?」
曲がり角の影から、暗がりに浮かぶ真っ白な物体が覗き込んできたのだ。さながら、一反木綿のようだ。僕はそれを視界に収めた瞬間、その叫び声とともに部屋と反対方向に全力疾走した。
何あれ!? ほ、本当に幽霊が出たっていうの!? 何かブツブツと喋っていたし、もしかして僕、何か呪いをかけられた!?
僕は情けなくも目尻に涙を浮かべつつ、とにかく走った。幽霊から逃れるために。廊下の奥の曲がり角まで来て、僕は先を確認せず曲がり角に飛び込んだ。
「きゃっ!?」
そんな悲鳴とともに何かにぶつかり、僕はそれを押し倒してその場に倒れ込んでしまった。その瞬間、何か柔らかいものが僕の顔を包み込みクッションになった。
何にぶつかってしまったのか。また新手の幽霊とも思ったけど、今顔を包みこんでいる柔らかな感触にどこかやすらぎを感じてしまう。おかげで、徐々に落ち着きを取り戻していく。
というか、これは本当に何? 視界も塞がれてしまっているため、自分が何に埋もれているのかわからない。でも、柔らかいだけじゃなく、石鹸のようないい匂いがするし、温かい。僕はつい、その魅力的な何かにさらに顔をうずめてしまった。
「痛たたっ……って、何やってるのよ、蓮!? んっ、や、やめて……!?」
すぐ近くで聞き覚えのある声が聞こえ、何やら身じろぎをする気配を感じる。僕は何事かと思い、両手でその柔らかい何かを押さえ何とか顔を上げた。すると、顔を赤くしたましろとバッチリ目が合った。
「…………え?」
途端に冷水をかけられた気分になった。そして、ギギギと首を今手で押さえつけている何かに向けた。僕の手は、ましろの、はだけ気味の衣服に包まれた胸を鷲掴みにしていた。それに気づいた瞬間、今度はボンっと頭から湯気が出そうなほどに顔が熱くなり真っ赤になる。
「うえぁっ!? え? あ!? ご、ごめんなさい!?」
あまりの出来事に目をぐるぐると回してしまう。僕がぶつかったのはましろで、さっきまで顔をうずめていたのは、よりによってましろの胸だったなんて!?
「い、いいから、早くその手を避けてちょうだい……!?」
ましろが顔を赤くしたまま言い、僕は慌ててすぐに手を離した。や、やばい!? 僕は何てことをしてしまったんだ!? いくら女の子同士でも、これはまずいよ!?
ましろは胸を腕で隠すようにして、僕にジト目で訴えかけてくる。不覚にも、こんな状況なのに、ましろのその仕草にドキドキしてしまった。……じゃなくて! すぐに謝らないと!? 僕は土下座をするため、床に膝をつこうとした。
「やっと追いついたよ~、何で逃げるの~……」
背後から恐怖を煽るような声が聞こえ、僕の心臓は跳ねた。ばっと後ろを振り向くと、そこには真っ白な布団を被った美柑がいた。
「み、美柑!?」
てっきり幽霊が追いついてきてしまったと思ったら、まさかの美柑に驚いてしまう。
「レンレンってば、いつの間にか部屋からいなくなっているんだもん。外は雷も鳴ってて怖いし……一人じゃ不安だからレンレンを探してたんだよ~!?」
美柑が布団の端を握りしめ、がくがくと震えてみせる。まさかの展開に、僕は一気に緊張の糸が解け、その場にへたり込んでしまう。ま、紛らわしいよ。本当に幽霊と思ったじゃないか。
「あれ? ましろん? 何でましろんとレンレンが一緒にいるの?」
美柑がましろに気づき、疑問を投げかけてきた。僕は今さっきのことを思い出してしまい、何も言えなかった。ましろも同じようで、顔を赤くしたまましばらく何も言わなかった。
沈黙の中、降りしきる雨の音だけが聞こえ、僕は今すぐにでもここから逃げ出したい気分だった。
――翌日、僕は昨日夜に叫び声を上げてしまったこともあって、藤原先生からお叱りを受ける羽目になってしまった。ましろとも、その後は気まずい雰囲気が続き、結局旅行が終わるまでの間、悶々としたものを抱えることとなってしまうのだった。




