苦い思い出話
ふと中学生の時の苦い話を思い出してしまった。
思い出してしまったので、暇潰しに書き留めておくことにする。
それは中学二年の時。皆も経験しているかもしれないが、職業体験という授業があった。
それは名称の通り、二日間ほど実際に何らかの職業を体験しに行くという物。
職業の選択肢はいくつかあり、僕は迷いながらも「本屋」を第一希望とした。
第二第三希望を何にしたかは覚えていないが、少しして担任に呼び出されこう告げられた。
「人数や男女比の関係で、どの希望も難しい。だから他でもいいか?」
と。
良いも悪いも無理だと言われてしまってはどうしようもない。だったら最初から希望など取るなと思いながらも渋々承諾し、僕は先生が振り分けた「消防署」に行くこととなった。
これは後で知ることだが、呼び出しによってそれを告げられたのは僕だけだった。
つまり、一つの希望も通らなかったのは、40人前後いた同級生の中で僕だけだったのだ。
よくよく考えるとおかしな話だ。他の誰かを変更するわけにはいかなかったのか、そもそもなんで僕だったのか。それは迷宮入りの謎である。
そして消防署に振り分けられたことの問題もいくつかあった。
一つは同じ班になったメンバーだ。
友達と呼べるような子は一人もおらず、むしろ僕の事を馬鹿にしたり下に見ていたり、酷い時にはいじめまがいの事をされてきた連中しかいなかった。
当然昼休みに楽しい会話なんてできるはずもない。
そして次に、当時の僕は(今以上に)ガリガリで病弱で休みがち、更に内向的と、とても肉体労働向きの人間ではなかった。(他のメンバーはバリバリのサッカー部だった。)
憂鬱な気持ちを押し隠しながらも、なんとか一日目を終えられそうな時、署長さんが全員に「何故消防署を希望したのか」を質問した。
さて困った。
僕は前述の通り、そもそも希望などしていないのだ。
それぞれの理由を話す他のメンバーが終わり、自分の番になった。
仕方がないので無難に「格好いいと思ったので」というような事を言ったと思う。いかにも中学生男子らしいではないか。
しかしそれを聞いた署長さんは「そんなに甘くない!格好いいだけではできない!」と熱くなった。他のメンバーの似たような言葉は笑顔で聞いていたのに、だ。
何度も言うが、そもそも希望していないのだから、理由などない。
そして次の日、僕が絞り出した理由を聞いていたのかいないのか、身体の大きな現役隊員達の指導はやたらと熱が入った。
元来(そして未だに)体育会系のノリが苦手な僕だ。
「もっと気合い入れろ!」
「声出せ!」
「本気見せてみろ!」
「どうしたそんなもんか!」
と煽られた所で、そもそも図書室で一人静かに読書をしているのが唯一の楽しみ(当時はシャーロック・ホームズを端から順番に読破するのが日課だった)の僕が、重いホースを操れるわけもないのだ。自慢にもならないが、筋肉など女子よりなかったのだから。
腕相撲も女の子を合わせてクラス最弱だった僕は、水圧に負けて倒れそうになるのを堪えるだけで必死だった。的になんて当てられるわけもない。
ちなみに記憶が間違っていなければ、他のメンバーはよくできていたのか全く煽られていなかったのを覚えている。
そして僕の後ろで笑っていた。これを「嘲笑」というのだと身をもって学んだ。
そんなこんなで、中二にしてリアルに泣きべそをかきながらも、地獄の二日間は終わった。リタイアしなかっただけ誉めてほしいものだ。
しかしあれ以来、大人になった未だに消防隊員を見ると萎縮してしまう。
あの時の事を思い出して心拍数が上がる。正直ちょっと怖い。
勿論、命を張る仕事なのだから、軽い気持ちでは困る、というのを教えたかったのかもしれない。それは分かる。しかし少しでもこちらの状況を鑑みて欲しかった。
ガリガリ眼鏡のいかにもオタクっぽい少年が、ガテン系のトップ消防署など望んで来るはずもないではないか(という想像をしろとは、あまりにも無理な注文なのは承知しているが)。
そもそも何故先生は、よりにもよって誰がどう見ても向いていないだろう場所に、犬猿の仲のメンバーと共に送り込んだのか。
それも三ヶ月ほど不登校だった経験がある僕をだ。危うくまた不登校になる所だった。
さて、そんな謎とトラウマばかりで、特にオチもない苦い思い出話でした。
ここまで読んでくれてありがとう。
暇潰しにでもなってくれれば浮かばれる。