18話 女王様、鞭はやめてください!?
「うう……んん……?」
顔に当たる僅かな風を感じ、僕はゆっくりと瞼を開けた。
「あ! レンレン!?」
いきなり視界に美柑の顔がドアップで映った。キスでもできそうな距離に、目覚めて早々心臓がバクバクしだす。
「み、美柑!? ちょっ、近い近い!?」
僕は逃れようとするものの、頭を美柑の膝の上にのせられているのか逃れられない。てか、美柑の膝すべすべで柔らかくて、こっちも心臓に悪い!?
「よかったよ~、レンレン急にのぼせて意識を失っちゃうんだもん~!」
「のぼせる? 僕、のぼせてたの?」
美柑は「うん」と頷く。その手には、うちわが握られている。
そうか。体に異常が起きたあの後、僕はのぼせてしまったのか。とはいえ、のぼせてしまったのも、このゾンビの体ゆえのせいだろう。
「本当にごめんね……すぐに助けにいけなくて……」
いつもの明るさは鳴りを潜め、美柑は落ち込んだ様子を見せる。おそらく、僕が溺れた時に助けにいけなかったことを悔やんでいるんだろう。
でも、美柑がもし僕を助けに来てたら、美柑までもが危険に晒されかねなかった。そう考えれば、美柑が助けに行けなくても仕方のないことだ。それなのに、何でこんなに気に病んでるんだろう?
「それはしょうがないよ。美柑は怪我をしてたんだから。むしろ美柑まで被害を受けることにならなくてよかったよ」
僕はとりあえず美柑を励ますようにそう声を掛けた。
「レンレン~~!? 優しすぎるよ~~!」
美柑が僕の顔を胸にうずめ、抱きしめてくる…………待って!? それはダメだって!? ただでさえ水着という布一枚にしか守られていないその胸が僕の顔面に押し付けられてるから!?
「み、みか……むぎゅっ!?」
さらに抱き寄せられ、いよいよ呼吸が苦しくなってきた。このままだと、別の意味でまたのぼせてしまうって!?
「こらっ。嬉しいのはわかるけど、蓮が苦しんでるわよ」
「ぴゃっ! 冷たっ!?」
美柑が驚きの声とともに、僕の顔を離した。た、助かった。
見れば、ましろたちがやってきて、その手には缶ジュースが握られていた。
「はい。もう大丈夫?」
ましろが缶ジュースを差し出しながらそう聞いてくる。僕は起き上がって、それを受け取った。
「あ、ありがとうございます。体調の方はだいぶ良くなりました」
お礼を言いつつ、心配をかけてしまったことに申し訳なく感じる。
「無事ならよかったよ。温水プールでも、温泉のようにのぼせちゃうことって結構あるみたいだから次からは皆も気をつけた方がいいかもね」
四季が苦笑いを浮かべる。
今回は何とかのぼせたということで誤魔化せたけど、これがもっと致命的なものだったらまずかったな。本当、気をつけないと。
……あれ? でも。
そこでふと、疑問を覚えた。僕が今回こうして溺れて意識を失ったのに、何で寧は僕のところに現れなかったんだ? 寧は、僕が例えどんな小さな怪我をしても心配して駆けつけてくるような妹だ。溺れたとなったら、真っ先に来てもおかしくない。
僕がプールで溺れたことに気づかなかったとか? その場合、監視カメラ越しにも気づかなかったことを意味する。
なら、監視カメラが僕の体内に埋め込まれているというおぞましい想像は排除できる。代わりに、やはり僕の服に付けられている線が濃厚になった。水着に着替えたため、僕は今制服を着ていないから。
それにしても、制服のどこに付けてるんだろう。帰ったら一度探してみようかな。簡単に見つけられるとは思えないけど。
空が暗くなり始めた頃に、僕は自宅に帰ってきた。
今日も今日とて疲れた。何事もなく済むと思ったら、この体のせいで結局何かしらのトラブルが起きてしまう。
……早くお風呂に入って寝てしまおう。そう思ったが、まだ今日の災難は終わっていなかった。
リビングに入った瞬間、床を叩きつける音が鳴った。
「……随分と遅い帰りね、お兄様」
鞭を手にした寧が下着姿で椅子に深く腰かけて僕を睨んでいた。
「ね、寧!?」
しまった!? すっかり寧のことを忘れていた!? いや、忘れていたわけではないけど、無意識のうちに意識の隅に追いやってしまっていた。
「昨日あれほど一人では帰ってはいけないと伝えたわよね? にもかかわらず、お兄様ときたら寧のことをほったらかしにした挙句に、クラスの女子たちと仲良くプールに遊びに行くなんてねっ……」
寧の琥珀色の瞳がどんどん荒んでいく。鞭を手にしてることもあり、今の寧は女王様のような威圧感を放っている。下着も今は、それを助長させるようにしか見えない。
「ま、待って!? 僕はちゃんと寧にメールを送ったよ!? でも、寧から返信がこなかったから――」
「偶然私用が入り込んでスマホを見れなかったのよ。けど、寧の返信を待つよりも先に、お兄様は誘いを断るべきだったわ」
「そ、そんなことしたら美柑たちに申し訳ないよ!? せっかく友達として誘ってくれたんだから!?」
「どんな理由にしろ、お兄様は勝手に寧の元から離れてはいけないわ」
……さすが僕のヤンデレ妹だ……理不尽すぎるよ。
「やっぱり、お兄様にはもっと躾が必要ね。ちゃんと寧のお兄様だってことを意識させないと……」
ブツブツと怪しげなことを寧は呟く。このままだと、本当に家に閉じ込められるんじゃないか?
「ところで、プールでは何もなかったかしら?」
寧が問い詰めるように僕を見つめてくる。
何も、どころか何かがありすぎてやばい。でも、それを馬鹿正直に全部話すほど僕も愚かじゃない。
「普通に皆でプールを楽しんだよ」
「嘘おっしゃい。どうせお兄様のことだから、皆と一緒に更衣室に入って、着替えを間近で見て鼻の下を長くしたんでしょう?」
……何で知っているの?
「そ、そんなことしてないよ!?」
「図星を指されてから誤魔化しても無駄よ、寧の目は誤魔化せないわ。……お兄様にお仕置きは確定ね」
寧がさながら女王様のように、鞭を手に僕に近づいてくる。
だ、誰か助けてぇーーーー!?
自室に入り、すぐさまベッドに体を投げた。
結局あの後、どうなったかは言わないでおく。だって思い出したくないもん……。
すぐにでも眠りに落ちたかったけど、そうゆうわけにもいかなかった。
僕はベッドから起き上がり制服を脱いだ。そして、その制服を隅々まで見回す。
……何もないな。下のスカートを見ても、何もなかった。
簡単に見つけられるとは思っていなかったけど、肉眼で見つけられないほどの監視カメラなんてあるのかな?
さっきの寧との会話で、寧が僕が溺れたことを知らなかったことから、やっぱり制服に付けられていると思ったんだけどな。
「……あっ!」
諦めかけたその時、僕の視界に蛍光灯の光を反射するものが映った。制服の襟に、小さく黒光りするものが付いていた。慎重に覗き込むと、それは黒い小型のカメラだった。
やっぱり制服に付けられてたのか。ここまで小さな監視カメラがあることに驚いたけど、これで寧の監視から逃れられる。
偶然壊れたことを装うためにレンズを見ないようにし、さっそく壊そうと思ったけど、急遽思いとどまった。
いや、壊さないで付けたままにしよう。どうせ外しても、どこかのタイミングでまた付けられる可能性がある。それならいっそのこと、付けたままにしておけば、僕の好きなタイミングで監視カメラのレンズを逸らすことができる。そうすれば、寧の監視から逃れられる時間を作れる。
そう考え、僕は制服を脱ぎ捨てたままお風呂に向かった。
……それにしても、体がヒリヒリして痛い。風呂に入ったらすごい沁みそうでいやだな……。